俺の色を俺が愛する理由
クララ
1.
「ばあちゃん、誕生日おめでとう!」
俺は新しい花の苗を手にばあちゃんの家を訪れた。ばあちゃんは、俺たち家族が住む惑星一巨大なドームから三つほど向こうにある小さくてちょっと特殊なドーム内に住んでいる。
何が特殊かというと、そこでは真冬と真夏を除き、ドームが週四日間解放されているのだ。嵐が来ても熱波に襲われても、そのスケジュールが変わることはない。その都度、そこに住む人々は大騒ぎだ。だったらドームを開けなければいいのにと思うのだけれど、どうやらそうではないらしい。彼らのほとんどが、完全管理された高層ビルではなく庭を持つ一軒家に住んでいて、それこそが彼らの求めるものだというのだから驚きだ。
俺の声が無人のキッチンに響く。返事はない。想定内だ。しかし念のため、と俺は再度声を張りあげた。
「ばあちゃん! ばあちゃん! 庭かなあ……」
やはり答えはなく、俺はキッチンの奥まで進んでレースのカーテンがかかる窓を覗き込んだ。案の定、小さな背中がピンク色に埋め尽くされた庭の中に見える。一面のピンク、ばあちゃんの好きな色だ。俺は庭へ続く両開きの扉を押し開いた。
「ああ。ステファン、来てたのかい」
「来てたのかいじゃないよ、さっきから呼んでるのに」
「ごめん、ごめん、もうすぐ雷雨が来るんだよ。だからできるだけ花柄を取らないとね」
「雷雨? ……まじか。聞いてない……」
「まあ、まあ、いいじゃないか。ゆっくりできるんだろう? だったら明日帰ればいい」
壁のボードに浮かび上がるドームスケジュールをちらりと見やれば、明日のドームは閉まっている。行動が天気に左右されることはなさそうだ。腰を叩いているばあちゃんを見て俺は小さくため息をついた。
「庭なんて俺がいくらでも増やしてあげられるよ? 無理すんなよ。ばあちゃんはカウチに座ったままで好きなだけ庭を堪能できる。なんなら世界中ピンクにしようか?」
現実と仮想空間を同じ比重で楽しむのが俺たちのスタイルだ。どちらもが存在するもの。と言っても、俺をはじめとした仕事に追われる都市部の人間は、多くがほぼ仮想空間内に留まっているけれど。
そして人はみんないくつかの姿を使い分ける。生まれ持ったものの他に、願望や夢が詰まったものを並べて空間内に掲げてあるのだ。それはサロンで髪を切ったり染めたり、ショップで服を選ぶのと同じこと。他人の目を欺く隠れ蓑ではなく、誇れる自分、誇りたい自分、満足のいくカスタマイズだ。誰もが臆することなくその全てを並べ、他の者たちはそれを微笑ましく見える。もちろんその自慢の作品が劣化することはない。
さらに自身のデバイスを通せば、全ては自分好みの世界となる。読み取った情報を元に、俺たちは俺たちの色でそれを見ることができるのだ。俺が好きな青は、隣のミッシェルの好きな青とは違う。だから、無数の青の中から、自分を完全理解したAIによってあらかじめフィルターがかけられる。その結果、俺が見る青は、いつだって俺の心を揺さぶる色になる。
そう、俺たちはいつもいつも見る世界に感動できるようになるのだ。すぐ近くにこんなに美しい場所があったのかとため息を漏らす。この惑星上に神秘の絶景が次々と増え、俺たちは誰もがその楽園の恩恵を享受するというわけだ。
「ステファン、あんたの気持ちは嬉しいけど、私は『オリジナル』を愛する者だ。古くさいかもしれないけど、それが好きなのさ。あんた、『オリジナル』を最後に見たのはいつだい?」
「え? 『オリジナル』? ああ……」
「思い出せないだろうね。まあ、そんなものか……」
眉を下げ、いつになく寂しげなばあちゃんの様子に俺は慌てる。
「いや、でもほら。機能はちゃんとあるから。いつだって見ようと思えば見れるし」
「わかってるよ。別に怒ってるわけじゃない。それが今の在り方だって、ばあちゃんにもわかってる。忙しいあんたらにはなくてはならないものだ。私みたいに年がら年中空を見てるわけにはいかないんだからね」
いつものらしさを取り戻した声色にほっとしつつ頷く。
「だけどね、ステファン。思い通りにならないものの中にこそ、面白みはあるんだよ。軌道から外れたものに振り回される喜びは、実は大きな刺激でインスピレーションの源だ。そして何より、限られた命の尊さを感じるよ」
「限られた命、ねえ……」
いかに科学が技術が発達しようとも、俺たちはやはり寿命からは逃れられない。明らかに長生きできるようになった。だけど不老不死にはなれないのだ。だからこそ、完全なる自分の世界を堪能しようと俺たちは思うわけだけれど、ばあちゃんはそうではないらしい。俺にはその気持ちがいまいち理解できない。
キッチンに戻り、テーブルに座った俺の前に湯気の立つカップを静かに置きながらばあちゃんは言った。
「あんたさっき、ばあちゃんのために世界をピンクにしようかって言ったね」
「ああ。簡単だよ。ばあちゃんの好きな色を使って」
「ステファン、ばあちゃんのピンクは一つじゃないよ」
「え? じゃあ、いくつかのピンクを組み合わせて」
「違う。違う、そういうことじゃない」
首をかしげる俺にばあちゃんは言った。
「ピンクだと思って買った花が、ピンクに咲かないこともあるんだよ。気温が低かったり高かったり、日照時間だったり乾燥具合だったり。つぼみの時期にその個体が置かれた状況で、同じ茎に付く花さえ同じ色にはならないんだよ。でもそれもあれもピンクで、ばあちゃんが思いもよらなかったようなピンクで……だけどそれがたまらなく愛おしいのさ。あんたの目には一色のピンクに見えているこの庭も、本当は無数のピンクで溢れかえっているんだよ」
俺はなんの話だと言わんばかりに肩をすくめて見せた。
「そんなことはわかっているよ」
「いや、わかってないね。わかっているつもりでわかっていないんだよ。その証拠に、デバイスには初期設定の段階で『オリジナル』は用意されていない。オプショナルだろ? そして出かける時のその保護グラス、それだってあんたたちを仮想空間に閉じ込めたままだ」
「でも、俺たちが見てるものは現実世界だよ。今だって、俺の知らない花の形がここにはあるし……」
「ああ、そうだね。だけど、ばあちゃんの愛する色をあんたは見たことがない 贈ってくれる毎年の花の色だって。あんたには同じように見えているだろうけど、どれもこれも違うんだよ」
「……」
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