第49話 四日目 港のヨーコの生き様
黒馬が地面を掻く動作をする。それからゆっくりとヨーコの方に進み、徐々にその速度を上げていく。
「あたしはここから一歩も動かないから! あたしを轢けるなら轢いてみろっていうの! あたしの体はそんな痩せた馬に轢かれたぐらいのことじゃ、ビクともしないから!」
ヨーコは両手をこれでもいわんばかりに左右に大きく広げて、黒馬を迎え撃つ。
黒馬は狙いをヨーコひとりに定めたのか、一直線にヨーコに向かってくる。
「ヨーコさん! 無理はしないでください!」
完全に自分のゾーンに入ってしまっているヨーコの耳には届かないと分かってはいるが、耀太は声を掛けずにはいられなかった。
「あたしの意地とあんたの本気、どっちが勝つか勝負よ!」
目の前に馬が迫ってきているというのに、ヨーコはその場から逃げようとしない。凄まじいまでの胆力の持ち主である。
ヨーコさんだって、きっと怖いはずなのに……。
耀太の方が目を逸らしたいくらいの心境だった。
黒馬が速度を上げて、一気に距離を詰めてくる。もうヨーコが体を左右に投げ出したとしたところで、衝突は避けられない距離となった。
「いやあああああーーーっ! ヨーコさーーーーん!」
眼前の光景に堪えきれなくなったのか、組木が顔を伏せて悲鳴を上げる。
クミッキー先生、おれだって悲鳴を上げたいくらいですよ!
しかし耀太は唇を噛み締めて、声が漏れるのを防いだ。ヨーコが覚悟を決めた以上、ここはしっかりことの成り行きを見守る責任が自分にはあるという思いだった。
黒馬がヨーコの数メートル手前まで迫る。
この命懸けのタイミングでヨーコの口元に笑みが浮くのが見えた。すべてを受け入れることにした、港の女の笑み。そんな風な笑みに見えた。
「リュードーーーーーーーっ! あたし、あんたのことを誰よりも一番愛してるからあああああああああああああーーーーっ!」
ヨーコの魂の絶叫。
その刹那、黒馬の頭が突然上方を向き、口からは嘶きが放たれた。同時にヨーコと正面衝突寸前のところで、黒馬がその進路を大きく右方向に転じる。
しかし急な進路変更だったせいか、馬車の荷台が振り子のように大きく右側に横滑りしていく。
馬車が横転するのを防ぐべく、御者台に座る男が必死の形相で手綱を力強く引っぱった。だが、余りにも強引に制御しようとした結果、今度は揺り戻しによって、荷台が反対側の左に大きく引っ張られることになった。
今や馬車は男の手を離れ、完全に制御不能の状態に陥っていた。そのまま左右に蛇行しながら、止まることなく突き進んでいく。
黒馬の前方には船の荷であろう、木箱や木の樽がたくさん積まれている荷物置き場があった。
「あのままじゃ、荷物にまともにぶつかるぞ!」
耀太の叫び声に続くようにして、黒馬が木箱に突っ込んでいく音が港中に響き渡っていく。
木箱が滅茶苦茶に破壊される音。木の樽が地面をごろごろと転がり回る音。
馬車の派手な装飾は瞬間的に残骸と化して、周辺に飛び散っていく。
「あいつ、スピードも緩めずにそのまま突っ込んでいったけど、大丈夫なのか?」
一難が去ったので、今度は御者の男のことが心配になってきた。こちらに向かってきたとはいえ、ヨーコの恋人だった男なのだ。
「あの破壊音からして、只じゃすまないと思うぜ」
慧真も男のことを心配している。
「リュ、リュ、リュード……。リュードーーーーーーーーっ! リュードーーーーーーーーっ!」
呆然と成り行きを見つめていたヨーコだったが、心の硬直が解けたのか、大声を上げながら悲惨な事故現場へと走り出した。
「よし、おれたちも行こう!」
耀太はみんなに声を掛ける。
「私も行くから! ケガをしていたら早く治療しないと!」
アリアはすでにバッグを手にしっかり持っている。その中には応急手当用の救急道具がいろいろ入っているのだろう。
あいつ、自分がどうなるのか分かっていながら、最後の最後で手綱を思いっきり強く引っ張って、馬の動きを急変させやがった。
馬に乗ったことがない耀太にでもそれは見て分かった。
もしかしたら、ヨーコさんの想いが届いたのかも……。どんなやつなのかは知らないけど、なんとしてでも生きていてくれなきゃ困るぜ! ちゃんとヨーコさんに謝ってもらう為にもな!
耀太の思いはそれにつきた。
ヨーコが地面に山となった木の破片を両手でもって無我夢中で取り除いていく。折れた木は所々鋭く尖っており、ヨーコの手はたちまち血まみれとなる。
馬車造りを生業にしているヨーコにとって両手は商売道具のはずなのに、一心不乱に両手を動かし続ける。その姿から、どれだけ相手を思いやっているのかが伝わってくる。
「ヨーコさん、おれも手伝いますから!」
「オレもやります!」
ヨーコの姿に見て、耀太と慧真もすぐに瓦礫除去の手伝いを始めた。
「リュードーーーっ! リュードーーーっ!」
ヨーコが叫ぶ。リュードというのがヨーコの恋人の名前らしい。
「リュード! ねえ、どこなの? どこにいるの? あたしの声が聞こえたなら返事をしてよ!」
三人がかりで瓦礫と格闘すること数分――。
「おい、男の手が見えてきたぞ! ヨータ、こっちを手伝ってくれ!」
「分かった! ヨーコさん、見付かりましたよ!」
「あたしもそっちを手伝うから!」
ヨーコが耀太たちの元に駆け寄ってくる。
すぐに木々の破片の下から血だらけの男の顔が覗いた。
「リュード! ねえ、生きてんの? 死んでないよね? 死んでたら絶対に許さないからね!」
おそらく本人は気が付いていないだろうが、ヨーコは両目から大粒の涙を流していた。
「生きてんの? 生きているよね? 返事をして! リュード、返事をしてよ!」
「ず、ず、随分と……荒……荒っぽい……モ、モ、モーニング……コールだよな……」
血と埃と木片で汚れた男の顔に苦笑交じりの表情が浮かぶ。
「リュード! 生きてたんだ! 良かった……。本当に良かった!」
「お、お、おいおい……ひ、ひ、人のことを……勝手に殺さないでくれよ……。どうやら……し、し、死んでは……いないみたいだぜ……。て、て、天国にも……行ってないみたいだしな……。も、も、もっとも……目の前には……か、か、可愛い天使がいるけどな……」
「こんなときにバカな冗談を言ってんじゃないわよ!」
涙で濡れるヨーコの顔に海のように深い笑みが浮いた。
リュードの声は語調こそ弱かったが、ヨーコの質問に対してしっかり返答しているところを見ると、最悪の事態だけは避けられたようだ。もっとも、リュードが重傷を負っているのは明白だが。
「ここは木の破片が散乱して危ないから、とりあえず場所を移動させないと!」
冷静に事態の収拾を見つめていたアリアがテキパキと次の指示を出してくれる。
「ああ、そうだったよな。感動に浸っている場合じゃなかった。ケーマ、足の方を持てるか?」
「持てるけど、まさかオレたち二人だけで、この男を運ぶつもりなのか? かなりの大柄だぜ?」
「しょうがないだろう。こういう力仕事はおれたちの役目なんだから」
「耀太くん、私も手伝うから!」
「いや、アリアはケガの状態を看てくれ。目に見えないところで出血していたら大変だから」
「うん、分かった。――少し痛いかもしれませんが、ケガの状態の確認のために体を触らせてもらいますね」
アリアがその場に跪いて、リュードの体に手を這わせていく。
「うーん、手で触れた限りでは大量に出血している箇所はないみたいだけど……。でも骨の状態なんかも含めて、明るいところでちゃんと看た方が良いかもしれないわ」
「お、お、お嬢ちゃん……へ、へ、ヘンな所を触るのなら……と、と、特別料金を……徴収するからな……」
「リュード! 今度下ネタを言ったら、体にキズがひとつ増えるからね!」
「わ、わ、分かったよ……。ちょ、ちょ、ちょっとした冗談だから……。冗談でも言って、気を紛らわせようとしただけのことだよ! ヨーコもそうムキになるなって!」
「それじゃ、あたしも一緒にリュードを運ぶのを手伝うから――」
そう言うと、ヨーコは明らかにわざとジュードのケガしている箇所を強く握る。
「い、い、痛えよ! 痛えってば! 止まりかけていた血がまた噴き出しちゃうだろうが!」
「あら、ゴメンなさい! 夜中で暗いから、間違ってケガをしているところを強く握っちゃったみたい!」
「なあ、ヨーコ、悪かったよ! 謝るからさ! 本当に冗談で言っただけなんだから、もう許してくれよ!」
この短い間に、二人の力関係が垣間見えた気がする。
とにもかくにも、耀太と慧真、それに嫌そうな表情を浮かべるヨーコの三人で、リュードを運び出そうとしたとき、向こうの方から助け舟がやってきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます