第8話 手紙
長い年を生きる
でなければ三十余年もアケビ一人でこの家で暮らしたりできない。
だが、三十年という時間は人間には長い。
健太郎はもう七十を超えた爺さんになっていた。歳相応に老け込んでいたが、それでも集落の中では最も若かった。
その間、集落の人たちは一人、また一人とこの世を去っていった。そのたびに、健太郎はとても寂しそうな顔をして庭を眺めていた。
だが、アケビの見た目は十歳そこそこのままだった。
健太郎が車を運転して街に行くことも少なくったある日、玄関前にあった車がなくなった。
「車はどうしたの?」とアケビが健太郎にたずねた。
「車は売って、運転免許も返納した」と健太郎は答えた。
定期的に移動商店が来るようになり、食材となる肉や魚はそこから買うようになっていたので、車がなくても困ることはなくなっていた。
ある日、健太郎は「病院に行く」と言って出かけ、そのまま帰ってこなかった。
アケビは三か月間、健太郎が帰ってくるのを待っていた。
アケビが縁側に座って西の山並みの向こうに沈む太陽を眺めていると、赤いオートバイに乗った男がやってきた。
男は玄関にある郵便受けに手紙を入れると、走り去っていった。
アケビは郵便受けから手紙を取った。
健太郎が帰って来たらまとめて見られるように、アケビは居間のソファーのところに手紙を集めていた。
だが、先ほど届いた手紙は宛名が違っていた。
宛名は「倉橋アケビ様」となっていた。
アケビは慌ててそれを開封した。その名を知る人は世界で一人だけだからだ。
*
アケビへ
まずは、謝りたいと思う。
三十年前、俺は両親を亡くしたばかりで途方に暮れていた。両親との思い出に囲まれて暮らすことなどできないと思い、生まれ育った家を売った。
新しい家を買っても独り身では寂しいことは違いないと思っていたが、アケビに出会うことができた。
十日もすれば、見た目は自分の娘でもおかしくないアケビとずっと一緒に暮らしたいと思うようになった。
だから願いを言わずにいた。言えば願いはかなえられても、アケビと一緒にいられなくなるから。
でも、ひと月ほどでそれがアケビを俺の家に縛り付けているということに気づいた。それでも、俺はまた大切な人を、アケビを手放したくなかった。
そうして願いを告げることなく、ダラダラと三十年もアケビを俺の家に縛り付けてきた。
本当にすまなかった。
次に、礼を言わせてほしい。
俺にできる唯一の罪滅ぼしとして、外国の景色を見ながらその国の料理を食べるということを始めたよな。所詮は俺自身の自己満足に過ぎないが、おかげでたくさんの思い出ができた。
七十数年という短い人生だったが、アケビと暮らした三十年は俺の中で最も充実した、幸せな日々だった。
本当にありがとう。
最後に……この手紙が届く頃にはもう俺はあの世へと旅立っていると思う。
俺の願いは、ずっとアケビと一緒に暮らすことだった。
残念ながら俺が死ぬその時までとはいかなかったが、もう俺の願いはアケビにかなえてもらったことになる。
アケビはもう自由だ。新しい棲家と家主を見つけ、幸せに暮らして欲しい。
――健太郎
*
どの文字もミミズが這ったような線で書かれていた。健太郎はペンを持つ力も残っていなったのだろう。便箋には濡れたような跡もあって、凸凹としていた。
「……ぼうずごしきでいだ字でがけだいのかしら」
滂沱の如く涙を流し、鼻水を垂らしながらアケビが言った。
健太郎が素直に「ずっと一緒に暮らしたい」と言えば、「それはかなえられん」と一蹴し、また「違う願いを探せ」とアケビは言うだろう。
そうすれば、死ぬ直前まで健太郎も罪の意識を背負わずに生きることができるのだ。
「……馬鹿な主だ」
ひと晩泣き明かしたアケビは涙を拭い、家の戸締りをした。
健太郎が言わずとも、願いはかなえられていた。アケビもそのことに気が付いていたが、アケビも自ら家を出ようとしなかった。
しかし、アケビもこの家にはもういられない。
座敷、居間、台所、浴室、縁側、家庭菜園……あちこちに染みついた健太郎との思い出に別れを告げると、アケビは健太郎と過ごした家を後にした。
独身男と座敷童子 FUKUSUKE @Kazuna_Novelist
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