スピードランナーメロス

ベホイミProject

走れメロス any%

 メロスは激怒した。


 必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。

 メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。

 けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。その敏感さたるや、SSR提供率3%のガチャを100回引いて「3枚出るはずのSSRが2枚しか出なかったぞ!」とクレームを入れる程であった。


 つい先程メロスは村を出発し、野を越え山越え、十里はなれた此このシラクスの市にやって来た。メロスには父も、母も無い。女房も無い。内気な妹と二人暮しだ。この妹は、村の或る律気な一牧人を、近々、花婿として迎える事になっていた。結婚式も間近かなのである。メロスは、それゆえ、花嫁の衣裳やら祝宴の御馳走やらを買いに、はるばる市にやって来たのだ。

 その品々を買い集めているうちにメロスは、まちの様子を怪しく思った。

 王の仕業に違いない。

 メロスは激怒した。「呆れた王だ。生かして置けぬ」

 メロスは、相変わらず単純な男であった。買い物を、背負ったままで、のそのそ王城へ入っていった。たちまち彼は、巡邏の警吏に取り囲まれた。

 かつて死線をくぐり抜けたメロスは、山賊を一撃で殴り倒す腕力と、濁流にも負けぬ体力と、そして沈みゆく太陽の十倍は速く走れる脚を持っている。

 しかしメロスは何ら抵抗しなかった。

 メロスは知っていたのだ。倒せども倒せども、警吏は延々と立ち塞がってくることを。すなわち無限湧きである。

 例によって許可なく城へ押し入ったメロスは、例によって懐中に短刀を携えており、例によって王の前に引き出された。


「此度はわしの何が不満だというのだ」

 王は苦笑した。その瞳にかつての冷たさは宿っていない。刻み込まれていた眉間の皺が減って、10歳は若返ったように見える。近親を殺すことも厭わなかった暴君は、メロスとセリヌンティウスの友情から人を信じることを学び、市民の話に耳を傾けその幸福を願う、良君となっていた。

 されど、メロスには政治がわからぬ。

 シラクスの市で何か気に食わないことがあれば、それは王のせいだと決めつけるのが常であった。メロスクレーマーの来訪に、王はもはや慣れきっていた。

「花嫁の服を買いに来たのだが、一体どういうことだ。前に買った時の倍額を請求されたぞ。市民は生活が苦しいから、売値を釣り上げねばならないのだ。法外な税を取っているからだろう」

「馬鹿な言いがかりだ。シラクスが潤っているからこそ、高価で物が売れるのだ。神の見えざる手、というものだ」

「なんだと。神とはゼウスのことか。まさか神が下界へ降臨なさって、物の値を操っているとでも言うのか」

「そんなはずがなかろう。お前に経済の話をした、わしが愚かであったよ」王は、憫笑びんしょうした。

「ところで今、花嫁といったか。まさかとは思うが、お前の妹ではあるまいな」

「そのまさかだ。妹の結婚式が間近に迫っている。私は花嫁の衣装と祝宴の御馳走を買いに、再びこのシラクスを訪れたのだ」

「また結婚するのか、お前の妹は。別れるのが早すぎでは無いか」

「先日の離婚でバツ5となった。わたしが最速で走ることに長けているように、妹は最速で別れることに長けているらしい」

「ほう。お前の自慢の妹も、齢を重ねてその美貌に翳りが出たか」

「そんなはずは無い。毎日家を訪れて食卓を囲んでいるが、今でも妹は美しいぞ」

「毎日だと。メロスよ、お前のせいではないのか。妹の元夫達は、シスコンで乞食なお前を迷惑に思って、去っていったのだ。やれやれ。妹の幸せのため、この男は殺しておくべきだったかな」

 人を信じることを覚えた善良なる王に、メロスをどうこうする気はない。

 しかし、メロスは王の冗談を間に受けた。

「待ってくれ。わたしは妹の結婚式を見届けねばならぬ。前のようにセリヌンティウスを置いていくから、しばしの猶予が欲しい」

「メロスよ、待つのだ。わしは人殺しなど望んではおらぬぞ!」

 王の制止も聞かず、メロスは友を呼びに行った。


 メロスには竹馬の友があった。セリヌンティウスである。今は此のシラクスの市で、レジンクラフトをしている。

 セリヌンティウスは、呼ばれるまでもなく王城の前を訪れていた。メロスから事情も聞かず、ただの一言も発することなく、警吏に捕縛された。

 友と友との間は、それで良かった。

「流石はプロ人質のセリヌンティウスだ。話が早くて助かる」

「メロスを、友を信じている。それに、縄で強く縛られた時。そしてその惨めな姿を晒された時。あの瞬間のなんとも言い表せぬ幸福な気分が忘れられないのだ。友がまた、この機会をくれたことを嬉しく思う」

 王はあっけに取られて、成り行きを見守るほか無かった。

「この国には阿呆しかおらぬのか。わしはおまえたちを見ていると、治世の仕方を間違えたのかもしれぬとつくづく思うのだ。もう良い。好きにするが良い。期限はまた三日後で良いな?」

 メロスは躊躇わず言った。「三日も要らぬ。一日あれば良い」

「なんだと!? 初めて此のシラクスと村とを往復した時、おまえは三日目の日が沈む寸前に駆け込んできたでは無いか」

「ESTは短い方が燃えるのだ。それに、あの時はわたしも未熟だった。試行回数が足りなかったにも関わらず、余裕で帰り着けると思い込み、道中では歩き鼻歌まで歌って、村で一眠りをするガバをやらかした。だから三日もかかったのだ。あれからチャートを見直し、新たな移動方法も開発した。モデレータとしても活動し、走者達の取り纏めもしている。わたしをあの頃のメロスと同じと思って貰っては困るぞ」

 EST。ガバ。チャート。モデレータ。

 聞き慣れない言葉の羅列であったが、呆れ果てた王には、もはやツッコむ気力は残されていなかった。

「タイマースタートは城門より出た瞬間だ。セリヌンティウスよ。カウントを頼むぞ」

「心得た」

 はりつけにされたセリヌンティウスが、嬉々としてカウントを叫ぶ。

 5、4、3、2、1。

「ゲームスタート!」

 セリヌンティウスの掛け声に合わせて、メロスは、すぐに出発した。

 意気揚々と城を出ていくメロスを、警吏達は声援で見送った。

「「「グッドラック!」」」


 メロスは、走らなかった。

 メロスは、前転した。何度も何度も、前転した。

 メロスはこれまで、シラクスと、故郷の村を、何度となく走って往復した。

 後ろ向きに走ったこともあった。

 スライディングを繰り返して擦り傷を作ったこともあった。

、跳躍を繰り返して膝を痛めたこともあった。

 爆風に吹き飛ばされて加速ダメージブーストすることを思いつき、そして死にかけたことさえもあった。

 様々な試みを経て、前転し続けるこの奇異なフォームが最も速く走れることを、とうとうメロスは突き止めたのだ。

 前転を繰り返す都度に速度を増し、風の抵抗はおろか、重力からも解き放たれて、メロスは浮遊する回転体と化した。

 文字通りの意味で、野を越え、山を越えていく。

 立ちはだかる山賊どもも、この無限の回転の前ではなす術なく弾き飛ばされた。野原の酒宴の、その宴席のまっただなかを駆け抜け、跳ね飛ばし、そして人や獣を巻き込む度に、メロスは加速していった。

 『太宰文化アタック』。これこそが、後にそう名付けられるメロスの秘技である。


 メロスは幸福感を覚えた。

 セリヌンティウスが縛られることに快感を覚えていたように、メロスは速さに魅せられていた。

 そして考えた。これほどの幸せを感じられるのであれば、速さを突き詰めることで、天国に到達することができるのでは無いか、と。

 メロスはかつてセリヌンティウスの弟子、フィロストラトスに言った。「なんだかもっと大きく恐ろしいものの為に走っているのだ」と。

 あの時に感じた、その大きく恐ろしいものとは、もしやゼウスのことなのでは無いか。

 全知全能の神に謁見し、神々と友になれるのではないか。いや、神の仲間入りが出来るのではないか。そんな考えを抱くようにすらなっていた。

 もっと。もっとだ。もっと速く。

 村の牧場の、凡庸な男の物語を終わらせて、まだ見ぬ世界へ旅立つのだ。走れ!メロス!


 景色が恐るべき速度で流れていく。高速移動するメロスに読込ローディングがついていけず、ついには青空スカイドームしか見えなくなった。

 体がスピードの世界に溶けていく。

 速度が際限なく膨張し、自分が今どこを走っているかすら分からなくなったとき。


 メロスは、何かにぶつかったのを感じた。

 痛みは無かった。

 そして、びり、と何かが破ける音がしたのを聞いた。何かを突き抜けたのだ。

 はて、草原で障害物に衝突することなどありえるだろうか。

 単純なメロスもこれには疑問を抱いて、『太宰文化アタック』のフォームを解いた。


 メロスは驚愕した。

 メロスが降り立ったのは、鬱蒼と生い茂る夜の森であった。全く知らない景色だ。

 メロスは世間知らずであるから、シラクスと、村と、その道中の地理しか知らない。

 わたしは迷子になったのか。メロスも初めはそう考えた。

 しかし、つい先刻まで己が身を爛々と照らし焼いていた太陽が、刹那に沈むなんてことがあろうか。これではまるで、別世界に来たようではないか。

 メロスの気分は高揚した。ついに天国に辿り着いたのだ。天上であっても日は沈むのだなと、呑気に思った。シラクスに置いてきた友のことすら、有頂天となったメロスの頭からは抜けていた。

 突如として訪れた闇夜に目が慣れず、恐る恐る森を歩く。草と木々とをかき分けながら進み、やがて山道に出た。


 メロスの目に飛び込んできたのは、見たことのない毛むくじゃらの巨獣、そしてそれと対峙する騎乗の男の姿であった。

 危ない!助けなくては!

 メロスは懐中より短刀を抜いた。かつて迷い込んだ書庫で拾ったその片手剣は、一度振るうと風の刃が4度敵を切り裂く必殺の魔剣である。

 しかし獣は襲い掛かる寸前でその身を翻し、くさむらへと姿を消した。

 その間、男はなんら怯える素振りを見せなかった。それどころか、男は勇敢にも馬より降りて、獣の潜む叢へと踏み出したのだ。

 メロスは固唾を飲み、ただその珍妙な光景を見守っていた。

 男は、人語を解するとは思えないその獣に、なんと声をかけたのである。


「その声は、我が友、李徴子ではないか」

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