かくしてぞ、

I’m諺

かくしてぞ


『かくしてぞ 人は死ぬといふ 藤波の ただ一目のみ 見し人ゆゑに』 

  作者不明/万葉集から



 彼と出会ったのは、俺が和泉に配属された日のことだった。


「今日からお前の上司になる井爪や。よろしくな」


 聞きなれた故郷の訛で話す男は、初対面で俺の左手を取り強く振った。


 第一印象は呑気そうな人。

 それでいて恐ろしい人だと思った。


 軍内で、初対面の人にもこんなに馴れ馴れしいなんて。

 いつ死ぬかわからない相手にこれからよろしくなんて、恐ろしかった。

 しかし、一応は上官。

 機嫌を損ねてしまってはこの後どうなるかわからない。

 俺は笑顔で、


「藤原九重です。今日からよろしくお願いしますね、井爪上官」


 とだけ挨拶した。

 彼は何だか満足そうだった。


 それからというもの、故郷が近いからなのか井爪さんはよく俺に絡んできた。

 命令などではなく、ただ、友達のように、話しかけてきた。

 あんなのでも上官。

 気に入られたら昇格するかもしれない。

 だから俺は井爪さんに付き合った。


 関われば関わるほどおかしな人だ。

 いつも食べることしか考えてないような気の抜けた人なのに、彼と共に戦った人は彼を畏怖する。

 まるで鬼神のようだと。


 まだ彼と共に戦場に出たことの無い俺にとっては半信半疑だった。

 それでも井爪さんの周りの人は彼に近づこうとしなかった。


 彼は食べ物が好きだった。

 俺がこっそりと厨房を借りてお菓子を作っている時も、何故か気が付くと横に井爪さんがいた。


「そんな軍人に意味のないものを作ってどうする」


 と怒られると思っていたのに、彼は呑気そうに


「えー、お菓子やん! めっちゃうまそう! なあなあ食べてええ?」


 と言いながら、俺の作った大福を食べていた。

 予想外の反応に、


「怒らないんですか?」


 と聞くと、


「怒ってほしいんか?」


 と聞かれた。

 即座に否定した。


「井爪はそういうの、ええと思うで。

 お菓子作ったり料理したり舞を舞ったり、お花見したり……。

 軍人にはそんなんいらん! 鍛錬せぇ! とか言う奴おるけどな、井爪はそういうんは性に合わんのやな。

 何より、藤のお菓子うまいし!

 あんたええ腕してんのやな。また作ってぇな!」


 そう言って、井爪さんは俺の作ったお菓子を頬張った。


 俺は有名な軍人の家系だった。

 幼い頃から剣術やら体術やら棒術やらを教えこまれた。

 母と共に台所に立って料理を作るのは好きだったが、父に見つかるとこっぴどく叱られた。

 舞も生花も菓子作りも


「軍人になる男子にそんなものは必要無い。そんなことをしている暇があるなら鍛錬に励め」


 と叱られた。


 舞も生花もやめた。

 けど、料理だけはやめられなかった。

 自分の作ったものが人に褒められ、そしてその人の体を作る。

 それが何より嬉しかった。

 だから井爪さんの言葉に、自分の好きな事をしていいんだと思えた。

 それは単純に嬉しかった。


 そしてこの前、次の作戦では井爪さんと動くように、との指令が来た。

 その事を俺にこっそりと告げた上官の目は怯えているようでもあり、冷たいようでもあった。


 そして今日。

 作戦決行の日だ。


 俺達遊撃部隊は、戦場の様子を見て後方支援にも前線部隊にもなる。

 最初は我軍が有利で、俺達は後方支援に回っていた。

 しかし、少し経つと我軍が圧されてきた。

 前線が奇襲により大きな被害を受けたらしい。

 井爪さんに「前線に行って加勢するで」と言われたときは、やっと鍛錬の成果を出せる時だと心が踊りながらも、やはり少し尻込んだ。


 心なしか井爪さんの前髪に隠れた目は爛々と輝いているように見えた。


 前線の状況は聞いていたより酷かった。

 味方なんて、ほとんど残っていない。

 敵はすぐそこまで来ている。

 俺は夢中で戦った。

 他の人なんて気にもかけてなかった。


 「藤原大尉! 井爪少佐が!」


 突然、俺を呼ぶ声ではっと我にかえった。

 声のする方を見ると、味方に襲いかかる井爪さん。

 明らかな殺意を感じた。

 と、同時にいつか聞いた上官たちの会話が脳裏に思い浮かぶ。


『あいつ一緒には戦いたくないな』


『敵も味方も関係なく殺しに来るからな』


『何があそこまであいつを凶暴化させるのか』


『次は何人生きて帰ってくるんだろうな』


 あれは井爪さんのことだったのか。

 その話の通り、井爪さんは髪を振り乱し敵味方関係なくその脅威を奮っている。


「井爪さん!」


 声をかけるも、もう彼は正気ではなかった。

 ただ、人を殺し続ける化物だった。

 だからだろうか。

 上官が俺に、井爪さんと一緒に戦うよう指令をだしたのは。

 いざというときのために、普段から一緒にいる俺に止めさせようということだったのか。


 それなら、俺が止めるしかない。


 ここで止めれば、うまく行けば。


 井爪さんの戦闘力を操る重要な人物になれるかもしれない。


 それに、俺の好きな事を「無意味じゃない」と言ってくれた彼を取り戻したい。

 後から思えばそれは偽善だったし、傲慢だった。

 けれど、まだ青いその時の俺の体を動かすには十分だったのだろう。


「井爪さん!」


 さっきよりも大きい声で彼の名を呼ぶと、井爪さんは俺の方に振り向いた。


「全員、離れていろ! 負傷者はいち早く医療班のもとに運べ! 俺はここで食い止める!」


 そう叫ぶと俺は無意識的に井爪さんに刃を向けていた。

 井爪さんはずっと唸っている。まるで獣のように。

 なのに、彼の顔は楽しそうだった。

 もう、話し合いでなんて止められない事は明らかだった。


「仕方ない、よな」


 覚悟を決めたことを示すように俺は刀を構え直した。

 上司相手に自分の実力がどのくらい通用するのか。

 本気で殺しにかかってくる敵にどのくらい敵うのか。

 それは自分が満足したいが為の浅はかな行為だったのかもしれない。


 それは鬼神だった。

 また、殺戮兵器でもあった。

 目に映るもの全てを敵と見なし、東軍西軍関係無く襲い掛かる。

 標的を俺に絞るのも大変だった。

 少しでも気を抜くと短剣が俺の体を掠める。


 井爪さん、いや、あれは常人ではありえない体力と瞬発力だった。

 長時間戦えば戦うほど俺が不利になる。

 早くこれを止めないと。

 俺はこれをどうにかして止めようと考えた。

 しかし、今の彼には戦い血を流す事しか頭にない。

 力強くで止めるしかない。

 時間が無い。


 考えている間も俺の体は鎌鼬にあったかのように切り裂かれていく。

 血が流れ、脳が働かなくなっていく。

 飛びそうになる意識を何とか保ち、地を踏みしめる。

 今倒れては駄目だ。

 俺が何とかしないと。


 その時、俺に向かって来るはずだった刃が震えた。

 そのまま横に倒れていく。

 何があったのかと確認する前に俺の体にも衝撃が走る。

 脚が痛い。

 見ると東軍の矢が突き刺さっていた。


「余計な事を……っ!」


 新たな敵を発見して、井爪さんは嬉しそうにそちらに向かって走って行く。

 東軍の奴らから小さな悲鳴が聞こえた。


 駄目だ。


 あれは、あの人は俺の獲物だ。


 東軍に向かう井爪さん、そしてそれに銃を向ける東軍の軍人。

 俺は脚から矢を引き抜き走った。

 脚に激痛が走る。

 しかし、そんな事はどうでもいい。

 あの人の中にある、いつものあの人の罪を軽くする為に。

 あの人の為に。


「退け!」


 俺は東軍の軍人に左手を伸ばし、突き飛ばした。


 肉が切れる音と、骨が断たれる音と火薬の爆発する音が響いた。

 遠くまで響きわたった銃声音が完全に聞こえなくなり、遅れてぼとりと重い物が地面に落ちる音がした。


 あたりはしん、と静かな空気に包まれた。

 ただ聞こえるのは、荒い吐息とぼたぼたと地面に落ちる血の音だけ。

 俺は、もう殆ど動けない状態だった。

 利き腕である左腕を切り落とされ、もうまともに刀も握れない。

 更に流れ過ぎた血のせいで目眩がしていた。

 井爪さんは獲物を逃した、と不満そうに唸っていた。

 東軍軍人は、気絶はしているものの息はありそうだ。


「…井爪さん、帰りますよ」


 俺は残った手で、短剣を持つ井爪さんの手を取った。

 しかし、井爪さんは短く唸って俺の手を振りほどいた。

 まだ満足しないと言うように。

 その時に短剣の切っ先が俺の左目をざくりと切り裂いていったが、今更気にもならない。


「いつまで我儘言ってんですか。こんなに迷惑かけて」


 左腕が使えなくなった今、井爪さんを止める事は難しい。


「ほんと、自分勝手で嫌いですよ。貴方の事」


 俺は井爪さんにもたれ掛かる様に覆い被さった。

 腹部に短剣が深く突き刺さる。

 困惑している井爪さんを無くなった左腕で抱き留める。


「…藤…?」


 井爪さんが俺を呼ぶ声が聞こえた気がした。

 俺は右手で刀を構え、井爪さんの俺よりも小さな背中に突き刺した。

 長い刀身は俺の身体をも穿いた。

 ごぽり、と井爪さんが血を吐き、力は抜けて身体が預けられる。


「貴方のせいですからね。もう菓子なんて作れないんですから」


 身体がふらつくのを感じ、俺の意識はそこでぷつんと途切れた。


 その十数日後、俺は意識を取り戻した。

 てっきり死んだと思っていたのに。

 医者にも奇跡だと言われた。

 左目失明、左腕の肘上から下を失くし、腹を広範囲縫った。

 その他、切り傷擦り傷骨折多数。

 それが俺の今回の怪我だ。

 井爪さんは俺より先に動けるようになっていたらしく、俺が目を覚したと聞いて病室に駆け込んできた。

 俺の姿を見て顔面蒼白にしながら、


「藤、井爪は……井爪は……」


 と、呟いていた。

 まるで目の前の事を信じたくない、とでも言うように、その頭は少し震えていた。

 俺は、


「井爪さん、御無事で何よりです。

 それで、気が付くと俺の腕が無かったんです。

 戦場でのことをよく覚えてなくて……一体、何があったんですか」


 と言った。


 嘘だ。

 本当は記憶はあった。

 井爪さんが俺の腕を切り落としたことも、井爪さんが俺の目を潰したのも。


 ただ、知らないふりをして彼が覚えているかどうかを探ろうとした。

 そして、彼が真実を知っていたらどんな顔をするのか見たかった。

 彼は少し悲しそうな顔をした後、俯いて口を開いた。


「東軍の奴等が藤の腕を切り落とした」


 と、一言。

 ただそれだけを口にした。

 隠したいことがある顔だった。

 罪悪感に塗れた顔だった。

 本当のことを知っている顔だった。


 彼も、嘘を吐いた。


 俺の好きな事を、今まで認められなかった事を肯定して、褒めて、信じさせた挙句、彼はその手を振り解き、切り落として希望を奪った。

 なのに嘘を吐いて、自分のした事から逃げた。


 ああ、この人も同じだ。

 人間だ。

 みんなそうだ。

 どうせ、自分が一番大切なんだ。


「そうですか」


 俺は一言、そう答えた。

 井爪さんは一瞬その顔に希望を宿し、すぐにそれは罪悪感へと変わった。

 彼は、俺の顔色を伺うように見ていた。


「ならば私はそれを許しません。

 必ず、いつか私が、私の腕を奪った奴を打ち倒します」


 その時、彼はどんな顔をしていただろう。





 藤原九重は変わってしまった。

 元は、愛想笑いを振りまくような男だったが、その笑顔ですら消えてしまった。

 腕を失くしてからも運動能力を取り戻す訓練に励み、すぐに立って歩けるようにまで回復した。

 医者は開発班に頼み、藤原に合う義手を作らせた。

 手術の痛みを乗り越え、義手の訓練もすぐに終わらせた。

 今、彼が見据えているのは自分の腕を奪った人物だけ。

 義手を着けた為、菓子はまた作れるようになり、刀も握れるようになった。

 しかし、これでは駄目だと体術の稽古にも励むようになった。

 長かった髪は邪魔だからと切り落とし、嗜んでいた煙草はやめた。

 時々昔のように笑うことはあるが、もう目に生気が宿る事は無かった。


 そして、今日も東軍を憎む振りをしている。

 彼を騙す為に。


 自分が記憶が無いと思わせて振る舞い、いつか復讐をする時に井爪を絶望に落とす為に嘘を吐く。

 井爪は、それに薄々気付いてはいるが、それは藤原が自分に気を使わせない為だと思っているらしい。


 全く、気楽なものだ。

 そして又、井爪も嘘を吐く。

 藤原の復讐の矢先が自分に向かない為に。

 見捨てられない為に。

 自分を守る為に。

 二人は嘘を吐いて背中を合わせ闘う。

 綺麗な嘘など無い。

 西洋の言葉で言うならエゴに塗れた嘘だ。

 身勝手な、利己的な嘘に嘘を重ね許すまいと、また嘘を吐き、手を取り合う。


 このように人間は死んでいく。

 ただ一目見た藤波の様に忘れがたい人の為に。

 こうして二人は死んでいく。

 ただ、憧れてしまった人に忘れられない嘘を吐いた為に。

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