サンプル2

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「カラよ」

 振り向くとガートルードが立っていた。平均より背が高いカラが、やや目線を上げなければガートルードの目と合わない。

「今日の夜番を手伝ってくれ」

 カラを見下ろす若葉色の目は強い光に満ちている。

 元より断る理由のないカラは首を縦に振って応えた。

「ありがとう。では夕刻、広間で待っているから剣を持ってこい。羽織るものはこちらで用意する。いいな、剣だけは忘れるな」

 カラが頷くと、ガートルードの大きな目と口は弧を描いて豪快な笑みを浮かべた。

「忘れるなよ」

 と笑い声を残して、ガートは私室に戻っていった。

 日が傾いて部屋に斜陽が差し込む頃、カラは剣帯を締めて剣を提げた。

 広間に降りていくと、すでにガートルードが食卓に座って、夕食当番の英雄とエール片手に談笑していた。

「お、来たな。まぁ座れ」

 ガートルードは隣の椅子を引いた。

「先に軽く食事をしていこう。夜食を持っていくからいま無理に食べなくてもいいが」

 カラは椅子に座り、並べられたパンに手を伸ばした。

「今夜は冷えそうだから気をつけて」

 英雄はエールを注いでカラの前に置いた。

「冷えよりも魔物の方が面倒だな」

 ガートルードは残っていたエールを一気に呷って、英雄の前にコップを差し出した。

「ガレーだけが原因なら、襲ってくる理由はなくなったはずだ」

 英雄はエールを注いで応えた。

「だといいがな」

 ガートルードは眉を顰めた・

「最近何かおかしい」

「他の皆もそう言ってる」

「マークスは何と?」

 英雄は首を振った。

「まだ戻らないそうだ。ウィスカの使者も戻ってこなかった」

 ガートルードの顔色が変わる。

「戻ってこなかっただと? 〈魔術師〉の仕業かッ?」

「〈魔王〉の城の方には飛ばしてないらしい」

「なら、国か……」

 ガートルードはエールを口に含んだ。甘口の濃厚な液体が喉に落ちてゆくの十分に味わってから、英雄に目を向けた。

「殴り込みにでもいくか?」

「人相手に戦いたくはないよ」

 英雄は苦笑いを浮かべる。

 ガートルードは鼻を鳴らした。

「どうせ魔物どもをぶっ倒したら、いやでも人間さまと戦わなきゃならんのだぞ」

「そうかもしれないが……、いまは考えたくはないよ。魔物で手一杯だからね」

 英雄は困ったように笑った。

「ま、そうだな」とガートルードは大仰に笑ってカラに目を向けた。

「さて、カラ。そろそろ行くぞ」

 カラは黙って首を縦に振った。

「これを着ていけ」

 ガートルードはマントを目の前に置いた。毛織物でできた厚手のマントだが、羽織ると肩に馴染んであまり重さを感じさせない。

「マドが仕立てたんだよ。いい着心地だよ」

 英雄はカラのそばに来て、肩周りを整えた。

「羽織ったな、よし。剣はどうだ?」

 カラはマントの裾を避けて剣を見せる。

「よし、いいぞ。さぁ行こうか」

 同じく身につけたマントを翻してガートルードが歩き出した。

「気をつけて」

 裏口を出るガートルードとカラに、英雄が夜食の入った皮袋を差し出した。

「ありがとう、団長。行ってくるよ」


 見張り台は村の北にある崖の上に造られている。木組の簡素な塔の頂上部に見張りのための小さな部屋が設けられ、傭兵団の団員が交代で任に当たった。

 ガートルードとカラは細い梯子を器用に登って頂上に辿り着いた。

 梯子の先に小さな鳥が止まっていたが、ふたりが近づいても逃げる気配はない。

 頂上部は狭く、部屋と言っても上半分が取り除かれた板張りの質素な壁と同じ材質の床に、草葺の三角形の屋根がついているだけのものだった。寒さ暑さを凌ぐ手盾は衣服に頼る他はない。

「あまり術は使いたくはないんだ」

 ガートルードが言った。

「団長やウィスカ、マド以外は術にあまり慣れていない。寒さ暑さを和らげる術に身を置くと感覚が鈍るんだ。私やニアは特にそうだ」

 カラを一瞥してにやりと笑う。

「お前は大丈夫そうだな」

 小さな部屋はふたりが並んで座れば目一杯の広さだった。

 ガートルードは窮屈そうに長身を折り曲げてようやく落ち着いた。

「夜番はこうして異変がないか見張る仕事だ。さっき術は使わないと言ったが、それは自分の身に使う時は、の話で、実は村には術を掛けているんだ」

 マントの中から素焼きの壺とコップを取り出し、ワインを注いだ。

「飲むか」

 カラが頷くと、どこからともなくまたコップを取り出した。

「村に掛けている術というのはな」

 と言いながら、ガートルードはコップになみなみとワインを注いでカラに差し出した。

「侵入者を防ぐ結界のようなものと、不審なものを見つける探知のようなものの二つの役割を担っている。掛けているのはウィスカだが、あいつひとりの力では維持できない」

 ガートルードはワインを呷って続けた。

「そこで力のこもった石をここに置いて、術の維持を助けている」

 意味深に視線を巡らせてからガートルードは笑った。

「しかし石なんてどこにもないだろう? だが、あるんだよ」

 ガートルードは右手をかざした。黒い影がすっと差して手の先に止まる。

「さっき梯子のところにいただろう。こいつが石だ」

 よくみると黒い影は小さな小鳥の形をしていた。

 短い尾を揺らしてガートルードを見ている。

「なんでこんな形で、しかも石と呼ぶのか私は知らん。そもそも術の仕組みだってよくわからんが、ウィスカやマドが使うのだ。信用はおけるさ」

 ガートルードは豪快に笑った。

「さっき夜番は異変がないか見張る仕事といったが、正確に言えばこいつを世話する仕事だ。ここに来て辺りに目を凝らしながら、こいつにも気を配る。そして飯をやる」

 飯はな、と言ってガートルードは石に左手を近づけた。

「こうやって手をかざすんだ。こうすると、体の中にある力を石に分け与えることができる。術は使えなくても力は大体誰にでもあるらしいぞ」

 石はガートルードの指先を軽く突いた。

「痛くも痒くもない。少し眠気を感じるくらいだ」

 ガートルードが右手を差し出した。

 カラは指先を石に近づける。

 石は左右に首を振って指先を探るように見てから、おもむろに突いた。

 すっと力が抜けるような感覚が一瞬だけ広がったが、言われた通り痛くも痒くもない。

「よかったな。こいつはお前がお気に召したようだぞ」

 石はガートルードの右手から離れ、壁の淵に止まった。

「また餌が欲しくなったら飛んでくるさ」

 ガートルードは残ったワインを一気に飲み干した。

 素焼きの壺を取り上げながらカラを見る。

「少し眠ってもいいぞ」

 それとも、と言ってガートルードは目を細めて笑った。

「私と無駄話でもするか?」

 カラが頷くと、ガートルードは意外だというように目を丸くした。

「そうか。なら無駄話をしようじゃあないか。お前とゆっくり話す機会はなさそうだからな」

 ガートルードは顎を摩りながら壁の向こうの空に目を向けた。

「何から話そうか……。マークスのことは聞いているんだよな?」

 カラは頷く。

「じゃあ、私たちの話——アルトス傭兵団の歴史でも物語ろうか」

 ワインを口に含んでからガートルードは言った。

「団長——ブランは二代目で、初代はマークスと言った。詳しいことは知らんが、傭兵として随分腕を鳴らし、島中にその名が知れ渡っていたらしい。強さはもちろん、その慈悲深さが特に有名で、救われた奴は数知れない。ブランもそのひとりさ」

 石が不思議な鳴き声をあげた。

 ガートルードは勢いよく立ち上がって空を睨んだ。

「……大丈夫だ。ただの狐だ」

 腰を下ろして話を再開する。

「ブランはアルトスの前にもある傭兵団で団長を務めていた。そこに私とニアも所属していてな。いい団だったよ。ただブランも他の仲間も若すぎた」

 私とニアは少し歳が離れていたが、とガートルードはにやりと笑った。

「あるとき揉めてな。大した理由じゃあなかったが、ブランへの不満を募らせる恰好の火種になった。ブランをよく思っていなかった周りの連中が、ここぞとばかりにそれを焚き付けて爆発させた。ほとんど言いがかりみたいなものだったがな、多勢に無勢でブランが悪者にされたよ。そして」

 ガートルードはふっと息を吐いた。

「仲間に裏切られたんだ。それも手酷いやり方でな」

 声に怒りが滲む。

「私とニアも巻き込まれ、ブランを助けられずに生き別れた。……あのときはもう二度と会えないと思ったが」

 マークスが助けてくれたんだよ、と苦しげに呟いた。

「ブランはマークスの元で心身の傷を癒やし、傭兵に復帰した。そして私やニアを探してくれた。再びブランの姿を見たとき心底悔やんだ。なぜあのとき助けられなかったのかと」

 だが、とガートルードは続ける。

「あのとき助けたのがマークスでよかったと思い直した。歳は取っていたが、マークスほどの年齢にも経験にも達していない私やニアでは到底不可能だったと、マークスに会ってわかったのさ」

 ガートルードに穏やかな笑みが戻る。

「それからまた三人で戦うようになり、やがてブランはマークスから傭兵団を受け継いだ。その後、ウィスカたちが入ってくるんだが」

 あぁ、と声を上げた。

「ドラウグとは、ブランと再会したときに出会ったんだ。同じようにマークスに助けられたと言っていたが詳しい経緯は聞かなかった。……傭兵になる奴には大体知られたくない過去ってもんがある。ドラウグにもそんな気配が見て取れたよ」

 もっともブランは知ってるかもしれんがな、とガートルードは付け加えた。

「ドラウグだけじゃあないさ。私やニア、ウィスカたちにもある。それをブランだけには打ち明ける。……なぜって? 必要だからさ」

 ガートルードの若葉色の目に冷たい光が宿る。

「契約みたいなもんさ……。秘密を打ち明けることでブランに縛られたような気がするだろうが、ブランも実は縛られている。だから私たちは命懸けで戦うようになる。互いに制約をかけて、運命を共にするという決意を示すのが秘密の告白なのさ。……そんな事をしてまで仕えたい相手なのだよ、あの英雄様は」

 射抜くような目でカラを見る。

「カラよ、お前だってそうなるだろう?」

 カラは是とも否とも示さなかった。

「まぁ、いいさ。……いずれわかるだろう」

 そこまで言ってガートルードは黙り、次の瞬間弾けたように笑い出した。

「これじゃあ傭兵団じゃなくて英雄の歴史じゃあないか」

 石がこちらを向いて小首を傾げた。

「何笑ってんだ、と石に怒られたよ」

 ガートルードは涙を拭いながらとぼけたように言った。

「さて、カラよ」

 笑いを収めたガートルードが真剣な顔をカラに向けた。

「ひとつ聞いていいか? お前のその剣だ」

 見せてくれないか、との問いに、カラは剣帯を解いて応えた。

 剣を受け取ったガートルードは、鞘からわずかに抜いて刃を確かめた。

「……いい剣だ」

 柄頭や鞘の造形を丁寧に眺めて満足したガートルードは、剣を返して言った。

「お前に剣を教えたのは〈騎士〉と呼ばれるエルフだったな」

 カラは頷いた。

「確かにエルフか?」

 ガートルードが念を押す。

 カラはもう一度しかと頷いた。

「そうか……」

 ガートルードは何かを考えるように視線を巡らせてから口を開いた。

「いや……随分といい師匠を持ったじゃあないか」

 羨ましいぞ、と大仰に笑った。

「エルフでありながら、最強と謳われるまで剣の道を極めた異端児——その噂は敵である私たちの耳にも痛いほど届いている」

 ガートルードはいたずらっぽい目をカラに向けた。

「カラよ、一度真剣勝負をしてみないか」

 カラが黙っていると、ガートルードは破顔して、

「冗談、冗談だよ」

 とカラの背を叩いた。

「お前と戦わなくともいずれ本人と戦うことになるだろうからな」

 ガートルードの目に一瞬冷たい光が蘇った。

 石がまた不思議な鳴き声を上げた。

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