2.

 ばあちゃんはテーブルの脇に置いてあった籠を俺に差し出した、終わりかけの花、終わってしまった花、だけどどれもがピンクのままのそれを俺に見せる。


「どうだい? ピンクかい?」

「ああ、ピンクだよ。ちょっと形は悪くなってるけど、ピンクだよ。俺が毎年ばあちゃんに贈ってる、ばあちゃんの好きなピンクだ」

「ステファン……おかしいと思わないかい? 枯れた花がいつまでもピンクだなんて」

「そうかな。枯れたってピンクだよ。補正だとしても俺はその方がいい。好きなものが色をなくしてくちゃくちゃになって……そんなの寂しすぎるじゃないか」 

「確かにそれも一理ある。だけど、その寂しさがより愛しさになるんだよ、ステファン。いつまでも楽園の中にばかりいてはダメだ。死にゆく過程も感じないと」

「嫌だよ。最後の最後まで好きな色でいいじゃないか。そんな『オリジナル』必要ない」

「最後の最後まで? じゃあ聞くけど、あんたたちにとって何が最後なんだい? 昨日までと変わらないそれをもう終わったと捨てられるのかい?」

「そりゃあ、見れば形が違うし、う〜ん、正直って、あんまりそんな場面に出くわしたことないや」


 俺は素直に白状した。俺たちの見ているものは常に完全体だ。一番いい状態のものが現実では提供されるし、仮想空間ではそれは永続設定。このドームに住む人たち、ばあちゃんたちみたいに終わっていく何かの世話をするなんて、ずいぶんと手のかかる趣味なのだ。ペットだって仮想空間の中ならば、住宅事情も餌の世話もトイレの心配もグルーミングの金額も関係ない。好きなタイプのものを好きなだけ自分のものとしてそばにおける。現実に生きているといいつつ、ずいぶんと仮想空間寄りの生活をしていることを、ばあちゃんとの会話の中で改めて気づかされる。


「花作りはほんの一例だよ。でもそれはこの世界の全てに通じる。想い通りのならないものがあるからこそ、向き合いたいと思えるんだからね」


 そう言われても……俺は想像してみた。枯れた花。色をなくしてみすぼらしいそれには失望や落胆はあっても希望は感じられない。姿形をとどめていないのなら、せめて色くらいはと考えても悪くないのではないだろうか。


「ステファン、お茶を飲んだら手伝ってくれるかい?」

「ああ、いいよ」

「その時に、保護グラスを『オリジナル』にてしてごらん」

「はあ?」

「なあに、遊びだと思って。ばあちゃんの誕生日なんだから、小さなお願いを聞いてくれてもいいじゃないか」

「ああ……」


 ばあちゃんと二人、何やらずいぶんと雲行きの怪しくなってきた空の下、庭に出る。いつもよりその迫力を感じるのは設定を「オリジナル」にしたからだ。これはなんとも物騒な色合いだな。雨雲ってこんなにやばいものなのか? そう思いつつ、ばあちゃんの背中を追って一歩踏み出した俺は思わず目を見開いた。


「なんだ、これ……!」


 ピンク一色の庭は色の氾濫だった。見たこともないピンクが押し寄せてくる。全部が全部美しいなんて言えない。それでもそれらは脈打つ力のように俺にぐいぐいと向かってきた。

 それは……それは狂おしいまでの「生」だった。綺麗に並べて鑑賞するなんてものじゃない。何もかもが主張してくる。自分の存在を俺に投げかけてくる。気味が悪いだけだろうと想像していた「退色していくもの」たちさえ、嘘みたいに鮮やかに見えた。本来の色で見るそれらが、最後の最後まで命の輝きを失わないことに俺は震えた。自分のフィルターの先の世界は完璧なはずだった。だけどこの瞬間、それがどれほど平坦な何かだったかを俺は思い知らされたのだ。


「どうだい? 愛しいだろう。命を感じるだろう。生まれ終わっていく色の移ろいが語りかけるかい? 夢や理想はいくらだって高く掲げればい。美しいものはどんどん満喫するといい。素晴らしいことだ、ありがたいこと。だけど同時に、私たちは忘れてはいけないものを持っているんだよ。変えられない色、止められない変化。『オリジナル』を知るからこそ、自分が求める色に意味が出てくるんだよ。この先、体が動かなくなって、花の世話ができなくなった時、私のAIは私が今まで体験したものの中から最高のものを構築できるだろうね。私を楽しませようと、花は枯れることなく咲き続け、色褪せることもないだろう。それはそれでいい。だけど私はきっと思い出すのさ。終わりゆくものの美しさをね」




 思えばあの日々は、ばあちゃんが俺に本当の意味で生きることを見せてくれていた時間だったのかもしれない。俺たちは何も知らないのに、知らずに生きていくことにさえ疑問を持っていなかった。不都合な何かも、思い通りにならない何かも、そんなものはあり得なかったのだ。そしてそれはまかり通った。

 だけどそうじゃない。そうじゃなかったんだ。切り捨てられるものの中にも輝く命はあって、俺らはそういうことと共に生きるべきなんだと、それがより互いの「生」を輝かせるのだと、そう教えてくれていたのだ。

 俺は第七ドームの霊園、高台にあるばあちゃんの墓碑の脇で保護グラスの設定を「オリジナル」に替え、足元にあった枯れた秋の花たちを摘み取る。


「ばあちゃん、秋が終わるよ。季節がまた巡るな。色のない時期は……ああ、ばあちゃんにはそれも寂しいものじゃないか。冬枯れの良さもいいもんだよな。春になったら、またあれもこれも植えてやるからな」


 受け入れがたいものがあるからこそ、求めるものの価値が見えてくる。俺たちはそのバランスを愛するべきなのだ。俺は色を失った手の中の花を見る。それは終わりではなく始まりだ。そこにはもう春の喜びが見え隠れしている。


「何一つ変わらない世界なんてもうまっぴらだな。あれもこれもあっていいんだよな? だから面白いんだよな?」

 

 頬を撫でる風は冷たかったけれど、俺はばあちゃんの色と温かさに満たされていた。大きな独り言だな……そう苦笑しつつ、けれどなんだか嬉しくて、俺は心の底から笑った。

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俺の色を俺が愛する理由 クララ @cciel

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