俺と彼女たちとの物語

みずけんいち

俺と彼女たちとの物語

 物語。それは、一体いつから始まるものなのだろうか。人が誕生したときなのか、あるいは――――――。


 春。この言葉を聞いて人は何を想像するだろうか。桜、新学期、新たな出会い。そんなことを思い浮かべるのではないだろうか。しかし、俺、上村聡うえむらさとしはそんなものを思い浮かべることはおろか、期待すらしない。これまでの人生においてそんなご都合主義が起こったことは一度たりともないし、そんなことが起こるはずがないと考えているからだ。


 俺はクラスを確認するやすぐに教室へと向かう。教室に行くまでに何人もの同級生たちを見た。誰もが今年、大きな出会いがあることを期待している。実際にはそんなこと起こり得ないというのに、だ。


 始業チャイムが鳴った。クラスメイトたちがざわつき出した。俺はそんなクラスメイトたちの様子を冷めた目で見た。


(何を期待してんのか········。今までと何も変わらないだろうに)


 教室が違う。担任が違う。クラスメイトのメンツが違う。


 それらの違いによって人は何もかもが変わったかのように錯覚する。実際は変化などなく、虚像に過ぎないのだが、春というものがそれらをカモフラージュして、あたかも変わったかのように見せているのだ。


 ガラガラ。教室の扉を開く音がした。俺は視線を向けてみると、そこには今年の担任と女子生徒がいた。


(始業式初日から先生に怒られていたのかね、コイツは。はしゃぎ過ぎるとこうなるわなぁ········ざまぁない)


 先生は教卓まで歩くとクラス全員が来ているのか確認をした。そして、


「今年、このクラスの担任となった“小田切順”です。教員生活5年目となりますので、知っている人もいるかと思います。高校2年生として勉強と部活動を今年も頑張っていきましょう。よろしくお願いします」


 担任である小田切先生はそう言うと隣に立つ女子生徒に視線を向けた。


 コイツもしかして?


「それと、転校生を紹介します。·······自己紹介をお願いするよ」


 俺の予想通り転校生のようだ。珍しいこともあるものだ。この学校、“栄光高校”は埼玉県内でも随一と言われるほどの進学校で、この俺のいるクラスも学年30位以内に入るほどの猛者ばかりだ。その中にいきなり転校生か。かなりおできになるのかね?


 俺は疑わし気な視線を向けると転校生である女子生徒が話し始めた。


小鳥遊二葉たかなしふたばです。吉原女子高校から来ました。よろしくお願いします」


 小鳥遊二葉といったその転校生は制服を着崩してはいないものの爪にはベディキュアがついていた。校則で禁止されてはいないが、高校生である人間がつけるべきものとは思えない。俺の中でのこの転校生への評価はだだ下がりだが、クラスメイトたちはそうではない。


「吉原女子ってあのお嬢様が多いとか言われてるとこ!」「すげぇ!それにかわいいしな!」「漫画みてぇ!」「よろしく!!!!」


 教室中から歓声が上がった。俺はクラスメイトたちのテンションについていけず(そもそもついていくつもりがこれっぽっちもないが)、俺は視線を机に広げる問題集に向けた。転校生とやらは今日一日、どうせクラスメイトたちから質問攻めに合うだろうから関わりがない。そもそも関わるつもりがないし、そのほうがきっと面倒を避けられるだろう。まぁ、俺から進んで転校生と関わろうという気さえ起きやしないが。


「それじゃあ、小鳥遊さん。ちょうど上村くんの隣の席が空いているから、今日から席はそこにしてもらっていいかな?」


「わかりました」


「··········」


 俺はガクッと首が傾いた。関わりたくないのにこうなるのか。常に最悪は想定しておくべきか。


「その········よろしくね?」


「··········ああ」


 ◇


「はぁ、最悪だ。なんでよりによって転校生が隣の席になるんだよ。俺の隣が空席だったのはそういうことなのか?」


 この学校の謎その1

 新学期初日から座席が出席番号順ではない。


 どの学校も新学期初日は出席番号順に座るのが通例だ。しかし、この学校にはそんな常識はない。試験を受けるときでさえそうなのだから、謎は深まる限りだ。


 この学校の謎その2

 定期試験での座る場所は女子の出席番号の早い人から女子の出席番号最後まで行き、そのあとに男子の出席番号順が続く点。


「なんとか昼まで持ちこたえられた。早く昼を済ませてしまおう」


 隣の席が転校生というだけでクラスメイトどもは集まる。そうすると勉強している俺の机にぶつかるやつもいて、ストレスが溜まりに溜まった。愚痴の1つや2つ言いたくもなる。


「日替わり定食」

「はいよ!」


 この栄光高校の学食には日替わり定食というものがある。日替わり定食はその名の通り日毎におかずが異なっていて、さらにこの学校で最安値の定食である。たいていはライス単品が最も安いとされているが、この学校においては当てはまらない。ライス単品200円(150グラム)に対して日替わり定食300円(500グラム)。圧倒的に安上がりなのだ。

 貧乏人の財布に優しい定食。世の中、こういうもので溢れかえればよいとすら思う。まぁ、この学校の学食の不人気争いをしそうな程に人気はないのだが。


 俺は日替わり定食を受け取ると空いている席を探すべく歩き出した。学食に一人でいるというのはレアなことらしいのだが、俺の場合はむしろ一人でいないことのほうがレアだ。周りからの視線を気にしていてはできるものもできない。


(おっ、いい感じに空きスペースがあるな)


 4人座れるであろう席を見つけると俺はそこを目指して歩く。4人席の良さはまず広さにある。定食を学食で頼む俺にとっては机の広さはかなりの重要度を誇り、二人席だと定食を一つ置いただけでスペースが半分近く埋まってしまう。それではテストの復習をするべくプリントを自分の陣地に置くことができない。それらをすべて兼ね備えているのがこの4人席なのだ。


 俺は机に定食を乗せると、カチンと音がした。おぼん同士がぶつかった音だ。


「はっ?」「えっ?」


 俺は隣に立っている女子生徒を見た。女子生徒の方は俺を見ている。


「あれ?君はたしか·········」


「··········」


 俺は無視して席を変えることにした。なんでタイミング悪く関わりたくない転校生と鉢合わせるのか。運の悪さを呪うぞ。

 そそくさ狙っていた席から逃げるように去ろうとするも、


「ちょっと待ってくれるかな?」


 俺の行く手を阻むようにして転校生の隣にいた女子生徒がそう言った。今は春であるため、冬服でなくてはならないのだが、この女子生徒はそんなルールを知らないとばかりになぜか半袖のYシャツを着ていた。第2ボタンまで開けているし。随分と面倒なやつに目をつけられたな。


「········」

「そんな嫌そうな顔しないでさ、私たちと昼ごはん一緒に食べようよ」

「断る」

「あれあれあれ?もしかして私の美貌にやられちゃったかな?」

「·············」

「ああ、冗談冗談だから!だから、逃げないで?ね?」

「それで、何のようだ?」


 俺は嫌そうな顔を止まずに現在進行形で迷惑してますアピールをした。先程まで俺にうざ絡みをしていた女子生徒は前かがみになり、


「用がなかったら、話しかけちゃダメなのかな?」

「ダメだろ」

「なんで!」

「用もないのに話しかけられたら、それは時間の無駄だろ。俺は時間が惜しいんだ。それに一緒に食べるのは俺ではなくてそこの友達と食べればいいだろ」


 俺は視線を転校生の······確か小鳥遊に目を向けた。先程からなぜか俺を睨みつけてくるが、気のせいだ。きっと。にらまれる理由がないし。


「それじゃあな」


 俺は小走りにその場を離れた。周囲を見るとどうやら注目を浴びてしまったらしい。注目を浴びるというのは言わば“悪目立ち”していることに他ならない。噂なんて出始めればもう終わりだ。人はすぐに噂話を信じる傾向にあるし、噂が立ったというだけとその人の評判はだだ下がりだ。


 俺はなんとか4人席を見つけ出すとそこに座った。定食が出てからこの席に着くまでにいつもより時間が経ってしまっている。すぐに食べて教室に戻るのが良いだろう。


 俺はポケットの中から今日返却された小テストを取り出すとはしを手に取り、昼飯を食べ始めた。


「上村さん?」

「···········」

「上村くん?」

「···········」

「うーん、上村くんさん?」

「··········」

「うえむらさーーーん」

「うるさいな!なんだよ!」


 俺の顔を覗き込むようにして見てきた名前も知らない女子生徒に俺は苛立ちを覚えた。そもそもなぜ俺の名前を知っている?


「俺とどこかで会った?」

「いえ、初対面です!」

「···········」

「私の名前はですね――――――」

「いやいや、聞いてないから。それより、ほら、他の友達のところに行けば良いんじゃないか?」

「えっ?でも、私たち友達じゃないですか?」

「···········?俺はいつお前と友達になったんだ?」


 コイツの喋り方からコミュニケーション能力はかなりのものだと思うが、友達の基準がどうやら俺とはだいぶ違うらしい。声をかけた=友達という式はいささか無理があるのではないのか?


「えっ?·········あの········すみません。何言ってるのか全くわからないんですけど」

「············」


 OK、OK。なるほど。そういうことか。俺とコイツとではどうやら話す言語が違うようだ。住む世界が違うとでもいうのか。とにかくコイツの脳内はお花畑というわけだ。


「俺はもう少しで食べ終わるから使いたかったらここを使ってくれ」

「そうですね、ではお構いなく―――」


 その女子生徒はなんの躊躇もせずに俺の前の席に着いた。俺は突然のことに体が固まった。

 俺は単純にコイツがこの席が気に入っていて、その気に入っている席に着いている俺が早く席を空けるよう急かしているのだと思っていた。うざ絡みはその伏線というわけか。まぁ、外れたんだが。


「なんでお前ここに座った?」

「一緒に昼を食べましょうよ、お互い日替わり定食ですし」

「意味がわからないんだけど!」

「あっ、このからあげ上村さんは食べました?」

「···········聞いてすらないし」


 俺はマイペースに昼飯を食べ始める謎の女子生徒に対して額にビキビキと音が鳴るのではないかと思うほどに苛立ちを覚えていた。最近のやつは話を聞かないのが多いと聞くが、コイツもその典型的なパターンのやつか。ついさっきといい、俺は不幸続きだな。


「あれ?勉強してるんですか?」


 俺が小テストの復習をしているのを見て、目前の女子は首をかしげた。


「だったらなんなんだ?」

「いやー、すごいなって思って。私は全然できないですから」

「·········そうか」


 見た目がバカっぽそうと思っていたが、まさにその通りらしい。俺が何も言っていないのに今日やった確認テストの結果を見せてきたが“0点”だった。進学校といってはいるが、どの高校であってもこういう人種はいるものだな。


「つうか、俺と昼を食べてることについてはいいのか?お前にも友達はいるだろ?」

「それはまぁ·········そうですね」

「なら、今からでも友達のところに行ったほうがいいんじゃないか?」


 俺はこの高校で学年1位を取っていると同時にこの高校で友達いなそうランキングでも1位を取っているからな。誰がこんなランキングを作ったのか気にならなくもないが、どうせバカがやったことだ。気にするに値しない。


「大丈夫ですよ。私の自由にしていいって言ってくれましたし、それに

「――――――ッ!」


『聡、お前は誰かの役に立てる人間になりなさい』


『一人でいるのは辛くて寂しいものだけど、いつか聡を理解してくれる人が現れるから』


『がんばれ、聡』


 俺にそう言ってくれた母親のことを思い出した。いつも病室で寝たきりの状態であったけれど俺が見舞いにきたときはいつも俺に笑みを向けてくれた。励ましの言葉をくれた。


 俺はうつむいて過去を思い出していると、


「あの、上村さん?」

「ん?ああっ、悪い。少し考え事をしてた。話が途中だったよな、それで?」

「学食でひとり飯っていないと思うんですよね」

「ここにいるだろ」

「えっ?私と一緒に食べてるじゃないですか、何を言ってるんです?」


 コイツ!!何だコイツ!なんか腹立った!


 なんか俺が変なやつ扱いをされていることも憎たらしいが、それ以上にコイツの『何言ってるんだ?』という発言はやはり俺の癇に障る。バカにされている感じが気に食わない。


「俺だけに限らず一定数いるだろ」

「そういう人って学食じゃなくて弁当をもってくるんじゃないですか?」

「弁当ねぇ········」


 俺の家は金がないからできないな。時間もないし。


「一人で食べるより二人、二人より三人で食べたほうがおいしいですよ、絶対!」


 何を根拠にそう言っているのか俺には理解できなかったが、コイツなりの考えあってのことだろう。


 俺が母親を亡くして荒れていた頃にあった一人の女の子もそんなことを言っていたな。あれ以降、会えていないが、今も元気にしているだろうか。それだけが気がかりだ。


 世の中にはご都合主義なんてものは存在しない。人はそう簡単には死なないが、死ぬときはあっさり死ぬのだ。俺の母親だってそうだった。


 俺は昼を食べ終えると教室へ戻った。俺が食べ終え片付けを始めた辺りに席を共にしていた女子は友達の元へ行ったようだ。見も知らない俺なんかに声をかけ、あまつさえ俺と昼を共にした。マイペースを貫き通していたこともそうだが、コミュニケーション能力がかなり高いのだろう。


 今日本日最後の授業を受けていると、


「では、この問題を小鳥遊さん。答えてください」

「えっ?ええっと·········その·······」


 小鳥遊は突然、英語の中藤先生にさされると慌てだした。授業を聞いていなかったわけではないのは俺も理解している。ノートに必死に板書していたし、先生の話も書き込んでいた。だから、この慌てようから、


(授業は真面目に聞いている。復習もしている。なのに答えられない。そこからわかることは単純、コイツは要領が悪いんだな。勉強は時間さえやればいいわけじゃない。自分が確実に理解できている状態に持っていくことを目標とするのが勉強だ)


 今回の問題文は以下のものだ。


()内に入れるのに適切なものを①〜④から選べ


 Last winter I went to Hong Kong ,()as warw as I had expected.


 ①where was't

 ②where it was't

 ③when was't

 ④which it was't


 答えは②だ。このクラスにいる人間はきっと即答するだろう。転校生はおそらくこのクラスのレベルの授業についていけていないな。


「はぁ」


 俺も焼きが回ったな。


 転校生は視線をノートに向けて必死に考え込んでいるようだが、結論は出ていないようだ。そして、視線が俺に向いたタイミングで俺は2本指を立てた。これできっと伝わるだろう。


「えっ?·········答えは②、ですか?」

「はい、正解です。whereとwhen は関係副詞と呼ばれる関係詞で完全文、一文が完成しているものの場合において使われます」


 中藤先生の解説がずらずらと続く。俺はそれに耳を傾けていると、ちょんちょんと俺の肩あたりをたたく感覚がある。


「あの·········ありがと」

「·········別に。あの程度の問題は即答できるようなものだったから、気にするな」

「·········!そ、そう」


 なんかまたにらまれたな。どうも、俺はこの転校生の目の敵、あるいは嫌いな人間の一人と認識されたようだ。


 授業が終わり、俺は帰宅した。俺の家は電車で30分ほど行き、その後、駅から徒歩5分ほどの場所にある。この高校からしたら結構早い北区時間の部類に入る。長いと2時間ほどかかるそうだからな。


 俺は家の前まで来た。俺の家はかなりぼろぼろだ。雨漏りこそしないものの、外からの風が時たま入り込んでくることがある。扇風機と暖房はあるが、エアコンがない。一家に一台あるのが普通のテレビもない。ベッドなんて買う金がないしな。


 それもすべて俺の家にという理由で解決してしまう。


 俺の母親が難病にかかり、その医療料で親父は借金をした。病気の進行に伴い、その額は跳ね上がり、今でも借金が残り続けている。俺が栄光高校に行った理由は単純に推薦を勝ち取れば授業料や施設費などが色々と免除してもらえるからだ。それに自宅からあまり遠くないほうが定期代も安く済む。俺の住む場所はさらに大宮であるためにバイト代もそこそこいく。まぁ、最近バイトを辞めたんだけど。俺がバイトしてた場所が潰れてしまったから。


「ただいま」

「あっ、おかえり、お兄ちゃん!」


 俺の妹のるかだ。毎日飯を作っている俺の数少ない自慢できることの一つ。

 家事万能、いつも元気でかぜをそうそうひかない。その上、礼儀正しい。長所を挙げればきりがないほどにるかはすごいのだ。


「お兄ちゃんは聞いた?お父さんがね、お兄ちゃんのバイト先を探し出してくれたんだよ」

「ほんとか!」


 探さなくてはならないなぁと思っていて、色々とバイトのチラシを集めていたのだが、あまりに家から遠すぎていたり、あるいは条件が厳しくてそもそも入れなかったり。新たなバイト先を見つけることに難航していた矢先にこの朗報だ。解決の糸口はすぐ目前にあったのだ。灯台下暗しとはこのことか。


「おっ、聡帰ったか」

「ああ、それでバイト先を見つけてくれたんだってな」

「あ···········うん。それな」

「············」


 俺がバイト先がどこかを聞く前に親父の顔が真っ青になったのをみて、『ああ、また何かやらかしたのか』そう思った。るかに対しては調子のいいことを言うが、俺となると一瞬で冷静になる。そもそも、“それな”とはなんだ?どれのこと?


「お前にをやってほしいと言われてな」

「家庭教師?」


 今までと随分とベクトルが違うな。ケーキ屋とか郵便局での宅配とはまた違う話だ。


「それで?」

「昨日、実は同窓会的なのがあってな、そこでお前を雇ってくれそうなやつがいたからそいつにお願いしようと行ったんだけど、予想外なことがあってな」

「··········続けてくれ」


 もう嫌な予感しかしない。昨日、親父が同窓会に行った件についてではない。それについては知らされていたし。俺が嫌な予感を覚えているのは親父の言う“予想外”に関してだ。目的の人間はたしかにいただろう。しかし、それとは違う、来るとは予期していなかった存在がいて、その人に頼まれたとかそんなのことだろうか。現時点ではわからないが。


ってやつなんだけどな、そいつの娘が結構やばいらしくて家庭教師を付けたいと言ってたんだよ」

「ん?」


 小鳥遊?なんか、どっかで聞いたな。


「どうかしたか?」

「いや、なんでもない」

「そうか。それで、俺は小鳥遊に向かって塾行かせりゃあいいじゃねぇかって言ったんだよ。そしたら、そいつはさぁ、『ここらにある塾はレベルが低い、お前も含めてな』とか言い出したんだよ。俺はそれに腹立って『うちの息子は学年トップだ、ボケ!』って言ったら、『なら、家庭教師をお願いしたい』と言われて」

「言われて、親父は何したんだよ?」


 俺はもう頭を抱えながら親父の話を聞いていた。すべての元凶はこいつにあった。腹立ったのは分かった。だが、それで俺を巻き込まないでもらいたい。いい迷惑だから。


「契約書書いた」

「何してんだよ!」


 バカかよ、親父。契約書を書かされたってことは断れば家の借金が増えるということだろうが。給料面での問題が残されているのにこれでは断れない。


「俺には拒否権は、はなからないわけか」

「悪い、頭に血が登ってな」

「いいよ、別に。取り敢えず、一度やってみるよ。ダメだろうけどな」

「いや、お前ならできるだろ」

「何を根拠に言ってるんだ?俺は人に教えるためなんかに勉強してないぞ」


 人のためにやるより自分のためにやれ。そう孔子は言っている。それに家庭教師など俺は一度もやってみたことがない。初めてのことが最初から上手くいくなんてご都合主義はないのだ。


「人の役に立てる人間になれ、そう言われただろ。母さん死んだあとにお前は荒れ狂ってた。そのとき助けてくれたあの女の子の恩返しの意味でもやってみろよ」

「···········」


 恩返し、か。俺は母さんにそれをしたかった。自分のことを犠牲にしてでも周りを思いやれる、人の役に立てる人間になりたいと憧れた。でも、実際はそうじゃなかった。物語のようには行かないのだ。


「俺は上手くやれる自信がない。失敗する可能性のほうが大きい。それでもか?」

「ああ、失敗してもだ。俺と違ってお前はまだ子供だからな、失敗してもしかないで済まされる」

「そんな都合のいいことがあるかよ」

「·········世の中、都合のいいことなんてない。なにするにしたって必ず裏がある。お前だってそれは知ってるだろ?俺も身をもって経験した。でもな――――」


「困っている人がいたら、手を差し出せ。お前自身、はすでに見てるだろ?」

「············」


 母さんが死んだその日。俺は泣き叫んだ。絶対に死なないとそう言われていた手術で母さんは死んだ。医師の先生は『尽くせる手はすべてやった』とそう言っていた。でも俺から言わせればそれはただの言いわけだ。

 手術でやれることはやった。そう言われてもこうして母さんは死んでるじゃねぇか。結果が出ていないのに尽くせる手は尽くした?ふざけるな!


 俺はそれから1ヶ月間、家で引きこもり生活を送った。るかは母の死がわかると父さんのいとこの元に預けられることになった。俺は自室で唯一人ぼーっと天井を眺める生活を送った。


 俺はこのときからご都合主義アンチになった。ほぼ100%失敗しないという謳い文句もすべて信じなくなった。


 母さんの死を受け入れられず、俺は荒れた。夜遊びをして補導されかけたこともあったし、暴力沙汰になったこともあった。それでも、親父は何も俺には言わなかった。家に帰れば『おかえり』とただそれだけを俺に言った。『何をしてた?』とか『辛いのはお前だけじゃない』なんて言わなかった。ただ親父は俺がと思っていたのだ。生きてさえいればなんでもやろうと思えばできるから。


 そして、俺はと出会い、親父に謝罪して今に至る。


 地獄。それは俺にとっては母の死だ。だが、それと何が関係している?


「小鳥遊の娘たちがお前と同じように地獄を見るかもしれない。それを母さんが見逃すか?」

「――――――ッ!」


 そういうことか。親父が言いたいこと。それは単純なことだ。


 人助けなんてことをする必要はない。それだけのスキルを持ち合わせていないから。でも、人助けをしようと努力することはできる。そして、それがもしかしたらその当人にとっての救いになるかもしれない。そんな都合よくことが進むわけがないのは知っているが、根気強くやっていれば事態は変わるかもしれない。


「分かった。引き受けるよ、その家庭教師の仕事」


 俺がそう言うと親父はうんと頷いた。俺のバイトがこの瞬間から家庭教師となった。


「それで相手は?」

「今日、聡の学校に転校生が来たろ?そいつだ」

「えっ!?」


 転校生、今日来た。あいつか!·········やばいじゃねぇか。関わる気がそもそもなかったから適当にあしらっちゃったし。どうするよ、俺。


 俺は大きな問題に直面した。


 次の日。


 俺は学校に着くと昨日考えついた一つの解決策を頭に思い浮かべた。その名も『好感度アップ作戦』だ。作戦名は適当につけたもので重要なのはその中身だ。


 この作戦では、いかにあの転校生、たしか名前は小鳥遊二葉だったけ?からの好感度を少しでも多く上げることにある。無論、そのために色々とやらなくてはならないことがある。


 1つ:気持ち悪がれないよう気をつける。


 俺が昨日あんな態度を出していて、今日になってから急に激変していればむこうは不信感を抱くはずだ。そういった急変は一切しない。ただ、その行動がクールに見えるようにするのだ。クール=カッコいいみたいな、あれだ。


 2つ:できるだけ優しくする


 これはそのまんま。できるだけ優しく接するようにする。るかと接しているかのようにすればとりあえずOKだろう。


 3つ:俺は頭いいぞアピール


 家庭教師をするにあたって頭がいいとわかればもしかすると向こうから家庭教師を頼み込もうと思うかもしれない。


 これら3つを今日クリアしていくのだ。完璧だ。これで好感度をガッポガッポいくぞ!


 俺は教室に入ると俺の隣な席に小鳥遊が座っているのが見えた。


 早速スタートだ。


「おはよう」

「···········?」


 小鳥遊は俺がまさかあいさつしてくるとは思っていなかったようだ。何やら不審げに俺を見ている。俺の作戦の一つと知らず。

 あいさつをすれば友達になれるとは言わないが、それに近しい関係にはなれる可能性が上がる。それはつまり、好感度アップにつながる。


「あ·········うん。おはよう」

「今日は来るの、早いんだな」


 転校初日ということもあって昨日は教室に来るのは遅かったしな、学校にはもう慣れているのか。コミュニケーション能力がこいつも高いのかもな。だが、小鳥遊には違ったふうに聞こえたらしい。


『今日“は”来るの、早いんだな〘小鳥遊の捉え方:昨日は遅かったのに今日に関しては早いんだな〙』


「はぁ?なんでそんなことあんたに言われなきゃいけないわけ?」

「···········?」


 あ、あれ?どういうこと?


「誰かに勘違いされると迷惑だから、もう話しかけないでね」

「·········」


 会話終了。


 昼になった。それまでに俺が話しかける素振りをとると瞬時に俺から離れていた。好感度を上げる予定が逆に下げてしまったようだ。


「どういうことだ?俺は目的すべて達成しているはずなのにどうも好感度が下がる一方だ」


 俺がこれまでに実行したのは例えば、小鳥遊が授業中に消しゴムを落としたとき、そっと俺が拾い、それを渡した。そしたら、小鳥遊からにらまれた。その落とした消しゴムはなぜか使わず、新しい消しゴムを使い始めていたし。それだけでなく、数学の授業で俺は超難解な問題をクラスメイトの前で解いてみせた。だが、結果は言うまでもなくにらまれるだけに終わった。すべて失敗に終わったというわけだ。


(何か作はないか?俺の中ではどうも手詰まりだ)


 俺は学食へ向かう途中に新たな方法を模索していた。すると、隣のクラスで、


一葉かずは、遅いわよ」

「ごめんごめん」


 件の小鳥遊と昨日、俺にうざ絡みしてきて、制服を着崩していた女子だ。どちらも高校生らしくない格好をしているから仲良く慣れたのかね。


「あっ·········早く行くよ、一葉」

「えっ?確か上村くんって二葉と同じクラスじゃ········」

「い・く・よ」

「はいはい、それじゃあね」

「べーだ」


 一葉とかいう女子は俺に手を振り、小鳥遊は俺にべろを出している。·········随分と嫌われたな、これは。


 何をしてもダメな気がしてきた。断れない状況とはいえ、なんとか上手くことを進められないものか。


 俺は学食に着くや、


「日替わり定食」

「はいよ!」


 すぐに日替わり定食は俺のもとに渡され、料金を払うとすぐに4人席を探しに行った。


 結局、小鳥遊の好感度が上がることはなかった。俺が関わろうとするとすぐにそれを察知し、俺から離れようとするのだ。俺は校内で近づくのはやめようと考え、その後は近づくのをやめたが、やめたら次は向こうが俺のほうをチラチラ見るようになった。どうも俺と小鳥遊は相性が最悪らしい。


「ここだよな」


 放課後になり、俺はすぐに帰宅準備を終わらせるとバイト先へと行く。親父から昨日の段階で小鳥遊の家の住所を教えてもらっており、そこに向かっていた。そして、俺がそこに着いたときには目前には高級マンションがあった。金持ちだと聞いてはいたからなんとなく想像がついていたが、なるほどこれが金持ちの住む家か。規格外だな。俺が済んでる場所が家なのか疑いたくなってくる。


「取り敢えず、30階まで行くか」

「なんで、あんたがいるのよ!」


 俺がマンションに入ろうとすると後ろから声が聞こえた。俺は後ろを振り返ると俺を指さしている小鳥遊の姿と一葉とかいう女子と昨日昼をなぜか流れで食べることになってしまった女子がいた。


「なぜって、それはあれだ。俺がお前の“家庭教師”になったからだ。勉強、困ってるんだろ?」

「余計なお世話よ、どうせバカだって言って見捨てるのが分かってんのよ!」

「············」

「パパに言ってあんたには給料を渡してくれるようにするからそれでいいでしょ?」

「良くないな」

「はっ?あんたに拒否権はないわ!黙って私の言うことを聞いてればいいのよ!」

「ちょ、二葉落ち着いて、ね?」

「そうですよ、二葉。まだ上村さんの話を聞いてないですよ」

「あんたらはコイツを家に入れるつもり?」

「ここじゃ話せないような内容でしょ?まずはゆっくり話し合おうよ」

「話し合いにすらならないわよ!あんたは早く帰りなさいよ!」

「それも無理だ」

「ふざけないで!」


 俺の襟首を掴んで二葉は言った。


「私はあんたみたいなのが嫌いなのよ!だから、帰ってよ!私の居場所を取らないで!」

「―――――――ッ!」


 俺が荒れていた頃のある日。俺はある女の子と会った。名前は分からない。その女の子は俺を見ると駆け寄ってこう言った。


『そんなことしてると自分の居場所がなくなるよ?』

「うるせぇ、何も知らねぇくせに余計なこと言うな!」

『それでも言うよ。居場所がなくなっちやったら一人になっちゃう。そしたら一人ぼっちだよ?一人ぼっちは寂しいよ?お母さんとお父さんが悲しむよ?』

「――――――――ッ!だったら!だったら、俺はどうすればいいんだよ······」


『一人でいるのは辛くて寂しいものだけど、いつか聡を理解してくれる人が現れるから』


 誰も俺の苦しみを理解してくれなかった。誰も俺を知らないふりして、見ないようにして。どうにもならない現実に失望して。この発散しようのないこの怒りをどうにか放出しなければ気がすまなかった。そうでもしなければ、母さんの死を、地獄を受け入れてしまいそうだったから。


『頑張るしかないよ。がんばってがんばって頑張り抜くんだよ。そしたら、きっと君のことを助けてくれる、そんな人に出会えるから』

『がんばれ、聡』




 地獄はもう見たくない。地獄から逃げ出したくない。俺はその日、そう心に誓った。そして、いつか誰かに必要とされるそんな人間になるために俺は勉強してきたんだ。


「小鳥遊、お前が言いたいことは理解した。その上で言う、お前の申し出は受けられない」

「どうして?金稼ぎがいいから?」

「そうじゃねぇよ、俺が俺自身の約束を果たすために断れないんだよ」

「なにそれ、キモっ」

「好きに言ってくれて結構だ。それに俺は家庭教師として勉強を教えるという仕事をまっとうしなければいけない。とはいえ、お前が嫌なら今月我慢すればいい。そうすれば俺は解雇されるからな」


 親父が書いた契約書を見たのだが、契約期間は1ヶ月となっていた。それが切れれば契約はなくなる。晴れて家庭教師の任務から俺は解かれるんだ。


「俺の授業を受けろとは言わない、それだけが俺の言いたいことだ。それじゃあ、帰るな」

「えっ?なんで?」

「··········言いたいことは言ったからな。あとは帰るだろ」


 何を当然のことを。


 俺は小鳥遊の隣にいる二人がちょんちょんと俺の肩あたりをつついているのに気づくと、


「なんだ?」

「自己紹介がまだだったと思ってさ」

「?小鳥遊の友達ってだけだろ?自己紹介いらないだろ」

「小鳥遊と言ったら、私も小鳥遊ですよ?上村さん」

「はっ?」

「では、改めて私の名前は小鳥遊一葉だよ、上村くん?いや、聡くんのほうがいいか。私たちの先生になるって話だし、名前呼びのほうがいいよね?同じ学年でもあるし」

「私は小鳥遊三葉です!よろしくお願いしますね、上村さん!」

「えっ?はっ?どういうこと?」

「はぁ、あんた、わからないの?私たちはだってことよ」

「そんなことあるかよ··········」


 物語でしかないと思っていた三姉妹という存在。


 俺はこの三人の家庭教師をやれってことか?まじかよ!







 数年後。


 俺の肩を軽くトントン叩く感覚があった。俺は机から頭を離すと、


「あの、準備が終わりましたよ」

「えっ?あ、はい。今行きます」


 俺は慌てて俺がいた部屋から出ると一人女性が立っていた。白いウェディングドレスを着ていた。紅の口紅をつけ、俺に気づくと微笑んだ。


「寝てたんだって?今日がなんの日か、分かってる?」

「悪かったよ、それじゃあ行くか」

「うん」

「···あの日は衝撃的だったな」

「?」

「夢で会った頃のことを思い出したんだよ。夢みたいな話だと思ったよ。むしろ、夢だと思いたい」

「クスクスクス、なにそれ」

「あの出会い方は俺にとっては――――――」


 ―――――――新たなだったよ。






 これは、俺が高校2年のときに彼女たちと出会い、俺が成長をする物語ではない。正確には俺だけの物語ではない。


 これはだ。

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