第6話 外国の料理
奥の座敷に座布団を敷いて座って待っていると、
「お待たせ」
少し畏まった感じで主が料理を運んできた。
胡麻油の香りが丸盆の上に載った丼から漂ってくる。
「また丼なの?」
私はつい呆れたような声を出してしまった。
「洗い物が少なくなるし、器を何度も持ち換える必要がないだろ?」
「それにしても、加減というのがあるわよね?」
主が引っ越してきて一ヵ月。その間に二十日は丼物が出てきたし、残りの十日はうどんやそば――ある意味、丼物だ。
主がちゃぶ台に丸盆を置いて、そっと私の前に差し出した。
再び胡麻油の香りが立ち、私の鼻を擽った。
その芳醇な香りに、私はたまらず丸盆の上を覗き込んだ。
丸盆には丼とスープカップ、小鉢、お手塩皿が並んでいた。
丼はとろみのついた茶色い液体にそぼろ状になった肉と煮崩れた豆腐が入っていて、かきたま状になった卵が浮いている。
「これは何という料理なの?」
「中国の四川という地方の料理に麻婆豆腐というのがあってね、それに溶いた卵を入れて丼にしたんだ。麻婆豆腐を丼にすると麻婆丼と呼ぶんだが――これは『ふわとろかき玉麻婆丼』だな」
「……そ、そう」
最初は胡麻油の香りの印象が強かったが、その奥に微かに発酵した豆味噌の香りを感じた。丼の表面を再び見ると、刻んだニラや砕いた木の実、刻んだ唐辛子などが浮いていた。
隣にあるスープカップからも同じようにごま油の香りが漂っている。具はネギとワカメ。表面に白胡麻と胡麻油が浮いていた。
「それはネギとワカメの中華スープ。鶏ガラでとった出汁を使っているんだ」
「……ほほう」
スープカップのハンドルに指を掛けると、私はスプーンで中身を掬って口へ運んだ。
鶏肉の臭みが抑えられているのは、ごま油とネギ、生姜のおかげだろう。口の中いっぱいに広がる胡麻油の香りは穏やかだが力強い。シャクシャクというネギの音と、舌にはぬるりとしているが歯触りの良いワカメの食感を感じつつ、私は鶏ガラの出汁を味わった。
「ふう……」
温かいスープに思わず声がもれた。
単純だが滋味のある美味しいスープだ。
スープカップを丸盆の上に戻し、私は『ふわとろかき玉麻婆丼』が入った器を手にする。ごはんに豆腐、挽肉などが入った丼はずっしりと重い。
私は右手に持つ箸を丼の中へと差し込み、ごはんと共に『ふわとろかき玉麻婆丼』を掬って口の前に運んだ。白い湯気が上がるのを見て、数回息を吹きかけてから口の中へと中身を迎え入れた。
最初に広がるのはやはり胡麻油の香り。続いて味噌やニンニクの風味が追いかけてきた。
つるりとしつつ、ぷるんと軟らかい絹ごし豆腐が舌先で潰れ、プツプツとした食感の豚の挽肉を歯に感じていると、ごはんが吸った煮汁が舌を覆った。
煮汁は鶏ガラの出汁と、味噌、肉の旨味をたっぷり含んでいるが、流し込まれた溶き卵が全体をまるく、穏やかにまとめていた。
(おいしいっ!! でもからいっ!!)
思うと同時、口の中を刺すような刺激が広がった。
『ふわとろかき玉麻婆丼』が熱いこともあって、余計にその刺激が強く感じる。続いて舌を痺れるような痛みが襲った。
「……ひぃぃ! 口の中が痛い! それに舌が痺れるっ‼︎」
なんとか食べ物を咀嚼して飲み込むと、悲鳴にもならない声をあげた。
「でも、美味いだろ?」
「う、うん。からくて痺れるけれど、すぐにまた食べたくなっちゃう」
「それが四川料理の魅力なんだよなあ」
主は丼の
その箸の使い方は嫌われ箸のひとつで、掻き込み箸と呼ぶのだが……ここは主の家。主の好きなようにすればいい。
またひとくち、丼の中身を口に迎える。
先ほどとは違い、熱い、からい、痺れるだけではなく、黒豆の香りを感じた。その渋みや苦味がこの料理をただからいだけでない料理にしていて本当においしい。
小鉢に入った春雨とキュウリ、ハム、錦糸卵が入ったサラダを突くと、酸味がいい箸休めになった。
「どうしたの? 汗びっしょりよ?」
顔を上げると、そこにはどこか走ってきたのかと思うほど汗を掻いている主がいた。
「辛い物を食べると汗がでる体質なんだよ」
「そういうものなのですか?」
「ああ、そういうもんだ」
服の袖で額や首筋の汗を拭い、主はまた丼を掻き込んでいる。
私も長く人間を見てきたが、汗だらけになってまで辛い物を食べるのを見るのは初めてだ。
でも、実際に食べてみるとおいしい。
「私は中国の料理を食べたのは初めて。主は他の国の料理も作れるの?」
「そうだなあ。たぶん作れるんじゃないか?」
「た、たまにでいいから食べさせてくれない?」
「構わないぞ、また今度な」
「……お、お願いします」
世界は広い。
主の料理を食べて気が付いたのだ。
だが、私は座敷童子。家を出て世界を渡り歩くことなどできない。
ならば料理だけでも世界を感じてみたい――そう思った。
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