第5話 日常

 あるじがこの家にやってきて一ヵ月が経った。

 私は毎日のように主に「願いは思いついた?」とたずねていたが、主は「願いなどない」と即答するばかりだった。


 午前中、私は洗濯物を庭の物干し竿に掛けていく主を眺めていたが、暇つぶしに主にたずねた。


「どうして何も願いがないの?」

「今にすごく満足しているからじゃないかな。物質的なもので必要なものはあるし、足りなくなったり壊れたりしたら買い換えればいい」

「まあ、それはそうね……」


 例えば昨日の主は、朝起きて顔を洗い、庭にある家庭菜園へ向かった。収穫できるものがあれば収穫し、虫がついていないか、病気になっていないかと、注意深く葉や花の様子を見て水を撒く……とても大切なもののように丁寧に見てまわっていた。その後、家に戻って私と共に朝食をとった。朝食後は掃除と洗濯を済ませ、昼になったら昼食を作った。昼食後は買物に出て帰ってきたら私と共に茶菓子でひと休みし、洗濯物を取り込んで畳んだ。その後は時間があったので再び掃除をしたり、ネット小説とやらを読み耽っていた。夕方になれば私と共に夕食を摂って、夜には風呂に入って寝た。


 とても単調な生活を、淡々たんたんと過ごしている――主の生活を観察してきた私はそう感じ、つい呟いてしまった。


「前の主もこんな感じだったなあ……」

「ん、なにがだ?」


 洗濯物を干しながら主がたずねた。

 私はつい口からもれた言葉を聞かれてしまい、苦虫を噛み潰したような顔をしてみせた。

 新しい住人に対し、前の住人のことを話すのは決して良いこととはいえない。同じ扱いを受けると思えば、主も決していい気分はしないはずだ。だから、言葉を変えることにした。


「主はここを自らのついの場所にするつもり?」

「さあな。運が悪けりゃ病院であちこちに管を突っ込まれて死んでいくのかも知れん。買い物帰りに事故にってその場であの世に行くかも知れない。未来のことはわからんさ」

「でも、ずっとここで暮らすつもり?」

「そりゃそうだろう」

「ずっと?」

「ああ、ずっとだ。そういえば、アケビはどうしてこの家にいるんだ?」

「この家は集落から少し外れた場所に建っているでしょ? 他の村人に見つかることもなく静かに暮らせると思って選んだの」


 この家がある集落――この家から隣家は数百メートル離れているが――にも築数百年も経つ古い家が残っている。

 ここは昔から続く豪農から分家した者が質素に暮らすためにと建てた家。平屋で大きくはないが、使われている木材は一級品で、大きな家では難しい、見えない贅沢があちこちに凝らされている。


「ああ、俺も同じ理由でここを選んだ。それに、誰かさんのおかげでとてもきれいに維持されていたからな」

「ああ。私は出ていくわけにはいかないからね」

「そんなもんなのか?」

「そんなものです」


 明らかに主は納得していない顔をしている。

 昔から、座敷童子が出て行った家は没落すると言われているから、私の言葉に矛盾を感じているのだろう。

 が、私もそれ以上のことになると、前の家主との約束に関係してくるので話すわけにはいかない。


 物干し竿にバスタオルを掛け、ピンチで留めると主が言った。


「ところで、昼めしはからいものでも大丈夫か?」

「からいもの?」

「からい。そして、舌が痺れるんだ。中華料理――中国の料理なんだよ」

「よくわからないけど、食べてみたいわ」


 私は先日まで三十余年も料理を食べていなかったし、前の家主は七十歳を超えた老婆。昔ながらの煮物料理ばかり作る人だった。

 だから辛い料理や中華料理というのを食べたことがない。


 洗濯籠を手にした主は、「じゃあ、座敷で待っててくれ」と言って家の奥へと入っていった。


「どんな料理なんだろう」


 私は呟くと、立ち上がって座敷へと戻った。




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