黄昏時
雪本つぐみ
廻想
黄昏時に何故だか切なくなってしまうのは、もうすぐ夜が来ることがわかってしまうからじゃないかな。そう、ミカは呟いた。ぼくにはその言葉の意味がよく意味が解らなかったのだけれど、丘の上から街を見下ろす彼女の横顔は、下から見るとどうしようもなく切なくて、今すぐにでも柵を越えて飛んで行っちゃいそうな感じがしたから、ぼくはミカのスカートを右手で引っ張った。ミカは「もう、エッチね」なんて年頃の少女みたいな発言をして、はにかむ。ぼくがミカのことを「変わってしまった」と思うのは、やはり先日出来た恋人の存在が大きいのだろうか。いつかそういう日が来ることは分かっていた。正直、ぼくとしては、あんな軽薄そうな男とは、付き合ったり交尾したりなんてしてほしくない。子どもなんて作るのはもってのほかだ。けど、ミカが選んだというのなら、文句は言えない。元より、ぼくがミカに話しかける術などない。でも、ぼくは、あんな髪を変な色に染めた変な匂いのするきもちのわるい男なんかより、ずっとミカのそばにいたんだからな。ミカのことはぼくが、一番知っている。本当の家族にはなれないのかもしれないけれど、ぼくはミカのことを誰よりも大切に思っている。ミカが幼い頃からぼくはずっと彼女と一緒だった。小さい頃は一緒にお風呂にだって入った。ミカはぼくのからだを隅々まできれいにしてくれて、丁寧に洗ってくれた。毎日川べりの道を一緒に歩いたし、夕飯の時だってぼくがいつもそばにいた。ミカの両親は冷たい人で、ミカの事を出来損ない呼ばわりした。彼女の事なんて見ちゃいなかった。ぼくにとってミカが世界の全てだった。けして冗談ではなく、ミカにとってもそうだったはずだ。ミカは、ぼくを通して世界を見ていた。ぼくと同じ世界を見ていた。そう、あんな男と付き合うまでは。ぼくはミカに帰るように促し、燃えるような陽を背中に受けながら、彼女を帰路に就かせた。結果的に、それが、彼女と一緒に見た最後の夕陽だった。
ミカが自殺した。あっさりと死んだ。つがいの男に裏切られたようだった。
突然の出来事だった。正直、ぼくは死というものが理解できない。人間たちはそれをとても悲しむと言うことは知っているが、ぼくはなんとなく意志や感情が永続的に失われ自然へと変えることだと暫定的に解釈している。でも正直、それもよくわからない。現に、浴室でかみそりを使って手首をまっかにそめた裸のミカの身体は醜くぶよぶよ膨らんで、壮絶な異臭を放っている。動く気配も見せない。ぼくは風呂場の引き戸を強引に何度も空けようとしたが、沁みだした油でつるつる滑ってしまう。ぼくは懸命に這うようにしてミカに取り縋った。水を吸ってぱんぱんの風船みたいになったミカの身体を引っ張ったが、グロテスクな肉片が口の周りにこびりついただけだった。嘔吐したくなるような強烈な腐臭だ。ぼくは迷った末、ミカの身体をばらばらに解体してみることにした。ミカと最後に夕陽を見た丘まで、ミカを連れて行ってあげたかった。ぼくは彼女の手首から先を器用に毟り取り、くわえた。そして夕闇に染まる街を駆けだした。ミカ、ミカ。きみはまだ生きているんだよ、ぼくの中で。ぼくの……観ている……世界で……。何故だか、視界が眩しい。ゴムの焼けたようなにおいがする。僕の身体は空を舞う、淡い光が、光に包まれて……。
僕の意識は消えた。
翌日の地元新聞より抜粋
20日夕方、住宅街を二重の意味で震撼させる事故が起こった。トラックに跳ねられ死亡した大型盲導犬が、食いちぎられた女性の手首を咥えていたのだ。生活反応がないことから女性は既に死亡したと見られ、程なくして近所に棲む
黄昏時 雪本つぐみ @alright3
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