第48話 四日目 黒馬とチキンレース

「まったく、ずいぶんと勿体つけた登場の仕方をしてくれるじゃん!」


ヨーコの声からは、ここですべての問題にけりをつけてやるという気迫が溢れ出ていた。


「…………」


しかし黒馬にまたがる男からの反応はなし。


「ふんっ、ダンマリを決め込むつもりなの? それともあたしと話す気すらないってことなの?」


「…………」


「いい加減にして! あんたのせいでどれだけバリーポイントやこのカスビサイドの港の評判が落ちたか分かっているの? ただでさえ寂れつつあったのに、あんたたちがあの派手な馬車で暴れまくったせいで、街や港に訪れる人の数が激減したんだからね! ここで商売をしている人たちも廃業せざるをえないところまできているんだから!」 


「…………」


「いつまでもそうやって黙っているのならば、それでもいいわ。今夜、ここですべての問題にけりをつけてやるから! あんたとの話し合いはそれからでも遅くはないからね!」


男にようやく動きがあった。手綱を軽く捌く。すると黒馬が前足で地面を掻く動作を始めた。


「あたしと馬車のテクニックを競い合うつもりならば、いいわ、相手をしてあげるから! あんたを馬車ごと、そこの海に落としてやるから覚悟して!」


ヨーコも手にした手綱をぎりっと音が聞こえるほど強く握り締める。


「みんな、振り落とされないように、しっかり掴まっていてね!」


ヨーコが操る馬も地面を掻く動きを始める。


一瞬の静寂と、それを破る二頭の馬の嘶き。


十数メートルの距離で向かい合う二台の馬車がほぼ同時に走り出した。港に馬の蹄の音が響き渡る。


ヨーコの手綱捌きと鞭入れによって、馬車は一段とスピードを上げて、一直線に黒馬に向かって突き進んでいく。



これってまさかチキンレースを始めたわけじゃないよな?



耀太の脳裏にハリウッド映画でよく見かけるカーアクションシーンが思い浮かぶ。猛スピードで正面衝突する寸前まで近付いて行く二台の車。根負けした方の車はぶつからないように慌ててハンドルを切って事故るというのが、毎度のオチである。



人生で何度も事故るのは本当に御免被りたいよ……。ヨーコさん、本当に大丈夫ですよね? このスピードで正面衝突したら、お互いに只では済みませんよ?



耀太の心のぼやきを双子ならではの以心伝心で察したのか、耀葉が小悪魔的な笑みを投げかけてきた。


「耀太、辞世の句を読むのなら今だから」


「ヨーハ、こんなときにくだらないことを言うのはやめてくれ!」


「今は『辞世じせい』の句を詠むのは『自制じせい』しておこうぜ!」


「ケーマまでヨーハの戯言にのっからなくていいから!」


「まだスキルも解放されていないのに、こんなところで死にたくないよ……。ス、ス、ステータスオープン! ステータスオープン! ステータスオープン……!」


菜呂は目を閉じて、まるでお経を唱えるかのようにいつもの文言をつぶやいている。


「なんか、ジェットコースーターに乗っている気分かも! 隣に良い男がいれば、吊り橋効果で恋に落ちていたかもしれないのに!」


「フーミンさん、恋の心配よりも、自分の命の心配をしてください!」


耀太たちがくだらない声を上げている最中もヨーコは速度を一切緩めることなく、馬車を突き進ませていく。


周囲の闇よりもさらに濃い色をした黒馬が目の前に迫ってくる。


「あたしと張り合うなんて、百年早いっていうの!」


ヨーコが最高速まで馬車のスピードを上げる。


「ヨ、ヨ、ヨーコさん! さすがに……ムチャ過ぎますってば!」


「大丈夫! 度胸比べなら、誰にも負けないから!」


手綱を握ったまま、ヨーコが叫ぶ。


「このままじゃ……ぶ、ぶ、ぶつかる!」


耀太の心の底からの絶叫に重なるようして、耀太たちの乗る馬車のすぐ脇を黒馬が轟音を上げながら駆け抜けていく。二台の馬車は数ミリ単位のスレスレのところで擦れ違った。お互いの馬車がスピードにのっていたせいか、擦れ違う際に馬車の窓がミシミシと音を立てるほどだった。


ヨーコが少し行った所で馬車を急停車させる。そして、すぐに馬車の向きを百八十度回頭させる。


黒馬の方も同じようにこちらを向く。


再び睨み合う二台の馬車。


そのとき、耀太はヨーコの顔にある変化が起きているのに気が付いた。さっきまでは考え方を改めない恋人に対してのやるせないような表情が浮いていたが、今はとても険しい顔付きで黒馬を駆る男の顔を睨みつけている。


「ヨーコさん……どうかしたんですか……? ひょっとして相手がもう諦めてくれたとか……?」


希望的観測を込めて聞いてみた。


「なんだか、いつものアイツじゃなかったみたいだったけど……」


耀太の質問に答えるというよりは、自分自身に対してつぶやいているようなヨーコの声。


「アイツじゃないって……? でも、あの男の人はヨーコさんの、つまり、恋人というか……そういう関係にあった男性なんですよね?」


「たしかに見た目はアイツなんだけど、なにかが違っていたような……。そもそも、アイツはここまで馬車の運転テクニックがあったはずないのに……?」


ヨーコはそこまで言ったところで、何かを振り切るように頭を大きく振る。


「まあ、いいわ! 少しはマシな手綱捌きを覚えたってことね! でも、あたしのテクニックにはまだまだ敵わないはず!」


ヨーコは馬に鞭を入れ、馬車を前進させる。


黒馬も先ほどと同じようこちらに向かってくる。


二台の距離が瞬く間に縮まっていき、再度、もの凄い速度を維持したまま二台の馬車がギリギリの距離で交差した。


「やっぱり違う……。絶対にアイツじゃない!」


ヨーコの表情が確信めいたものに一瞬で変わった。


「違うって……それじゃ、あの男の人は誰なんですか?」


男の元の顔を知らない耀太には確認のしようがないので、ヨーコに聞くしかない。


「手綱捌きも、馬車の運転テクニックも、何もかもアイツとは似ても似つかないの! まるで別人が馬車を操っているような……」


「別人って……どういうことですか……?」


「ねえねえ、二人ともお取り込み中のところ悪いんだけど、ちょっと聞きたいことがあるの、いいかな?」


この非常事態にいつも通りの口調で加わってくる楽天的な人物は史華以外いない。


「今擦れ違ったときに一瞬、馬の目が赤く光ったように見えたんだけど、この世界の馬は目が赤い種類もいるの?」


「目が赤いって、それってフーミンさんの錯覚じゃないですか? あるいは周りの篝火の炎が角膜に反射したとか?」


耀太は現実的な回答を示した。


「ううん、そういう感じじゃなくて、目の全体が赤くなっていたんだけど。だから、てっきりウサギみたいな馬がいるのかと思ったんだけどね」


「赤い目をしているのはウサギさんだけじゃなかったんだ! ひとつ勉強になっちゃった!」


「クミッキー先生、動物園に見学をしに来ているわけじゃないんですよ! それよりもヨーコさん、フーミンさんが言ったみたいな赤い眼の馬なんて、この国にはいるんですか?」


「ううん、長い間、馬車造りをしているけど、そんな馬の話なんて一度も聞いたことがないけど……」


ヨーコは恋人だと思っていた男が別人のように思えたことがまだ信じられないのか、黒馬の方から一瞬たりとも目を離そうとしない。


「おい、ナーロ、これってどういうことなんだ? 異世界マニアのお前ならば、オレたちに分かるように説明出来るだろう?」


「多分だけど……あの黒馬は呪いか魔法が掛けられているんだと思う。あるいは馬に見えるだけで、その正体は魔物なのかも……」


「呪い? 魔法? それに魔物だって? そんなことあるのかよ?」


「『異世界作品モノ』では、赤い目をしているのは大概『魔物』っていうのが相場なんだよ!」


「それをこのタイミングで信じろっていうのか?」


出来れば、こんなときに魔法や魔物などの与太話には付き合いたくない。耀太たちは男女のトラブルを解決するためにこの港に来たのであって、魔物退治に来たわけではない。


「そんなこと、ぼくに言われても困るよ! とにかく魔物絡みだったら、ヤバイことだけは間違いない! 何もスキルがない、ぼくらのような一般人じゃ、絶対に敵う相手じゃないから!」


「それじゃ、どうしろっていうんだよ! こういうときこそ、おまえの魔法の力で――」


「だから、ぼくの魔法の能力はまだ覚醒していないんだよ! ステータスオープン! ステータスオープン! ステータスオープン――」


例によって、お決まりのワードを連呼し始める菜呂。


「ちょっとそこで騒いでいる二人! アイツがまた来るわよ! しっかり体勢を整えて!」


耀葉の指摘通り、黒馬が前足で地面を掻く動作を始めている。こちらに突進してくる合図だ。


「ヨーコさん、あの黒馬がまた来ますけど、大丈夫ですか?」


「二回目に擦れ違ったときに分かったんだけど、アイツは少しづつ馬車の動きをあたしの手綱捌きに合わせて修正してきているの。もしかしたら次は正面衝突を避けられないかもしれない……」


珍しくヨーコが弱音を吐露した。


「えっ、衝突を避けられないって……。それじゃ、いっそうのこと、ここは一旦退却した方が――」


ヨーコが抱える事情を解決したい気持ちもあったが、今は自分たちの安全を優先させないとならない。


「ううん。ここで逃げるわけにはいかないわ! ようやくアイツに再会出来たんだからね! なんとしてでも今夜、すべてを終わらせたいの!」


「でも、もう打つ手がないんですよね?」


「最終手段がまだ残っているから!」


「最終手段?」


耀太の低スペックの頭では、逃げる以外の選択肢は思い浮かばなった。


「アイツがまだあたしのことを少しでも覚えているのなら、『ソレ』に賭けてみるのも一興でしょ?」


ヨーコが寂しげな笑みを口元にそっと浮かべる。笑ってはいるが、心は笑っていない、そんな笑みである。


「ヨーコさん、何をするつもりですか?」


言いながらも、耀太は今からヨーコが何をしようとしているか察していた。察していたからこそ、確認しなくてはならなかった。


「みんなは安全な馬車の中で待機していて!」


ヨーコは静かに手綱から手を離すと、鞭もそっと御者台に置いた。それからゆっくりと地面に降りる。


「魔物だろうが何だろうが、アイツを止めるのは、この港ではもうあたししかいないんだから! あたしが全身全霊でアイツを止めてみせる!」


「ヨーコさん、それは危険すぎますってば! 命の保障もないんですよ!」


耀太はヨーコを必死に押し止める。どう考えても、これは分が悪すぎる賭けである。


「大丈夫! みんなは港の女の生き様をそこで見ていて!」


ヨーコは耀太の声に歩を止めることなく、覚悟を決めた足取りでもって前方に突き進んでいく。そして、体ひとつで黒馬と対峙する。

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