第50話 四日目 光るドームに包まれて

「ねえ、その男の人を運ぶのなら、これが使えるんじゃない?」


耀葉が菜呂と史華、それに組木を伴って、平たい板を引っ張ってきた。こんな大事なときに姿が見えないなと思っていたら、耀葉はさらに先のことを考えて行動していたみたいだ。


「あっちの方に落ちていたんだけど、こういう場合だから勝手に使わせてもらっていいよね?」


「もちろん! 耀葉ちゃん、ありがとう! それじゃ、みんなでこの板の上にリュードの体を乗せよう!」


ヨーコの号令の元、耀太たちはまだ苦痛に顔をしかめるリュードを板の上に乗せると、明るい篝火の届く港の中央まで運んだ。


「ここなら明るくて体の隅々までしっかり見えるわね。――ねえ、リュード、ケガはしてない? 服があちこち破けているけど、どこか痛いところはないの?」


「どこっていうか……体中、鈍痛を感じるけどな……。でも、激痛っていうほどの痛みはないから……。だ、だ、大丈夫だと思うぜ……」


「本当に? 痛すぎて、逆に痛みを感じていないだけなんじゃないの?」


ヨーコが甲斐甲斐しくリュードの世話をする。口ではケンカばかりしているが、なんだかんだいっても二人の仲は良好らしい。


「いや、本当に大丈夫だから……。それよりも、ここはいったいどこなんだ……? そもそも、なんでオレはこんな状態なんだ……? もしかして酒に酔って、橋からでも落ちたのか? でも、そんな記憶はないんだけどな……?」


「ちょ、ちょっと、ウソでしょ? ねえ、リュード! 本当に何も覚えていないの? また冗談を言ってるんじゃないでしょうね!」


「冗談でこんなこと言うかよ! 本当に何も覚えていないんだよ! えーと、オレが最後に覚えているのは……いた、痛たた……。ダ、ダ、ダメだ……。頭ん中がガンガン、ギャンギャン悲鳴を上げて……何も思い出せない……」


辛そうに手で頭を押さえる姿は、とてもウソを付いているようには見えない。


「リュード、どうしちゃったっていうの……?」


ヨーコも困惑しきりである。


「これってどういうことなのかしら? もしかしたら馬車から落ちた衝撃で、一時的に記憶喪失になったとかいうんじゃ……」


アリアが腕を組み、眉根を寄せた表情でリュードの様子を凝視する。


「ねえ、みんな、ちょっと先生の話を聞いてくれるかな?」


「はいはい、クミッキー先生、今は取り込み中ですよ! さすがに先生でも分かるでしょ?」


耀太は視線をリュードに向けたまま生返事をした。今は組木の相手をしているときではない。


「だから、ちょっと大事な話があるの。あそこで倒れている馬なんだけど――」


「クミッキー先生、馬の心配も分かりますが、今はリュードさんの体の心配をするの先ですよ!」


「でも、さっきまで倒れていたあの黒い馬さんなんだけど、なんだか様子がおかしいの? それでも放っておいていいの?」


「おかしい? それって、どう意味ですか?」


組木のただならぬ声の響きにようやく気が付いた耀太は、木片が散らばっている事故現場の方に目を振り向けた。


「えっ? な、な、なんだよ、あれ……? ていうか、あれって、さっきと同じ黒馬なのか……?」


「ねっ、わたしが言った通りでしょ! わたしは教師として一度たりともおかしなことを言ったことがないのが自慢なんだから!」


耀太は組木の自慢話を無視して、黒馬を呆然と見つめた。いや、黒馬だったものといった方が正しいだろう。


耀太の目に映ったのは先ほどまでリュードが操っていた黒馬である。しかし、その見た目は大きく変わっていたのだ。


その体は優に三倍近く巨大化している。目は今や完全に朱色に染まり、さらにたてがみまでもが蒼白い光を帯びている。


只の馬ではなく魔物であることは、その場にいる誰の目にも明らかにだった。


「おい、ナーロ! あの馬の姿をしたバケモノは何なんだよ?」


「あ、あ、あれは……そ、そ、その……つ、つ、つまり……。そ、そ、そうだ! お、お、思い出したぞ! ぼくの脳内に蓄積された『異世界転移作品』に関する貴重極まりない膨大な魔物データが正しければ、あれは馬型の魔物の『ケルピー』だよ!」


「ケルピー?」


「そうだよ、ケルピー! イギリスに伝わる馬の魔物さ! そうか、遂に本物のモンスターに遭遇できたんだ! やっぱり『異世界転移モノ』っていったら、コレが出てこないと始まらないからな! いよいよここから本格的な異世界モノが始まるんだ! いざ、ステータスオープン! ステータスオープン!」


「こんなときに興奮してる場合かよ!」


「つまりリュードさんはあのケルピーとかいう魔物に取り憑かれたせいで、その間の記憶が曖昧になったんだね。――ねえ、菜呂くん、私の考えで合っているかな?」


「うん、アリアさん、多分そうだと思うよ。彼は魔物に精神を支配されていたんだと思う。弱い心につけこむのは魔物の常套手段だからね! ぼくみたいに高潔な精神の持ち主は大丈夫だけど!」



いや、お前の場合は『異世界転移作品』に取り『かれて』いるだろうが! そのせいでおれは精神的に『つかれて』いるんだからな!



胸の内でくだらないぼやきを吐き出すつつも、今はもっと大事なことがあるのを思い出す。


「それでナーロ、肝心のアイツの倒し方だけど、痴漢撃退スプレーで倒せるものなのか?」


「そこの残念な弟くん、あの見るからに凶暴そうな魔物に痴漢撃退スプレーが効くと思うの? もしも本気で言ってたら小学一年からもう一度学びなおしたほうがいいわよ! それともあんたに痴漢撃退スプレーを吹きかけて、そのどうしようもない頭をなんとかした方が早いかもしれないわね!」


姉から容赦ない手ひどい口撃こうげきを受けた。



あのな、おれだって本気で言ったわけじゃないからな! 他に攻撃手段がないんだからしょうがないだろうが!



耀太が心の中で反論したとき――。



ギビュビビギビヒヒィィィィィィィィィィ-----------ンッ!



ケルピーが闇に向かっていなないた。さきほど上げた馬のようないななきとは明らかに異なる、まるで悪魔が叫んだかのような甲高い鳴き声だ。


そのまま助走もなく、一気に最高速で走り出す。


耀太たちのいる方に向かって!


「あたしがこのスペシャルガスバーナーの炎を喰らわせてやるから!」


史華がいつ取り出していたのか、手にしたガスバーナーの炎を吹き付ける。


ケルピーの頭に生えたたてがみにガスバーナーの炎が絡みつく。そのまま全身に炎が回れば勝ち目が見えたかもしれないが、ケルピーが頭を左右に大きく振ると、たてがみにまとわり付いていた炎は宙に四散し、たちまち消え去っていった。ケルピーがダメージを受けた様子は一切見受けられない。


「ダメだっ! フーミンさんのガスバーナーの火力でも効かないぞ! ナーロ、魔物に炎は効かないのか?」


「多分、炎そのものが効かないんじゃなくて、炎に『魔力』が込められていないから効かないんだと思う!」


「魔力って……。それじゃ、こっちには打つ手がないじゃんかよ!」


耀太の心が焦燥と恐怖で支配される。



くそっ、どうしたらいいんだよ……どうしたら……。



眼前に迫り来るケルピーをただ凝視し続けるしかない。


恐怖そのものを具現化しているといってもよいケルピーの巨体が間近に迫ってきた。


そのとき――。


耀太たちの周囲に突然、淡い白光が生まれた。その白光がドーム状になって、耀太たちを一瞬で包みこむ。まるでケルピーの攻撃から守るかのように。


そのまま突っ込んできたケルピーの大きく蹴り上げられた前足が白い光のドームに触れた。



ギュガギワイィィィィィィィーーーーーーーン!



空間に金属質的な歪み音が走り抜けていく。


ケルピーが慌てたように前足を引っ込める。それから何事か探るように白光で出来たドームの周りをゆっくりと旋回し始める。


「どういうわけか分からないが、とにかく、この白い光のドームがオレたちのことを守ってくれているみたいだな」


慧真が物珍しげな顔で周囲を見回す。右手でおっかなびっくりに白い光のドームに触れたりしている。ケルピーはダメージを受けるみたいだが、慧真が触れるのは問題ないみたいだ。


「でも、この白い光のドームはどこから出てきたんだよ?」


耀太はそこが不思議だった。その回答は意外な人の口から出た。


「はいはい! わたし、見てました! この目でしっかり見てたからね! 可愛らしいぱっちりお目目で見てたもん!」


小学生みたいに元気良く右手を上げる新卒の教師。


「えーと、あの黒馬がゴゴゴオオーーーーッてスゴイ勢いで近付いてきて、キャアアアアアアーーーーって思った瞬間、菜呂くんが持っている魔法の杖の先から白い光がビギビギビギィィィーーーンって出てきて、それでその白い光がグワワワワワーーーーンって、わたしたちのことを包み込んでくれたの!」


教師なのに子供みたいな擬音語ばかりで説明するが、このときばかりは耀太でも組木が言った言葉を直感で理解することが出来た。


すぐに菜呂の腰に目を向ける。魔法の杖は菜呂のパンツのベルト通しに差してある。しかし今は何ら異常がなく、年季の入った只の捻じ曲がった木の棒にしか見えない。



もしかして、この魔法の杖って、本物の魔法の杖だったのか?



オーショアに住むオーリーの父親からもらったことを思い出す。魔法の杖の元の持ち主であるオーリーの曾祖母は魔法使いだったとオ-リーも教えてくれた。


「この白い光って、どこかで見た覚えがあるんだけど……。どこだったかな……? ねえ、耀太くんは覚えていない?」


アリアはしきりに首を捻って、何かを一生懸命思い出そうとしている。


「えっ、この白い光? うん、たしかに言われてみれば、この眩しいけど、どこか温もりを感じる白い光に見覚えがあるけど……」


耀太は頭に蓄積された記憶を遡った。しかし、答えにたどり着く前に親友の大声が横入りしきて、そこで思考は中断してしまった。


「みんな、見ろよ! あいつ、むこうに行っちゃったぞ! このドームが破れないと思って、諦めて帰ったのかもしれないな」


慧真が言う通り、ケルピーは音もなく闇の中に消えていった。再び姿を現す気配はない。完全にこの場から去ったらしい。


「ま、理由はどうあれ、これで最悪の事態だけは回避出来たみたいだな。良かった、良かった!」


いつもの前向き志向が戻る慧真。


「安全が確保されたということはケガ人の手当てをしないとね」


さきほどまで難しい表情をしていたアリアがあたりに視線を向ける。


港のあちこちには、体を押さえて呻いている若者が何人もいた。ヨーコの操る馬車の特攻の前に散っていた哀れな若者たちである。


「か、か、体中……い、い、痛いよ……。ほ、ほ、骨が折れているかも……」


海の方からも悲鳴染みた声が聞こえてくる。


「ダ、ダ、ダメだ……。も、も、もう疲れて泳げない……。だ、だ、誰か助けてくれ……。このままじゃ、溺れちまうよ……」


耀葉の痴漢撃退スプレーを受けて、海に飛び込んだ男たちの声だ。


いくら自業自得とはいえ、さすがにこのまま見て見ぬ振りは出来ない。それに今回の騒動の裏にケルピーという魔物の存在がいたことが分かった以上、彼らだけを全面的に悪いと責めるわけにもいかない。


「じゃ、みんなで手分けして救助活動に励むとするか。反省タイムはそれからだな」


耀太はシャツの袖を腕まくりした。


そのとき、白い光のドームは生じたときと同様に、唐突に空間に吸い込まれるようにしてスーッと消えていった。


まるで、これで用が済んだといわんばかりに――。

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異世界ローカル路線『馬車』乗り継ぎの旅100日間王国一周の賭け ~異世界でムチャな賭けに巻き込まれたおれたちは奴隷になりたくないから、ローカル路線『馬車』を乗り継いで頑張ってゴールを目指すことにした~ 鷹司 @takasandesu

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