十秒の刹那
風間浦
伝説のゴール
後半開始九分過ぎ。
一本のショートパスが敵選手二人の間を割って、緑の芝の上を伸びてくる。
自陣中程では敵の四番が倒れているが、主審は笛を吹かない。オンプレーだ。
俺は自陣内、センターラインから五メートルの、右サイド寄りにいる。
ルックアップ。周囲を見回し、そして敵ゴールを見据える。
時の流れが、遅くなったように感じられた。
一秒。
左
ファーストタッチは得意の左足。
切り返して右足にボールを移し、二十番のチェックを
背後から迫っていた敵の十六番と、今度は正面から対峙する。
二秒。
左足でボールを引き、右足で止めながらもう一度反転。十六番を再び背後に回して遠ざかる。二十番はボールを見失っている。
サイドライン際から、三人目が詰めてくるのが見える。十八番か。
俺の目の前には、スペースが開けていた。
その先に続くのは、ゴールへの道だ。
三秒。
囲まれる前に小さくボールを蹴り出し、ダッシュで三人を置き去りにする。
大柄な選手を揃えた敵チームだが、俺の瞬発力についてこれる者はいない。
センターラインを越え、敵陣に入る。
世界最大のスタジアム、
スタンドの敵陣側から大歓声が、もう半分からは悲鳴と大ブーイングがわき起こる。後半に入り、陣が入れ替わったのだ。
ブーイングは四分前の俺の、『神の手』によるゴールに対するものか。
このピッチにおける『神』、主審が認めた以上は、紛う事なきゴールだというのに。
ならば見ろ。正真正銘の『ゴール』で黙らせてやる。
四秒。
待ち構える六番は、敵チームでも一際大きい。
一度抜かれた十六番も左後方を追走してくるが、並走する俺の味方を警戒しているのか、距離を詰めては来ない。
俺は六番に近づき、僅かにドリブルのスピードを落とした。
五秒。
六番の狙いは明確だ。俺をサイドライン際に追いやり、ゴールに近づけまいとしている。
こいつはわかってる。だが思い通りになると思うなよ。
小さなボディフェイントで、六番の逆を取る。
左のアウトサイドでボールを押し出し、一気にスピードアップ。ゴールに向かい、斜めに切れ込んでいく。
六秒。
六番は背後を抜けられバランスを崩しながらも、素早く立て直して追ってくる。
俺とゴールの間に立ちはだかるのは、後二人だ。
その片割れ、敵の十四番が左前方から寄せてくる。
だが遅い。
今度は左足のインサイドで、縦に突破。
右の角からペナルティエリアに侵入し、スタンドが歓声と悲鳴でヒートアップする。
七秒。
十四番との接触を避け、軽く飛んで躱す。
僅かにスピードが落ち、諦めずに右後方を追ってくる六番との距離が詰まった。
息遣いが、地を蹴る足音が近くなる。
退場覚悟で俺を潰しに来るかと思われた十四番は、易々と俺を通した。
二枚目のイエローカードを怖れたか、それとも頭上から容赦なく照りつける、メキシコシティの太陽に体力を奪われていたか。それはわからない。
八秒。
俺が十四番を抜き去った事で、ゴール前の人数は三対二と逆転した。
敵のキーパーがゴールエリアを飛び出し、プレッシャーをかけてシュートコースを狭めてくる。
俺は右後方の六番をブロックしながら、左足でファーサイドへのシュートモーションを見せた。
釣られたゴールキーパーが右足に重心をかけ、ファーを塞ぐように身体を倒す。
こうなってしまっては、ニアを縦に抜ける俺を止める事は出来ない。
九秒。
敵は全て抜き去った。
懸命に駆け戻ってきた六番が、ファウル覚悟で俺の軸足ごと刈り取るタックルを見舞ってくる。
凄い奴だ。大した根性だ。
だが、俺の勝ちだ。
ゴールエリア右角。
倒されるより一瞬早く、俺は左足アウトサイドで、ボールを無人のゴールに流し込んだ。
十秒。
ゴールネットの中央が揺れるのを、俺は倒れながら見届けた。
時間の流れが元に戻る。
スタジアムが爆発的な歓声に包まれる。
時間にしておよそ十秒。五人抜き、六十メートルのドリブルシュートが成功した瞬間だった。
俺はすぐさま立ち上がり、右のコーナーフラッグ目がけて走り出す。
空色と白のストライプの旗が、『五月の太陽』がスタンドで揺れている。
老いも若きも、男も女も。髪を振り乱して叫んでいる。
俺は歓声に応えて飛び上がる。
そして太陽を掴むように、手を突き上げた。
十秒の刹那 風間浦 @vkazamaura
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