社会的強者

海沈生物

第1話

 駅の改札の前でダンスをしている男がいた。背後で並ぶ人々が迷惑そうな顔をしていたので、一番先頭にいた私が代表して「邪魔なので止めてほしい」と頼んだ。しかし彼は顔中の皺という皺を寄せると、皺々の顔を(わざわざ)私の眉間に近づけてくる。


「時に君、どうしてダンスをやめる必要があるのだ?」


「他人に迷惑をかけているからです」


「しかし、人とは迷惑をかけて生きる生き物じゃないのか?」


 こいつ、面倒だなと思った。「正当」な議論をしたいのではなく、論破して相手が 敗北している姿に喜ぶサディストだ。インターネットでよく見る。

 いらない地雷処理班を請け負ってしまったなと後悔する。私の背後に並んでいた人たちは隣の改札から駅の構内へと急いでいる。裏切り者とまでは思わないが、現代社会の無情さに下手なラブソングより切なくなる。私もさっさと地雷処理を終わらせて、あの現代社会の「波」の中に混ざらなければ。大学の一限の講義に遅刻してしまう。


 現実問題、こういう人間は謝れば大体許してくれる。その後に多少のお小言をぶつけられるかもしれないが、それでも、下手に論破を狙うよりは会話がすぐに終わるのだ。その理屈に従い、


「そうですね、人とは迷惑をかける生き物ですね。私が悪かったです、すいません」


としおらしさ九十パーセントぐらいの気持ちで軽く頭を下げた。これで終わる。電車に乗ることができる。しかし、予想外にもその男は皺を寄せたままだった。


「もう少し議論を広げようか。そもそも、どうして私が嫌がられているのか分かるかね?」


「だから、私が悪」


「そうではない。迷惑をかけている”私”という存在が、暗黙の規律を破ったのが悪いのは事実なのだ。”君たち”はそんな私排除して、集団の規律を保とうとしている。世界を”平穏”にするために、ね」


 駅の電光掲示板には、次の七時五十八分出発特急の電車がまもなくやってくると表示されている。こんな改札前で無駄な会話をしている場合じゃない。なんで議論を続けるねん、はよ終われやと普段は隠しているはずの関西人としての本性が心の中で暴れる。この世界に法律がなかったら、目の前の男を既に百八回は刺している。

 

 冷静に考え直すが、こういう哲学書に載っている「机上論」を延々と語る人間は、他者に多くを語る癖に相手からの意見は求めていない。普段から受け入れられない自分の感情のはけ口として、相手を使用しているに過ぎない。差し詰め、私はエチケット袋ということだ。ゲロを吐かれるためだけの、ただの便利な人。

 だが、生憎私はエチケット袋ではない。学生という身分を持ち、勉強のために急ぐ、意思のある人間だ。こんな男のゲロ袋になっている暇はないのだ。現代社会は忙しい。脳をフル回転させると、ある一つの「最適解」を導き出す。


「そうですね。そうやって、雑に”君”ではなく“君たち”という雑な主語のデカさで自分の論を正当化して、勝手に気持ちよくなっていてください。私はその平穏が好きなので、その維持のため、お前が一番嫌いそうな”暴力”による解決によって幕を閉じたいと思うんやけど」


「暴力か? 暴力はいかんよー。暴力は議論を否定する。それは民主主義的ではない」


「民主主義を語るなら、周囲の圧という”多数”に負けて、平穏になってくれへんかなぁ」


「君、周囲の圧というのなら、社会主義だって……」


 もう目の前に電車が来ていた。私はイライラする感情をむき出しにすると、男の股間に対して蹴りを入れる。ダンスをやめてその場でもだえている男を無視すると、さっさと改札を通り、今にも出発しそうな電車に駆け込み乗車をする。(※駆け込み乗車は危険です。実際にするのはやめましょう)

 ドアが閉まると、ほっと一息つける。やっと男を巻けた。地雷処理完了。窓の向こうでは悶える男が駅員さんに介抱され、駅の外にあるベンチで寝かされていた。忙しい時間帯にありがとう、駅員さん。心の中でナムナムと拝む。

 満員電車の波に押し潰されそうになりながらも、猛スピードで切り替わる外の風景を見る。


 実を言えば、先週からああいう変な人と遭遇することが多かった。今日ほど真面目に対峙したことはなかったのだが、毎日駅で見かけていた。特に印象に残っているのは、先週の木曜日の「こそあど男」と一昨日の「性別概念論男」だろうか。

 先週の木曜日の男は、単に顔が好きな漫才グループである「ホワイトケチャップ」のツッコミ役の男の顔に似ていたので覚えていた。しかし、一昨日の男は奇天烈そのものだった。


 この人もまた、今日のように机上論大好き男だった。その男は「性別は概念であり、男も女も意味はない」という主張をしていた。主張する場がどう考えても間違っている以外には、それはまぁ表現の自由と人権が保障されている国である限り、勝手に主張してもらっても構わない。理屈は思ったより通ってたし、話も上手かった。あと講義まで一本ぐらい電車を逃しても大丈夫な時間があった。


 しかし、問題なのが話の後半である。その「性別概念論」を盾にして、全ての人類を両性具有者にしようと言ってきたのだ。さすがにドン引きするというか、公衆の面前だが、という点でドン引きした。


 確かに生理が辛いのも分かるし、それが女だけにあるのがおかしいのも分かる。性病のリスクはある程度平等だとしても、妊娠に関しては女ばかりが苦しいというのも分かる。だから、全ての人類を両性具有者にしてしまえば、そのような格差が生まれないのではないかという気持ちも分かる。分かる、が……それだったら、いっそ「生理や妊娠の苦しみ」という概念がない世界にしてもらった方が楽だ。痛みも血も出ず、気持ちがブルーにならない生活を過ごさせてくれ。

 ついつい身体が勝手に動いてしまうと、どうにか言葉による説得で去ってもらおうとしている駅員さんの前に出て、その性別概念論男に不満をぶつけた。すると男は泣き出し、感動してしまった。そのまま、女子トイレの中へと消えて行く。女性の駅員さんへ「なんか……ごめんなさい」と謝ると、「日常茶飯事ですから」と微笑み、女子トイレの中へと姿を消した。その後ろめたさも含めて、印象に残っていたのだ。


 電車を降りる直前の駅で大量の通勤客が外へ流れていく姿を見ると、少し、ほんの少しだけ今日までの変な男たちの気持ちも分かるような気がした。もちろん平穏は好きだが、こんな鬱屈とした日常を繰り返すだけの平穏を維持して、それで何になるのかと思わなくはない。


 所詮、今日までの全ての不審者たちの意見は机上論だ。紛争が不毛であることを分かりながら、相手から食料と水を奪わなければ生きていけない人々がいる。宗教戦争も馬鹿らしいように見えて、それじゃあ宗教がなければ争いにならないのか、といえばそうでもない。

 それと同じだ。どれだけ哲学の論理として正しかったとしても、その論理で語れるほど世界は容易くない。というか、哲学自体が批判に批判を重ねているような学問であるし、あんな独りよがりの男たちの語る論が完全無欠の全てが正しい論であるはずがない。


 私だって、性別が面倒だと思う時が多いし、公衆の場でダンスをしたいという衝動がないとまでは言い切れない。ただそこには社会的な立場があるし、他者の存在がある。迷惑をかけるということは、「迷惑をかけている他者がいる」という事実を無視するべきではない。それを無視できる人間が「社会」という場で強いのだとしても、きっと。


 目的の駅に着くと、多少残っていた人たちもここで降りていく。その人の波に乗せられて、私も改札へと向かう。

 私はこのような日常に不満を抱いている。しかし、同時に平穏も望んでいる。なので、私はこの満員電車に不満を抱いていても、別に変えようとは思わない。誰かが満員電車の代替案を考えて署名を集めているのなら名前を書くとは思う。


 私も「社会」の中で生き残るために強くなってしまえば、あの男たちの一員になる可能性があるのだろうか。一限に講義へ行くことに対して疑問を持ち、駅で大暴れをする私を想像する。なんだろう。なんだか妙な質感があって、嫌。頭をプルプルと横に振る。

 改札を出てすぐそこにある大学へ到着すると、八時五十五分を示すチャイムが聞こえてきた。私は思考をその場に放棄すると、教室に急いだ。

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社会的強者 海沈生物 @sweetmaron1

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