第7話 仮想旅行

 健太郎が新たなこの家のあるじとなってひと月が経った。


 相変わらず主は願いを言わない。

 毎日同じような時間に起きて、家庭菜園の手入れをしてから朝食をつくり、掃除や洗濯をしたら昼食。車に乗って出かける。

 何か買い物をしてくる日もあるが、基本は肉や魚などの生鮮食品が中心だ。米などは近所の農家から安く譲ってもらっているらしいから、そのお返しに肉や魚などを分けているのだろう。

 簡単に田舎暮らしをしたいと思っても、現地で人間関係を築けない人には長続きしない。大きな田畑を持たない主にとってはそれができる範囲の精一杯なのだろう。

 限界集落……とは言わないが、高齢者が多く、車がないと生活するのも厳しい集落では近所に暮らす老人たちの買い物を誰かがしなければいけない。主はその仕事を率先してやっている……そんな気がした。

 それは何かを償うかのような、そんな真摯さを感じさせるものだった。


 車から荷物を取り出しながら主がたずねた。


「なあ、アケビはずっと家にいてどこかに行きたいと思ったことはないのか?」

「ないと言えば嘘になるわ。でも、座敷童子は願いをかなえるまでは敷地を出ることはできないのよ」

「あ、そうだったな」


 大方、景色の良い場所でも見つけたことで気分が上がり、私を連れ出そうとでもしたのだろう。

 昔から村の祭りがあれば誘われたりしたものだ。


「どこかに連れて行くつもりだったの?」

「まあな、でも……」


 主はふと目を細め、何かを言い淀んだ。


「なんか、気分悪くさせたならすまん。悪かった」

「ううん、気にしないで」

「……そうか」


 玄関から荷物を運びこむと、主は居間に入って出てこなくなった。何人かに電話を掛けていたようだが、その内容までは聞くことはできなかった。


     *


 夜になって、珍しく主が居間で食事をしようと誘ってきた。

 いつもは奥にある座敷で食事をするのに珍しいと思った。

 誘われるまま居間に入ると、パソコン用の大きなモニターに見知らぬ土地の街並みが映っていた。

 狭い路地を下った先に鉄道の高架があり、その向こうに青い海が広がっていた。左右に無数のテーブルと椅子が並んでいるところをみると、料理屋なのだろう。


「きれいなところね」

「チンクエテッレ、イタリアの海辺の街だ」

「へえ……」


 ソファーの前にあるテーブルの上に、主が料理を置いた。

 丸盆の上には、大きな皿が一枚。

 そこにスパゲティがつむじ風で巻き上げられているかのように渦を描いて盛り付けられていた。全体にソースを絡ませるように混ぜ合わせてあるので、麺の表面は緑色に染まっている。

 渦の中央にはホコホコに茹で上げられたジャガイモと、ブナシメジ、解した鶏の笹身が入っていて、てっぺんには滑らかに練りあげられた梅肉がちょこんとのっていた。皿の上から漂ってくるのは大葉の香りだ。


「これは?」

「イタリアの街を散策するなら、イタリア料理かなと思ってね。バジルの葉がないから、大葉で作ったけど――『鶏とブナシメジのシソベーゼスパゲティ』だよ」

「スパゲティって、ケチャップで炒めたり、挽肉を炒めて作るものじゃないの?」

「それは日本の喫茶店風の料理だよ。イタリアでは麺を炒めたりしないし、様々なソースがあるんだよ」

「それは食べてみたいわ」


 私の言葉を聞いて、主は「まあ、俺は料理人じゃないからなあ。できる範囲でやってみるさ」と言って、口元を緩めた。


「いただきます」


 手を合わせたあと、出されたフォークを片手にスパゲティを手繰り、具のジャガイモや鶏の笹身を先端に突き刺してクルクルと巻いて、パクリと口に咥える。

 口の中に大葉の香りが一気に広がり、あとからニンニクやオリーブの香り、チーズの匂いが追いかけて消えていく。

 絶妙に茹で上げられたスパゲティは表面が滑らかで、ほっこりと崩れるジャガイモ、繊維質なブナシメジとの食感の対比が楽しい。鶏の笹身はしっとりと仕上がっていて、噛みしめると肉汁と大葉のソースが溢れ出してくる。

 緑色をしたソースが思ったよりもこってりと舌に広がるのだが、十分に噛みしめて飲み込む頃には大葉の爽やかな風味がその油っこさを流し去っていた。


「アケビ、ほら」

「どうしたの?」

「ディスプレイを見てごらん。この街の周りにある段々畑は山を削って作った葡萄畑なんだ。その葡萄で作ったワインがこれ」


 ワインの入った緑色の瓶を手に、主は貼られた紙を私に見せた。横文字はよくわからんのだが、妙に主の気持ちが高揚しているのがわかる。


「アケビも酒、飲めるのか?」

「供物としての酒は大歓迎よ」

「じゃ、ちょっと飲むか」


 主は小さなグラスにワインを注ぎ、私に差し出した。

 フレッシュな柑橘系の香りがする辛口の白ワインだった。


「毎日はだめだが、たまにこうして旅行気分を味わわないか?」


 ワインのせいか、少し上機嫌な主が言った。

 主が画面の矢印を動かして異国を案内してくれるのを見ていると、私も自分が少し興奮していることに気が付いた。


「たまになら、いいわね」


 急峻な断崖に広がる葡萄畑と、カラフルな街並み、青い海を見ながら私は呟いた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る