Sky Smile Story
@kazuyaanzai
第1話
「ではまず、お一人ずつ自己PRと当社への志望動機を1分以内でお願いします・・・」
頭の中で瞬時に回答を構築していく。自己PRに志望動機。基本中の基本だ。自己PRは、多くの学生が30秒バージョン、1分バージョン、そして主に1対1の個人面接用の3分ロングバージョンくらいを用意している。それらの基本パターンをもとに、あとは状況や会社によってアレンジを加えていく。これから繰り広げられるのは、おおむね自己PR30秒バージョン+志望動機のセットということになるだろう。志望動機は、もちろん会社によって変えるのが常識だろうが、使い回しのワードも多い。それは自分の目指す方向が一貫しているからと言うよりも、毎回ゼロから作っていたら連日の面接に間に合わないからだ。
志望動機を「作る」というのも変な表現だ。でもこれが現実だと思う。自分だって結局同じようなことをしている。
一人目の学生が話し出す。
「私は中学、高校とやってきたテニスを通して常に切磋琢磨し、努力する気持ちを学びました。どんなものかと申しますと、例えば大会の時・・・」
学生が5人くらいの集団面接になると、大体その中の3、4人は同じようなことを喋っている気がする。どの就職本やセミナーでも自己PRは「部活やバイトなどの具体的な経験を挙げて」と書いてある。集団面接は一人がスタンドプレーにはしると、全員が落とされるとセミナーで聞いたことがある。たしかに誰か一人の冒険心で面接をぶちこわされたらたまらない。どうしても「あたりさわりのない優等生の答え」というルールの中での競争になっている。体育会系の部活出身はプラスポイント。バイトなら家庭教師も悪くないが、居酒屋やコンビニの深夜など、多少ブラックな匂いもする体力系が好印象。今回も1分間自己PR&志望動機は、定められたセオリーをなぞっていく。まるで5時間目の日本史の授業のように淡々と、つつがなく。そう、しいていうなら革命も政権交代もない時代。江戸時代中期といったところか。誰かが乱を起こしたところで何も変わらない。強者は常に強者という節理を確認していく。
ただ、日本史の授業と違うのは、この瞬間の一言の選び方で人生が変わるかもしれないということ。
「次の質問です。自分をものに例えると何だと思いますか、・・・理由をつけて。じゃあ今度は古賀さんから。」
これも定番の質問だった。指名された女子学生は、まるで前からこの質問がくることが分かっていたかのように、すらすらと話し出す。
「はい、私はスポンジみたいな人間だね、とよく言われます。」
いやいや、普段そんな会話をしているわけないだろ。心の中で突っ込む。
「なぜなら、スポンジのように柔軟にいろんなものを吸収していくからです。例えばアルバイトで・・・」
スポンジネタを聞いたのはこれで3回目だった。どこかの就職活動マニュアル本にあった気がする。
「じゃあ次に・・・、池谷さん。」
自分の番になった瞬間も、まだ何を言うか決めかねていた。マニュアルに沿ってもかまわない。だけど・・・。
「こうありたいという願望も含めてですが・・・、ボーディングブリッジのような人間だと思います。」
面接官が一瞬、怪訝な表情をしたような気がする。息が詰まる。とはいえしゃべりだした以上、今さら撤回もできない。せめて最後まで何とかまとめるしかないだろう。
「初めて訪れる国の空港に着いて、飛行機を降りてボーディングブリッジを歩く時の感覚って独特なものだと思います。今までと違う空気の匂い、これから始まる未知との出会いへの予感・・・。ですからそれと同じように私と出会う人たちも、私という人間に何か新しい予感やわくわくした気持ちを持ってもらえるように、そして自分もボーデリングブリッジの先にあるような広い世界の、新しい価値につながっていける人間であるように・・・」
「そうですか。分かりました。では次に・・・」
冷やかな反応。スタンドプレーをしてしまったのは自分だったのかもしれない。
面接が終わったのは午後4時30分。京阪の淀屋橋駅まで行っても、ラッシュになる時間にはまだ少しあるので座れるはずだ。今住んでいるアパートのある京都までは私鉄で50分、東京のサラリーマンに比べればずっと楽な通勤なのだろうけど、おそらく落ちたと自覚した面接の帰り道はさすがに疲労感がある。
ボーディングブリッジはさすがにまずかったか・・・。いつも帰り道は一人反省会だった。何度も海外に行っている社員なら今さらボーディングブリッジの感動なんて通じないか、とか。そもそも空港のターミナルと飛行機をつなぐあの可動式の搭乗橋の名前をボーディングブリッジだということは一般常識だっただろうか、とか。過ぎ去ったことを今さらくよくとと考えていても仕方ない。次に同じ質問があったら別の回答でいこう。スポンジは、なんか嫌だし・・・、粘り強い性格だから「餅みたいな人間です。」なんていうのもイマイチだ。「普通の会社」のために何かあたりさわりのないネタを用意しよう。
近畿圏に住んでいると、多くの説明会や面接は大阪で行われる。毎週何度も通っているうちに電車のダイヤも大体覚えたし、車窓の風景もだいぶ見慣れてきた。三月、少しずつ日が長くなってきた。この時間帯、進行方向左側に座ると樟葉駅を越えた辺りから、美しい黄昏の景色に出会う。茜から薄紫へと移ろいゆく空。遥か山麓に立つ鉄塔の影。暗くなるにつれ、その眩さを増すのは名神高速道路に連なる灯。
人々の営みの灯、その連なり。明日へ繋ぐそのささやかなあたたかさにさえ胸が熱くなることがある。数か月前、就職活動を始めた頃はそんな感覚はなかったように思う。最近感傷的になってきたのだろうか。
採用人数数十人に対して数万人の学生が殺到する、新卒の就活ではそんな状況も珍しくはない。就職を目指す大学生は解禁された瞬間から、毎日のように会社説明会や面接に通う日々。内定を取るまで数十社の面接を受けるのも、一日に2、3社回るのも当たり前。そのたびに「御社が第一志望です」と繰り返す。自分もこれまで十数社受けてきた。書類選考で落とされたことはないし、筆記試験も余裕で通過する。それでも今のところ内定はない。つまり面接に通らないのだ。一般的に四大卒の選考は書類に筆記、そして面接が2~5回といったところ。面接も個人面接に集団面接、グループディスカッション等いろいろあるが、いずれにせよ面接を突破しなければゴールの内定はない。自分では素直な気持ちを話しているつもりなのだが、何が問題なのか。筆記試験がダメならただ点が足りないだけ、勉強すればいい。でも面接がダメとなるとどうしていいか分からなくなる。学力は認められるけど、人間的にNGなのかなんて考え出すと、暗い気持ちが次第に膨らんできて、自分自身を否定しかねなくなる。
でもまぁ・・・。思い直す。今日の会社は業界最大手のメーカー。志望者は2万人。つまりアジアを席巻する国民的グループのメンバーオーディションより多いくらいなわけだし・・・。悪い方にはまりはじめた考えを無理やりそらし、電車の揺れに身を任せる。電車は木津川の鉄橋を渡り、車両庫の上を高架で通過する。ここまで来ると京都市内はもうすぐだ。帰ってきたという感覚で少しほっとする。また明日もこの道を通って大阪に向かう。
翌日。大手商社、双葉商事の一次面接会場は、新大阪駅から徒歩数分、大阪本社近くのシティホテルの1フロアだった。なぜ社屋でやらないのかは知らないけれど、面接という雰囲気とは全く違う、こんなホテルなどでやられるのは好きではない。経費に余裕があるのは結構なことなのかもしれないが、面接会場だけでなく、控え室までホテルの客室というのには辟易した。わざわざベッドを取り除いて椅子を並べた客室に、10人くらいの学生と受付役の社員がいて、窮屈な感じが否めない。早めに来たからあと20分はこうして座っていないとならないとなると、かなり苦痛だ。
何をするでもなく、頭の中で面接のシミュレーションをしていると、部屋の反対側の方で3、4人の学生が入り口のところにいる社員には聞こえない程度の声で話しているのが聞こえてきた。真ん中に座っている恰幅のいい男が中心になっているようだ。顔つきからして学部生にも見えないが、院生なのだろうか。何やら自分の面接マニュアルみたいなものを偉そうに語っている。まず、面接官の顔を見て、その人がどんな答えを好むか瞬時に判断するのだとか。時折、心がかき乱される言葉が耳に入ってくる。
「内定は今3つで、今週中に5つになるで。」
「あの会社は余裕だったわ。筆記と面接が3回で、役員面接までいけば落ちることはまずないんやけど、とりあえずリクルーターと上手くやらんとあかんからね。」
「阪奈電鉄のリクルーターとはもう3回会ってるし、そろそろ上に上げてくれんと困るわ、ははは。」
「結局面接なんて、相手をえぇ気持ちにさせればええねん。リクルーターからしたら、自分が上げた奴が、もし入社してすぐに辞めでもしたら目も当てられへん。冒険はいらへん。欲しいのは計算できる忠実な兵隊や。夢だ理想だ自分らしさなんやと大言壮語並べる必要なんてあれへん。どうやって相手に合わせて気に入られる言葉を言えるかだけや。せやけ上下の厳しい体育会系出身はやっぱり有利や。僕はそのために、わざわざ大学で野球部に入ったんや。まあ軟式やけどね。もちろん練習なんて行くわけないやん。調べられんて、そこまで。」
何のために戦っているのだろうか?心はないのだろうか?相手に気に入られることを第一に考えた面接。就活のポイントアップのためだけに好きでもない部活を選ぶスタイル。どうしても受け入れられなかった。
彼のこんな横柄な態度は、きっと面接になるとコロリと変わるに違いない。頭ではなんとなく分かっている。目的を達成する方法を徹底的に研究し、自分を殺してでも冷静に実行できる力。それが社会人として評価されるのだということ。それでも・・・。
周りの学生は熱心に聞き入っている。成功のヒントを得ようとしているのだろう。まだ自分はそこには行けない。行きたくもなかった。
「面接なんて、相手をいい気持ちにさせればええんや。」
心の中で反芻してみる。気持ちがささくれだった20分を過ごし、ようやく自分の番がやってきて隣の部屋に通される。一対一の個人面接だった。
「京都大学文学部の池谷一也と申します。本日はよろしくお願い致します。」
「それじゃあまず、学生時代に力を入れてきたことを・・・」
面接が始まっても、さっきの控え室の一件からか、どうも気持ちが乗らない。
「お前ら、夢ってないのか。何が『面接官を気持ちよくさせればいい』だよ。」って言ってみたらどうなっていただろう。失笑、蔑み、それとも憐れみか。「かわいそうに、何も分かってないんだねぇ。」という顔でこちらを見る姿が目に浮かぶ。いくら叫んだところで、こちらは何も結果を出していない。当然このレースでは、内定を取れる彼の方が「正しい」ということになる。結果さえあれば自分も強くなれるはずなのに。
「お酒はけっこう飲むの?」
時折商社や運輸、男性比率の多い体育会系の会社で、こんな質問がくる。
「・・・それほど強くないですけど・・・」
実は全く飲めない。
「でも、飲み会に行くのは好きです。」
本当は全く好きじゃない。「なんで飲まないの?」としつこく言われたことがあってけっこうトラウマになっている。
本にはこう書いてある。飲めないのに敢えて飲めますという必要はない。ただ相手は飲み会への参加を気にしている場合もあるため、ソフトドリンクでも十分楽しんでいます等、フォローすることを忘れないように。「ソフトドリンクでそのテンションなの?」と飲み会で言われたことがあります、という小ネタも交えるとなお良いでしょう。
乗りきれない面接をどうにか終えて控え室に戻ると、まだ彼の雄弁は続いていた。もう面接は終わっているはずなのに、なんで帰らないのだろうか。
「就職コンサルタントとかできるんじゃないですか?」
周りの学生に持ち上げられて悦に入っているようだ。まだ若いのに、よくもまぁこんなになったものだ。自分の荷物を取って早くここから出ようとした時、彼もおもむろに帰る準備を始めたところだった。立ち上がる彼の最後の言葉が、乱れた心をさらに荒らしていく。
「4時にハイヤーを呼んであってな。駅まで歩くと疲れるやんか。5時から佐久間建設の最終面接や。まあここは最終で落とすことなんてないから、もう決まりやけどな。」
彼と同じエレベーターになるのが嫌だったので階段で降りた。就職の面接の控え室で、偉そうに語りながらハイヤー待ちの時間を潰していた男。遠方の面接では新幹線よりも夜行バスを使う学生がほとんどなのに、あなたはハイヤーですか。それが勝者の余裕というもの。来年から安定した収入が約束されている勝ち組の余裕だ。
大学の単位は3回生までで揃っている。後は卒論を提出するだけ。院に進まないなら学会とかに出ることもないので、最近ではあまりキャンパスに来ることもない。大阪に行っている日の方がずっと多い。京都大学は大阪と京都を結ぶ私鉄のターミナルに近い比較的便利な場所にある。偏差値で言えば超一流大学。おそらく隅々まで見ていない書類選考なら大学名だけで軽くパスする。
入学した頃は、学生も教授も変な人が多いことに嫌悪感を覚えたこともあったが、今では何とも思わなくなった。真冬でも半袖の人、周りに人がいても大きな声で歌を歌いながら自転車に乗る人、授業に遅れかけているのか食パンを加えて走っている人も見たことがある。遅刻寸前ののび太君がやるようなことを生で見られて感動したものだ。授業中に奇声を発する教授がいたのには参ったが、変な人が多い割に、危険な人が少ないというのがいいところなのかもしれない。独特の世界観なのか、京都や大阪の繁華街に比べれば、はるかにのんびりしていて、穏やかな安心感さえある。それに個性が強いだけに、こちらも今年のトレンドがどうのこうの、あまり気にすることもなく気楽に過ごせる。染まってきたのか、恵まれた環境だと思うようになった。
学生が自由にパソコンを使えるメディア・ラボラトリーは、午前中に訪れると、まだ人は少なく、簡単に隅の席を確保できる。一通りメールをチェックし、ニュースを読み終わると、少し深呼吸して「お気に入り」からページを開く。
関西国際空港。とっくに見なれたページのはずなのに、空港コードの「KIX」のロゴにいつも心が高鳴る。フライト情報のページを開く。そこではリアルタイムに到着便、出発便の状況が更新されていく。
「10:15 アリタリア 501便 ミラノ経由ローマ 定刻通り 搭乗中・・・」
もちろん誰か知り合いが乗っているわけではない。ただ、毎日正確に運航されているのを見るだけで安心する。時々増便や新規就航があったり、機材が大型化に変更されたりというニュースを見るだけでとても嬉しくなる。国際線の発着時刻も使用機材も、もうほとんど頭に入っている。毎日サイトを見ているうちに自然と覚えるものだ。だから就職活動を始めるはるか以前から、このサイトにある関西国際空港株式会社の採用情報も見てきた。この会社に入りたい、それが夢だ。
関西国際空港との出会いは二回生の夏休み、ある団体の主催するボランティアと英語研修のプログラムで、一ヶ月間スコットランドのグラスゴーを訪れた時だった。両親の反対を押し切っての初めての海外。期待と不安。出発の朝は快晴だった。
その朝の記憶が蘇る。京阪神の中心部と空港を結ぶ快速電車が、空港島につながるスカイゲートブリッジを渡ると、紺碧に煌く海上に長方形の人工島が見えてくる。陽光を受けて、銀色の壮麗な建造物がまばゆく光を放っている。四層の巨大なターミナルに50以上のスポットを持つ直線的なウィング。世界中の名だたるエアラインと都市の名前を連ねる巨大な電光表示板を見上げれば4カ国語に切り替わる案内表示。初めて出会うその圧倒的なスケール、ここから世界につながっていくという、その壮大さに心を奪われた。自分の知らなかったものすごい世界がある、そう気づいた。そしてテイクオフ。ランウェイの果ては海の煌きと空の輝きが出会う場所。窓から見下ろす光の海の中に、銀色に光る島はやがて吸いこまれていった。それでも、心に焼きついたその姿が色褪せることなどなかった。
この場所で生きていきたい、世界をつなぐこの場所で・・・。
関空の試験はまだしばらく先だった。それまでに内定を持っていたいと思う。何もないまま戦えば、その思いの大きさに押し潰されそうな気がするから。
でも、関空以外行く気がないのなら、他の会社受けなくても同じことではないのか。時々自分に問いかけることもある。
倍率が高いから?落ちた時のことを考えているの?
確かにジレンマを抱えている。矛盾しているとも思う。
結局はリスクヘッジ。もしもダメだった時、路頭に迷うわけにはいかない。偏差値で自分のポジションが細かく分かっている入試とは分けが違う。何が起こるか分からない。だから他の会社も受けるしかない。関空への思いはきっと誰にも負けない。だけど、弱い心があるのも確かだった。
久しぶりにキャンパスを訪れたのは、使い放題のパソコンだけが目的ではない。昼過ぎからOBによる就職セミナーが開かれることになっていたのだ。自分から参加を希望していたのではない。一週間前、突然先方から電話がかかってきて、必ず参加してほしいと言われた。なぜ電話番号が知れているのかは分からなかった。クラスの誰かが伝えたのだろうか。
会場は、一般教養で使われる教室で、階段状のかなり大きい部類に入る部屋だった。参加者は100人弱か。他の学部の学生ばかりで知り合いの姿は誰も見えない。仕方なく一人、目立たない隅の席に座る。
講師は、OBが三人。一人目は大手自動車メーカーに勤務しているという25歳。この季節だが、日に焼けていて、見るからに何かスポーツをやっているという感じだった。
「この時期にセミナーに来てくれているということは、もしかしたら、まだ活動の成果が芳しくないという人もいるのかもしれない。」
少し重苦しい雰囲気を演出するように語り出す。
「もしそうなら、少し考え方を転換することをお勧めする。」
「当たり前だが、ここは日本で最高位の大学だ。君たちは中学・高校とトップを走り続け、誰にも負けない大変な努力をしてこの大学に入ったのだと思う。」
小さくうなずいている学生もいる。
「それなら就職もトップを狙わなければならない。そう思うのは自然だ。」
自分の周りをみてもそういう風潮はたしかに強い。
出身高校や地元のプライドを背負っている、とはさすがに言い過ぎだろうが、常にトップであることを期待されてきて、それに応え続けてきた。どんな難題もたゆまぬ努力に裏打ちされた頭脳でねじ伏せてきた。いい大学に入れれば、いい会社に入れる。今時、そんなクラシックな思考を手放しで持っているわけではない。ただ、ここまできて今さら恥ずかしい真似はできない。それが素直な気持ちだ。
業界トップ一択ではないにせよ、テレビ局なら在京キー局、銀行ならメガバンク、JRなら東日本か西日本か東海まで。そうでなければ一線から外れたことを意味する。それは今までの人生で決してあってはならないことだった。
「もし結果がついてきていないのなら、これまで意識していなかった業界を含めて、視野を広げてみてほしい。あまり有名でなくても、実はいい会社というのは、たくさんある。学生から見て人気の会社というのはやはり、コマーシャルをバンバン流して誰もが名前を知っている会社になってしまう。いつも食べている好きなお菓子を作っているメーカーを受けてみる。そんな動機ならまだマシな方だ。CМに好きなタレントが出ているから、もし入社して広報にでも配属されたら、会える機会があるかもしれない。そんな動機で受験する会社を選んでいる人も中にはいないだろうか。まあそれも無理もない話だ。就活サイトを開けば何千も出てくる会社の中から、どう選べばいいんだという話だ。いずれにせよ、結局それは個人客向けがメインの企業だ。BtoBの企業であれば、そもそもそんなに高い金を出してテレビコマーシャルを打つニーズもない。だが、実はそちらの方に優良企業があったりする。」
たしかに一理ある。知名度や会社規模やCМタレントだけで選んでいるのではない。自分はどうやって選んでいるだろうか。大事にしているのは今までがんばってきて、その会社に入った自分を誇れるかどうか、今までの努力がその会社に入るためだったと胸をはって言えるかどうか、その会社の名前を聞くだけで、ぐっとこみあげてくる熱い思いがあるかどうか。
「とはいえ、よく知らない会社の中には、やめた方がいい会社も、もちろんある。これを見てほしい。」
正面のホワイトボードに、画像が映し出される。何やら山林の中で、ジャージ姿の複数の若者が白い土嚢のようなものを担いて走っている。
「これは、かつて存在した健康器具販売会社の新入社員研修の様子だ。ネットで検索すれば、最悪のブラック企業として伝説となって語り継がれている。研修は、チームごとに100キロ分の土嚢を制限時間内に山頂まで運ぶという内容らしい。最下位になったら、食事抜きとか、睡眠なしで一晩中反省文を書かされるとか、アメリカの特殊部隊も顔負けだ。新入社員の実に半数以上がこの研修中に会社を去る。もちろん残った人間も数年以内にほとんど消える。ちなみにこの会社の社訓は、『上からしばけ』だった。創業者が野球部出身の高校野球好きで、練習中に監督から言われたことを会社の理念にしたらしい。経営戦略も何もない完全に独裁国家だ。もちろん会社としては競争力も何もない。ホームセンターでも買えるようなものを持ってきて、体当たり営業で高齢者にとんでもない値段で売りつけるだけのビジネスモデルだ。さすがに最近ここまでのレベルはお目にかかれないが、かつて氷河期と言われた時代のピークには、こんな無茶苦茶な会社でも正社員になれるならありがたいと多くの学生が入社し、そしてボロボロに使い捨てられて去って行った。知っての通り、日本社会では一度正社員でなくなってしまえば、再びレールに戻ってくるのは極めて困難だ。多くは今も非正規で、安価でフレキシブルな労働力として日本経済を支えているというのは知っての通りだ。」
そう、チャンスは一度きり。新卒ブランドが使えるこの唯一のチャンスを逃したら、もう一生チャンスは来ないといっても過言ではない。だからこそ、誰もがこんなに真剣になる。
「残念ながら、この大学の就職支援は頼りにならない。就職実績でアピールしなければ学生が来ない私立の方が、よほど真剣だ。大学のヒエラルキーで入れる会社は大体決まってくるから、その中でマッチングしてくれる。だが、もちろんうちの大学にそんなものはない。日本中どこの企業でも話は聞いてくれる。だからここの学生は情報がないまま、今までの習慣でやみくもに難関企業ばかりける。誰も届かない高みを目指すことこそ、我が道とばかりに。それでも何をやったって、エントリーシートや筆記試験は大学名だけ、ノールックで通過して、いいところまではいくもんだから、あともう少しで受かると幻想を持つ。どんな会社も最初の書類で落ちることはなく面接までは行けるから、毎回大阪や東京まで出向くことになって、時間と金ばかりかかってたまったもんじゃない。」
さすがОBだ。こちらの行動志向を熟知しているかのように痛いところを突いてくる。
「さて、いい会社の選び方として、本当は自己資本比率とか対売上高資本比率とかも挙げたいところだが、経済学部の学生ばかりでもないようなので、今日はもっとシンプルにいこう。
年商は200億円以上あれば及第点だろう。製造業ならもう少しあってもいいかもしれない。社員数は500人以上ほしいが、まあこれは業界による。見てほしいのは社員の平均年齢、近年急拡大した等の特殊事情もないのに、平均年齢20代だとすれば、離職率が高いと判断していいだろう。歴史のあるまっとうな会社なら平均年齢は30代後半から40台が普通だ。こういう見方で今まで志望していなかった企業を見直してみたらどうだろう。」
言っていることは明快で、頭では理解できる。だが、どうしても心に響いてこない。会社の規模、安定性、離職率の低さ、年収、福利厚生、そうやって選んだ会社に入ったとして、今までがんばってきてよかったと言えるのだろうか。
ぼんやり考えているうちに、質問タイムに移ったようだ。学生の一人がブラック企業の見分け方について、もう少し教えてほしいと質問している。
「平均年齢や平均在籍年数、平均年収などは、かなり有効な指標だと思う。それに関連して、どの会社の採用情報を見ても、「先輩社員の声」のようなページがあるだろう。『入社2年目で店長に!』とか『実力さえあれば年齢は関係ない!』といった派手なキャッチフレーズが並んでいたら要注意だ。もちろん、本当に実力があって、短期間で稼ぎたいというのなら、そういう選択肢も否定はしない。
あとは同族経営の場合、ワンマンで経営に個人の意思が入り込みやすい傾向がある。ホームページに役員体制が載っていれば確認してほしい。社長も専務も会長も同じ名字というのは、やや要注意だ。あとは、そうだな・・・。それほどの規模でもないのに、日本○○とか、○○ジャパンとか大層な名前をつけている会社は危ないという説もある。もちろん、それらが全てブラックとは限らないが。」
そうだ。結局は入ってみなければ分からない。最大手のメーカーや広告代理店でも過労死が発生している。どこにいったって楽な仕事などないはずだ。
それならば・・・。どうせ苦労するなら年商や年収といった数字で考えるのではなく、自分がここでならがんばれると思うところにいくのがいいのではないだろうか。話を聴きながら、そんなことを思っていた。
セミナーは2時間弱に及んだ。想定よりも質疑応答がかなり多かったせいだろう。教室を出ようとすると、おもむろに例の一人目のОBが近づいてきた。
「おぉ、君が池谷君か。この前君に電話した川嶋だ。ちょっと時間あるかな。」
こちらが怪訝な顔をしていることも、全く意に介していない様子で、半ば一方的に隣の建物のカフェテリアに連れて行かれる。
「今日は来てくれてありがとう。実は俺も舞田高校なんだ。」
なるほど、同じ高校出身なら連絡先を知るルートがあったとしてもそれほど驚くことではない。
「なかなか、がんばっている高校だよな。通える範囲にある唯一の公立普通科高校だが、都会に負けないっていう反骨心があったよな。毎年、一人か二人は東大・京大に出しているしな。」
周りの町村を合併して、やっと人口4万人の日本海側の小さな地方都市。そこに一つだけの公立普通科高校。それでも約半数は国公立に進学し、文科省のスーパーサイエンスハイスクールにも認定されていた。
通える範囲に大学はないから、同級生のほとんどが進学とともに県外に出ていた。たしかに反骨心はあった。田舎だからって馬鹿にされたくない。都会に出ても負けられないという思いは強かった。
「俺はあの町は好きだよ。でもやっぱり外に出たいって思いはあった。」
「僕もそう思っていました。」
最寄りのコンビニまでは車で20分。それもコンビニという看板はあるが、夕方5時に閉まる小さな商店だったりする。百貨店のある都会までは車で2時間。ちなみに近くに高速道路というものはない。あったとしても、国道で信号にひっかかることがほぼないのだから、料金を払って高速に乗るニーズはあまりない。街のランドマークはイオンモールになれないイオン。そんな町だった。
その町から外に出て、仲間たちはそれぞれの道でがんばっている。
「ところで池谷君は中学の時、コート来て学校に行ったことある?」
突然の質問の意図が分からず戸惑う。雪が積もることはめったにないが、それでも冬は氷点下まで下がることもある土地だ。
「はい。」
「俺は舞田の中でも辺境にいたが、今思えば、ひどく閉鎖的で人と違うことは決して許されない雰囲気のある地区だった。あれは中学の時だった。俺の住んでいる地区では通学でコートを着ていいのは中3だけという意味不明なルールがあってね。もちろんルール破れば3年生に呼び出しだ。で、中2の時、めずらしくひどい風邪をひいちゃってね、こんな俺でもね。3日休んでなんとか学校に行けるまでは回復したんだが、季節は真冬、学校までは徒歩20分。さすがに制服だけではまずいということになったんだ。」
たしかに体操服や制服の着こなし、学校に持っていくカバンや自転車、靴下に至るまで、学年やクラスでのヒエラルキーによって、綿密な不文律があった。ルールから外れれば当然粛清を受ける。中学の時に自転車がなくなり、数日後に破壊された状態で海岸に放置されていたと交番から連絡があった事件を思い出す。犯人は分からなかった。フレームの形が他と若干変わっていたので目をつけられたのではないかという話だった。
「そしたら、親が3年生のある家に菓子折りを持っていってね。その家はなぜか地区の世話役ということになっていた。PTA会長でも公民館長でもなんてもないんだぜ。そこに頼むんだ。なんとかよろしくお願いします、コートを着ることを許可してもらえないかってね。そしたらその相手の親がしぶるんだぜ。そうはいってもうちの子も中2までは我慢してたしってね。」
馬鹿馬鹿しい話だが、当時はそこに疑いをはさむ余地はなかった。
「俺はその時悲しくなったよ。なんなんだ、この町は。いくらなんでも狭すぎるだろ。お前の中2の頃なんて聞いてないし、どうでもいいよ。そこから必死に勉強したよ。こんなところで埋もれたらダメだ、もっと自由になりたい、そのためにはまず大学でここを出るしかないってね。」
周りに流されず、突き抜けるにはそれなりのモチベーションが必要だ。もっと楽しい動機であればいいとは思うが、切実な思いであるほど強いというのは確かだ。
「ところで、活動の方はどうかな?どこか内定は取れたか?」
痛い質問だ。
「いや、まだどこも。」
「そうか。今日はもしかしたら耳が痛い話をしたかもしれない。ただ舞田のような所から出てきても、その後どこに向かえばいいのか、周りに成功体験が少ないから戸惑うケースは多いと俺は思っている。失礼だが親も教師も、とりあえずいい大学に入るところまでは道筋を示せるんだが、その先はどんな世界があるか分からないんだ。よかったら今日の話を参考にしてほしい。また話を聞かせてくれ。」
また、活動進捗を聞きにくるということなのか。あまり気が進まなかったが改めて連絡先を交換すると、満足そうに彼は去っていった。
いつ面接が入るかも分からないから、あまりバイトも入れられない。そんな中で東京に行くのはかなりの負担だ。時々面接の交通費を出してくれる会社もある。中には1回東京に行って、集中的に交通費の出る会社をまわっては「5万円儲かった」とか喜んでいる友人もいるけれど、そんな理由で行きたくはなかった。誠意がないなんて、何社も受けていて、人のことは言えないけど、それでも受ける時は、どの会社も本気でやっているつもりだ。金目当てとか、東京で遊ぶために戦っているわけじゃない。そう、生きるためなのだと。
そういうわけで交通費の出ない1社のために東京に来ている。Global Destinationsという留学斡旋業者。短期のホームステイからワーキングホリデー、老後のロングステイまで手がけ、海外に13の駐在員事務所を持つ急成長のベンチャー企業だ。「世界でやってみろよ」っていう会社のキャッチフレーズに惹かれた。ここなら面接で思っている通りのことを言えるかもしれない。
ちなみに売上高・平均年齢ともに、同郷の先輩、川嶋の示した基準に達していない。ネットで検索してもブラックな匂いがゼロではない。遠征よりも近場の知られていない優良企業を固め打ちというのが川嶋の勧める戦略だったから、完全に真逆のことをしていることになる。
都庁に近い高層ビルの32階にあるオフィス。今までもう20社くらい受けてきたけど、建物に入る時から、グッとくる独特の感覚を覚える会社は数少ない。ビルの入り口の前で立ち止まり礼をする。もちろん誰かが見ているかもしれないから、という計算などではない。これから人生をかけた戦いが始まると思うと、厳粛な気持ちになるからだ。これも高校の時からの習慣だ。大事な部活の大会の時などに仲間たちとやっていたスタイル。大学に入っても変わらない。あの時の純粋な熱い心を思い出す。
同じ回の学生は自分を入れて10人。今回は旧帝大・早慶上智の学生だけの特別枠とのこと。つまり学歴のアドバンテージは一切なし。簡単な説明会の後、そのまま一次面接が始まる。顔ぶれを見ても、どことなく今まで見てきた学生とは違うな、という気がする。やれ一部上場だ、業界トップだって群がる奴らとはやっぱり違うのだ、きっと。
「当社を受験されようと思った理由、それと当社でやってみたいことをお話しください。」
この回りで行くと自分は7人目。正直言って集団面接で他の人が喋っていることなんて、ほとんど聞いてやしない。聞いているような顔をして、時には頷いてもみせて、頭の中では自分が言うことを一生懸命確認している。というより大体は教科書通りの回答なので聞いていなくても想像がつくのだ。しかしこの時は初めて、他の人の話すことに聞き入ってしまった。誰もが個性的で、堂々と言いたいことを言っている。中でも一人の女の子の話に感動を覚えた。
「今の世の中は個人の主義とか理想など相手にされず、大事なのはいかに自分を捨てて、周りにうまく合わせられるかです。自分が納得いかないと思っても、「おっしゃる通りですね」と口をそろえ、おもしろくなくても目上の人が言ったことなら大袈裟に笑ってみせる。一方で誰かが何か言えばすぐに、「空気読めよ」だの「周りを見ろよ」だの狭い価値観を押しつけて叩くことで安心感を得ている。そんなものはその人の周りの、ごくごく小さいコミュニティの中で楽に暮らしていくためのもの、そんな一つの価値観、常識を超えて、すがすがしくて楽しいことがしてみたい。人の夢を壊すのではなくその夢を少しでもつないでいける人でありたい、その中で御社の理念と出会い・・・・・・」
すばらしい。心の中で拍手した。
「それでは次に、当社の事業である海外生活、留学のサポートというものについての考えを述べてください。池谷君。」
自分の番がきた。さあ、勝負しよう。
「海外では日本で当り前だった常識は通用しないし、日本でのステータスも何もないゼロからの状態で、人間関係も何もかも作っていかなければなりません。それは厳しいことかもしれません。しかしそこで生まれてくるものこそ純粋な心と心のつながり、それがいかに幸せなことかを知り、そして生きる力に変えていくことが、いつの日か世界をいい方向に変えていくのではないか、と思います。御社の事業はまさに・・・・・・」
いつもの面接よりとばした感じだったけれど、後味はそんなに悪くはない。後は面接官の感性にヒットするかどうかだろう。面接が終わり、オフィスを出ると、廊下の突き当たりの窓から夕闇に包まれた東京のイルミネーションが見えた。やっぱりこの街は大きい。果てない夜景を織り成す一つ一つの光の粒が、生命の息吹がそこに在ることを象徴する結晶となって闇を貫く。そんな結晶が光の海となり、この世界の物語として、見渡す限りの世界をどこまでもつながっていく。その崇高な美しさに息をのむ。この星の、ただ小さな小さな光の一つでありたい。頼りなくても儚くても、この世に生まれて、生きる証を照らしたい。
面接で一緒だった他の学生も足を留め、景色に見入っていた。
新宿駅までは面接で一緒だった学生といろいろ話しながら歩いた。人生を決めるかもしれない30分、今日ここで出会い、共に戦った。それだけでもう仲間だと感じる。
この会社に入れるかどうか分からないけど、今日くらいの面接が出来れば大丈夫だ、お互いどこの会社にいってもがんばろう、そんなことを言いながらお互いにエールを送って別れた。
帰りの夜行バスは東京駅を22時発だから、まだ4時間以上ある。一人で、しかもスーツ姿で、夜の東京で時間潰すのはてけっこう困る。時間が余るのは分かっていたからとりあえず映画でも観ようと思って、予めネットで調べてきていた。中央線で中野へ向かう。中野の単館系映画館で「しあわせの場所」という中国映画をやっているのをみて、最近の自分の状況もあいまってちょっと観てみたくなったのだ。中野駅から続くアーケードの中の吉野家で夕食を済ませる。一人で外食をするのは苦手だ。だけど就職活動をするようになって、そんなことも言っていられなくなった。昼なら大体マックとかロッテリア。夜はさすがにそれでは寂しいので、一人の客が多くて入りやすいチェーンの店に行く。
食事を終え、同じアーケードから少し脇に入った、狭い路地にあるビルに辿りつく。小さな映画館だったけど、それでも席はガラガラ、客は数人しかいない。まあ、いちゃつくカップルがいないだけでもいいやと思う。それに作品の良し悪しは観る人の数じゃない。
アジア映画が好きだ。その中でも街の雑踏の風景が好きで、ソウルや香港を舞台にした作品を見つけては観ている。
文明の粋を尽くした超高層ビルが立ち並ぶ隙間に、寄り添うように昔の風情が息づく混沌とした様。決して綺麗とはいえない狭い街路に屋根を重ね、悲しみを笑顔で覆うように育まれる暮らし。そんな場所で激動の時代に、ただ大切なものを守り、ささやかな幸せに出会うという生き方。埃だらけの路地にも光は射し、喧騒は絶え間なく、ひたむきに暮らす人々の姿に、いつしか素朴な美しさがあることに気づく。
最後はけっこう泣けた。何がとは言えないけれど、何かをもらった気がする、そんな映画だった。苦しい戦いの日々、こうして誰かの生き方に出会って、自分を見つめなおす瞬間も大事かもしれない。
今日ここにこれてよかったと思える一日に満足しながら、地下鉄を乗り継ぎ東京駅に戻る。八重洲南口のバスターミナルに着いたのは21時40分。売店で飲み物とちょっとした食料を買って、待合室で待っていると、リクルートスーツを着ている女の子の姿が見えた。明らかにこの子も就活だ、と思っていると何やら見覚えがあることに気づいた。今日の面接でかっこいい答えを連発していたあの子だった。
「あ・・・!」
すぐこちらに気づいたようで、彼女の方から
「あぁ、さっきの面接の・・・」
と声をかけてきた。微笑んだその顔は、あまり大胆な発言をするようにはみえない。顎は尖っているけど顔全体は若干ふっくらとしていて、小さく細い瞳は優しさをたたえている。そっけなくされないでよかったというほっとした気持ちと、同時に初めて面と向かって少し緊張がよぎる。
「夜行バス?どこまで?」
自然な感じになるように聞いてみる。聞いた後に気づいた。この質問をしているということは、さっきの面接できっと出ていたであろう大学名を記憶していないということだ。
「仙台。新幹線もあったんだけど高いから。」
特にそこは問題ではなかった様子。ほっとする。
「そうだね。1回ならともかく、何回来ることになるか分からないしね。」
「でしょ。もういいかげん嫌になってくるよ。」
オフィスで見た時はもっと気高いというか、近寄りがたい感じもしたけど、けっこう話しやすい子のようだ。今日の面接はどうだったと聞いてみる。
「どうかな・・・。周りの人がみんなすごいから緊張したよ。」
「そんな風には見えなかったし、けっこういいこと言っていたじゃない、感動したよ。」
一瞬何か言いたそうに見えたけど、すぐにそんなことないよ、と微笑んだ。
「あ、バス来た」
もう少し早く駅に来ておけばもっと話せたのにと少し後悔した。思い切ってラインの交換をお願いしてみる。
彼女の名前は「武田世都奈」。LINEのプロフィール画像は、どこかの国の抜けるような青空だった。
八重洲南口に入ってくるバスはJRバスと共同運行会社のバス。それも降車は日本橋口だから、ここでは乗車の扱いしかしていないのに、それでもほぼ常にバスと人は飽和状態、乗り場に接する車線の外側の車線にもバスが停まっている。LINEを交換するとセツナは、そんなラッシュ状態の乗り場を風のように抜け、紺色のラインの入ったスーパーハイデッカーに乗りこんでいった。
東京から戻った翌日、父が京都に出てきた。就職活動で自分を追い込む中で、結果を出したら連絡しようと思っている間に、ほぼ音信不通の日々が続いてしまっていたから、さすがに心配になって様子を見にきたということだった。正月に実家に帰っているから、せいぜい四ヶ月ぶりの再会だが、どうにも落ち着かない。
夕方、新幹線で京都駅に着いた父を迎え、そのまま京都タワー裏の居酒屋に入る。
「どうしたんだ。うまくいっていないのか。」
一杯目のジョッキを半分ほど空けた頃、おもむろに父が言った。
関空のことはまだ話していない。
「いや。行きたい会社の試験は、まだこれからだから。」
「何をするんだ。営業か。」
「総合職での採用だけど。」
「とにかく営業だけはやめておけ。あれはまっとうな人間のすることじゃない。自分を押し殺して、どんなに馬鹿にされても、ひたすら頭を下げる世界だ。数字に追われて、おかしくなる。」
地方銀行で勤続25年、支店長まで昇った父の実体験なのかもしれない。
「分かった。別に営業を志望しているわけじゃない。配属でどうなるかは分からないけど。」
「とにかく、大手にしておけよ。体力のあるちゃんとした会社なら、何かあっても保障がある。休んでも大丈夫だ。」
「まだ入社してもないのに、何かあった時のこととか言わなくてもいいじゃない。そんなことで会社を選んでもおもしろくない。」
ここでも大企業志向を勧められ、つい言い返してしまう。
「お前なら一流の大企業に入れる。それだけのことをしてきたよ。」
直接的ではないにせよ、いい高校に、いい大学に。そうすれば未来は開ける。好きなこと選び放題だと。そう言われてきた気がする。
「もしうまくいかないなら、こっちに帰ってきてもいい。俺に任せてくれれば、最初から営業なしで、取ってくれるところをいくらでも紹介できる。」
「そういうのじゃなくて、ちゃんと自分の力で受かって」
今まで自分の力を信じて道を切り開いてきたつもりだ。目指したステージへ必ず到達する。それが自分のスタイルだと思っている。ここまできて親のコネで就職しましたなんて、許されるはずもなかった。
父はその後も、地元の建設会社や量販店の名前を挙げ、幹部として迎えられるからと勧めてきた。反論したところで思いが伝わる気もしないので、考えてみるという曖昧な返事でなんとか切りぬける。食べた気のしない、というよりあまりのどを通らなかった二時間。それでも胃の辺りで、もやもやしたものがうごめいている感じがする。
居酒屋を出てすぐの所にあるホテルに部屋を取っている父と別れ、帰路に着く。別れ際、父が言った言葉が心に突き刺さる。
「もしかしたら、体のことがあって難しいのかもしれない。でも帰ってくれば大丈夫だから。」
家に帰る市バスの中、昔の記憶が甦る。保育園の頃だった。高熱と全身の血管が腫れる病気を患い二ヶ月ほど入院した。それから激しい運動と過度にストレスがかかることを禁止された。もともと勉強に厳しい親ではあったけど、その時からますます強く言われるようになった気がする。「お前は体を使わなくていい、ストレスがたまらないような生活をしなければならない。人の上に立って人を使う人間になれ。」最初の頃はそれがどんな生活なのか、具体的にイメージできなかった。とにかく誰にも負けない偏差値を持っていれば、誰にも気がねしないで「いい生活」が送れる、そんな風な感じだったと思う。
中一の時の担任は、料理研究家を志望していたものの、それで生計を立てることもできず、家庭科教師になった、およそ教育への情熱のない人間だった。自分のクラスに持病のある生徒がいると分かると、あからさまに迷惑そうな態度を隠さなかった。入学時、うちの親に対して、本当に大丈夫なんですか、急に倒れたりとかしないんですか、と聞いてきて軽い口論にもなった。
だが、最初の定期テストで全教科95点以上、合計で2位に50点差以上という成績を叩き出した途端、態度は一変した。賞賛の嵐。大人というものは、こうも簡単に態度を変えるものなのか。なるほど、たしかに数字を出しておけば、いいことはあるらしい。
そして実行した。通える範囲で一番の高校に入り、その中の特別進学クラスでトップクラスの成績。テストで平均点以下を取ったことは一度もない。今思えばシンプルだった。結局は自分との戦いだ。圧倒的な数字さえ出していれば、教師からも友人からもひとかどの人間として扱われた。両親も誇らしそうだった。
最初の入院以降、大きく体調を崩すことはなかったが、冠動脈の一部が狭窄する後遺症が残り、定期的な検査は必要だった。一年に一回程度、腕から血管の中に細い管を入れて心臓まで通す検査。全身麻酔ではないから、意識がある状態で、血管の中をゴリゴリと管が這い上がってくる感触があった。管の先から造影剤を入れて、血管の状態を撮影するのだが、心臓のあたりに何かが注入される感覚もはっきりと覚えている。嫌で嫌で、なぜ自分だけこんな思いをしなければいけないんだろうと泣いた夜もあった。
もちろん両親には本当に感謝しかない。考えてみれば地方の中流階級にとっては相当な医療費の負担があったのではないかと思う。それでも自分の前で経済的な懸念など、全く感じさせることはなかった。何一つ不自由を感じたことはなかった。
中学に入る前、狭窄している血管を広げる治療をするため、循環器内科で日本有数と言われる九州の病院に2週間入院したことがあるが、両親ともずっと付き添ってくれた。今思えばそんなに休んで、本当は職場で肩身の狭い思いをしていたかもしれない。そうして大学まで面倒をみてくれた。
九州の病院では、その治療の世界的権威が担当するので安心と言われた。血管内に管を通して、先端に付いた極小のドリルで血管を削っていく治療。ただ、いくら名医でも血管を突き破るリスクがゼロではない。「その場合は、すぐに開胸手術に切り替えます。」主治医の冷静な言葉に、目の前が暗くなった。
破られた場合、その瞬間は意識があるはずだ。一体どんな感触がするのだろう。想像するだけで凍りつく。幸い治療はうまくいき、手術痕が残る事態にはならなかった。
病棟には同じ治療のために全国から集まった患者がたくさんいた。同じ病室の中年男性は、ある朝起きたら消えていた。夜の内に容態が急変したと聞かされた。その後、どうなったのか教えられてはいないが、自分がそうなっていたかもしれないと思うと震えた。とにかく自分は生き延びられた。
その時、病室のベッドで天井を見上げながら思った。もし生きられるのなら、ここまでして生きるのなら、生かされるのなら、生きていて意味のある人間になりたい。こいつが生きていてよかった。世界にとって少しはいいことがある。そうみんなに思われるように。
漠然とした思いだった。特に何になりたいといった明確なビジョンがあったわけではない。ただひたすら勉強した。テレビは土曜日だけ。音楽を聴くのは一日に一曲だけ。中2のある日、大学に入るまではマンガを読むのはやめると宣言した。小さな世界で生きてきた。レールの先に何があるのか、どこに向かっているのかも知らず、ただひたすら長い道のりを歩いてきたように思う。道の先に感じる光は、あまりに儚く、どこにあるのかさえ分からなかった。あの日、スカイゲートブリッジを越えて関空に出会うまでは。
あともう少しで、その光は手の届くところにある。戦いはいよいよ本番だ。
スカイクリスタルエアラインズ。成田や関空をハブに、世界115都市に就航している大手航空会社。言ってみれば自分にとって関空に次ぐナンバー2、その一次面接があったのは4月になってすぐの、よく晴れた日だった。人生を振り返っても大切な試験や大会がある日の朝は、いつもと違う感じで目が覚める。凛とした晴れた朝の空気を吸いこむと、体の奥底から、研ぎ澄まされた情熱が少しずつ立ち昇ってくる感覚を覚える。家を出る前に、去年ソウルのインサドンで買った独特の香りのするお茶を飲む。「今日は勝負」という時にだけ飲むので、まだだいぶ残っている。好きな音楽を聴きながらゆっくりと心を落ちつける。お決まりのスタイル。立ち上がり、壁に額を当てて、目を閉じ、一声気合を入れる。
「おっしゃいくぞーぃ!」
好きなプロレスラーが決めにかかる時によく言う掛け声。高3の夏、模試の前にやりだしてから習慣になった。
戦いの舞台は大阪の難波。何度もチェックしたので会場までのアクセスは完璧。待ち時間にずっと座っていると緊張して疲労するので、あまり早く来すぎないようにする。とはいえ集合時間ぎりぎりに着いても、結局そこから長く待たされる場合もあるのだが。
控え室の隣の会議室のようなスペースに2人の社員がいて、話している声が聞こえてくる。「FUK」という単語が耳に入る。福岡空港の3レターコードだ。世界の主な空港の3レターコード、航空会社の2レターコードは大体覚えているが、もちろん普段使う機会なんてない。いいなぁ。こういう言葉を使って仕事している人たちがたまらなくうらやましく感じる。自分もああなりたい。
さぁ、絶対勝とう、勝ちにいこう。心の中で自分に最後のエールを送る。
一次面接はグループディスカッションだった。グループディスカッションを選考に入れる会社は少なくない。コミュニケーション能力、問題解決能力などを見ると言われているが、こちらに「伝えたい気持ち」が溢れている時にグループディスカッションと言われても困る。テーマは「学生と社会人の違いについて」。学生5人で1グループ、簡単な自己紹介、そして司会と書記が決まり、まず一人ずつ意見を述べるところから始まる。けっこうベタなパターン。自分の番が来たので喋りだすと、ほどなく隣りの体育会系の男に突っ込まれた。
「ちょっといいかな。あのさ、堅苦しい言い方やめてさ、敬語とか使わずにもっとフランクにいこうよ。」
フレンドリーをつくったような笑顔にこう言われた。一瞬、頭が真っ白になる。今まであったディスカッションは全部「ですます調」だった。それでよかったはずだ。同級生だとしても、将来を決める真剣勝負の場、フランクになんてなれるはずもない。動揺の中、咄嗟に自分にできたことは、とりあえず曖昧に笑って、明らかに不自然なタメ口に切り替えること。結局は穏便に言いなりというわけだ。
発言を終えて落ち着くと、次第に焦りと怒りの気持ちが出てきた。こっちは全てかけて勝負にきているんだ。あんたは「集団の中でのいい雰囲気づくりに努めた」ってプラスポイントを狙ったのかもしれないけど。馴れ馴れしくやってやれないんだよ。心がささくれだつ。
今更憤ってみても遅すぎる。そして数分後に再び不測の事態は起こった。このディスカッションのテーマは「学生と社会人の違い」。先ほどの体育会系の彼は、こともあろうに面接官としてディスカッションの様子を見ている社員に話を振るというチャレンジに出たのだ。
「ここはせっかくなので、社会人である社員のみなさんのお話を聞いてみたいのですが、社会人と学生の違いはなんだと思いますか?」
「私たちがお答えするよりも、これはみなさんに話し合っていただく場なので。」
冷静な一言。そして静寂。重苦しい空気。「終わった・・・」という空気が流れる。集団面接でさえ、一人のスタンドプレーで全滅すると言うのに。しかもここは志望者3万人、採用30人のスカイクリスタル、わずかなミスでもグループ全員アウトが当たり前の世界。
ディスカッションの後は、初めての学生同士でもなんとなく喋ったりするものだけど、その時は誰も一言も口をきかなかった。一つの夢の舞台がついえたという感覚。
それでも。実際はまだ分からないという、微かな希望にしがみつく。二日後。通過者のみに来るはずの連絡は来なかった。悔しさ、悲しさ、もどかしさが洪水のように溢れ出す。もしもあの時、もっと毅然とした態度をとっていれば。それがどう転ぶのかは分からない。だが、雰囲気を壊すことを怖れて言われるがままだった自分は、やはり弱い。そう思われて仕方がない。自分がいちばんなりたくなかった自分の姿のように思える。「もしも」の話に意味は無いと分かっていても、勝っていれば。そう、世界をつなぐ翼に自分が携わっていれたら、どんなにか幸せだったろうかと思うと、とめどなく切なさが溢れ出して止まらない。どんなに願っても茶番のようなディスカッションであっけなく散る夢。
何で分かってくれないの?どんな気持ちでここに立っていたかを。
自分の中に棲んでいる何かの声が聞こえてくる。
「所詮は弱肉強食。実力の世界だよ。いくら思っても思っても、それだけじゃ受け入れられないんだよ。」
「憧れ?夢?そんなものは邪魔だよ。固くなって小さく丸まって何も喋れなくなるだけじゃない。」
「気持ちだけで突っ込んでいってもダメだよ。大人になろうよ。駆け引きを覚えなよ。」
こんなに好きなのに、こんなに思っているのに、どんな努力だってするのに、これで終わりなのか。こんな一瞬で、こんな茶番で、夢のない奴と一緒にされて終わるのか。
心の中でいくら叫んでも今さら届くことなどない。
今までは何日もダメージを引きずることはなかった。倍率が高すぎるとか、そんなに行きたい会社じゃなかったとか、所詮は本当の戦いの前のプレリュードに過ぎないと嘘でも自分を納得させることもできた。
しかしスカイクリスタル戦は痛かった。思い描いていた未来が晴れ渡る空だとすると、そこに大きな黒い雲が出てきた感覚だった。それでも、今日も明日も戦い続けるしかない。もはや勝つことでしか報われない思いなのだから。
翌日はある貿易会社の説明会があったが、すっぽかした。この程度の会社ならいくらでも見つかる。スカイクリスタルが消えた今、すぐに体制を立て直さなければならない。パソコンを開き、現在残っている会社をチェックする。多い時は選考中企業が30社以上あったが、今は15社。エントリーしている会社は自分の中でランク付けしていた。別格のSランクである関空は除いて、特Aランクのスカイクリスタルが消えた今、陣容は心もとない。Aランクは、あと3社ある。どうする?Bランクから何か昇格させるか。いや新しいところを探した方がよさそうだ。
いろいろ検索していると、スマホからLINEの通知音が聞こえた。
セツナだった。今、東北地方のインフラ系企業の説明会中らしい。返信すると一瞬でまた返信が来る。説明会には集中していないようだ。
「人事担当が会社パンフレット棒読みしているだけ。完全に時間のムダ」
「隣の奴が、いちいちうなずいていて、超うざい。」
説明会にたまにいるタイプ。想像がつく。傾向として座る姿勢はやや前のめり。髪は短め。おそらく眼鏡をかけている。誰かが何かしゃべるたびに「ほー、そうですか」「なるほど!いやぁ、勉強になります」といった感じで、大袈裟にうなずいて見せる。そういうパフォーマンスはやめようよといつもうんざりする。
「もうめんどくさい。帰りたい、ねえ、帰っていいかな?」
返信しようとして、ふと考える。それでいいのだろうか。
自分の価値観を押し付けて、人を否定する人間が嫌いだった。身の程とか、周りとか、落としどころとか。
でも、それも生き方だ。いちいちうなずいている学生は、たとえ演技であったとしても、就職活動という戦いで結果を出すために、思いつく最善の方法を選択しているのだ。「世界で」とか「熱い心を」とか騒いで、それが見えない人間を否定する。自分に酔いしれているだけで、何も結果を出していないのに。結局は自分が嫌いだと言った人間に自分自身がなっているのではないか。実は醜いのはこちらではないのだろうか。
迷った末にメッセージを送る。
「そんなの。帰っちゃえばいいんじゃない。」
そうだ。大丈夫だ。セツナはしっかりしている。旧帝大で、キャリアも実力も申し分ない。きっと結果はついてくる。茶番に付き合う必要はない。そう言い聞かせる。自分にも。
セツナとは東京以来連絡を取るようになった。内容は主にお互いの戦況報告、といってもセツナはまだ7社しか受けていない。自分が本当に行きたい会社だけ受けるスタイルらしい。かっこいいと思う。とにかく精神的安定のために内定を求めている自分とは違う。
次に会えるとしたらGlobel Densitnationsの二次面接。楽しみにだった。
しかし、面接の三日後に受け取ったメールは不合格通知だった。セツナに聞くとそちらも不合格。意外だった。分からなくなる、テストでも完全に決まったと思う瞬間がある。準備していたことを完璧に解答用紙に叩きこんだ爽快感。その感覚が外れたことはほぼない。
面接とは何なのだろう。いくら素直な思いをぶつけたとしても相手がどう思うか次第。何をすれば正解なのか見えない。
セツナとももう会えないのか。そう思っていた矢先、東京の同じ会社を受けていることが分かった。Atlantis Filmsという外資系の映画配給会社。就職サイトでの志望者約8500人、書類選考にレポート課題、オンラインの筆記試験を経て、今回の東京での四次試験が面接。もう50人くらいに絞られているようだ。その50人に自分もセツナも残っていた。相変わらず面接以外では落ちる気がしない、
池袋の本社で行なわれた面接試験は1対1の個人面接。他の学生がいない分、駆け引きもなくて話しやすいと思う。デメリットは常に自分が答えるので考える時間がないこと。面接官は初老の小柄な人物。物腰は丁寧で、威圧感がなく話しやすかった。
「君は映画会社のほかに運輸系を志望しているね。全く違うような業種のような気がするんだけど・・・。」
エントリーシートには、他の志望企業を書く欄がある。「御社しか興味ないので他は受けていません」は現実感なさすぎてアウト。他の会社名を書いたうえで、御社が第一志望ですと言えるロジックを構築できるかがカギだ。
「旅行会社や空港で働くことは人々が世界で新しい感動に出会う、その手助けになることです。映画もいろんな国のいろんな人々の生きる物語を、配給という形で伝えることで、世界中の感動をつなぎ、豊かな文化に貢献することになるのではないかと・・・・・・そういう意味で私にとっては志望に一貫性があると考えております。」
「なるほど、そういう意味では確かにつながっているね。いやー、君のようなことを言った人は初めてだよ。私も勉強になったよ。・・・」
自分では筋が通っているつもりで話した。どんなマニュアルにも載っていない自分だけの志望動機。そして面接官も満足げに頷いた。レポート課題についてもよく書けている、すばらしい感性だと言われた。これならかなり自信を持っていいはずだ。やはり作られた志望動機で受けている会社とは手応えが違う。そうか、こういう面接を続けた先に内定があるのか。
セツナは先に面接を終えていた。池袋駅で合流できたのは十五時三十分、まだ時間も早いので横浜まで行って見ようかということになる。山手線で渋谷に行き、東急東横線へ乗り換え。昔から時刻表を見るのが好きだった。行ったことのない場所でも路線図が頭に入っているのが特技だ。ライバルは、ナビタイムとジョルダンだと思っている。
「どうだった?」
セツナの方から聞いてきた。
「面接官がけっこういい人で、なんか話しやすかった。珍しくミスしてないような気がする。セツナは?」
「んー・・・。なんか私、いつも思った通りのことを言ってしまうんだよね。」
「いいじゃん、思った通りで」
「やっぱりだめでしょ、そんなの。まあ自分でだめだと思ってないから言っちゃうんだろうけどね。」
そう言って少しだけ悲しそうに笑った。
「大して夢もないのに、取り繕って面接官受けのいい答え並べてる奴がどんどん受かっていく。世の中間違ってるよな。」
「そうだよね。今日は食品業界、明日は金融業界、その次は小売業界、周りはみんなそうだな。別にその業界が悪いって言ってるんじゃないよ。そこに行きたいっていう夢があればもちろんいいと思うんだけどね。特にこだわりがないのってどうなんだろう。でもきっとそうやって頑張って、好きでもない会社回れる人の方が偉いんだよ。」
そう、きっとそうなんだ。「これが僕の夢です。」とか言うよりも、相手に合わせられる方が、きっと企業からすれば「使いやすい」のだろう。
路線図は分かっていても駅が広すぎて道に迷う。日本のサグラダファミリアと言われる横浜駅恐るべしだ。ナビタイムの力を借りて、中華街まで辿りつく。日本人でもなんとなくほっとする風景。そして共感できるセツナが一緒。食事をしながら、お互いの今までを語り合う。
「一也って、昔から勉強できたんでしょ。私はいつもテスト前夜勝負だったな。」
体力もある方ではなかったし、飲み込みもいい方ではなかったと自分では思っている。一夜漬けでは勝てない。たどりついたスタイルは、テスト前日もテストが終わった日も同じ時間勉強すること。実力で劣るのに勝とうと思えば、相手がブレーキを踏んでいる間にアクセルを踏むしかない。
「テストの前日は、そんなに勉強しなかったかも。それよりも、集中を高めるためにいろいろやっていたな。」
「何それ。教えて。」
あまり人に言ったことはない。定期テストや模試の時は、まず自分の中でイメージソングと大会名を決める。「○○チャレンジカップ20XX」とかそんな感じ。
前夜は出陣記念式典と題して、一人部屋で儀式を行った。灯りを暗くして香を焚き瞑想、イメージソングを一曲聴いて、詩をしたためる。ちなみに大学入試の時は、刺し違える覚悟で、辞世の句を詠んでから会場に向かった。自分を極限まで高め、追い込んだ。
こんなこと話したら気持ち悪がられるかもしれないと思いつつ、促されるまま話し続けた。
「すごくいいと思う。私もやってみようかな」
ありのままを分かってくれるうれしさで、ついつい話しこんでいたようだ。気がついたらもうすぐ八時になるところだった。今から東京駅まで戻れば夜行バスにちょうどいいくらいかもしれない。
「もうマリンタワー行く時間ないね。」
残念そうにセツナが言う。
「そうだね。横浜駅からここまでけっこうかかったもんね。」
「また・・・、来れるよね。」
「きっと来れるよ。またその時に会おう」
こっちは京都や大阪に比べても一段も二段もラッシュがすごい。帰りの横浜駅は会社帰りのサラリーマンやOL風の人々でごった返している。日本のサグラダファミリアで、ゆっくり案内表示を探していることもできない。人の波におぼれてはぐれないように自然とセツナと手をつなぐ。
二回目の東京駅八重洲口の別れ。勇気を出して言ってみる。
「ねえ、2人とも就活が終わったら、リクルートスーツじゃないセツナに会いたい。」
「そうだね。そうしよう。それを目標にがんばれそう。」
バスは首都高からいつしか東名高速にのった。カーテンの向こうをハイウェイの光が駆けぬける。セツナも今ごろ同じような景色の中を走っているだろう。もう寝たかな。LINEしてみようか。さっき別れたばっかりで「今日は楽しかった」なんて送るのもどうかな。
心地よいハイウェイの揺れに身を委ねて目を閉じ、走り行く先に心の風景を重ねる。時々目を閉じてこんな空想をすることがある。今走っているこの道が東名高速ではなくて、もっと遠い遠い、いくつもの国境の果て。そう、5000マイルの時空を超えたヨーロッパの小さな田舎町の夜明け。仰ぎ見る紫色の空、透き通った夜明けの空気を霧が潤し、人々の営みを呼び覚ます。ゆったりと流れゆく運河に架る重厚な石造りの橋を渡ると、中世の面影を残す美しい街並みが続く。家々の窓に朝の灯りが入りはじめると、光がお互いを呼び合い、やがて昇る太陽を迎える幻想的な光景が広がる。想像の中でしか出会うことの許されない懐かしい景色。この世界に在る限り、いつかは出会えると信じたい。
まもなく最初の休憩地の足柄サービスエリアだった。あと何度傷つけば、あと何度戦えば、この道は未来につながってゆくのだろうか。
翌朝、学校のパソコンでいつもの就職サイトにログインする。
「志望企業からのメッセージ 1件」
緊張が走る。受信トレイを開いた瞬間、絶望がふくらみはじめる。メッセージを開かなくても分かることがある。大概試験に通過した時は次回選考の予約フォームが添付で付いているから、それですぐに分かる。予約フォームがついているということはすなわち、生き残り、また戦えるということを意味する。
そして何も添付のついていないメッセージを開く。
先日は当社新卒採用選考にお越しくださいましてありがとうございました
慎重に選考を重ねました結果、残念ながら今回は御縁がありませんでした。
今後の御活躍を期待します。
株式会社アトランティスフィルムズ 人事部新卒採用チーム
頭が混乱する。いやいやちょっと待ってよ。ちょっと待って、だからちょっと待ってよ。だから何よこれ、なんでなんで。ちゃんとやったじゃない、ねえ。今後の御活躍とか、そういうのいらないから。
しばらくして現実が分かるようになると、自分はもう二度とあのオフィスに入ることさえないんだっていう現実が頭の中を浸食しはじめる。
「実は関空が第一志望です」なんてまさか言っていない。あんなに手応えもあった。課題もクリアした。そして夢もあった。
相応の疲れも顧みず夜行バスで行ったのに、そんな苦行も無に帰した。いくらもがいてみても所詮、たった3行の「御縁がありませんでした」メールで終わる戦い。
もう何も信じられなかった。自信はあった。スカイクリスタルはものすごく痛かったけど、ただ最後の一縷の救いは落ちて当然だと分かるような面接だったということ。でも今回は自信があってもダメだった。これが通用しないなら、もう自分には何が出来るだろうか。不安という大洋の中で、孤島みたいに顔を出していた自信さえも沈んで消えていくようだ。
切り替えなければいけない。来週には関空の筆記試験がある。大丈夫だ。まだ何も終わっていない。
地下にある三条京阪駅から地上に出たところでスマホが鳴った。画面を見て緊張が走る。父だった。
「授業もうないんだろ。一度帰ってきたらどうだ?これからのことを話そうじゃないか。」
「いや、まだこれから大事な試験があるんだ。」
今はとにかく集中したい。
「お前の気持ちは分かる。だがそろそろいいんじゃないか。こっちに帰ったらいろいろな選択肢を用意できる。」
もうゲームセットということか。そういうわけにはいかない。
「気持ちはありがたいんだけど、そんなコネで会社入っても、後からいろいろ嫌なこともあるだろうし。」
「そうはいってもなかなか難しいだろ。どこか内定あるのか?」
「・・・いや、まだだけど」
「お前は何かやりだしたらカーッとなって止まらなくなることがある。昔から負けず嫌いだったな。だが大人になったらそういうわけにもいかないんだ。自分のことばかり考えてないで、周りを見た方がいい。まずは入れる所に入ることも大事だぞ。」
周り周りって、その周りが自分の望むものではない時、どうしたらいいのだろう。それでも巻かれろというのか。
「カーッとなるとか、確かにそうだけど、そういう熱い気持ちがあったから、今までやってこられたっていうのもあるし。」
適当に落とし所が分かる人間だったら、今の大学には入れなかったと思っている。そこまでは何も間違っていなかったはずだ。
「そのあたりは俺も育て方を反省しているんだ。俺も母さんも悪かったって思っている。」
なんだそれは?いきなり間違いを認めないでほしい。じゃあ何?今の自分は失敗作だということなのか。頭の中に怒りと切なさが溢れてくる感覚があった。
「今までよくやってきたよ。そんなに無理しなくていいから、帰ってくればいいんだ。それでうまくいくじゃないか。」
できるまでやめない、いつもそういうスタイルでやってきた。シンプルだった。今まではできるまでやめないことが正しいことだったから、何も問題なかった。成績という家族も周りも誰もが認めるものだったから。
今振り返れば、勉強と部活だけ、学校と家の往復だけの日々も楽しかった。自分に負けない強さ、誰にも負けない技術、努力が報われる喜び、やればできるんだという自信、上を目指しているうちに、この道の果てはどんなところに続いているのだろうと想像すれば幸せだった。今だってそれを否定する気はない。そういう積み重ねの時代があったからこそ今、関空というピッチに立てる。夢のピッチへ。それなのにどうして・・・。
「今までそうしてきたから、今度も自分の力で試験に受かりたという気持ちはよく分かる。お前の力ならそれもできて当然だ。だが今は時代も厳しい、そして体のこともある。」
駄目押しの一言。力が抜ける。もう何も話せない。話せないまま一方的に打ちこまれ、電話を切る。今までもそうだったし、そう言えば面接でもそうだった。何か不利なこと、自分を否定されるようなことを追求されると何も言えなくなる。心のいちばん深い所で言葉がリピートされる。自分はダメなんだ、間違ってたんだ、ああ、またやってしまった、と。相手の言葉を、それが危険だと分かっていても全部飲み込んでしまう。そうしていないと「カーッとして人が何をいっても聞かない人間」になってしまうようだったから。どこにも吐き出せない気持ちが自分の中に溜まっていく。
できないのは自分が弱いからダメなんだ。人に評価してもらえないのはまだまだ足りないからなんだ。いつもそうやって追いこんできた。関空以外にたくさんの会社を受けているのも、きっとそんな性格が影響しているのだろう。親や周りの言葉の節々に見える「お前はできる」という期待、そんな期待すらを超えてみんなを唸らせる結果を常に求めてきた。もちろんコネは使いたくない。
ではどうしたらいいのか。親も納得、大学の看板からいっても成功者の部類に入り、今まで通り周りかも賞賛され、そして、自分が熱くなれる会社、そんな会社と戦って戦って、未だ内定なし。
「やあ、待ったかな」
約束の時間通りに川嶋は現れた。
今のタイミングであまり会いたい相手ではない。だが内定がないのなら、絶対に話すべきだと。半ば強引に呼び出された。
「普段、たいしたもの食っていないだろ。今日は遠慮せずにやってくれ。」
駅から徒歩数分の餃子が有名な中華居酒屋。セツナと行った中華街とのこの気分の違いは何なのだろう。ただ食欲はなかったが、たしかにうまかった。お金の心配なく、好きなものが食べられる。来年の自分は果してそうなっているのだろうか。
川嶋から、今まで受けた会社をヒアリングされる。
「なるほど、運輸に旅行、商社、英語系の教育、マスコミ、映画・・・、なかなか幅広いラインナップだな。」
就職活動を始めるにあたって決めたテーマは「Chain your dreames・・・アジアの、そして世界の架け橋に」。応募人数から言っても難易度の高いところばかりだ。
ふーっと川嶋がため息をつく。やはり気に入らないラインナップなのだろう。
「富の再生産という言葉は知っているよな?」
おもむろに問いかけてくる。
「はい、産業革命の」
「そうだ、じゃあ四大工業地帯で輸送機械の比率が高いのは?」
「中京工業地帯。」
瞬間的に答えが出てくる。
「ここまで言っているのに、学校では大事なことを何一つ教えてくれないもんだな。」
そう言うと川嶋は紹興酒を一口あおる。
「まあ、そこのマーボ豆腐でも食べながら聞いてくれ。辛いのは大丈夫だったか。」
「はい、まぁ・・・」
「君が受けている会社で、きっと第一志望はスカイクリスタルだったな?」
曖昧にうなずく。関空の名前は出していない。それだけは批評の対象等ではない、不可侵の領域だと思っているから。
「昨年の売上高は知っているか?」
「いえ、知りません。」
「約一兆円だ。」
関係のない会社だろうに、よく知っているものだと思う。桁が多すぎて実感がない。正直、一兆だろうが一億だろうがあまり興味がない。そんなことで選んでいる分けじゃない。
「京大の奴はほとんど受験しないだろうが、たとえば愛知県には実は一兆円規模の会社がゴロゴロある。世界の自動車生産一位を争うあのメーカーは別格としても、そこだけじゃない。D社にA社にJ社、T社系列でいえばBとかS。みんな日本のフラッグシップキャリアのスカイクリスタル同等以上の規模だ。」
バスケかバレーのチームであったような気がする。その程度の記憶だ。
「だが全国から受験に来るというほどでもない。東海地方でそこそこの大学を出ていれば入ることは可能だ。いや、それは言い過ぎだな。学歴フィルターはしっかりあるし、難易度が高いのは事実だ。大学のランクでメーカーのピラミッドのどこに入れるかはきっちり変わってくるんだ。でもいいんだ。そこの二次・三次の全く有名ではない子会社だとしても、売上数百億円の規模が当たり前。給与水準の高い業界だから、ピラミッドの3位グループといっても頂点の7~8割の給料。それで実は待遇としては、スカイクリスタルとたいして変わらない。十分アッパーミドルの暮らしができる。」
注目されない優良企業はたくさんある。その話は前に聞いた。
「親も子も代々、同じ会社ではないが自動車系という家も多いように思う。その辺に住んでいればなんとなくルートが見えるんだよ。あぁ、自分のポジションなら、こういうランクの会社に入ってこういう生活が待っているんだっていうルートがね。俺たちの故郷では、それは見えない。周りに新卒採用をしているような会社がほぼなくて、みんなバラバラになるからな。
そう、そして東海地方から出なくて、実家住まいだったら、経済的な余裕はかなりのものだ。新入社員がレクサスやBMWに乗って出勤してくることも珍しくない。俺達だったら、免許取ったら最初は中古の軽かコンパクトカーから始めろよって思っちゃうよな。
いずれにせよ親から子へそうやってきっちりしていけば、いずれは親の土地に広い注文住宅を建てて、何不自由ない暮らしができる。それこそが富の再生産だと思わないか。なあ、高級外車のディーラーって東京の次は、名古屋に進出するんだぜ。大阪じゃない。言っとくがベンツやBMWの話をしているわけじゃない。ベントレーにマセラティ、アストンマーティン、舞田にいた頃なんて土建屋の社長が乗っているクラウンが世の中で一番いい車だと思っていたのにな。」
乗り物は全般に好きだが、それも公共交通機関の話。バスの車名は全て分かるが、外車には全く興味がない。そもそも乗ることのない高級外車の名前を覚えるより、高速バスで何度も利用する車両を知っていた方がよほど人生で役に立つと思っている。
一息置いて川嶋が言葉をつないでいく。
「こんな話もある。隣の静岡にはあるブラックな企業がある。そこは、社員数は700人くらいだが、毎年200人以上採用している。だが、社員数は何年も増えていかない。これの意味は分かるよな。その会社は、地元の学生が志望してもまず採らない。学歴フィルターじゃない。東大から元ニートまで採用する雑食のくせに、地元だけは採らない。なぜなら実家住まいだったら、家族が気付くからな。この会社はおかしいって気付いてすぐに辞めさせる。昔は地元も採っていたが、親からのクレームがかなりあったらしい。それならまだしも訴訟沙汰になって、悪い噂も立ちだした。だからわざわざ住居手当を出してでも遠くの学生を集めて一人暮らしさせ、会社とはこういうものだと叩きこむ。例えば休みの日に会社に来ることが上に上がる者の基本だってね。実際のところ、地方出身の高学歴な奴が多いらしいよ。すさまじく頭はよくてしっかりしている。だが世間を知らない。プライドは高くて、夢だトップだというそれらしい言葉に弱い。ブラック企業にとっては絶好のカモだ。プライドをくすぐる言葉で巧みに誘い込み、使い捨てる。一方で、愛知からわざわざ家を出てブラック企業に入る例はほとんどないという印象だ、何が言いたいか分かってくれるか。」
そう問われても言葉が出てこない。
「正しく知ることだ。周りの環境を知り、そして自分の現在地を知ること。」
「ちょ、ちょっと待ってください。」
たまりかねて言葉をはさむ。
「自分はそうならないように今までやってきたつもりです。」
川嶋の表情は変わらない。そんなことはすべて織り込み済みであるかのように。
「だから、そのつまり・・・、いざ入りたい会社があった時に、周りだの自分の現在地がどうのこうのであきらめなくてもいいように、やれることはやってきました。結果も出してきたつもりです。」
「京大に入ったことがそうだということかな。」
「それが全てだとは思っていません。学歴で決まるなんて甘いものじゃないことはわかっています。ただ少なくとも挑戦権は持っているんじゃないかと。実際書類は通過して面接には呼ばれるので、会社の方からしても全く候補じゃないなんてことはないはずだと・・・。」
「そうか。」
少しだけ考える素振りを見せた後、川嶋はバッグから一冊の本を取り出した。ビジネス書のようだ。
「中身はどうでもいい。こっちを見てみてくれ。」
裏表紙に著者のプロフィールが書いてあった。
一橋大学卒業後、2年間世界を旅する。その後ボストン大学大学院で現代美術を学ぶ。ニューヨークアート界の重鎮ポール・マケインに師事。帰国後、株式会社イーストウィンドを設立。主に東南アジアの現代アートを発掘し・・・、講演活動や執筆活動など精力的に展開・・・
「特に珍しいものでもないだろう。大体、本を出す奴だとこんな感じだ。さて、君はどうだろうか。今から海外の大学院に行けるだろうか。会ったこともないアメリカの重鎮とやらの弟子になれるだろうか。会社を興せるだろうか。」
言葉に詰まる。大学の成績も決して悪くない。だが、今から海外で生きていけるイメージがつながらないのだ。
「そうだよな。例えば、『次のテストで〇〇ページから〇〇ページが範囲です』と言われた場合、君にかなう人間はまずいないだろう。そう、愚直に完璧に。言葉を選ばずに言えば決められたレールの上でコツコツ努力して、誰よりもいい点数を取る。もちろん高校までそれを完璧に続けて京大にまで辿りつくのは簡単なことじゃない。ただ暗記すればいいなんて生易しいものじゃない。応用問題ばかりだから、持っている知識を駆使して演繹的な思考もいる。スピードもいる。一つ二時間の試験を4科目やるスタミナだっている。・・・だが評価の線から外れたらどうだろうか。」
認められたい。賞賛されたい。なぜならそうすることで自分が生きていてもいいと思えるから。
「それが悪いといっているんじゃない。99パーセントの人間はそうだ。君は優秀な人間であることは間違いない。だがレールから外れてリスクを取ることはできない。
世の中には、家族も周りもみんな敵にまわしても自分を貫いて、他の誰にもできない結果を残しにいく人間もいる。もちろん本を書いているようなやつはその中の一握りの成功者で、その陰には日の目を見ることなく堕ちていく人間のほうが圧倒的に多いだろう。」
「つまり周りを見て入れる会社に入った方がいいということですか。今まで通り与えられたレールの上でいい点取っていた方がいいと。そこに自分の夢とか持ち込むとおかしくなると。」
そういうことかな。遠くを見ながら川嶋はうなずいた。
「実力で正面突破できるのは大学入試までだよ。そこからは偏差値の世界じゃない。何万人も受けるスカイクリスタルに正面からエントリーして、学力と熱意でいっても、とても通用しない。どうしてもやりたいことがあるというなら時には寝技も覚えないといけないんだ。」
寝技とはなんなのだろう。それが分からない自分が無知なのだろうか。
「とはいえ・・・」
川嶋が、ふーっと再びため息をつく。そういう演出なのかもしれない。
「たまらんよな、実際。いきなり梯子を外されたようなもんだろ。」
梯子?次は何を言い出すのだろう。
「最初のフィルターは高校だったかな。」
問いかけながら少し充血した目で、川嶋が顔をのぞきこんでくる。
「市域はやたら広いから、分校みたいなのも含めて中学の数はそこそこあったよな。それぞれの地域のトップが舞田の特進クラスに集まる。みんな自分の地元では「辺境の絶対エース」だの「一族の誇り」だの言われて、鳴り物入りで高校に入ってきた・・・、と自分でも思っている。まずそこで選別される。」
たしかにそうだった。最初の定期テストの後、学校に来なくなったクラスメートもいた。40人クラスだが、卒業時は36人だった。
「次は大学だ。同じく高校のトップが集結する。」
正直、京大に入ってくる奴はみんな相当にできる奴だと思っていた。だが現実は違っていた。一般教養の語学の試験で、普通に不合格者もいた。別に遊んでいたわけでもなさそうなのに。不思議に思った。大学に入ることだけが目的で、そこで力尽きたのか。あるいは京大の入試を解くというその一点だけを極めただけで、もともと実力が伴っていなかったのか。
「何度もふるいにかけられ、そのたびにしがみついて這い上がってきた。てっぺんまでいけばいい景色が待っていると信じて、どんどん登ってきた。あとは、就職サイトに登録して、夢もプライドも周りの期待も満たせる会社にエントリーして、もうすぐ人生「あがり」のはずだった。ところが蓋を開けてみれば、実はそのスタイルは面接には向いていませんでしたというわけだ。登るだけ登って高いところから落ちたら、そりゃ痛いよな。
周りも本も音楽もキレイごとばかりだ。将来の可能性は無限大、夢に向かって努力すれば何にだってなれる、さぁがんばろうってな。」
何も言い返せない。梯子の先にあったのは天空のガーデンなどではなく、ただの壁だった。梯子が尽きれば地面にたたきつけられるしかないのだ。
「こんな話を前にしたところで君はとても受け入れられなかっただろう。だから時期を見計らっていた。なあ池谷くん、方向転換するなら今が最後のチャンスだ。あと2週間遅れればエントリーできる会社は大幅に減ってしまうだろう。君の気持ちは分かる。ここまでがんばってトップをはってきたんだから、好きな会社に入りたい。福利厚生や離職率で会社を選んで何が楽しいんだってね。だが、辿り着く先はどうだろう。世界だイノベーションだのと魅力的な言葉で君のような優秀な人材を食い物にするブラックかもしれない。若いうちはそれでもがんばれるだろう。しかし5年後、10年後後悔する可能性は高い。休みが不規則で家族との時間もとれない、不安定な会社で住宅ローン審査も通らない。いずれそういう現実をつきつけられることになるだろう。」
現実を突き付けるために、機が熟すのを待っていたということか。一体、なぜ。疑問をぶつけてみる。
「川嶋さん。なぜ舞田出身とはいえ、面識のない僕にこんな話を?」
「俺は、来月会社を辞めて松下政経塾に入る。そして次の舞田市長選に出るつもりだ。
おいおい、人に現実見ろといっておいて、この人は何を言っているんだ。市長なんて簡単になれるものなのか。
「しがらみの多い町だ。代々土建屋の社長が市長やっているからな。厳しい戦いになると思うが、勝算がないわけではない。」
「なぜ、わざわざ舞田の市長なんて・・・」
「自分の生まれ育った町が廃れていくのが見てられない。そう思うのはおかしいか。」
ビジネスに徹する人間だと思っていたが、実は熱い心を秘めていたということなのだろうか。
「高齢化率が4割に迫る町だ。必要なのは若い力であることは言うまでもない。ところが、実はよく見てみるとUターンで戻ってきている人間も一定数いる。ただそれがブラック企業に使い捨てにされてボロボロになって戻ってきたというんじゃ、起爆剤としてはなかなか期待できない。やはり故郷を離れてやってきた経験を地元にフィードバックしてくれるようでなくちゃ困る。都会に出た奴もそうだ。知らない街で一人、非正規で、なんとか自分ひとりの生活をつないでいるといった状況では、なかなか地元に還元できるものもない。親のために実家を建てかえるとまではいかなくても、せめてふるさと納税をはずんでくれるくらいは期待したい。」
なんとなく、この人の描くストーリーが見えてくる。
「分かるか、池谷くん。舞田には優秀な人材がたくさんいる。だが、希望を持って都会に出たものの心と体を蝕まれて、輝きを失っている人間も少なくない。俺はその状況から変えていきたいと思っている。」
自分はそのためのサンプルケースということなのだろう。
「君は成功者として、舞田の活性化に貢献できる逸材だと見込んでいるんだ。今がその正念場なんだ。」
地元の誇りは持っている。大好きな故郷の活性化に貢献できるというなら、やぶさかではない。そこまでは彼のストーリーを共有できるだろう。後はこれから何をするかだ。それ次第では川嶋と地元の明るい未来を語り合う熱い酒席になったかもしれない。だが、重苦しい時間だけが過ぎてゆく。
「さて、シメは上海焼きそばなんてどうかな。」
シメてもらえるなら、この際なんでもよかった。
「今日はありがとうございました。」
ようやく店を出た解放感。だが、この後家に帰ったら、もう一度就職サイトでラインナップの見直しをすることになるだろう。
「ずいぶん説教くさくなってしまったな。この後は、もっと楽しい形で世の中を知ってもらおうかな。」
「いや、明日も面接なので」
咄嗟にうそをつく。
「そんなに自分を追い込んだって、受かるものも受からないよ。長くひっぱらないから、ちょっとだけ付き合ってくれ。」
連れて行かれたのは、祇園の少し裏通りに入ったキャバクラだった。一応、お金持っていないと抵抗してみたが、無駄だった。
ただ、初めての経験。緊張と共に期待感のあったことは事実だった。そう、初めての海外のように。
違う世界がある、店に入って一瞬でそれを感じた。もっと派手なだけで怖いところかという先入観もあったが、そこは洗練されたプロの世界だった。店の内装から案内するスタッフの姿勢、おしぼりの出てくるタイミング。そしてキャストの所作と会話の一つ一つ。人を楽しませるということをとことん真剣に極める。大袈裟だが、どんな職業も関係ない。生きるということはここまで極めることなのかと実感した。
「こんばんはー。エリナです」
年齢は川嶋くらいか。もしもキャンパスにいたら、きっと男子の会話の中に頻繁に登場していただろう。美しい人だった。それでも、とっつきにくいということもない。適度な人なつこさや性格の良さを感じさせる内面からの美を漂わせる人だった。
極上の美しさとスタイル。ドレスの胸の谷間にくぎづけになる。どこまで計算しているのだろう。ただ色気を出しているというのではない。あともう少し隠していたら物足りなく感じただろうし、もう少し露出が多くてもだらしなさを感じたかもしれないその。想像力をかきたてるギリギリのコントロールに畏怖を覚える。
「夢を追いかけるのもいいが、大人にはこういう楽しみ方もあるぞ。好きなもの食って、かわいい女の子と話もできる。長期休暇には海外旅行だ。会社なんて、入ってしまえば結局どこもイヤなものだ。人生を豊かにするのはそこじゃないかもしれないぞ。」
この場にいると、なぜか恐ろしいほどの説得力を持って、川嶋の言葉が入ってくる。
「あら、お兄さんは将来に悩んでいるのかな。」
エリナの顔を正面から見られない。ついつい少し下、ちょうど胸元に視線がいってしまう。問われるままに今の状況を話す。短時間で要点を聞き出すのもプロのテクニックなのだろう。
「そうか。大変だよね。夢も叶えたい、周りの期待にも応えたいってなるとね。」
「両方は無理だよ。そういう夢は持たない方がいい。会社に入ってしまえばいつの間にか夢なんて消えてしまう可能性が高い。十年後にはどうやって安定した収入を得られるかということばかり考えるようになっているさ。」
ますます上機嫌な川嶋がかぶせてくる。
「そうかな、私は夢のある人の方がいいと思うなぁ。」
エリナが完璧な笑顔を投げかけてくる。自分の顔が紅潮して変な汗が背中をつたうのが分かる。
「夢を持てる人間は絶対に強い。たとえ叶えられなくて、形が変わっていったとしてもね。いつかは誰かに託してディスプレイ越しに応援するだけの夢になってしまうかもしれない。それとも仲間たちと『あの頃は熱かったな』って昔を語り合うだけの夢になってしまうかもしれない。たとえそうだとしても、人生のある瞬間、そこに向かって本気で努力したことは決して無駄にならないって私は思う。次の瞬間、地面に叩きつけられたとしても何度でも何度でも嵐を超えて飛び立つ鳥のように。これはナウシカに出てくる言葉だったかな?」
たとえ叶えられなくても。負けた時のことなんて考えられないし考えたくもない。ただ、エリナのいうようにこの瞬間は、どんな結果になろうとも必ず人生において意味があると思う。
「ただ、今のままじゃお兄さんは受からないと思うな。」
一瞬、何を言われているのか分からなかった。川嶋さえも一瞬きょとんした表情をしている。ここは客を喜ばせるところじゃないのか。
「厳しいことを言うようだけど・・・」
まさか、川嶋の仕込みなのか。いや、彼の表情を見てもそうではないようだ。
「お兄さんは、今までずっと優等生で怒られることなんてしたことがなかったでしょ。」
まあその通りに違いない。
「だから、人と対立することを避けてきた。」
否定はできない。
「何か嫌なことを言われても、不本意なことがあっても、自分の世界に逃げ込んで、自分の成績や評価を上げることで乗り切ろうとしてきた。そう、自分が弱いからダメなんだってね。もっと自分ががんばればいいんだってね。そうすれば人と戦わなくてもいいから、いちばん楽だからね。」
当たりすぎてうなずくことさえできない。
「今まではそれで十分だった。でも面接は違うでしょ。相手は、この学生を採用するための理由、ストーリーがほしいの。はっきり言ってあなたの夢なんてどうてもいい。そのためには、あたかも相手が望んでいることが、まさに自分の夢でしたというふうに語らなければならない。」
今までの面接を通して、本当は分かっていたはずだ。だが、無意識に受け入れることを拒んでいた。それを受け入れてしまえば、そういう戦いにしてしまえば、自分の勝てる戦いではなくなってしまうようだったから。空気を読むというのが苦手だった。もちろん周りを無視して自分勝手にしたいというのではない。ただ飲み会の場でも、自分から話題をふることはできない。何がこの場の正解なのか分からなくて、「え、今その話?」みたいな反応をされるのが怖いのだ。
「そのためには会話の中で、相手の望む答えを見抜いていかなければならない。そしてもしも相手が気に入らないと感じているなら、そのサインを決して見逃さず軌道修正しなければならない。でもお兄さん、それ苦手でしょ。自分はこんなにがんばってきました、こんなにこの会社が好きなんですって押しちゃって、相手のサインに気づけないんじゃないかな。
ねぇ、相手が怒っているのに、なんでこの人は怒っているんだろう、って思ったこと今までになかった?」
どんな能力を使えば、会って数十分でここまで分かるのだろう。全てが的確だった。
状況に追いついてきた川嶋がかぶせてくる。
「どんなに自分が完ぺきにやっていても、相手ノーと言えば、ひたすら頭を下げないといけない。社会ってそんなもんだよ。正解を言えばいいというもんじゃない。夢がじゃまになることもある。相手がイエスと言えば、それが答えなんだ。
とにかく、会社にとって人間はいちばん高い投資なんだ。定年まで2億円といったところだ。今までは所詮お金を払って教育というサービスを受ける側だから、なんだって自由にできた。これからは逆なんだよ。金のために自分を削って売らなければならないんだ。」
「でも、さっきは夢を持っていた方がいいって・・・」
すがるように問いかける。
エリナが優しく語りかける。
「そうだよ。でもそれはわざわざ出さなくてもいい。熱い心は見せびらかさなくても伝わる人には必ず伝わる。あなたとあなたの大事な人たちが分かってくれればそれでいいの。」
エリナは一貫して穏やかで、説教くさくもならない。圧倒的な現実を突きつけられても、最後には不快な感じもしない。なるほど、そういうことなのかと妙に納得させられる。これもプロのなしえることなのだろうか。
「ねえ、アンパンマンで誰が好き?」
突然、エリナが聞いてくる。
「さあ、あまり考えたこともないけど、アンパンマンかな。」
「私はバイキンマンが好き。」
突然のバイキンという言葉とエリナの美しさのアンバランスさにどきりとする。
「いつも負けているけど、野望を持っている。そしてどうしたら倒せるかを日々研究してチャレンジしている。何度やられても諦めない。一方、正義の味方ってなんなのかな。特に自分から叶えたいことも見られない。敵が攻めてきてから、みんなで対処する。ある意味、受動的じゃないかな。しかも一回は敵にやられるからね。だったら私は夢を叶えるためにはバイキンマンになってもいいと思っている。こんな日本の幼児教育を否定するようなこと、とても言えないけどね。」
「いやいや、言っているじゃないですか。」
思わず笑顔になれたのは、この夜、初めてかもしれない。
悪役になってもなんでもいい。叶えたいなら結果を出せ。現実は厳しいがそういうことなのだろう。
「とびきりの笑顔の下で、相手に銃口を突き付ける。それくらいの気持ちでいってもいいと思うよ。」
この夜の街で実際にそうして生きているのだろう。そう思うと説得力が違う。
情熱は秘めたまま、しなやかに、したたかに。
一時間ほどで店を出て、ようやく川嶋から解放された。川嶋の経済力はよく分からないが、さすがに長時間いるのははばかられるのだろう。
「なんか厳しいこと言われちゃったな。大丈夫か。」
別れ際、川嶋が少し申し訳なさそうに言ってきた。最初の川嶋との食事よりも、よほど有意義な時間だったと言いたかったが、それは口に出さないでおく。礼を言って別れる。なんだかんだいっても自分のことを心配してくれているようだ。結局悪い人ではない。
帰りの電車の中、今日を振り返る。
過去の自分は変えられない。今の自分もそう簡単には変えられない。欠点は確かにたくさんある。所詮は与えられた教科書の内容をただただ完璧に、そういう弱い人間なのかもしれない。
それでも・・・、夢は捨てられない。今さらスタイルも変えられないし、変えたくもない。ただ、結果を出すためには、必ずしも自分を全て出さなくてもいいのかもしれない。面接で勝つための発言。今まで書類選考のエントリーシートでは、夢とか熱い心というキーワードを散りばめてきた。書類は全て通過していたから、この路線は間違っていないと思っていた。だがそこは軌道修正が必要なのだろう。面接ではもう少し通過することに特化した発言をした方がいい。
受ける会社はどうしようか。関空受験の際の精神的安定を考えれば、ラインナップの拡充は必要だ。そう言えば、OBを名乗る人物から会いたいという連絡も来ていた。たしか信託銀行だった。まったく興味がない業界だったから日程の返事すらしていなかったが、せっかくだからそういうところもあたってみよう。
そこまでがこの夜、出した結論だった。
関空の選考は、書類、筆記、一時面接、そして最終面接の4回。他の会社の3倍の時間をかけて仕上げた書類はもちろん通過していた。筆記試験からいよいよ舞台は関空。
筆記試験の前夜、部屋の電気を消し、江の島のキャンドルナイトイベントで買ったアロマキャンドルを灯す。微かなあたたかみのある光と、エキゾチックなフレーバーの中、抑え目のボリュームで音楽を流しながら禅を組む。関空の「前夜祭」イメージソングに決めているFaye Wongの「夢中人」。
ぼんやり生きていれば音楽は、ただのいい歌だなで終わる。しかし、人生の大事な瞬間で聴いていた曲は特別な意味を持つ。部活の大会の前、受験前。いつも音楽から力をもらってきた。歌詞に自分を重ね、何度も何度も奮い立たせてきた。この曲を聴いて、もしそれで負ければ、もしもふがいない戦いをしたら大事な瞬間に力をくれたアーティストを汚すことになる。この歌を聴いて恥ずかしくない自分でいよう。そういって自分を追いこんできた。
さあ集中しよう。もう余計なことは考えなくていい。明日だけは自分のために戦おう。そのためにやってきたんだ。明日はあの関空に出会うんだ。
集中していたつもりが、昨夜はよく眠れなかった。昔から「繊細で、物事を深く考える性格」と評されてきたように思う。自分の性格、自分の病気、間違った育ち方・・・。何度振り払っても頭から離れない。無理もない、今まで20社以上面接で落とされてきた。学歴OK、筆記試験OK、TOEICスコアも780点まで上げた。中国語検定も取った。総合旅行業務取扱管理者資格も取った。スーツも靴も決して安物じゃない、ネクタイの色、シャツの色との相性にも注意している。もちろんネクタイの結び方も間違っていない。髪も染めていないし長くもない。姿勢もお辞儀の角度も鏡を見て練習した。それでダメなら、何か自分の中に欠陥があるのではないかって思いたくなる。
それでも、今日は就活じゃないのだから、勝負なのだからと自分を奮い立たせる。
京橋から快速列車で関空へ、この瞬間から他の会社の時とは全然違う。そう、ぐっとくるものがある。空港へ連絡する電車なので、車内放送も二ヶ国語。それを聞いているだけでも、なぜだか涙が出そうになる。理由なんてどうでもいい、それが関空だから、関空が好きだから、それだけで十分だ。大阪の都心を離れて40分ほど過ぎると、前方に高い建造物が見えてくる。空港の対岸に聳えるゲートタワーホテル、あの横を過ぎたら進路を右に、海の方へレールが続く。徐々に高架が高くなり加速していく。湾岸エリアと関空島を結ぶスカイゲートブリッジへ入ればそこは煌く海の上、橋に入るこの瞬間がたまらなく好きだ。心地よく加速し、一気に海の上へ踊り出る。点のようにしか見えなかった空港が徐々に大きくなる。ウィング、ターミナルビル、展望タワー、空港ホテル、国内貨物エリアに国際貨物エリア、オイルタンカーバース・・・、その一つ一つが世界をつなぐ夢にあふれて見える。ここからどこへでも飛んで行ける、まだ見ぬ世界へ。思いがあふれて止まらない。
ランウェイにはスイスインターナショナルのA340-300が見える。この機体があと十時間後には遥か雄大なアルプスさえ眼下に見下ろし、銀色に輝く翼は湖畔に映えるジュネーヴの街に舞い降りていくのだろう。そのフライトは人間が長い歳月をかけて世界中で築いてきた文化や、この星のたくさんの奇蹟との邂逅が育んできた壮大な自然をはるかな道のりを越えて結んでくれる。そんな光景を心に描くと、自分が抱え込んだ悩みがあまりに狭く、みみっちいものに思えてきた。
電車を降りるとまだ試験まではかなり時間がある。当たり前だ、この2本後の電車で来ても間に合うくらいだから。まっすぐ試験会場になっているターミナル隣の関空本社ビルには行かず、しばらくホームに立って人の流れを眺める。これから飛び立つ人、長い旅を終えて大きな荷物と家路に着く人・・・、様々な物語がこの場所で始まり、つながっていく。しばらくそうして佇み、ターミナルビルへ。歩きながらこの感覚はなんだろうと考える。・・・あぁ、そうだ。卒業式で壇上にむかう足取りと似ているなぁ、と気づく。胸を張って、誇りを持って、これから強く生きるんだ、って。この一歩一歩が未来につながるんだと踏みしめる。ターミナルの自動ドアの前で立ち止まり一礼する。何も格好つけているわけじゃない。そうでもしないと気が済まないだけだ。一通りターミナルの喧騒を味わい、到着ロビーの椅子に座って栄養ドリンクを飲む。友人がいつも試験の30分前に栄養ドリンクを飲むと調子がいいって言っていた。その時は何もそこまでしなくても、と笑っていたけど。今となってはそれも必要になってきた。最近はあんまり食事ものどを通らなくなってきたし。最後にトイレに入る。周りに誰もいないことを確かめ、鏡の前で自分に向かってエールをかける。
「今まで何のために生きてきた?今日ここに来るためだろ!勝ちにいこう。必ず勝とう。しゃあああ、行くぞ!」スカイクリスタル以来、いやそれ以上の最高最強の気合い。
二時間の筆記試験が終わった。まあなんとかなっている。最後まで集中力を途切れることなくいけた。またきっと戻ってくる。そう決めて空港島を離れる。疲れがどっと押し寄せてくる。もともと心身ともにあまりいいコンディションとはいえなかった。それでも関空への思いでハイになっていたし、試験後どうなってもいいという気持ちでやった。その結果、堺を過ぎたあたりで電車に酔ってきた。京都から東京までバスで往復しても何ともなかったのに、たかが40分の快速電車で酔うなんて。とてもまっすぐ京都まで辿りつけそうにない。京橋で降りてきからしばらく歩いてみるが、付近の飲食店から出てくる匂いでまた気分が悪くなる。今日は集中力とか気合いとか、そんなものを全部限界ギリギリまで上げたつもりだった。その結果がこうだ。それでもいい。苦しくてもよく戦ったと思う。それでいいんだ。勝てばいい。そうしたら全て報われる。
三日後、筆記試験の合格通知と次回面接の案内が郵送で届く。何度も何度も読み返す。よかった、まだ繋がっている、またあの橋を渡れる。またあの場所に立てる、そう、あの夢の舞台で戦えるんだ。
その日、別の会社2社に落ちたことが分かった。関空が残っているからいいとはいえ、不安は募る。何がダメなのか。見た目、表情、話し方、マナー、それともやはり性格。自分の何かが人を不快にさせている、そして自分はそれに気づけていない。
関空の面接を5日後に控えたその日は、ある海運会社の面接があった。ちょうどいい、関空前の調整も兼ねてがんばってみよう、と奮い立たせいつものように大阪に向かう。
いつも通りのコース、大阪のビジネス街もほとんど地図なしで歩けるようになった。あたたかい四月下旬、快晴。白い高層ビルに陽光が強く射してははね返り、道路を埋める車のボディーがまばゆく光る。いつもの街の風景。いや、何かが違うことに気づく。なんだかいつもより風景が暗く見えるのは何故だろう。なにか黒いフィルターごしに見ているような。変だ。そういえば自分の足取りが少しだけ重い。連戦連敗の疲労の影響だろうか。これくらいのスケジュールでそんなことは言っていられない。周りには一日に二、三社、毎日回り続けている友人もたくさんいる。こんなところで力を失くすなんて許されない。またいつもと同じだ。エリートに見えて実は何もできない弱い人間、所詮テストの解答用紙の上でしか強さを証明できない人間になってしまう。前を向こう。勝ちにいこう。何度も何度も心の中で繰り返す。
西梅田にあるオフィス、ここに来るのは今日で三回目。説明会&筆記試験、一次面接、そして今日の二次面接。この面接を通過すれば次はおそらく最終面接、ゴールが見えてくる。控え室に入ると他の学生は2人だけ。前回たくさんの学生でごった返していたのとは大違い。だいぶ絞られてきたようだ。ここまで残ったことに少しだけ自信が出てきた。
ほどなく面接会場に通される。個人面接、相手は2人、おそらく中堅社員。
「それじゃあ自己PRを一分で・・・」
もう何度となく繰り返してきた一分バージョン。
「はい、わ、私のと、特徴としましては・・・・・・あの・・・、まず物事に対する情熱をつ、常に持っており・・・・・・、あの・・・・・・、例えば・・・」
言葉が続かない。なぜだろう?就活ノートに書いて、いつも移動中に繰り返し見ていて、暗誦もできるほどの自己PRなのに。なぜ?前の面接では普通に言えたのに。なぜだろう?家で練習したら十回に九回は58秒でぴったり合わせられたのに。言葉が震える。
面接官が「どうしてこんなのが一次面接通ったの?」というような顔をしているのが分かる。
「大丈夫ですか?次の質問にいきましょうか。」
落ちつけ。まだ最初の質問だ。そうだ、ここは落ちてもいいから、せめて明日につながるプレーを。
「あなたの性格のよいところはなんですか?」
「わ、私には自分と全くちがう個性をもった友人がたくさんいます。・・・私は自分にないものを持っている人に対して、ねたんだり否定したりするのではなく、そこから学び、様々な個性を楽しむ心を持っています・・・。そのためには・・・」
大丈夫、少し落ちついてきた。まだいける。諦めるな。
「では次にあなたの性格の欠点はどこだと思いますか?」
「い、言い出したら聞かないところです。」
言葉を発してしまってから焦る。違う。そんなのシナリオに入ってない。自分の欠点を聞かれたときのマニュアルは、
①あまりにひどい欠点は言わない
②その会社での仕事にさほど影響しない欠点を言う(例えば営業職で「人見知りです」なんて言わない)
③必ず欠点の改善策などを添えて、克服に努力している謙虚な姿勢をアピールする。
熟知して回答を用意していたはずなのに、これはいくらなんでもひどすぎる。
「例えばどういうことですか?」
「例えば・・・・・・あの、自分がやると決めたら、反対されてもゆずらなくて・・・・・・、あの・・・・・・・やり通してしまって・・・それで・・・」
もう無茶苦茶だった。
きっと疲れているんだ。それで咄嗟に頭の中にあったことが出てしまったんだ。帰りの電車の中、あまりにひどい今日の面接を振り返る。決して難しい質問はなかった。どれも1回以上答えたことがあるし、ノートに答えを書き出している質問だった。それなのにあの時、自分の欠点を聞かれたら。まるで自らを罰し、懺悔するかのように吐露してしまった。まるで自分の思いだけでこの会社を受けていることが罪であるかのように。あんな言い方をすれば終わってしまうことは分かり切っていた。それでもあの瞬間、なぜかそんなことは考えられなかった。あふれだす自分への叱責が言葉になったかのようだった。
それでも歩みは止められない。翌日は例の信託銀行のOBに会う日だった。「社会人の先輩として、就活のお役にたてれば、是非一度当行に来てほしい、選考とか堅苦しいことは考えないでいろいろお話がしたい・・・」そんなことを言ってきた。是非来てほしいというからには悪いようにはしないだろう、
電話で指示された通り、なんば駅からすぐの。店舗が入っているビルの裏の方回ると一人の男性社員が待っていた。裏口から中に通され、二階に上がる。かなり広い部屋に案内される。中には机と椅子が六ヶ所にセットされていて、そこのいくつかで社員と学生が話している。通りすぎながら、妙に学生の顔が青ざめているような気がした。
空いている席に案内される。やがて背の高い冷ややかな顔をした三十代前半とおぼしき男性が現れた。完全に面接ムード。あの電話はただ呼び出すこと目的だったのか。状況が違うかもしれないと思った時は手遅れだった。
話が始まったが、完全に面接だった。電話の流れからか、さすがに志望動機は聞いてこないが、大学での生活とか現在までの就活の状況について質問される。とりあえずあたりさわりのない解答でやり過ごす。
最初から妙に雰囲気が悪いと思っていた。学生時代に力を入れたこと、今までの失敗談。答えるたびに否定的なことを言われた。
そして、今までの就職活動の状況、受けた業界や内定の状況に質問が及んだ。
「え、まだ内定一つもないの?それは問題なんじゃない?自分のどこに問題があると思っているの?」
「は、はい。今までは自分の憧れというか好きという気持ちが先行して、受ける会社を選んでいましたので、もっと視野を広げて・・・」
「いや、そんなこと聞いていないから。受からないんだよね。自分のどこに問題があると思っているの?」
「そうですね。面接での話し方というか。」
「いやいやいや、違うでしょ。表面的なことだけで何も自分のこと分かっていないんじゃない?学歴だけで受かると思っている?実は思っているでしょ?だから何も考えずにのこのこやってきて、呼ばれたから来ましたけど何か?ってふざけた態度してるんだよね。完全に就活なめてるよね。」
「いえ、そんなに甘いものだとは思っていなくて・・・」
「じゃあ何?何が問題なの?なんで内定ないの?」
「た、たしかに、コミュニケーション能力という点で課題があると思っていまして、そこを直そうかと。」
「じゃあ見せてよ、コミュニケーション能力。直したんでしょ。」
「いや、その急にコミュニケーション能力と言われましても。」
「見せて。さあ見せてよ。どこにも受からなくていいの。」
「いや、ですからそれはやり取りの中で・・・」
「見せてください。ないの?まずいよ。どこも受からないよ。」
「ですからそこは、いろいろな方のアドバイスを聞きながら、自分の課題を解決しながら・・・」
「そんなことは聞いていません。」
会話にならなかった。話そうとするたびに遮られ、罵倒される状況に心が完全に折れていく。あぁ、これが噂にきく圧迫面接というやつか。フリーズした頭の中でぼんやりと考える。そうか、たしか銀行とかでこういうのが多いんだ。
「圧迫面接はあなたのストレス耐性を見るものです。会社に入れば顧客や取引先にひどいことを言われる場面もあります。そういう時でも社会人として、場の空気を壊さず、うまく切りぬける能力が大事になってきます。ですから面接できついことを言われても落ちついて、うまく批判をかわし・・・」
そんなことが書いてあった。あまりにひどい面接で女子学生が号泣したとか、いきなり机を蹴られたとか。そんな記事を見て大げさな話だと思っていたけど、あながち作り話ではないのだろう。
耐えがたい時間は30分ほど続いた。後半は一方的に叱責されるだけで気がついたら、面接は一方的に終わっていた。
帰り際になると、なぜかその男性は突然紳士になっていた。
「今日はお忙しい中どうもありがとうございました。結果は2日以内に電話またはメールで連絡いたします。」ドアの前で深々と礼をして送り出された。
結果?いったい何を言っているのだろう。
駅までどうやって歩いてきたかあまり記憶がない。頭の中でさっきの言葉がリフレインされる。
「どこも受からないよ。」
電車に乗ったあたりから、ようやく怒りがこみあげてきた。
あぁ、嫌だ嫌だ。自分は誠実にやっているつもりだ。誰かを傷つけようともしていない。それなのに、なにか言葉にするたびに、なんでこんなに叩かれなければならないんだ。コミュニケーション能力?こんなに人を傷つけておいて、自分にはコミュニケーション能力があるとでも言いたいのか。それはただ、潰したところで自分に被害がない人間と、そうではない人間の選別ができるというだけだろ。お前は自分に直接関わりのない、がんばっている人間を、徹底的に叩いてストレス発散しているだけじゃないか。きっとSNSでも使って安全な場所から、知らない誰かを叩いて正義感にのぼせあがっているんだろ。そう、力と数の論理だけで、たいして根拠もない「正しさ」を振りかざし、狂ったように弱者を攻撃する。時にはそれが社会的にではなく、真の意味で誰かを抹殺する可能性があるということは考えない。なぜなら自分は痛くもかゆくもないから、そんな想像力を持つ必要すら感じない。大事なことは、決して叩かれる側に行ってはいけないということ。そのためには見ず知らずの誰かの苦しみなど関係ない。そう思っているに違いない。なんでそんな奴が社会の上でのうのうと生きているんだ。
もう嫌だ。ばかばかしい。ふと電車の窓に映った自分の顔が、恐ろしい表情をしていることに気づき、ビクッとする。叩きのめされ、熱を失ったゾンビの抜け殻のようなような顔だった。今までこんな顔をしていた自分がいただろうか。
ふと気がつくと、隣に同じスーツ姿の男性が立っていた。
こちらを窺っていたらしい。目が合うとおもむろに近づいて話しかけてきた。
「いやぁ、さっきのやっぱり激しかったですねぇ。」
思い出したくもないさっきの面接のことか。その時にこの学生がいただろうか。個人面接なので記憶に残ってはいない。
「まあ、ここは圧迫やってくることが分かっていますからね。どうでもいいんですけどねぇ。ところで次の選考へ必ず進む方法あるの知っています?」
話す気になれず黙っていると、彼は慌てたようにつけたした。
「あ、僕はもう別の銀行に内定持っていてそっちにいくんでいいんですよ。ここは圧迫の噂がどれほどのものかちょっと体験しにきただけなんで。」
そんな噂は全く調べていなかった。自分が準備不足だと言われればそれまでなのかもしれない。
「このあと、先方に電話かメールするんですよ。『先ほどは率直に話して頂いてすごく勉強になりました。自分がいかに甘かったか痛感しました。もっとお話を聞かせて頂きたいです。』みたいな感じでね。そうすればよほどのことがない限り次に行けますよ。あとは筆記と個人面接。うちの大学の就活塾でそう言われているので間違いないと思いますよ」
そもそも全く採用する気ない相手にいちいちマウントしかけませんよ。そんなことしてたら評判悪くなっちゃう。呼ばれているのは関関同立以上。とにかくここで言われたこと真に受けて、プライド傷つけられたとか自分の思いがとか眠たいこと言い出したら負け。そういうシステムなんですよ。おとなしく頭下げてたらそれで通過なんですよ。」
真に受けなくてもいいと言われて忘れられるものでもなかった。ぼんやりと彼がしゃべる内容が頭の表面を流れていくのを感じていた。彼がどうやって去っていったかもはっきり覚えていない。
もちろん電話もメールもしなかった翌日、その信託銀行からメールが届いた。次回選考の案内が添付されていた。茫然とする。結局、あれは全て茶番だったのか。しばらく昨日の状況を振り返ってみる。「結局は学歴でなんとかなると思っているんでしょ?就活なめてるよね?」という言葉が頭に響いた。次の瞬間、メールごと「削除」をクリックした。たとえ望まれてもあんな会社に二度と足を踏み入れたくはなかった。そうだ、たとえ受かったとしても、この崇高な戦いにふさわしくない。
もしも受かれば十分に勝ち組だ。分かっている。これが就活なのだろう。何食わぬ顔でまたあそこに出向き、かわいげを見せればそれで社会人へのイニシエーションはOK。おぉ、そうかそうかと相手もいい気分になって選考が進む。そういうシステムだ。そう、分かっている。分かってはいるが自分の中の何かが違うと叫んでいた。
残りの会社は、確実に消えていく。だが、そんな不安に飲み込まれるわけにはいかない。これも全てプレリュードに過ぎなかったと、最後にそう言えればいいじゃないか。
「切り替えよう」何回も何十回も自分に念じてきた言葉。
5月初旬、雨上がりの水曜日。草木の雫を宝石に変えていく朝の光がそこかしこに満ちてくる。関空の一次面接にふさわしい一日のはじまり。あれ以来、面接の悪いイメージは払拭できていない。でもかまわない。他の面接と一緒にするな。今日は死ぬ気で行く。それだけだ。
筆記試験の日と同じ朝の儀式、自分に掛け声をかけて家を出る。あぁ、この感覚・・・。やっぱり違う、この一歩一歩の重さが違う。京橋まで出て、近空行きの快速へ。乗り換え時間ももどかしくてホームをあちこち歩き回る。この朝の風景を隅々まで心に刻むかのように。そして構内放送が響く。
「まもなく1番ホームに、関西空港行き快速電車が6両で到着します。白線の内側までお下がり下さい。」
たかが駅の放送なのに、「関西空港」という単語が耳に入ってきただけで体がびくっと震えるような感覚がする。落ち着かないといけない。今からこんな具合では面接までに疲労してしまう。朝も早かったし、体力を温存しないといけない。
電車の中ではできるだけリラックスするように心がける。環状線から阪和線に入ると一気に加速。車窓にだんだんと高いビルが少なくなり、やがてゲートタワーを横目に電車はスカイゲートブリッジへ。和歌山へむかう本線から分岐し、橋へ入る加速の瞬間、ウォークマンの再生ボタンを押す。晴れた日の浜辺のような雄大で優しい有里知花の歌声がきこえてくる。ここから空港駅までの所要時間は約4分30秒、ちょうど一曲と同じくらい。橋を越え、やがて電車はターミナルに吸いこまれていき、曲が終わると同時に駅へ到着、そして立ち上がる。計算通り。最高のスタート。
面接まではあと90分ある。なぜこんなに早く来たかというと、国際線に乗る時に空港に来るのが出発時間の90分前だからだ。世界へ旅立つ時に90分前なら、今日も90分前。今日が自分にとって世界につながる日だと信じているから。
人から見れば、いちいち馬鹿みたいなルーティン。自分の世界ばかりで、だからダメなんだって言うだろう。いいさ、馬鹿でも。淡々とここに来て面接をするなんて、どうせ自分にはできるはずもないから。
今日ここにきた意味、そのことを確かめるかのようにゆっくりと歩き出す。ターミナルの入り口を通る時、いつものように一礼すると、近くにいたアジア系らしき外国人が怪訝な顔をしていた。これが日本人の習慣だなんて、まさか思わなければいいけど。巨大なターミナルをゆっくり時間をかけて歩く。何のために戦っているのか、最近の就活で失いかけていたその意味が、崇高なこの空間を歩くたびに心に甦る気がする。ターミナルに隣接するショッピングモールにも行ってみる。そこへ行くには動く歩道もあるけれど使うことはない。そう、今日は京橋駅でも一切エスカレーターは使っていない。夢につながるこの道は、自分の足で歩んでいくと決めているから。
モールの本屋で立ち読みする。欲しい本がちょうど出ていたけど、今日は買わない。今日勝って、またここに来られたらその時こそ買おうと心に決める。こんな「心残り」を作っておく癖がついたのは、入院したあの時からかなと思い出す。欲しいと思う本などを買ってもらわないで、とっておく習慣があった。死ねない理由をいっぱい作っておくために。生きたい理由を一つでも多く作っておくために。今日も同じ。絶対生き残る。
10分前に集合場所へ行くとすれば、自由になる時間はあと40分ほどという時刻になっていた。心を落ちつけ、最後の「儀式」をするためターミナル2階のスタバに入る。アイスカフェラテを飲みつつ、スマホに入れているアルバムを開く。イギリスへ行った時の写真。今まで生きてきた自分の軌跡を降り返り、未来への情熱を最大限に呼び覚ますために持ってきた。ゆっくりとページをめくりながら感動の連続だった日々に思いを馳せる。遮るもののない緑の地平線、夜空に刻まれた星の光、そして時空を超えて生きる力でありつづけるかけがえのない出会いの数々。
ウォークマンを取り出し先ほどのアルバムの続きを聴く。穏やかな海、青空に架ける旅路、そんなこの場所によく似合う歌。
So I sing this song for you
And I will walk my long way
But I promise you
I will return to you (有里知花「花」より)
そう、約束しよう。必ずここにまた戻ってくると。十二時四十七分、ターミナル2階での集合時間まであと13分。さあ行こう。
人間というものはあまりに必死だった時の記憶は、あんまり残らないものらしい。二日前のことなのに、自分が何を話したかあまり覚えていない。ただ「失敗した」って思う瞬間は一度もなかった。最後まで堂々とやりぬいた感触だけはある。今日の午後、関空から電話があれば、次に進める。面接は二回だから次が決勝。昼過ぎ、家で電話を待っていたけど、いても立ってもいられなくて、用もないのにキャンパスへ来た。来たところで何も手につかない。購買をうろうろしてもさしあたって買うものもない。それにレジに立った瞬間、電話がきたら困る。パソコンを使おうにも満席。研究室に行ってもこんな状況で知り合いと話したりできるわけがない。図書館に行っても集中して本が読めない。結局図書館のロビーで最新の時刻表をめくってみる。関空発着の国際線をチェックする。ソウル便の機材の一つがA330からB777に大型化されていた。よかった、搭乗率がいいんだ・・・。あぁ、新しい路線が増えている。ウラジオストク便が週2往復、S7航空のオペレーションでスカイクリスタルとコードシェア、機材はA320か。最近減便や運休が相次いでいたからすごく嬉しく感じる。やっぱり関空はすごいな、と思わず笑みがこぼれる。
その時、ポケットの中のスマホが振動する。一瞬パニックになる。手が震える、ポケットの中の携帯をつかむことができない。焦る。ここは図書館の中だ、外に出ないと・・・。人気のない場所に走りながら取り出すと、ただのメール受信だった。開いてみると、
「今なら500ポイントプレゼント!」
絶望と送信者への怒りで涙がこぼれそうになる。力が抜けて座り込む。電話を待っているこの瞬間がいちばんきつい。結果の伝え方にも会社によっていろいろある。合格者のみに電話かメールで連絡。あるいは合否に関わらずメールで連絡。
どこかの会社に落ちる時、合格者のみへの連絡であれば、落ちたっていう事実を瞬間的につきつけられることがなく、徐々に「たぶんもう落ちたな」という感覚が伝わってくる。合否に関わらず連絡の場合は、かすかな期待を持ちつづける切なさがない分、メールを見た瞬間の一発の衝撃がずんとくる。どちらがいいのかは人によって意見も分かれる。一突きで殺されるか、じわじわとなぶり殺されるかの違いだ。だから会社によっても様々なのだろう。
こんな待ちの苦しさが何十回も繰り返されると、刻まれるダメージもかなりのものになってきている。電話が鳴るたびにいちいち飛びあがっていたら身がもたない。もっとドライに、落ちたら次って割り切れたら楽なのに、それもなかなかできないでいる。
カバンを置いたままだった席に戻り、息をつく。かすかに手の震えが残っている。何もできないでじっと時計を見つめる午後二時四十分。果たしてどれほどの可能性が残っているのだろうか。あとどれくらいの時間、希望を持っていられるだろうか。
その瞬間、再びスマホの振動が伝わる。落ちつけ、落ちつけ、落ちつけ・・・。震える手で取り出す。画面に映し出される番号・・・、市外局番を見ただけで分かる、あそこからの電話だって。勝った・・・!
関空最終面接の日。五月雨がずっと同じリズムでアスファルトを叩いている。じめじめとした空気もちょうどいいクールダウンになるかもしれない。これまでの30数社の挫折と悲しみを洗い流すかのような空の恵み。大地に叩きつけられた幾多の思いはいつしか巡り、流れとなり、そしてまたいつかどこかで新しい命として甦るだろう。
結局今日まで内定は一つもなかった。自分の何が悪いのかって、負けるたびに考え、小さな答えを積み上げてきたけど、それでもまだ結果は出ない。そして今日という日。関空最終決戦。これさえ勝てば5ヶ月にわたるこの戦いも最高の形で終わりを迎えられる。最後の力を今日のこの30分の面接のために。
説明会、筆記試験、一次面接・・・、通い慣れてきたルートをたどるのも今日で最後。いつも通り京橋から1150円の切符を買う。就活する学生は大体みんなプリペイドカードを持っている。中には定期券を買っている学生もいるらしい。自分も以前はカードを買っていたが、もう買わない。これから先も続くことを想定していたくないから。この一回で決めるんだという気持ちで一回ずつ、片道ずつ買う。大規模な説明会の時、明らかに同じ目的と思われる学生が駅に集結していることがあった。その時、帰りに駅が混むことを想定して先にチャージしたり、帰りの切符を買っている人たちを見て、これは違うと思った。帰りのことなんて考えなくていい。そう、生きて帰ってこようなんて思わなくていい。刺し違えても戦い抜くんだっていう気持ちでいくべきではないか。たかが面接に何をオーバーな、って失笑されるだろう。でもこれが今まで重ねてきた自分のスタイルだ。
ランウェイで死ねたらそれでいい。
胸の高鳴りは最初に関空に来た時と変わっていない。ここまできたらコンディションなんて関係ない。快速列車は今日も心地よく加速する。岸和田を過ぎたあたり。右側の車窓に高い山が見えなくなる。海が近い。
ゲートタワーは今日も凛と立ち、迎えてくれる。湾岸の空、雲の切れ間を光が貫き、空港島はまるでスポットライトを当てられたかのように光り輝いている。その光に吸い寄せられるように、ランウェイをロンドンにむかう白いB787が滑り出すのが見える。美しく荘厳な飛翔の物語のはじまり。
前回と同じ90分前の到着。ターミナルには新規就航したウラジオストク便のポスターがあちこちに貼られている。ポスターを見つめ、「おめでとう」とつぶやく。そして前回と同じ儀式、最後は関空戦のイメージソングで集中力を高める。
最終面接、相手はかなりの幹部社員と思われる5人。対して学生は3人。その中の一人は北海道から飛行機で来たという。説明会から数えれば今日で4回目、交通費は出ていないから大変だろうに。それでも来るという情熱は心からリスペクトできる。だからといって今日だけは負けられない。最後の戦いが始まる。
「関空の情報をどのようにして集められましたか?」
「オフィシャルサイトのプレスリリースのほか、航空関連の雑誌、時刻表は毎月大体見ています。また最近出た○○出版の『空港民営化の行方』、あるいは××ブックスの『アジアの航空新時代―生き残るハブ空港の条件―』などにも目を通し・・・」
悪くない流れだ。就活のための付け焼刃の情報収集じゃない、本当に好きで自然と身につけてきた情報だから。
「かなり熱心に勉強されたようですね。その中でどのようなことを思いましたか。」
「関空は、3500メートル・4000メートルというパラレルの滑走路を持ち、完全24時間運用という国内では圧倒的なプレゼンスがあります。Fedexが北大西洋ハブと位置付けていることからも分かるように、空港機能・利便性とも高いポテンシャルを持っています。しかしアジアでは今世紀に入り、KLIA、仁川、上海浦東、そして北京新首都と4000メートル級の滑走路を複数持つ空港の建設が相次いでいます。これらの空港は豊富な用地、着陸料の安さなど多くの魅力を持っています。その中で関空がアジアのハブとしての確固たる位置を確立するためには飛行機だけにとらわれず、空港の価値を高めていく必要があります。例えばイギリスのBAAは空港内のショッピングモールである「エアモール」の経営で成功を収めていますが、間空でも・・・」
ただ間空が好きで好きで、というのではなく、時には問題点も指摘できるように。マニアックな知識をひけらかすだけに終わらないように。一言ずつ最大限集中して、慎重に言葉を紡ぎながら、それでもテンポは崩さないように話す。なんとか「よく研究している」っていう印象を持たせることができればいいのだが。
面接がはじまって20分くらい過ぎただろうか。おそらくあと質問は一つか二つ。なんとかいい流れでフィニッシュしたい。
「池谷さんはエントリーシートの志望動機のところに「世界をつなぐ仕事がしたい」というようなことを書かれていますけど、それだったらうちでなくても、例えば旅行会社とかでもいいんじゃないですか?」
「・・・・・・」
一瞬頭がフリーズする。こんな質問がないわけじゃないっていうのは分かっている。持ちこたえなければいけない。
「はい、確かに旅行会社も魅力を感じています。ただ、人々に旅行を通して新たな体験を提供していくためには、まずインフラとしてネットワークが整備されていることが重要と考えまして・・・、」
大丈夫だ。いける。あともう少し。
ぐったりと背もたれに体を預ける。帰りの電車は早くもスカイゲートブリッジを越え、大きく左にカーブする。午前中は時折光の差していたはずの空が、今は少し重苦しく見える。危なかった質問はあれだけだった。それもなんとかつなげた。ほかの質問はちゃんと答えられた。もう後は電話を待つだけ。もうできることは何もない。今は少しだけ休もう。
二日後。採用なら今日電話がかかってくる。
長い一日、そうあまりに長い一日だ。そんな長い今日という一日も残りが着実に少なくなっていく。ゆっくりと、でも絶え間なく。起きてから何も手につかないまま午前中が過ぎてゆく。昼の十二時。一日の半分が過ぎる。もしもこのまま何も起こらず短針が一周したら。そう考えると胸が押しつぶされそうになる。あと12時間?いや、実際そんなに残されていない。夜遅くに電話をかけてくるはずはない。就活で電話がかかってくるのは夕方から午後九時頃までが多い。リクルーターなら自宅からかけてくるのだろう、午後11時というのもあった。いや、会社の勤務時間中にかけてくるとしたら午後6時がリミットか。それとも前回の通過の連絡が午後2時41分だったことを考えれば、今回もそのあたりと考えるべきか。いつリミットと考えるべきか推測をめぐらしても、答えは出るはずもない。答えを知っているのは関空だけだ。
もどかしい。ただ目の前のスマホの着信音が鳴るだけ。ただそれだけ。すごくシンプルなことだ。それで全て上手くいく。こうしている一秒後にさえ鳴り出すかもしれない。そうしたら終われる。この長く厳しかった戦いを晴れやかに振り返ることができるだろう。なんて幸せなエンディングだろう。それにはもう自分から何もしなくていい、ただ電話が鳴るだけで手に入る幸せ。あまりに簡単なことだ。長かった、辛かった日々が今日で終わる。いや、もしかしたらあと一秒で終わる。そして続いていくのは夢にまでみた未来。あの夢の舞台で過ごす未来。世界をつなぐ夢の舞台。その場所の一員に。きっとこれからは生きる意味を追い求め、すがりつくことなく生きていこう。自分がこの世界で小さな灯となれるように。さあ、電話が鳴れば、全てはそこから始まる。
そう、これまでだって全てが順調だったわけではない。京大の模試でC判定だったこともある。それでも最後は期待通りの結果を出してきた。今回もきっとそうなのだ。電話が鳴れば、今までの不合格なんて関係ない。最高の結果でエンディングだ。あんなこともあったなと振り返るだけだ。
電話が鳴ったらその後は何をしようかと想像する。もう将来の不安に押し潰されることもない。毎日のような面接への交通費を確保するため、切りつめていた生活も終わりだ。閉店間際のスーパーで値引き品を選ばなくても、今日くらいはコンビニで300円のスイーツを買ってもいいだろう。そうだTSUTAYAに行って、いつものように旧作から探すのではなく、何も気にせずに新作を借りるのもいい。久しぶりの贅沢をしよう。
戦いに集中するため、ずっと連絡を取っていなかった友達にも連絡を取ってみよう。いや、それよりもまず今まで心配ばかりかけてきた両親に感謝を伝えよう。お盆には実家に帰ろう。そうだ、和菓子が好きな母にこの前テレビで紹介していた京都駅の伊勢丹で売っている限定スイーツを買って帰ろう。父には何がいいかな。そして地元に帰ったら、大切な仲間たちに会いたい。強い気持ちで戦えたのは、熱い心を教えてくれたかけがえのない仲間たちのおかげだ。久しぶりに語り合いたい。うまく帰省のタイミングが会えばいいな。
その次は、今までの激戦の地を巡ってみたい。そう、巡礼の旅だ。支えてくれた音楽と一緒に、戦いの果てに散っていた熱い情熱を辿ってみたい。新宿のGlobai Destinations戦、なんばのスカイクリスタル戦、池袋のAtlantis Films戦。どれも人生に刻まれる熱い瞬間だった。
ただそれらは後からでいいだろう。今日はこの後、とにかく自分をほめてあげよう。
次の一秒で鳴れ、ほら・・・、来い・・・、来い・・・、心の中で唱える。3、2、1、Go!スマホはまだ沈黙している。そら、あと一回、たったあと一回鳴ればいいんだ。電話が鳴るだけ。いつもあること。そう、難しいことでもなんでもないじゃないか。今まで就活で何十回も電話を受けてきた。もう一回、たったあと一回でいいんだから・・・。お願い・・・。さあ来い・・・。来てくれ・・・。
大丈夫。まだ時間はある。きっと今頃、関空の人事担当者が電話をかけようとしているところだ。さあ、3、2、1、Go!・・・。行けっ!、鳴れっ!来いっ!・・・
一秒、また一秒、静寂の時間は、しかしとどまることを知らず、ゆるぎない時の流れは確実に夜へと向かう。時折スマホをたしかめる。圏外になっていないか。電池は切れていないか。壊れていないか。何も異常はなかった。ただ、沈黙を守ったままだった。
祈りが悲しみに変わり出したのはいつの頃だろう。夕刻のせわしい街が赤く染まる頃、薄暮の空に鳥たちが翼を広げる頃、そして星たちが光として夜空をめぐる頃。長い長い沈黙を続けるスマホ。
静寂の中に一つの物語が終わる。
ずっとずっと夢見てきた関空、そこで働くはずの自分はもういない。その事実がとてつもなく重くのしかかる。面接では「この会社に入ってやってみたいことは?」と当たり前に聞かれるから、いつも会社に入った未来の自分をイメージしてきた。仕事の後、社屋の屋上でランウェイの果てに沈む夕日を眺め、フライトの行方に思いを馳せる自分の姿。そんな想像の未来も今は幻。好きで好きで、とにかく好きで、フライトスケジュールも、世界中の空港コードも、航空会社の保有機材も、航空用語も自然に覚えて、関空のためなら命を賭けても仕事ができると思って・・・、でもそんなものは関係なかった。
なんだよ、就活なんて・・・。怒りをぶつけようにも心にも体にも力が入らない。夜の部屋、一人きり。内定はない。
人間誰だって、好きなことやっている時が強いに決まっている。能力が足りないなんて思わないし、足りないのなら何だってする。ランウェイの上で命尽きるのなら、それでもいいと思える。何十社、同じようなセリフを重ねて、作られた面接で勝ち抜いた人間と自分、どっちが関空にふさわしいというのか。好きな仕事をする。そして生きる意味を見つける。なぜこんなに果てしなく儚いのだろう。
午後十時、電話が鳴る。こんな時間、ダメだとは分かっていても電話に飛びつく。
父からだった。
「どこか決まったのか?」
「・・・いや、まだ」
「もうすぐ夏休みだろ。いつ帰ってくるんだ?」
「・・・これからまだ受けてみるから。」
「そんなにたくさん受けるからなかなか決まらないんじゃないか。お前なら一つ受ければ受かると思うぞ。」
重すぎる「お前なら受かる」っていう言葉。受からなかった。30数社も。初めて親の意向に応えられない自分、親の期待を裏切り続け、結果を残せないこと、そのことがもうふがいなくて情けなくなって涙がこぼれる。何とかしたい。明らかに矛盾している、自分のやりたいことをやりたいと思っているくせに、親の期待に応えられないと、救いようもなく苦しくなる。
「そんなこといっても倍率が何百倍、何千倍なんだし、1社だけなんて無無理な話だよ。」
倍率が高いということを強調して、自分が間違っていないということを認めてもらいたがる弱さ。
「お前は頭がよすぎるんだ。だから向こうもお前みたいなのがいると、自分が出世できないからって採らないだけだ。だからもうそんなことはやめて・・・」
違う。そんなフォローは苦しくなるだけ。
「そういうのじゃないって。京大でも受かる人は受かっているし。」
「じゃあ一体どうしたいんだ。倍率高くて受からないんだろ」
「・・・だ、だからそれはやり方を変えて、・・・父さんのいうように1社に集中してみて・・・」
かみ合わない会話に父が苛立つのを感じ、動揺する。分かってほしくても上手く伝えられない。結局親に誉めてもらいたくて、認めてほしくて、必死でその言葉を引き出そうとしている。それがもうずっと昔からの癖になっている。
「とにかく夏休みには帰ってきてくれ。ほら、そろそろ検査するタイミングだろ。社会人になったら、長い休みも少なくなるから、今のうちにやっておけば安心だ。」
今の心身の状況での検査入院。何本もの注射、局所麻酔をしても消せはしない感触。耐えられる気がしない。
「・・・それはもうちょっと待ってほしい。」
「なんでだ?時間はあるだろ?」
「今はまだこれから先が見えていない・・・。そんな状況で検査を受けてもいい結果にならないかもしれない。それよりも未来を見つけて、自分がこれから先、生きていてもいい、自分が生きていても間違いじゃないんだっていうことを証明してから、そう強い気持ちになれてから・・・」
「そうか。そこまで自分の好きなようにやりたいんだったら、もう何も言わない。受けたくなければ受けなくてもいい。ただ、どうなっても、もうこちらではサポートはできない。自分の体のことも含めて自分で責任を持ってやっていくんだぞ。」
「いや、受けないとか言っているんじゃなくて、もう少しタイミングを・・・だから生きる目的を持って・・・」
これから先、生きていくなら、熱くなれる会社を、グッとくる会社を。そう思ってやってきたつもりだった。気がついたら来年からの居場所も家族も失っていた。あまりにあっけない終焉だった。全ては自分のせいだ。結果も出せない。いつまでも自分の思いだけで突っ走っているくせに、認められたいと願う弱い心。もうどうしようもなかった。
昨日から電気もつけていない。ぼんやりと壁を眺めているうちに、やがて少しずつ闇が薄くなり、部屋に白い光が差しこむ。何があっても誰にも平等に朝がくる。
丸一日何も食べていないせいか、少しフラフラする。それとも、昨夜一睡もしなかったせいか。いや、ずっと起きていたのか、少しは意識が飛んでいたのか、よく分からない。食欲は全くないが、とにかく少しのパンとコーヒーを胃に流し込む。頭痛もあるし、まばたきをするたびに目が焼けるように痛い。それでもフラフラとパソコンを開き、かたっぱしから受けられる会社を探す。どこの会社でもいいというわけじゃない。関空への思いにつながっていけるところだ。航空会社の採用はとっくに終わっている。最初に思いつくのは旅行会社。とはいっても旅行会社も留学斡旋業者も、大手はとっくに終わっている。小さくてもいい、世界をつなぐ夢を、あのフライトを、あの感動を。そうだ、関空発着のツアーを企画できる会社なら・・・。新卒向け就活サイトには旅行会社はもうあまり載っていないから、こうなったら検索エンジンで。フォームに「旅行会社 採用情報」と入力、検索してみる。なかなかめぼしいのがない。次に「採用情報」を「人材募集」に変えてみる。次は「求人情報」に変えて。その次は「リクルート情報」で。今度は「旅行会社」を「海外旅行」に変えて検索、次は「ツアー」で、それでダメなら今度は「ホームステイ」、「海外生活」、「語学留学」、「海外ボランティア」。
そうして何時間もひたすら必死で検索エンジンと格闘していた。もう周りも何も見えていない。ただかすかな可能性にすがりつき、敗北の辛さを覆い隠すために今から戦える夢を探す。そうしないと自分が保てない。ただただ自分が間違っていないことを証明するため、内定という証を求める。今まで知らなかった、隠れたすごい企業を探し出して、大逆転するしかない。とにかく微かな可能性があれば履歴書を送り、とりあえずでも「結果待ち」という状況を作る。今まで何ヶ月間もそういう状況だったから、せめて結果を待つという状態にしないと自分が保てなかった。
そこからはもう下り坂を転げ落ちながら、小さな希望に一瞬しがみついては引き裂かれるような日々だった。焦って焦って、もう何をしていいのか分からない。小さな旅行会社は履歴書を送ってみても返事はない。ある留学斡旋業者に問い合わせてみても、「申し訳ありませんが新卒は採りません」であっけなく終了。この時期に内定がなくて焦っている新卒なんて、企業からしたら魅力も何もない。今までは当たり前だった面接に行くことさえ、もはやできない。
もうボロボロだ。次は関空にリムジンバスを出しているバス会社、その次は関空の近くにあるホテル。そのうち志望動機なんて分からなくなる。関空から世界に旅立つ人のためになるなら。そこに関空があるなら。とにかく関空だ・・・。そんなことで受かるはずもない。けれど他の志望動機、これまで落ちた三十七社よりももっと説得力のある志望動機を語ることなんて今の自分には到底出来ない。気がつけば未来は果てしなく遠くなっていく。誰とも会いたくない。ただ昼も夜も関係なくパソコンと向かい合うだけの日々。
関空戦が終わってから半月ほど経ったある日だった。いつものように近所のスーパーへの道を自転車で走る。心と裏腹に天気だけはいい。でもそんな空を見上げる気は少しも起こらない。4年間通いなれた道、歩道のない狭い道を走っていると、前から車がやってくるのが見える。次の瞬間、恐ろしい考えがよぎる。「今、車のほうに飛び出したらどうなるだろう?」って。
まさか、自分がそんなこと考えるはずがない。その車とすれ違うと、すぐにまたもう一台やってくる。背筋に冷たい汗が流れる。ハンドルを握る手が自分の意識を離れたかのように硬直する。「今、飛びこんだら・・・」ほんの一メートルでも道の真ん中の方に行けば。車は当たり前のようにどんどん近づいてくる。破滅に向かう考えが頭から離れない。今さら生きている理由がないなんて、たかが会社に落ちただけだろ、って言い聞かせても。
筆記試験までは何の問題ないのに面接で相手にされない人間、つまり人にいい印象を持たれない人間、社会人としてやっていけない人間、必要とされない人間、生きていてもしょうがない人間・・・。そんな言葉ばかりが次々と思い浮かび、悪い想像の連鎖がとどまることなく、闇へと引きこんでゆく。このまま永遠に面接で受からなければ、いずれは当たり前のようにそこにあった暮らしもなくなるだろう。衣食住もいつまで確保できるか分からない。国民皆保険とはいっても、やはり経済力だ。今までは親が提供してくれた最高の医療もままならなくなる。最後は何もできず、誰からも受け入れられず、どこかのガード下で、誰にも気づかれることなく、心臓発作で一人苦しみながら息絶える。そんな自分の姿が浮かぶ。今まで育ててもらったのに、今までがんばってきたのに、未来は続いていると信じていたのに、なんて情けないんだ。もう消えてしまいたい。もういいじゃないか。
そうして車が近づくたびに冷や冷やするような感覚が何度も繰り返される。このままでは闇に食われる。気持ちが変な方向に行かないように、面接なんてただの技術の問題で、面接に通らなくても生きている人は世界中にいくらでもいて、悪いのはむしろ今の日本の経済で、今の日本の新卒採用のやり方で、って自分に何度も何度も言い聞かせ続けながら、やっとの思いで家に帰り着く。そのままベッドにもぐりこみ、ひたすら眠った。
そんな日々の中でも、ようやく面接までこぎつけた会社があった。海外旅行やホームステイを扱う大阪の会社。今の自分に果たしてどんな面接ができるのか分からないけど、それでも行くしかない。ピーク時はほぼ毎日、一日に二つの面接をこなす日も多かったのに、今となっては嵐が過ぎ去ったかのように何もない。この面接が関空以来になる。
電車に乗ると少し心が痛む。あの日もこの電車で決戦のピッチに向かったな、この風景を見ながらあの歌を聴いて。しおしおしていてもしょうがない。感傷的になっている場合じゃない。
控室に案内されると、学生の数は少なかった。もうこんな時期だ。かつての活気もない。それにこの時期まで就活しているくらいだから、はっきり言って「できる奴」っていう感じの学生はいなかった。誰もが面接に落ちそうな雰囲気を漂わせている。つまりは自分もそういうタイプなのだろう。
面接が始まる。ずっと繰り返してきたことだけに、今さら質問に焦ることもない。まずは一分間自己PR。自己PRも何度か修正したりしてきたから、これが四代目のバージョンになる。それから学生時代に力を入れたこと、今までの面接でいちばん受けのよかったと思われるエピソードを話す。姿勢はしっかり腕は膝の上、話す時間の約六割から七割、相手の目を見るように。今では慣れてきて、細かいところまでしっかり注意できるようになった。
気になるのは三人いる面接官の一人が、さっきから提出した書類をしきりに見て首をかしげていることだ。
不安はやはり現実のものになった。
「ところでなんで京大の君がこんな会社受けに来てるの?」
「こんな会社」って・・・。今まで受けたことのない質問に戸惑う。
「だ、大学がどうのこうのではなく、自分のしたい仕事をしたいと思いまして」
「というか京大の君が今まで内定ないのはどういうこと?」
特に圧迫面接のパフォーマンスというわけでもない。ただの不信感で聞いている。
「その・・・、私には・・・自分のしたいことをしたいっていう情熱は絶対に捨てられずにあるんですけど・・・、その一方で認められないと・・・、親とか周りに評価されてないと・・・強くなれないというか、だから面接でも、どうしても「あぁ、また自分は間違っているのかもしれない」っていつも手探りで・・・、強くいけないで・・・、きつく言われるとその場で悩んだりして・・・それで自分が正しいっていう証がほしくて・・・」
もう話にならない。惰性で最初はうまくいったように見えても、もう自分は壊れていた。まともな面接ができない。面接官の喜ぶ答えなど何万光年遠くにあるようだ。
そんなに長い面接ではなかったけど、終わってみればぐったりと疲れている。今すぐ窮屈なスーツを脱いで部屋でぐったりしたいっていうささやかな願いも叶わない。
地下鉄を乗り換え京橋へ。京阪のホームに向かってコンコースを歩いていた時だった。ふと横の壁に目がいく。大きなポスターが壁に連続して貼られている。一面の青い空、その中を一筋の飛行機雲が颯爽と軌跡を描き、その先端に太陽の光を受けて銀色に輝く機体が見える。下の方は街の風景になっていて、特徴的なテレビ塔でそこが上海だと分かる。
それだけ見て何のポスターか分かるのが先だったか、それともそこに書かれている文字が目に入ってしまうのが先だったか。
「関空から中国へ 北京・上海へ毎日運行!広州線増便決定!」
スカイクリスタルエアラインズのそのポスターを見た瞬間、体が固まる。
「あ・・・、あうっ・・・」
憧れの空の風景が目の前に広がる。もう届かない空。少し前だったら増便していて嬉しいと素直に思っていたはずなのに。
「う、ううっ・・・」
見てられない、見てられないのに動くことができない。そう、この空、この空だった。関空から飛び立つ空、あんなにも、あんなにも戦ったはずなのに。涙が滲み出る。頭の中でブリザードが吹き荒れているようだ。足ががくがく震える。そのままその場に座り込み泣き崩れる。
「ううぅ・・・。うっ、うぐっ・・・、ひぐっ・・・」
しばらくして駅員がやってきて声をかけられる。
「どうされました?大丈夫ですか?」
「・・・す、すいません・・・。何でもないです・・・。大丈夫です・・・」
何とか立ち上がり、逃げるようにその場を離れる。トイレにかけ込み、個室の中でなんとか涙を止めようと努力するが無理だった。とめどなく涙があふれて止まらない。いっそ、このまま枯れ果ててしまえばいいのに。
30分後、ようやく落ち着いて電車に向かうところで、突然声をかけられた。
「あ、お兄さん。久しぶり。」
エリナだった。こちらは一目見ただけで忘れないが、一時間いただけの貧乏学生の顔がなぜ記憶にあるのだろうか。それこそがプロのたしなみなのか。
「疲れてるねぇ。まだがんばってるんだ。」
「はい、まぁ」
とても見せられる顔じゃない。そそくさと離れようとする。
「今から面接?」
「いえ、もう終わりました。」
「どうだった?」
「ダメです。もうボロボロです。」
「そうだろねぇ。そうだ、せっかくだからお姉さんがランチおごってあげるよ。」
普通の状況であれば、とんでもない僥倖だろう。
同伴というものだったら、かなりの出費になるかもしれない。
「エリナさんは予定大丈夫なんですか?」
「とりあえず終わったよ。小顔矯正にパーソナルトレーニング。けっこう昼間も忙しいのよ。」
やはりプロ意識が高い。それ以上顔を小さくする必要など皆無に見えるが、努力を続ける者だけが辿りつく高みがあるに違いない。
夕方からの同伴が料亭で待ち合わせだからお昼は違うものがいいということで、京橋駅から歩いて数分、オフィス街の裏通りのイタリアンに連れていかれた。ビルの隙間に忽然と白亜の邸宅のような佇まい。看板はひっそりと小さく、注意してみないと気づかない。ランチとはいえ、学生が行くような雰囲気ではなく、少し落ち着かない。
「うまくいってないみたいねぇ、就活。」
この時期にスーツを着てうろうろしている時点で、バレバレ。まして明らかに泣いていた顔を見られている。
「内定もないし、家族からも愛想をつかされそうです。でも誰も分かってくれなくても一人で道を切り開いてゆくという強さもない。夢もほしい、評価もほしいっていう自分の弱さとわがままがこんな結果になったんだと思います。」
「へぇ。なかなか、ちゃんと自己分析できているじゃない。そういう時もあるよ。いつも勝ち続ける人なんていない。」
この程度の苦境など珍しくないのか。いや単に自分がどうなろうとエリナにとってどうでもいいだけなのか。平然と前菜の生ハムと野菜を口に運んでいる。いい食べっぷりだった。
「エリナさんは、なんで今の仕事選んだんですか。」
あまり聞かない方がいい質問だとは思いつつも、つい口に出していた。
「私、こう見えて前の職は銀行員なんだ。」
「えっ・・・」
「うそじゃないよ。でもまぁ、そういう反応になるよね。」
メイクや髪色次第では、銀行員に見えなくもないかもしれない、と想像してみるがやはり難しい。しかも聞いてみると、かなりの大手だった。
「なんで、そんな大きなところを辞めることに?」
「大きくても小さくても変わらないよ。日々、目標という名のノルマと納期に追われて、罵倒されながらなんとか問題を起こさず、数字の辻褄を合わせることだけに必死の日々。このままいてもいずれは心か体が壊れることが見えていたからね。3年で辞めた。」
「離職率も低くて、しっかりしたところというイメージが合ったんですけど。」
例の圧迫面接の前に、少しだけ業界を調べていた。規模は言うまでもなく、平均在職年数、平均年収ともに非の打ちどころがなかった。
「有名な会社になると世間体もあるんじゃないかな。辞める人が少ないから大丈夫ってわけじゃないよ。私の印象では、二人に一人くらいは会社生活の中で、一度はメンタルで長い休みを取っている。ただ、体力のない急成長のベンチャーとかじゃないから、いきなりポイはしない。人事部預かりとかになって、復帰プログラムを受けて、窓際の部署で長い余生を送るだけ。ねぇ、復帰プログラムっておもしろいんだよ。最初は朝決まった時間に行って、三十分読書して帰る。その練習から。ちょっとやってみたいよねぇ。しかも、それの専門業者がちゃんとあるんだよ。つまりそれだけニーズがあるってこと。
結局、病んでも辞めるか辞めないかの違いだよ。日本の組織には二種類の人間がいるの。叩く人間と叩かれる人間。叩く側が叩かれる側にまわることもあるけどね。とにかくそうやって適当に見せしめを出して淘汰していくようなシステムになっているわけ。で、残ってがんばっている人は偉いねぇって奮起させて、また次の生贄を探す。離職率なんてあてにならないよ。二年目で店長になれるとかうたっているベンチャーでも、30年勤めて主任という肩書がつく老舗でも根本は変わらない。いくら福利厚生やコンプライアンスや働き方改革って言ってみても、結局はどの会社も生き残るために必死なの。少ない人件費で多くの成果を出させたいのが本音だよ。自分の足で立ち、自分の頭で考えて動かないと、組織に搾取されて捨てられるだけ。」
深刻な話をしているようで、エリナは涼しいとメインの肉料理をどんどん食べ進めていく。
「自分や家族の生活を守るため社会から弾かれないように、必死に生きる毎日。気がついたら夢なんて言葉は引き出しのいちばん奥にあって見えなくなっていた。」
そして、ふと思い出したようにつぶやく。
「病んでも辞めなくていいだけの未来を、私たちは未来と呼ばない。一緒の時期に辞めた同期と、よくそう言っていたな。」
「でも、今の仕事に入る決断って・・・」
「そうね。会社にいてもどうせ人間関係で悩むなら、分かりやすく競争社会に行ってもいいのかなって。自分の夢への最短コースと思って飛び込んだけど失ったものもたくさんあった。今までの人間関係とかね。友達は9割いなくなった。でも・・・」
悲しい思い出を話している感じはない。エリナは楽しそうだった。
「でも、本当に自分がなくしたくないもの、大切にしてきたものはそう簡単にはなくならない。一回全部リセットしてよかったかもしれない。そこからまた本当に大事なものだけ積み上げていける。」
エリナはそれから、スマホで自分のinstagramを開いて見せてくれた。たしかに「元銀行員ノンアルキャバ嬢」という紹介がついている。
「これは先月、北海道に行ってきた写真。」
小樽の運河沿いのようだ。友達と楽しそうに映っている。
「高校の時からの親友。みんなバラバラだけど、一年に一回は必ず予定を合わせて旅行に行くんだ。それから、こんなのはどう。」
周りを竹やぶに囲まれた露天風呂のようだった。ぼんやりとした灯篭の灯りの中、バスタオルを巻いたエリナがほほ笑んでいる、相変わらずどうしたら、このギリギリが狙えるのだろう。どうしても胸元に目がいってしまう。
「これは、お母さんと温泉旅行。」
湯船の向こうで、誰かがバイオリンを弾いている。どう見ても超高級宿に違いない。
「すごいですねぇ・・・。」
もはや感想が意味不明だ。
「これ、部屋に付いているお風呂なんだよ。」
「えっ、まさか・・・」
普通に大浴場といっても何も遜色ない広さだった。この周りの風情ある竹やぶも、ライトアップもバイオリン演奏まで。あまりに遠い世界の話に見えた。
「今は何があっても、私が家族の生活を守れる。それにこうやって旅行もプレゼントできる。だから、私はこの仕事をしていることを後悔していない。」
「でも仕事、嫌なこともあるんじゃ・・・」
「もちろん演じないといけないことはたくさんある。」
「それは自分を捨ててでもということですか?」
「そうかもしれないね。ありのままの自分も自分。でも演じると決めた自分も、それが自分の意思ならどうなのかな?笑顔を届けて誰かを幸せにする、演じたい自分の姿に向かって真摯に努力して、誇りを持ってやっていれば、それもまた自分なのかなって気はする。」
ありのままの自分も自分、演じると決めた自分も自分。そこに意思があるなら。
「君は今、全てを失ったと思っている。でも、大切なものはきっと消えない。これから一つずつ見つければいいんだよ。ずっとエリートで、なかなか不敗神話から抜け出せなかったんでしょ。それって苦しかったと思うよ。」
人生で22年間、不合格というものはなかった。いや、たった一度だけ、高校3年生の時、毎週月曜日に行われる小テストで不合格だったことがある。その前の週末、部活の全国大会で遠征していて、さすがに対策ができていなかった。その時のショックは今でも鮮明に覚えている。そんな自分がここ数カ月で、不合格40連発したのだ。もう感覚が完全に麻痺している。
「ねぇ、「葉っぱ隊」知ってる?やっぱり知らないの。これだから勉強ばかりしてきたエリートは・・・って言われるの嫌いでしょ。今ムスッとしたね、ほら。うそよ。世代的に知らなくて当然だから気にしないで。とにかく今の君にぴったりだと思うよ。帰りにTSUTAYAでも寄ってDVD探してね。AVばかり見てないで・・・って、ほらまたすぐ動揺する。」
「葉っぱ一枚あればいい~生きているからラッキーだ~」
その夜観たDVDよりもエリナが口ずさんでくれた歌声が、ずっとずっとよかった。
「君にはいいところもたくさんあるから大丈夫だよ。まず職業で人を差別したりしないしね。
君は無理に合わせ過ぎない方がいいと思う。それだと、どうせうまくいかない。それよりもっと自分を出してもいいと思う。ただ、やるにしても自分の殻からちょっとだけ顔を出して、分かってください、認めてくださいっていうのじゃダメ。自信を持って伝える努力をすること。それから相手の話を理解しようとする姿勢を持つこと。そして今は、大切な親や友達とたくさん話すこと。いい?わかった?」
分かりました。いつかちゃんと就職できたら、またエリナさんのお店に行ってみたい。そう、伝えると、
「そう。じゃそれまで続けるわ。でも高いよ。まあ初任給は親のために何か買ってあげるでしょ。だから二ヶ月目の給料がなくなる気でいてね。」
久しぶりに少し笑ったせいなのか、顔の筋肉がうまく動かない感覚があった。固まっていた顔面が少しだけほぐれたようだ。
ドルチェも終わりにさしかかって、そろそろ席を立とうかという頃にスマホが鳴った。関空戦のショックから立ち直れず、しばらく連絡を取っていなかったセツナだった。LINEにしては長い文章。食い入るように読んでしまう。
「元気にしてる?私は最後まで受けていた会社もダメだった。実は来年、オーストラリアに一年行こうかと思っている。受けていた留学斡旋業者が、語学研修しながら現地で日本人のサポートをするプログラムを用意してくれていて、一年後に留学カウンセラーとして採用される道があるらしいんだ。
このまま日本にいて妥協して、既存の価値観の中で小さく生きていくよりも、いつだって夢に向かって飛び立てる心を持っていたい。」
「ねぇ、ずいぶん真剣じゃない?彼女ほったらかしててフラれたのかな?」
エリナの声にハッと我に返る。
「違いますよ。就活で出会った友達です。彼女もうまくいかなかったみたい。」
「女の子なのね。見せて見せて。」
爪の先まで一点の隙もない、エリナの白い腕が伸びてくる。言われるがままにスマホを渡してしまう。
「なるほどなるほど・・・。ねぇ、私が返信考えてあげる。」
「えっ、それはちょっと。」
「大丈夫。悪いようにしないから。女心をつかむテクニックなら任せてよ。」
「いや、女心をつかむ前に、励ましを。」
「いいからいいから。ちょっと待って。」
こなれた指づかいで、どんどん文章を打っていっている。不安はあったが、もう無理に止めることもできない。
「はい、送信と。」
「えぇっ、送っちゃったんですか。」
「うん、さ、そろそろ行こう。あ、まだ見ちゃダメ。帰りの電車のお楽しみで。」
言われるがままに戻ってきたスマホをポケットにしまい、席を立つ。
「分かった?とにかく一人で追いこまないこと。ちゃんと親や親友と連絡取るのよ。じゃあねー。」
そう念を押すと、エリナは軽やかに雑踏に消えていった。
帰りの京阪電車のホームに向かいながら、さっきのトークを開いてみる。エリナが打った返信もやはりかなりの長文だった。
「うわーっ、一年後に採用とかって、それ絶対だまされてるやつじゃん。ってか、何が飛び立てる心だよ?日本でうまくいかないのに、とりあえず海外でやってきましたって痛いやつだよね。痛たたたっ。甘すぎるでしょ。どこにいったってダメなものはダメ、自己満足で一年間ムダに過ごすだけだよー。」
茫然と立ちすくむ。「既読」はついていた。返信は来なかった。
街路樹から降りそそぐ落葉の褪せた黄色が通りを染める。気がつけば秋ももう終わり。冬の足音がたしかに近づいている晩秋のある日曜日。日も短くなり、そろそろライトをつけている車もいる。
アパートの前の北山通りで、親友の大西英明の車を待っている。もう受けられる会社は残っていなかった。悪あがきはやめて、身の振り方を決断をしなければならない時期だった。ふと、エリナのアドバイスを思い出し、大事な友と一度、連絡を取っておこうと思い、今日の午後メールしてみたのだった。
特に何かを期待していたつもりはない。ただ近況を尋ね、自分は来年からどうしようかなと、あまり深刻な文章にならないように気をつけながら書いたつもりだった。
すぐに、これから行くと返信が来た。それが二時間前の話。
現在、英明が住んでいるのは兵庫県の西宮。同じ舞田高校、部活で出会った友だった。切磋琢磨といえば聞こえはいいが、それよりも一緒にバカなことをやってきた思い出の方がはるかに多い。思い出すだけで幸せがこみあげてくる懐かしい日々。
同じ部活の仲の良い友達で関西圏に住んでいるのは、英明と自分なので、大学進学後も時々は、関西部会と称して互いの街を行き来し、朝まで語り明かした。帰省の時期は、ムーンライト祭りと称して、休みの期間だけ関西と山陰を往復している臨時夜行列車の中で語り明かした。話尽きることなく、だんだんと声が大きくなるので、車掌に注意されたことは言うまでもない。
冬休みに会って以来なので十カ月ぶり。就活に入ってから連絡をしなくなっていた。それまでは月一程度でお互い行き来していた。英明からの連絡は時々あった。返信すらしなくなったのはいつからだろう。スカイクリスタル戦の敗北の頃からだったか。今のみっともない自分では会う資格はない。もう少したらきっと結果が出る。そうしたら晴れやかな気持ちで再会しようと心に決めて今に至る。こちらの都合で疎遠にしていた手前、どんな感じで迎えればいいか、少し緊張する。
そもそも、誰かと話をするのが久しぶりな気がする。ずっと孤独な生活だったわけだ。セツナにも、あれ以来連絡を取っていない。事情を説明したところで、第3者にスマホを渡して、結果的にあんなメッセージを送ったという事実は消えない。
もうセツナに会うことはないだろう。そんなことを考えていると、ウィンカーを出して、目の前にヴィッツが滑り込んできた。英明の車だった。
「よぉ、久しぶり」
何も変わらない。懐かしさというか安心感というか、あたたかい気持が体を満たしていくのが分かる。地元から遠く離れたこの街で、青春の熱い心を分かち合った友に会える。奇跡のようにさえ思えてくる。
近所のお好み焼き屋で夕食を済ませ。同じ建物に入っているカラオケ屋へ。地元では、大手チェーンのカラオケ店はもちろんなかった。かつては、空き地に貨物列車のコンテナを並べたカラオケ店もあったが、さすがに今はなくなり、駅前に何店かカラオケの看板を出している店がある程度。ただ、スナックとの境界が曖昧なので、間違って迷い込むと話がややこしくなる。そんな思い出がとめどなく尽きない。
男2人で入っている時点で、もう何も気にすることはない。周りの雰囲気だの、今のトレンドだのは度外視。ひたすらお互いに好きな歌を熱唱する。時々、この曲を聴いて面接に向かったなと感傷的になることもあるが、勢いで吹き飛ばす。2時間が気がつけば4時間、締めは2人で「サライ」を熱唱した。
気がつけば日付が変わっていた。今から西宮に帰ると午前二時はまわるだろう。申し訳なかったな、おかげで元気になった、そう伝えようとすると、
「明日、予定ないんじゃろ、ちょっと走ろうや。」
深夜のドライブ。南禅寺の辺りの狭い道を抜け東へ。だんだんと建物がなくなり、登りの道になる。県境を越えて滋賀県、比叡山を横目に、どんどん闇の中を進む。一瞬、山頂の星野リゾートの灯りが視界に入ったが、それ以外は果てしない漆黒の空だった。
さすがにこの時間、ドライブインに他の車はいなかった。自動販売機の灯りだけがぽつんと佇んでいる。
ふと、何かを思い出しそうな感覚にとらわれる。どこかで見たような感覚。駐車場の端の木々の隙間から、覗き込んだ時に分かった。そこに広がっていたのは大津市の夜景だった。真っ暗な琵琶湖の形を取り囲むように、光の粒が瞬く。あぁ、これだった・・・。小さな灯の連なり。今日も変わらず巡る営み。懐かしい光だった。。
十一月の夜風、しかもここは山の上。それでも何かがぼんやりと荒んだ心を温める感覚がある。
「来年からどうするん?」
さすがに寒くなってきたので、熱い缶コーヒーを手に車内に戻った。
「地元に帰って、働く予定。」
「内定取ったん?」
「いや。取ってないけど、親が仕事、紹介できるって言っとるしね。」
「一也はそれでええんかね?」
英明は来年から高校の教員になる。それもあって、就活で内定を取るか取らないかにはあまり気にしないかなという、希望的観測はあった。
「そりゃ内定取るに越したことはなかったんじゃけどね、ここまでやってもダメじゃったけー。自分は面接向きじゃないろー。」
「向いているとか向いてないじゃないとかじゃなぁろー。自分が納得できてないんなら、いくらでも続ければいいじゃろ。」
自分は納得はしていたのかな?ふと考えてみる。振り返ってみてもなぜか記憶の中に靄がかかったようでよく分からない。
「そうじゃね、そうなんじゃけどね。もう同い年の奴とかでも、ほら朝比奈とか山下とかも、ちゃんと働いとるわけじゃろ。やっぱそういうの見るとすげぇなって思うろー。自分もこのままじゃいけんなって、いつまでも夢とか理想とか言っとらんで、地に足つけて働かしてくれるところでちゃんと働くのが先決かなって・・・」
「それは逃げじゃろ。」
空気が固まるのが分かった。長い沈黙だった。逃げてはいない、とてもそうは言えなかった。親友に嘘をついてしまえば、何を失うかくらいは分かっていた。
「どこで働いたってええんよ、別に大企業じゃのーても。ただ、うちちが見てた一也は、いつも熱い心を持って、時には周りが無理だと思ってたこともやってのけた。離れてても常に熱く生きようって、言っとったじゃろ。一也の心はどうなんちゅう話よ。」
持病のことがあって、もちろん体育会系の部活は禁止されていた。小学校から日本の伝統文化ともいえるその競技を始めて、高校まで続けていた。文化系にカテゴライズされているとはいえ、心は体育会系。いつも熱さを求めていた。段位を取るため、各地で開かれる全国大会を転戦。県代表として出場する団体戦以外は公休にならないから、金曜日の学校が終わった後に九州や四国まで移動し、週末に大会参戦というエクストリームな経験も何度かあった。明日のことなんて考えていられなかった。ただ今日をがむしゃらに、ただ目の前の試合に全力だった。
卒業して離れても心と心とでつながろう、どこで何をやっていてもここで学んだ熱き心を忘れずに、いつか俺たちが世界を変えよう。いつも最後にはそんな話で盛り上がっていた。
病気になっていなければきっと選んでいない道だった。病気になってよかったなんて決して言えない。ただ、それがあってこの仲間と出会えたのだとすれば、もしも生まれ変わって人生を選べるとしても、また同じ道がいいと言える、そんな仲間だった。
どこかに置き忘れてきた思いが少しずつ蘇る。
そんな自分を信じてくれる仲間がいる。いつでも思い出せる情熱がある。
「そろそろ行こうか。」
再び山間のドライブウェイを走りだす。さっきまでの話がなかったかのように、また昔の話が始まる。顧問や競技団体幹部に勝手につけていたあだ名や物まねをプレイバックしていくうちに、笑いが止まらなくなる。
いつでもここに戻れる。戻る場所がある。
京都まで戻ってきた頃、漆黒の闇を溶かすように、東の空が白んでくる。車を止めて、五山の送り火の一つ、松が崎の山の中腹に登ってみる。古都の街並みが少しずつ姿を現す。
この世界に少しずつ光が溢れてくる。ひんやりとした早朝の空気が草木を潤し、そして透き通るような清らかさで、この世界の傷や苦しみを優しく癒す。色とりどりの木々のざわめき、白い靄の中に浮かび上がる街並み、夜明けとともに鳥はさえずり、眼下の通りには通勤だろうか、早くも歩みを進める人々の姿がある。荘厳な夜明けだった。なんて美しい世界に自分は生まれたのだろう。この世界に生きる限り、何度でも夜は明け、新しい一日はやってくる。
まだ動ける体があって、まだ尽きない情熱がある。ならばそれでいい。力の限り生きていけばいい。
「一也ならできるけー。遠慮せずに思いっきりやったらええんよ。」
できるという言葉をプレッシャーに感じていた時期もあった。でも今は違う。一つ一つの言葉が勇気になる。
「英明、今日バイトあるんじゃろ。大丈夫なん?」
「昼からじゃけぇ、今から帰って5時間寝れる。十分じゃ。」
どうしたらこの感謝を伝えられるのだろうかと思う。でもそれは言葉ではない。生き様で伝えるしかないのだろう。
「また、朝比奈と山下も入れて、総会やろーや。絶対やるけーね。」
「おぉ、絶対やろう。」
英明が帰った後、心地よい疲労が体を包み込む。ベッドに入ったら2秒で眠れそうだ。一日の始まりをこんな風に感じたのは、いつ以来だっただろう。
はるか歩いてきた道は
進むほどにただ遠く
振り返るほどにただあたたかく
だから心はやる朝も
傷の痛む夜も
僕らはゆくだろう
信じたキズナを離さないために
果てがないからこそ進む道を
誰も知らない僕らの道を
「そうか、決まらなかったか。」
電話の向こうの川嶋の声は演技ではなく、本当に残念そうに聞こえた。
一応、何も報告なしもまずいだろうと思って、こちらからコンタクトを取ったのだった。
「実は俺も、新卒の時はダメだったんだ。60社受けて全敗だった。」
「えっ・・・」
「意外だったか?」
「えぇ、まあ・・・」
「誰でも人生一回くらいはそんな時もある。俺は卒業後、期間工で京都の自動車メーカーの工場で働いていた。そうしたら二か月くらいで、やたら高学歴の奴がいるって話題になってな、オフィスの方に呼ばれて、しばらくして正社員に登用された。もともといずれは正社員登用試験受けるつもりだったが、だいぶ早まったよ。ま、いい大学出ておけば、どこかで役に立つもんだ。」
とにかく・・・、川嶋が続けた。
「ヤケにならないことだ。新卒一発勝負って言ったかもしれないが、チャンスは必ずやってくる。草木が土の中でじっと春を待つように、たとえ長い冬でも、あきらめずに根っこを伸ばしておくんだ。その日のために最善の道を取り続けることだ。」
今までさんざん偉そうなこと言っておきながら自分だって、と思わず、笑いだしそうになる。
「でも君は期間工ってタイプじゃないな。大学院に進むとか、来年公務員試験を受けるとか、いろいろ選択肢はあるから、とにかく焦らずにやれることをやるんだ。」
やっぱり悪い人じゃないな。
「川嶋さん。」
「ん、なんだ?」
「舞田みたいな超田舎出身って、周りに分かりやすい成功事例もないし、就職がうまくいかない例もあるってお話でしたよね。」
「あぁ。」
「でも僕は、舞田出身でよかったと思っています。どんなにこっちで嫌なことがあっても傷ついても、舞田には嫌な思い出ができない。いつでも楽しい思い出が詰まった帰るべき場所があると思うと、こっちでいくら傷ついても、がんばれる気がするんですよね。」
「そうか、たしかにそうだな。傷つく場所と帰る場所が分離しているっていうのは、田舎の特権だよな。都会に住もうと思えば進学や就職でいくらでもチャンスがあるが、あんな街に住めたのは相当な幸運だと思うよ。なかなか狙ってできるもんじゃない。」
あの街に生まれて、あの仲間と出会って今がある。だから、都会に出て成功しなければならないと自分を追い込む気はもうない。ただ、いつでも帰る場所がある。ならば、進もうと思う。
「いろいろ、ありがとうございました。」
「おいおい、かしこまらないでくれよ。何か俺にできることがあれば、いつでも遠慮するなよ。」
じゃあ、もし就職決まったら、またエリナのいる店に連れて行ってくださいよって言ったら、少しの間があって、川嶋が言った。
「君も変わったな。就活で成長したんじゃないか。それでいいと思うよ。いいもの持っているんだから。縮こまらずに自分を出せよ。少しくらい失敗したっていいんだから。」
45社落ちたら、嫌でも成長しますよ。そう言ったら予想以上に受けたらしく、電話の向こうで川嶋は大笑いしていた。45社なんて甘いよ、俺なんて60社だぞ。そんなところを競ってもどうしようもない。
川嶋のいう通り、いろいろな道があるのだろう。大学の友人を見ても様々だった。文学部らしく順当に、全国紙の新聞社に入ったやつは勝ち組ということになるだろう。初めて名前を聞くような地元のメーカーに就職するやつもいた。半年前であれば「なんのために京大入ったんだよ。」とひそかに思っていたものだった。最初の面接で結果が出ずに早々に離脱したやつもいた。今まで不合格を知らなかった人生、大げさかもしれないが生きていることが不適格という烙印を押されたような気持ちになったのかもしれない。今までテストの名のつくもの、不合格はもちろん平均点以下もありえなかった。いや、一問でも分からない問題があれば不安になったものだ。それを何十回、何百回と繰り返してきて自分を保ってきた。就活戦線から脱落すれば、進む先はフリーターか大学院か。
もちろん研究者としての資質と熱意があればよいのだが、社会に出ることも叶わず、なし崩し的に選択する文系の大学院進学は茨の道だと思う。周りに見える分、就職よりもそちらの方がイメージはあった。文系の院卒は一般企業からはもてはやされないから、京大でなくともどこかの大学か研究施設で講師や助教の口を狙うしかない。しかし供給過多なのは明らかだった。学会誌に論文が掲載されて評価されるようにならなければ、いつまでも研究生やら聴講生というよく分からないポジションで大学に残り、モラトリアムを続けることになる。二十代後半になっても、学生の頃と変わらないアパートに住み、よれよれの服を着て、バイトで生計をつなぐ。そんな現実を目の当たりにして、自分にはできないと感じていた。
冬休みの少し前に実家に帰って、地元の総合病院で検査を受けた。特に変わらず今まで通り経過観察。高ストレスはよくないはずなのに、心臓自体は丈夫らしい。
不謹慎だが、事が済んだ後の入院生活は嫌いではない。局所麻酔の痕は痛むが、三食昼寝付きで、テレビもあるし本もある。そして特に何もしなくてもいい、ぼんやり過ごす一日が贅沢に思える。
ベッドに寝転んで、窓枠に切り取られた四角い空をぼんやり眺める。本格的な冬が到来する少し前のやわらかく澄んだ青空。穏やかな昼下がりだった。
三日前、つまり検査入院の前日、両親と今後のことを話し合った内容を回想する。
卒業して第二新卒扱いになってしまうと、受けられる会社も限られるようだ。だから、あえて卒業せずに留年して、もう一度就活したいと思う。そう伝えた。
「大丈夫なのか。」
「なんだかんだ言って学歴でなんとかなるという甘い考えで突っ込んでいって、最初に失敗してから立て直すこともできず、圧倒されて終わってしまった感じだった。でも一年間やってみて、自分の弱いところ、足りないところも見えてきたし、戦い方も分かってきたと思う。今年と同じようなことにはならない。」
「あと一年、やれる気力はあるのか。」
「ある。」
「そうか。分かった。お前はすぐ自分を追いつめる癖があるから、もっとリラックスしてやりなさい。大丈夫だから。」
思ったよりも簡単に受け入れられて、少し拍子抜けするくらいだった。
「もう一年も迷惑かけて、本当に悪いと思っている。もう授業に出ることはないから、とりあえず面接シーズンまでは、しっかりバイトして生活は、なんとかする。」
「そんなことは気にするな。せっかくやるなら、就活に専念した方がいい。小中高と全部公立、塾にも行かず現役で国立大に入った。かなり家計的には助かったよ。あと一年くらい何も問題はない。」
それは多額の医療費を負担してくれた親に、せめてもの矜持のつもりだった。それなのに本当に申し訳ない、という言葉は声にならなかった。ただうなずくのが精いっぱいだった。
四角い空の中を少しずつ雲が流れていく。
白い雲の中に、自分の原風景とも言うべき幼き日の記憶が浮かんできた。記憶にあるシーンの中で、もっとも昔の光景の一つ。
保育園の年中、最初の入院の時も、たしかこんな風に四角い空を眺めていたように思う。病状が進んで高熱が続き、立ち上がることもできなくなった時期があった。点滴につながれたベッドの上、窓から見える空が世界の全てだった。
そんな時、お見舞いに訪れた園長先生がくれたのが、鉄道の絵本だった。幼児向けの絵本といっても、ものによってはかなり詳しい情報が書かれている。そこに書いてあった車両形式や運転区間は、どのページかも含め今でもはっきりと覚えている。
その頃からだったと思う。ここではない知らない場所に自分を連れて行ってくれるものに強い憧れを抱くようになったのは。鉄道やバス、飛行機に船、やがて空港や駅も大好きになった。人々の集まるランドマークのにぎわい。そこから始まる物語の予感。写真の中でも窓ガラス越しでもない、広い世界に飛び立ち、生きてみたいと願った。
もう一つ、その時期の記憶がある。
最初の入院の後、専門的な検査をするために大学病院に転院した。季節はちょうど冬で、その日は小児科病棟のクリスマスパーティーがあった。パーティーがどんなものだったかは覚えていないが、ただ子どもたちがキャンドルの灯を順番に渡していく光景だけが鮮明に記憶に刻まれている。
自分に灯を渡してくれたのは、たぶん自分より少し年上の少女だった。とても美しい少女だった。灯りを消したキャンドルの灯の中、きれいな白い肌と澄んだ眼が記憶に刻まれている。クリスマスの日も家に帰れずに小児病棟にいるのだから、それなりの事情があり、辛いことも抱えていたのだと思う。
それなのに、なぜこんなにも優しく思いやりに満ちた眼をしているのだろう。幼き心に不思議に思った。彼女がその後、どうなったかは分からない。どこかで幸せになっていたらいいなと願うだけだ。
生きることはつなぐこと。命の灯を、あたたかさを、思いを。だから、生きていることを当たり前に思いたくはない。生命の全ての邂逅は奇跡だから。
ただ、今までは壁にぶつかるたび、生きる答えを誰かや何かに頼ってきた。目に見える結果だったり、親や周りの賞賛だったり。
今なら少し分かる気がする。誰を倒しても、何から逃げても、弱い自分からは決して逃げられないということを。いくらステータスやスコアで自分を飾ったところで、目の前の弱い自分を超えていかなければ道は開けない。今の自分には将来の不安しかない。今度失敗したら、さすがに人生絶望的だ、野垂れ死ぬしかないという恐怖にもかられる。それでも数ヶ月前よりかは少しだけ肩が軽くなった気がする。
今、この道の先にはかすかに光が見える。ここから始まる旅路は、きっと何かにすがりつくことなく、自分の足で歩いていこう。探してきた答えなら、いつの日もこの手の中にあると今なら言えるから。
年が明けて、京都に戻った。大学に行く用事はほぼないが、さすがに舞田にいて就職活動をするのは難しかったので、そのままアパートの契約を更新して京都で活動することにしたのだった。京都に着いた翌日。口座に半年分の仕送り金額が振り込まれていた。もちろん親からだった。何かの手違いかと思って、すぐに親に連絡した。手切れ金とかじゃないから心配するな、そう言って父は笑った。
ちゃんと毎月の分も入れとくから、面接あれば遠慮せずに新幹線使えよ、そういって励ましてくれた。感謝はやはり言葉にならなかった。
二度目のスタートライン。迷った末、最初にしたことは関空に手紙を書くことだった。このスタートラインに立てたのはやはり関空があったからだと思う。手紙でいい印象を持ってもらおうなんて打算ではない。むしろ、結論は出ているので二回目は受けないでくださいと言われるリスクだってあるだろう。ただ届けたい気持ちを言葉にする。
拝啓
厳しい寒さが続きますが、貴社ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。
このような手紙を差し上げてよいものか分かりませんが、私の心のままを書き記すことにいたします。
私が貴社の新卒採用試験を受験してから、約7カ月が経ちました。昨年の試験の折は貴社への思いばかりが先行し、社会人になろうとする上での意識がおろそかになっていたように思います。せっかく最終面接まで受験させて頂いたにも関わらず、ご期待に応えることが出来ず、申し訳なく思っております。
受験後は航空会社のポスターやコマーシャルをふと見かけるたびに涙が出るほどで、二度と航空業界を志望することはないものと思っておりました。しかしながら、昨年末ある友人にそのような感情は逃げではないかと指摘されることがあり、それをきっかけに自分の中の鼓動に素直になって考えることができました。そして命をかけても働きたいと思える場所は関空であるということを再認識し、結果として卒業論文の提出を停止し、留年という形を取り、今年もう一度挑戦することを決意いたしました。
貴社から一度は縁がないという結論を頂いたにもかかわらず、また挑戦するというのは身勝手な行為であると承知しております。それでも昨年の経験を生かし成長した今の自分をどうか見て頂きたいと思います。
また関空島でお会いできるよう全力を尽くします。ますはごあいさつまで。
敬具
令和〇〇年一月吉日
京都大学文学部
池谷一也
関西国際空港株式会社 総務部人事課御中
応募は四月だからまだ先だった。ただここから始めたかった。
返事が来て、二回目受けても採りませんと言われたら即刻ゲームセットだったが、特に返信が来ることはなかった。
朝晩の寒さが厳しい京都の冬、その寒さが和らぐに連れ、少しずつ加速していく就活のシーズン。今年も戦略自体の大幅変更はない。関空を軸に他社もエントリーしていく。
ただ昨年の最初の頃は何も知らず、ついエリート意識から様々な業界のトップの企業ばかり受けてきた。京大ならトップの企業じゃなければいけないという意識はかなりあった。今年は業界を絞り、昨年はエントリーしなかった、あまり知名度のない会社も積極的に受ける。
また同じような自己PR&志望動機の日々になってきた。45連敗からのリスタート。今さら落ちるのが怖いはずもない。かつてのどん底の時期に比べれば受けられる会社があるだけありがたい。
やがて三月になり、コートもいらなくなってきたある日。前回は受けなかった語学関係のスクールを展開する会社、SHANVIグループの一次面接にやって来た。
苦手なグループディスカッションだった。昨年の戦績でグループディスカッション突破率は2割に満たなかった。通常の面接は約3割弱といったところ。それでもこれを突破しなければ、先はない。
1グループは5人、テーマは「日本に来た外国人のためのツアーを企画する」というものだった。ディスカッションというより、グループワーク。どこかの航空会社みたいに、生き残りをかけた壮絶な潰しあいというでもなく、比較的和やかに進んだ。話はとりあえずアメリカから来た人をターゲットに京都・奈良を案内するプランを作成しようという方向で進み、具体的な旅程について話が始まった。とはいえ時刻表もガイドブックもない状況で、「この日は日本の昔ながらの生活を体験してもらう」とか、抽象的なプランに終始してしまう。スマホを見だしたらディスカッションにならないので、禁止にされていた。
無難についていくこともできた。ただ、ふと気づいた。これはチャンスなのかもしれない。今、自分の持っているものを出したらどうなるだろう。一年前であれば、どんな反応になるかばかり気にして、流れの中で言葉が出せなかった。それでは今までと何も変わっていない。
「ロサンゼルスからだとスカイクリスタル313便が関空まで毎日飛んでいて、関空到着は十六時三十分です。そこからバスを使ったとして京都まで大体1時間40分、もしJRの特急を使うなら・・・」
他の学生、それに面接官も一斉にこっちを見る。ぽかんとしている学生もいる。
もう後にはひけない。なるべく冷静に、いやらしくならないように注意してつなげる。気がつけば自分がプランニングをリードしていた。
「いったい、あなたは何者ですか?」
半分冗談めかした感じで、小さな声で隣の学生に聞かれた。
「歩く時刻表・・・と言われたことはあります。」
こちらも小さな声で笑って答える。
関空の名前を口にするのも、今は辛くなくなった。まだ何も終わっていない、これからだから。しばらくのブランクはあったが、かつては常に時刻表をチェックしてきた。関空発着のスケジュールも空港から主要観光地までのアクセスもいくらでも話せる。ついでに言えば、京都や大阪の主要ホテルと料金相場も大体抑えている、いつ関空のターミナルに立ってもやっていけるように。
空気を読むという言葉が嫌いだった。その場の権力者が決める「正解」をいかに早く正確に読み取れるかだけのくだらないゲームだと嫌悪していた。しかし、もしもひたすら合わせるためではなく、機が熟すのをじっとうかがい、わすかなチャンスを逃さず、一発で仕留めるために空気を読んでいるのだとしたらどうだろう。
肩をすくめて分かったような顔を装っていても、流れに任せているだけでは決して辿りつけない領域がある。リスクがあっても、たとえそれがお手つきになったとしても、攻めることでしか奪えないものがある。チャンスがきたら迷わず振りぬく。Get Just One。それは、あの頃の自分たちが畳上に求めた情熱そのものだった。
今日はグループディスカッションだけで終わりかと思っていたが、そのまま集団面接が続いた。先ほどの雰囲気そのままに和やかに進んだ。最後に「いちばん好きな言葉は?」という質問があった。なぜか他の学生はそろって「温故知新」だったり、「臥薪嘗胆」といった故事成語を挙げた。四文字熟語が最近のトレンドだっただろうか。そう考えている間に自分の番がきた。四文字熟語のパターンなら用意できている。ただ、今回の質問にそんな指定はなかった。今いちばん好きな言葉を正直に言おうと決める。ある作家の言葉、「夢は捨てられないから夢なんだ」。
ここまでやってダメならそれでもいい。昨年はそう思える面接は、ほとんどなかった。想定質問のシミュレーションは念入りにやった。ただ、結局は周りに合わせることもよしとせず、だからといって自分を出そうにもタイミングも測らずに中途半端に難解な世界観を押しつけるだけだったように思う。こんな面接もあっていいだろう。結果はあまり期待しないことにしていた。
数日後に次回面接へ来てほしいと連絡がくる。うれしかった。通過したという事実よりも、伝えたかったことが認められたという事実が自信になる。努力は自信。当たり前のことだが、今までいちばん足りなかったことだと気づく。
夢は捨てられないから夢なんだ。その言葉をもう一度かみしめる。一度ひどい負け方をしたからといって簡単に諦められるようなものなら、そんなものは最初から夢を名乗る資格などない。生きている限り、決して捨てられない思い。夢を終わらせることができるのは、面接官でも人事でもこの世の中でもない。この世界でたった一人、自分だけ。自分が信じることさえできたら、例え形を変えても叶わなかったとしても、いつだって夢はそこにあり、生きる勇気と感動が消えることはないのだから。だからただ、今ある全てを重ねていけばいい。
桜の季節になり、面接が進んでいく会社も出てきた。焦らなくていい。昨年だって何万人の中から数十人に絞り込まれるまで残ったことはいくらでもあった。あともう一歩だ。負けてはいない。連日大阪に通っていてもあまり疲れは感じなかった。必死に名もない会社の採用情報を探していたあの頃に比べれば、普通の学生なみに就活している今がマシに思える。
この時期になると、昼間の時間帯のターミナルは明らかに就活だと分かる黒のスーツ姿の若者ばかりになる。最近は大阪や京都のターミナル駅などで、明らかに就活らしい学生同士すれ違う時は、知らない相手でも「がんばろうね!」とエールを送るのが流行っている。こんな瞬間があると、時に殺伐とする就活であっても爽やかで熱い青春の1ページになったみたいで幸せな気持ちになれる。今この瞬間を楽しもうと心に決める。
関空の試験が近づく4月の終わりだった。その日も大阪で面接をこなし、6時頃にアパートに戻ってきた。午前中からのダブルヘッダーだったので、さすがに疲れた。スーツを脱いで、そのままベッドに倒れこむ。気がつくと眠り込んでいたようだ。暗闇の中、何かが呼んでいる気がした。だんだんと覚醒して、それが着信音だと気がつく。時計を見ると七時を少し回ったところだった。時間帯からして、どこかの会社からの選考の案内だろう。
寝起きの声になっていたらまずいかなと思いつつ、それでも着信音が止まらなかったので、大きなあくびを一つしてスマホを取る。
「星嶋汽船人事部の森下です。」
今日面接を受けたばかりの中堅の海運会社からだった。名前を聞いて、その時の面接のやり取りを思い出す。
「お酒は飲む方ですか?」
前にも聞いたようなこんな質問があった。
「全く飲めないです。」
曖昧な返答はやめることにしていた。
「え、そうなの?困ったなぁ。」
「体質的に全く受けつけなくて。」
「そうなの?それは大変だね。いやぁ、困ったなぁ。」
昨年であれば、これ以上言葉が続かず、「そうですね」と曖昧に笑っていた自分が思い浮かぶ。
「最初から飲まないので、今まで特に困るという意識はなかったのですが、御社で働くにあたり、お酒を飲まないことで何か支障をきたすのでしょうか。そうであれば、私が理解せずに受験させて頂いたことで、貴重なお時間を使わせてしまったかと思います。申し訳ありません。」
何か一言多かったような気もする。ただ、困った困ったと言われても、実は飲めますとは言えなかった。
「いやいや、別にそんなことはないんですけどね。ま、この話はここまでにしましょう。次に・・・」
その他は特に問題のない面接ではあったが、当然連絡が来ることはないと、もうラインナップから外していたところだった。
「本日は面接にお越しくださいましてありがとうございました」と、一通りお決まりの言葉が続く。
「今回内定ということで。」
「は、はい。・・・・・・あ、ありがとうございます。」
最初に就活を始めてから十五カ月経っていた。内定さえあれば、自分が生きていて間違いじゃないと証明できるとまで思っていた時期もあった。あぁ、あっけないな、それが第一印象だった。
「他にも受けていらっしゃる会社があるかと思います。そちらも頑張って頂いて、悔いのない就職活動をなさってください。もし当社を選んで頂けるのであれば、ぜひお待ちしております。」
徹底的に選別される側だと思っていたのが、まるで世界が一変したようだった。
「面接の際、人事の者が失礼な質問をしてしまったかもしれません。どうかお気を悪くされないよう。」
そう言われて電話は終わった。
静かになって、徐々にこみあげてきた。あぁ、これで社会人になれる。路頭に迷うことはない。もう辛かった日々を終わりにすることもできる。少しだけ見ている世界の色が変わった気がした。
近所のコンビニに行き、いつもは買わない250円のデザートを買う。内定取れたら、好きなものを思いっきり買おうと、一年以上も想像していたのに、なぜだか今は250円のプリンに涙がこぼれた。
両親に電話で報告する。感謝の気持ちはやはり不器用になる。それでも伝えられてよかった。
今までは誰が見ても唸るような結果を提供し続けることを自分に課してきた。そうすることが自分の存在証明だった。その歴史もどうやらここまでのようだ。しかしどうだろう、それで自分の存在価値は下がったのだろうか。自分はこの世界に生きていくべき存在ではなくなったのだろうか。よく分からないが自分は自分。何かを失ったような寂しさは感じなかった。
そして一年ぶりの関空との戦いが始まる。その名前を聞くだけで自分が保てなくなる時期さえあったのに、今こうして再び戻ってこられた。またここに来られたこと、それ以上の幸せは思いつかない。
社屋に一歩足を踏み入れた瞬間に、それだけで感動して涙が出るほどの会社があるならそこで働きたい。そう願うことは間違っていないと信じている。気持ちに嘘が無いことを確かめる。
筆記試験の後、ターミナルを歩いてみる。やっぱりここだ、ここで音楽を聴いて、ここで自分に渇を入れて、ここで戦って。この上なく懐かしく、熱い場所。ターミナルを一通り巡った後、到着ロビーのベンチに座り、周りの景色を眺めながら音楽を聴く。
孤独から逃れて 強がってただけmy heart
太陽に手をかざして 生きること確かめたい
かつてないくらい thinkin' bout you 恋した
これからはそう thinkin' bout me 自分のために!
夢の続き I'm just a dreamer 走るだけ
I'm ready to take off この道が果てるまで
目指すものは time goes on 広がる朝
(有里知花「地平線の向こうへ」より)
筆記試験までは今回も何の問題もなかった。
その翌日は、SHANVIグループの二次面接が行われた。会場には15人くらいの学生。二次面接の日程は今日だけのはずだから、かなり絞られているようだ。控え室で待っていると社員がやってきて、面接のグループ分けについて説明された。学生5人ずつの集団面接。そこまではよくあるタイプだ。そしてその次の社員の言葉に、控え室に動揺が広がる。
「面接での質問は一つだけです。最近感動したことについて2分以内でスピーチしてください。それでは、開始までもう少々ありますので、それまでに考えておいてください。」
プレゼンテーション試験で、あらかじめ課題を言われることはあるが、試験の直前に言われるのは初めての経験だっだ。しかも質問は一つだけ。さっきまで隣同士ざわざわしていた学生たちは、それぞれ集中して、記憶を思い起こしているようだ。
しばらく考えて、最初に思いついたことを話そうと決めた。。
面接が始まる。予告通りの2分間のスピーチ。この巡りでいけば、自分は4番目のようだ。1番目の女子学生が話し出す。
「私は、飲食店でアルバイトしているのですが、ある時間違えて料理をお出ししてしまって、でもその時、お客様は何も言われなかったのですけど、それで後から気付いてそのお客様の所に行ったら・・・・・・」
教科書通りの優秀な答えだと思う。アルバイトの経験、ミスした時の謙虚な姿勢をアピール。しっかり仕上げてきているなと素直に感心する。
次の学生に移る。
「家庭教師のアルバイトをしておりますが、その担当の子どもが中学生なんですけど、正直言って全然勉強しない子で、でも最初から全部を求めるんじゃなくて、少しずつ勉強の楽しさを教えていこうとしたら。」
うまくいかない時に、どのようにコミュニケーションをとって、いい方向に転換できたか。これも教科書通り。レベルは高いと思う。自分もこんな経験があれば、それを話すのだろうか。
やがて自分の番になり、話しはじめる。一言一言、面接というよりも、自分自身にかみしめるように。
実は、就活は2回目であること。どこにも受からなくて、悩み苦しんで、親との関係も悪化して、地元に帰ってコネで入社することも考えたこと。
「・・・でも昨年の秋、ある親友がドライブに連れ出してくれて、その時に、「それは逃げている」ってはっきり言われました。その時の車の中に、The Brilliant Greenの「Hello Another Way」という歌が流れていて、その歌詞の中に「信じたい きっといつかは 叶うと決めているから」という一節があって・・・・・・、それを聴いた時、そりゃ人生、思い通りにならないこと、うまくいかないことばかりで、諦めたりもするけれど・・・、だけど人間何か一つくらい、何があってもこの夢だけは、誰になんと言われようと、絶望にたたき落とされても、いつか絶対叶えると、そう、叶ったらいいなとかではなく、自分自身が叶うとそう決めているって思えるもの、持っていてもいいんじゃないかな、って気がして・・・、その瞬間は、本当に・・・すごく感動しました。」
友のさりげない一言や偶然出会った歌に、抑えきれないくらいの勇気と情熱もらって、今日を生きている。だから、そんなかけがえのない宝物に、背を向けて生きたくはない。まっすぐに大事なものを大事だと、感動したことを感動したと言いたかった。
翌日すぐに連絡があり、二次面接も通過だった。最終面接にぜひ来てほしいと言われた。自分のありのままのスタイルが通用する会社。行くべきであることは分かっていたが辞退した。関空の一次面接と同じ日だったから。
客観的に考えて、受かる確率、適性、勤務条件も、そして会社の規模も将来性も。SHANVIが上だったと思う。それでもなぜ。そこに「理由」なんてなかった。そう、言葉に出来る程度の「志望動機」でここに立っているのではなかったから。
飛行機に乗るよりも、試験で関空に行った回数の方がずっと多いな。そんなことにふと気づく。説明会、筆記試験を経て今日が一次面接。今年は90分前集合のような、疲れるルーティンはやめた。お守り代わりの思い出の品や、高校時代のユニフォームを持参して荷物を重くすることもやめた。そんなことをして、奮い立たせなくても、この戦いに臨む気持ちはなんら変りない。
アクセスもリムジンバス一本で楽をしている。関西空港交通の日野セレガは名神高速から阪和道へと快調に駆け抜けている。防音壁があって景色はあまり見えないけど、今日も空は青い。今日という一日にこんな青空の下を走れることに感謝する。
京都から一時間四十分、バスはターミナル4階、国際線出国エリア前に到着する。バスを降りると、遮るもののない海上に駆け巡る、強い風を全身に受ける。心地よい感覚だ。研ぎ澄まされた、かといって昨年みたいに過度に自分を追いつめてはいない透き通る高揚。
面接は去年と同じ集団面接。質問は少し違ったけど想定範囲。自己PR、志望動機、関空について、入社後にしたいこと・・・。共通の質問の後、一人ずつ個別の質問へと続く。
「池谷さんは、昨年も当社を受験いただいたのですね。」
「はい。」
去年最終面接まで行った。そして年初に手紙も送った。こういう展開になることは予想できていた。
「昨年と今年、受験される中で池谷さんの中に変わったところはありますか。」
「はい。昨年はとにかくもう関空という気持ちばかりが走って、自分を追いつめ、最終面接まで呼んで頂きましたが、結局ご期待に沿えることができませんでした。その後は本当に辛い日々で、どうしたらいいか分からなくなって、街でリムジンバスを見かけるのさえ堪えられなかった時期もありました。ただ、悩みながら時間が経って思うようになったのは、自分が落ちたということは、自分よりもっと優秀な人がいたということで、それは受験した者としては悲しかったけど、一人の関空を愛する人間としては、たくさんの優秀な人が関空を受けていたってことは、そう、すごく嬉しいことじゃないかなって少しずつ思えるようになりました。だから今年は、自分を追いつめるよりも、この時代、この国に生まれて、関空に出会えたこと、何よりもまずその幸せに感謝して、どんな結果になっても、楽しんでやっていきたいなって思っています・・・。」
きっと夢なんて、出会えただけで99パーセントは叶ったようなものだと思う。そもそも一回きりの人生で、出会わないまま終わる夢の方がはるかに多い。違う時代に生まれていたら、違う国に生まれていたら、人間以外の生き物に生まれていたら、きっと関空を知らない人生だった。大事なものに出会えたこと、そしてそれを大事だと心の底から言える自分がいたこと、そのことが奇蹟であり、幸せだと思う。あとはそんな気持ちを胸に努力すればいい。その最後の1パーセントが、一番辛くて際限無く長い道のりだと分かっていても。それは、最後の1パーセントはかみしめながら自分の意思で刻めるようにと神様が与えてくれたものだから。
質問はさらに続いていく。
「そうですか。この一年、関空のことを思い出されることは多かったのですか?」
「思い出したことなんてありません。忘れた時がありませんでしたから。」
そう言って、ポケットのカード入れから1枚のレシートを取り出す。
「去年、最終面接の前に、ターミナル2階のスターバックスに行った時のレシートです。記念にずっと持っていました。こんなレシート1枚でも宝物です。忘れるはずがありません。」
面接官の一人がわざわざレシートの日付を確認した。かなり驚いている様子だった。そうして面接は終わった。
マニュアルを重んじたり、人にどう見られるのかを考えたり、それを否定する気なんて全くない。ただ勝負時こそ自分の歩んできた道を信じる強さは忘れたくなかった。
2日後の十四時二十四分、関空から電話がかかってくる。
「ぜひ最終面接に進んでいただきたいのですが、どうされますか?」
聞かれる必要のない質問だった。
最終面接の前日に2つ目の内定が届いた。心身ともにコンディションは申し分なかった。昨年のように押し潰されそうな苦しさを集中力だけで持ちこたえているような感じではない。最高の状態。ここまで壊れずにがんばってきた自分に感謝したいと思う。次がファイナルだった。何も守るものはないだろう、ただ攻めていこう。そして最後のこの日を楽しもう。
京都駅八条口のバスターミナルに向かって地下通路を歩いている時、リクルートスーツの見ず知らずの女の子にすれ違い様、「がんばろうね!」って声をかけられた。咄嗟に「ありがとう、がんばろうね。」と返す。この一言で気分が乗ってくる。本当にありがとう。さあ、行こう。八条口から始まる夢のドライブも最終節。今日のバスはいすゞのガーラ。今年の関空の試験で、三菱も日野も国内バスメーカーのバスはみんな乗れた。決して誰にも理解されないだろうけど、これもがんばって勝ちぬいてきた証だなとしみじみ思う。バスは市内を抜けて京都南インターから名神高速、大阪府に入り万博記念公園を横目に名神から阪和道へ。やがて右手に大阪南港が見えてくる。そして倉庫や工場が立ち並ぶ湾岸をひた走る。そんな一つ一つのシーンが壮大な物語のフィナーレへとつながっていく。そして湾岸の景色の先にそびえる影を見た時、やっぱり震えた。この海の先に関空が待っていることを告げるりんくうゲートタワーホテルの気高く美しい姿。ここから阪和道に別れを告げ、ハイウェイは海上に踊り出る。
スカイゲートブリッジも、渡る度に感覚が変わってくる。最初はこみ上げる思いと感動に押しつぶされそうだったけれど、最近はまるでこの橋そのものがランウェイであるかのように、夢と情熱を翼に限りなく飛んでいけそうな解放感がある。橋が終わり島に入った時、不意に轟音が近づいてきた。次の瞬間、バスの真上をフィンエアーのA350-900が飛び去っていく。空に映える美しい白の機体は、もうはるか上空に舞っている。まるで今日の戦いを祝福するかのような一瞬の邂逅。
集合時間まであと30分ほど。来るたびに新たな感動に出会うターミナルを巡る。そうしてここが自分の前線基地だと決めている2階到着ロビーのベンチに佇む。ここで音楽を聴いたり、栄養ドリンクを飲んだり、昔のアルバムを見たり、誓ったり、祈ったり・・・、ここから何度も決戦の舞台へ向かった。ふとロビーの一角にあるディスプレイに目を向ける。そこには世界の天気が日本語と英語で交互に映し出される。カイロは晴れ、モスクワは曇り。今ここで、この画面を見ている人が、今夜にはモスクワに降り立っていたりするということ。そんな奇蹟が、この場所から当たり前みたいに今日も続いていく。涙が出そうになるのを振り切る。昨年と同じ関空戦のイメージソングを聴き、昨年と同じオフィシャルドリンクに決めている爽健美茶を一口飲み、そして立ち上がる。
もうすぐ集合時間だった。もう少しだけ時間が止まっていてほしいと願う。ここで航空会社のポスターや、行き交う人々や、ターミナルの美しい姿を見て過ごす幸せにもう少しひたっていたい。そんな気持ちに決着をつけるため、もう振り返るなと自分に言い聞かせて踏み出す。
最後にトイレの鏡に向かい、問いかける。
「Is this the pride of Maida High School or pride of Kyoto University? Neither.. Just a pride of Kazuya Ikegaya. O.K. Let’s go!」
あの時と同じ面接官5人、学生3人の集団面接。
今年もやはり一時面接よりも厳しい雰囲気になる。
「あなたが大学で学んだことが、関空の仕事でどのように活かされますか?」
こういう時に文学部は不利だと思う。高校の時、大学のことは言われても、どこの学部がいいとかは誰にも言われなかった。ならば好きなことをしようと思って選んだ文学部だった。経営やら法務について勉強してきた学生が上手く答えているのを見ると、少しうらやましくも思うが、自分で選んで好きなことをしてきたのだから、文句は言えない。
それでもなんとか、外国の文化や風習について理解を深めたことにより、日本以外の人たちの利便性も捉えた空港にしていけるという方向でまとめる。最後にこう付け加える。
「確かに私が学んできたことが実用的なものかというと、そうではないかもしれません。ただ、足りないものはこれからいくらでも努力して、身につけていきます。その努力なら負けません。」
あるアーティストがインタビューで答えていた「好きっていう気持ちがあれば、努力とか忍耐とかは、当たり前についてくるもんやから」という言葉を思い出す。
面接官は答えに満足していないのかもしれない。特に表情を和らげることはなかった。
「他の空港は受けられましたか。」
「空港」を志望するなら、新卒採用をしている空港を全部受けているのが当たり前。他の学生はマニュアル通り、受けてはいるけど関空が第一志望なのだと強調する。もちろん他の空港の面接に行けば、そこが第一志望だと言うのだろう。この手の質問は、1社ごとにそれらしい理由を探さないといけないから大変だ。自分の番がきたので、特に繕うでもなく真実を答える。
「受けておりません。関空のライバルに行くくらいなら、いっそ全く違う業界の会社に行く方がいいと思いましたので。」
飾らない真実だった。もしも他の空港で働いていたとしても、きっと空港の風景の中に関空の面影を探して辛くなるだろうと思ったから。それではそこの空港にも失礼だと思う。
こんな答えも、面接という世界の中では浮いたものとして聞こえるのだろうか。戦況は不利かもしれない。今までのことはどうしようもない。受け答えが他の学生に勝っているかどうかは分からない。ただ自分を信じて紡ぐ言葉の一つ一つに最大限集中するだけ。唯一確かなことは、受験したどの学生よりも、関空を愛しているということ。
やがて個別の質問に移り、話は一次の時と同じように、昨年から今年に至る経緯について問われる。
「前回落ちた反省を活かして、今年はどんな対策を考えてきましたか?」
技術的な面は、大きく変わっていない。特別な対策があるわけでもない。ただ、生きる価値とか、大きな荷物を背負って追いつめることはしなくなった。どんな旅でも荷物は多すぎないほうがいい。ここで戦えることを幸せに感じて、楽しむこと。
こんな答えでいいのかは分からない。
マニュアルは知っていた。昨年は自分の力を過信していたことに気づき反省し、ここを改めて臨みましたと言えればOK。自分を謙虚に振り返り、改善できる姿勢をアピール・・・。でも否定したくはなかった。昨年ここで散った自分の情熱を。
次が最後の質問だった。
「昨年は当社以外に何社くらい受けられましたか?」
想定できていた質問だった。
「御社以外に45社です。」
「その中で内定は何社ありましたか?」
これも「正解」は知っていた。本にも書いてあった。ただ、その正解を口に出すことはなかった。
「・・・ありませんでした。」
「一社も?」
「はい。」
帰りのバスの中、外に目をやると、道路に沿って作られた花壇の花が鮮やかに映る。かつてはただの海だった人工の島にも絶え間なく青い波が打ち寄せ、土は宿り、花は育つ。
花として散ればいい
人として泣けばいい
光として貫けばいい
いつの日かまた
花として咲くだろう
人として笑うだろう
そのとき、光は出会うだろう
「他の会社から内定は頂いていました。いろいろ悩みましたが、やはり御社で働きたいという気持ちが勝り、辞退いたしました。」そう言うのは難しいことではなかった。どこかの誰かが言っていたように、そこまでは調べられないだろう。
ただそれは面接の正解でしかなかった。どうしても嘘は言いたくなかった。そんなことをして勝ったとしても、何の意味もない気がした。恰好をつけているわけではなく、自分のしてきたことに嘘をついてしまえば、ここまで関空と戦ってきた自分を否定することになると思ったから。
結局いちばん守りたかったものは何だったのだろう。内定が欲しいのなら、「正解」を言うだけだった。
それでもただ、道に迷う時、道が遠すぎた時にいつも思い出す風景がある。スカイゲートブリッジに入る瞬間のぐっとくる加速、太陽の光を浴びて空に向かう美しい機体、そこから夢の舞台に駆け出したターミナル、心に刻まれた空と海のブルー。思い出すほどに、いつも力をくれるあたたかい風景だった。あの風景をまっすぐに見据えられなくなるのは嫌だった。大好きな場所で、かけがえのない記憶を汚すような、嘘で固めた面接はどうしてもできなかった。結果がどうなろうが、本当に守りたいものは確かにあった。
「内定なんて・・・、そんな小さなもののために戦っているんじゃないだろ・・・」
そんな負け惜しみをつぶやけば、空は涙でかすむ。
二日後、内定なら電話がかかってくる日。呆れるほどの沈黙の中、時間はあっけなく過ぎてゆく。今回はこれで終わったようだ。
夜の八時を過ぎて、もう電話がなる可能性もなくなった頃、なんとなく一人部屋で過ごすのが嫌になり、自転車で十分ほどのショッピングモールに向かった。書店で「月刊エアライン」を立ち読みする。その中にたまたま関空―台北線に就航した新機材の搭乗レポートがあった。記事の写真の一つに関空の夜景を見つける。闇を貫き、ランウェイの形にまっすぐ誘導灯の光が連なっている。エンドレスイルミネーション。ランウェイの果ては終わりではない。それはいつも物語の始まり。
顔を上げて見渡すと、この世界は何も変わっていなかった。関空のターミナル2Fと同じスタバの香りを微かに感じたが、悲しさよりも心地よさを感じた。もう関空の写真を見て涙することもなかった。二度と見たくないという気持ちも全く芽生えなかった。モールの中は明るく、誰もが今日を生きていた。そういえば鴨川沿いを走りながら吹き抜けていく生温かい夜風も、今日は心地よかった。
帰り道の途中、鴨川にかかる橋の上から空を見上げると、星の間を通り抜けるように北西へ進む飛行機のライトが瞬いている。
いつも空を見ていた。
大阪の面接から帰る電車が京阪樟葉駅を過ぎる頃に車窓から眺めた、明日への希望を照らした雄大な夕景。新宿32階のGlobal Destinations戦、人々の生きる灯が光の海となった大都会のトワイライト。何度も打ちのめされた東京遠征、夜行バスの帰り道、未来という星を探した足柄サービスエリアの夜空。この上ない情熱を灯してくれた、スカイクリスタル戦の朝の澄み渡る青空。そして、旅立つ翼に夢を託した湾岸のときめき。あの空の果てに描いた夢が色褪せることはない。
そして今日も、こうして空を見上げている。光はゆっくりと動いてゆく。あの飛行機から見たらこの世界は、あまりに小さく、そして美しいのだろう。
視界に届く限り光を見送ると、少し晴れやかな気持ちになってアパートに戻る。いつもより少しだけ大きめのボリュームで、この一年半何度も支えてくれた歌を聴く。
この星が願いかなえてくれるかな
If I were a bird, I would fly to you
I wanna fly to you but I don't have any wings
If only my wish will come true, I would say to you
In this world, there is no one else but you
(有里知花「世界中であなただけ」より)
ふとスマホを見るとメールがきていた。英明からだ。関空の結果は伝えていた。タイトルを見ただけで笑いがこみ上げる。
「祝!関空最多勝」
書類、筆記、一次面接。それが2年だから合わせて6回、選考に通過している。普通の内定者よりも多い。通算6勝2敗、なかなかいい勝率だと思う。
どれもいい戦いだった。あの日々がなければ、音楽を聴いて泣いたり、さりげない風景を心に刻んだりすることもできなかった。そして、本当に大切なものに気付けなかったかもしれない。
翼は折れていない。生きている限り、またいつか心から熱くなれる場所で戦う時がくるだろう。
英明に返信をしている最中にLINEの着信があった。
「ひさしぶり、ずっと連絡してなくてごめんね。」
セツナだった。
「あれからいろいろあったけど、まずお礼を言わせて。一也のメッセージがなかったら自分を見失って、ダメになっていたかもしれない。はっきり言ってくれてありがとう。最初は相当ムカついたけどね(笑)。」
その後のやり取りで、セツナが公務員試験を受けていることが分かった。あまり公務員のイメージはなかったが、地域の国際交流やインバウンドの活性化に携わりたいとのことだった。
「試験が終わったら、京都に行きたいな。受験勉強で卒業旅行も行っていないし。案内してくれる?」
最初は相当ムカついていたという言葉に嘘偽りはないだろう。相当な気合いでおもてなしした方がよさそうだ。久しぶりの面接以外での旅、想像するだけで心が晴れてくる。
十月一日。多くの会社がこの日に内定式をするので、京都駅の新幹線コンコースにはスーツ姿の学生らしき人たちがちらほら見える。これから自分も内定式、二番目に内定をくれた東京の運輸関連の会社に行く。選んだ道に迷いはない。ただ、コンコースに立った時、少しだけ懐かしさに似た感覚を覚えた。美しい観光地のポスター、大きな荷物を持って行き交う人々、土産や食べ物を売る売店、そんな風景が少しだけあのターミナルに重なって見えた。もちろん悲しさはない、今なら堂々と見据えて生きていける。
ありがとう。誰にというのでもなくつぶやく。
この気持ちを忘れないで、どこに行っても強く生きる。そしてまた会いに行こう。
生きることはつなぐこと。この世界の小さな小さな灯となれるように。
あたたかな思いを心にしまい、ホームへ続く階段を歩き出す。
Sky Smile Story @kazuyaanzai
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