EP.10 アレクサンダリアへようこそ 後編
陽は落ちかけ、少年が駆けだしたあの時から1時間は過ぎただろうか。
「……」
あのとき二人で泊まった宿屋で、今では一人だけになりながら荷物を片付ける少年。部屋には出発前に残した荷物が残っており、それをリュックへ入れては手を止め、ある者の帰りをいつまで待とうか、と思いふけることを繰り返していた。
ルカは、エルドラの転移魔法『テレスト』で窮地を逃れた。一人ダンジョンから地上に戻ることが出来たルカが、単身でモンスターの『岩砕きのドレイク』と対峙する彼の為に冒険者ギルドへ一目散に駆けて行ったのが、夕刻になる前の出来事であった。
『助けられなかった』
少年に待ち受けていたのは最悪の事実であり、十分に予想し得た事態だった。『仲間が近くのダンジョンでドラゴンに襲われている』。その報告を受けた冒険者ギルドはすぐさまクエストを発行し、ただちに十数人が名乗りを上げて救助隊が出向いた。流石はオルテナイのギルド。大国テネルに近いだけあり、相応の人数が揃っていた。しかし、ギルドも、少年も、皆の予想に反して救助隊の帰還はとても速かった。そしてその報告は少年を絶望させ、一人宿を退くための準備をさせていた。
コン コン
「は、はい」
「失礼します。ルカ様。オルテナイ冒険者ギルドの受付係サニワタと申します」
「あ、あの時の受付さん……そ、それでどうなりましたか。再調査は……」
少年の前に立つのは背の高い長耳の女。ツヤのある金髪が特徴的な、眼鏡をかけた物静かな女性である。
「エルドラ・マクスエルの生存確認ですが……やはり最初の報告通りです。遺体も竜も、既にそこにはありませんでした」
「そんな!」
手に持っていた銅剣が床に落ちた。渇いた金属音が部屋に響き渡る。構わず長耳の女は続けた。
「ギルドで一つ、新しい情報が入りました。竜と思しき影が北の夕空に消えていくのを見たと」
「に、逃げたのか……」
「竜はとても賢い存在です。中には神の眷属に類するものも……恐らく危険を察知し、遺体を連れて逃げおおせた可能性があります」
「ち、違うっ、エルは!」
ぎゅう、とルカの手に固い握りこぶしが生まれる。湧き出て来る感情を抑えながら、呟くように返した。
「エルドラは、まだ生きてる筈なんです……っ!」
様々な感情に飲まれながら、思いを話すその少年に、冒険者ギルド受付のサニワタはやれやれ、という表情でため息をついた。
「……分かりました。はっきり言って望み薄ですが、引き続きギルドの方でも捜索願いを出しておきます。しかし、もしエルドラ氏が無事発見された場合、発見者に相応の謝礼金を払う準備はしておいてください」
「あ、そっか……」
ごそごそと懐にある金貨を入れていた袋を取り出したが、その萎んだ姿から、中身が心許ないことは良く分かる。
「えっと……」
「別に、今すぐ用意しなくても大丈夫ですよ。必要であればギルドで建て替えもできますし、発見者が出たその時に用意して頂ければ問題ありません。それに……こほん」
「……?」
「今貴方は、ご自分のことに専念して良いのです……その、前を向いて少しずつでも進めば、事態は自ずと良い方向に転がります」
サニワタは少し言い慣れない、と言った風に咳払いを挟んで言った。淡泊な調子は変わらなかったが、励まされたのだということはルカにも十分理解できた。
「さ、サニワタさん……ありがとうございます」
前を向けと言われても、未だにその気にはなれないルカだったが、それでも小さな頭を深々と下げ、感謝を述べる。彼女は一瞥だけ少年を見遣ったあと、いそいそとその部屋を去った。
「はぁ……」
一人の男のため息とともに、ゴォンと鈍い金属音が森の中を走った。そこに在るのは、深緑が称えるアレクサンダリアの美しい森には、とても似つかわしくない二つの存在。
「ダンナ! どこまで行ってるんですかぁ!」
「ミナ、どうしてここに。町でルカ……少年を探すと言っただろう」
「探してましたよ! 探してる最中にドラゴンの影と、ダンナがそれにしがみついてるのが見えたから、急いで追いかけに来たんスよ!」
重低音と共に大剣を地面に着きさし、豊かな森の緑に決して溶け込まない立ち姿を見せるのは、バルフォルシアもとい阿藤竜司。辺りをキョロキョロと見渡して、自分が今居る場所に気付く。
「しまった。『岩砕きのドレイク』を追っていたら、こんなところまで……」
「ダンナ、絶対帰り道分からなくなるでしょ? 心配でついてきたんですよ。後でアリアちゃんも来ます」
「む、何故あの子まで……」
「なんだか強い気配? を感じるって言うんですよ。もしかしたらこの辺りにアドリアル・カリオストロの肉体が居るのかも知れませんねぇ。竜鳴りってやつの時と言い、なかなか勘が鋭い子のようで……」
ミナは亜人特有の鋭敏な五感を用い、陽の落ちかけた昏い森を調べた。
「……ぶえ、なんすかこの匂い!」
「何って、これのことか?」
阿藤竜司が指さしたのは、木々が生い茂りたまたま死角となっていた暗がり。よくよく凝視すれば、そこには血まみれの竜の死体が在った。それは先ほどまで阿藤竜司が戦っていた『岩砕きのドレイク』そのものであり、彼以外の森に似つかわしくないもう一つの存在である。
「うへぇ……マジでバケモンですねダンナ……魔法ナシでそこまでやりますか」
「『ギフト』のお陰だ。大したことじゃない」
ばさり、とつけていたマントを外し、竜司は竜の死体へと近づいた。手には短剣が一本だけある。
「剥ぎ取るんですか? こんな大きいと流石に業者でも呼んだ方が……」
「いいや、素材は要らん。中に子供が居るから、それを引っ張り出して確認しなくては」
「へぇ中に……えっ!?」
亜人特有の耳がピンッ、と勢いよく立った。淡々ととんでもないことを言ってのけた竜司、そして竜の腹の中にあるもの、どちらにも驚きを示した。
「ちょちょちょ、ちょっと! く、喰われたんですか!? る、ルカくんが……あぁまさかぁ!」
「遠目から食われるところをたまたま見ただけだ。まだ分からん。アドリアル・カリオストロの肉体ではない可能性の方が高い。私の直感がそう言っている」
「それってルカ君が転生する前に感じたヤツですか……その直感に掛けるとして、どうやって確かめるんですか。このサイズのドラゴンなら咀嚼はしてるだろうし、岩を砕いて食べる生き物なら消化液も強いだろうし、原形は恐らく……うっぷ」
おええっ、と吐き気を催した亜人の娘に目もくれず、竜司は短剣を竜につきたてる。岩のような鱗の隙間は微かに肌が露出しており、巧みにその隙間を切り裂いていく。
「確認にはあの子、アリアの力が必要だ。だがこんなグロテスクなモノ見せられないから、この作業は早く終わらせたい。ミナ、お前も手伝ってくれ」
すとん
「ふぅん。誰にこんなもの見せられないって?」
背後で吐き気に苦しめられるミナに、ふいと振り向いた竜司。だがそれと同時にその場で風が巻き起こり、一瞬、解体作業のせいで立ち込めていた悪臭が吹き飛ばされた。
「アリア……」
旋風の後、軽やかにその場に着地したのは町にいたはずのアリア・カリオストロ。アドリアルの気配を感じて、風の魔法フォビオを巧みに用いながらここまで飛んで来たようだった。
「竜司、そんなに私は弱そうに見えるかしら」
「そ、それは……」
「貴方ほどの人に気遣われるのは、別に嫌じゃないけどね。それでも私にもプライドがあるわ、それ相応のね!」
まだ辺りにはアリアの起こした風が吹き、そのオドの優しさはどこか覚悟を決めたようだった。
「すでに腹は括ってるわよ。さっき言ってた確認ってやつ、竜の腹の中の子供を再生しようってことでしょ」
「あぁ、理解が早くて助かる。まだ食われてから間もないから形は十分に残ってるはずだ。君の魔力の高さ、その純度はあそこで吐いてるミナから以前聞いたから、その力を借りて食べられた子供の原型を確認したいんだ」
「まぁ……分かったわ。それじゃあ私も解体手伝うわよ」
「出来るのか? 力仕事だぞ」
「ふん、子供扱いしないでちょうだい!」
アリアが取り出したのは特殊なきらめきを放つナイフ。対モンスターでは少し心許ないその刃物は、竜司からは多機能的な、サバイバルナイフのようなものに思えた。
「オドよ、刃を燃やせ……」
少女が短剣の刃に手をかざす。魔法の扱えない者でも、その人型の存在『オド』は視認できる。大気を漂う愉快な小人たちが、楽しそうに炎に熱を与えている。
「火の魔法、ファルマの応用か。炎を出すだけじゃなくエンチャントまでこなせるとは……」
「カリオストロ家の人間だもの、これくらい当然よ!」
熱を帯びた剣は、すんなりと竜の腹を裂いていく。肉の焼ける音と匂いが鼻腔をしつこく刺激したが、少女は文句ひとつ言わず作業を続けた。
「うぅ~~、臭い、グロい~~……」
「これで粗方の作業は終わった。ミナ、大丈夫か」
「この亜人、サボりたくてごねてるだけじゃないの?」
「違いますよぉ! 亜人、とくに私みたいな嗅覚の敏感な種族には、こんなにおい耐えられないんです! 町に帰らないだけ偉いと思ってください!」
アリアがはぁ、とため息を吐いて見つめた。段々匂いにも慣れてきたが、次はもっと精神的に辛い仕事がある。
「じゃあ、アリア。頼まれてくれるか」
粗方の作業、というのは竜の腹から人と思しき者やその部位を取り出すこと。そして竜司の前には、取り出した人の形をした何かが、竜の体液や何かの血に塗れてそこに在った。
「……分かったわ」
作業を始める前から分かってはいたが、それは最早生きてはいなかった。しかしそれでも確かめない訳にはいかない。前に進むための残酷な選択肢。一度死んだ者を、自分たちの都合で形だけ元に戻すという、自然摂理に対するある種の冒涜。躊躇こそはしたが、それでも胸に手を置き、オドへの祈りは止められなかった。
「えぇ、既に死んでいる」
「……?」
「えぇ、無駄だわ。でもこのままにしておくなんて、可哀想でしょ……?」
「あの子は誰と会話を……?」
「多分、『オド』と会話してるんでしょう。あの子の感覚的な部分での魔法センスはかなりズバ抜けてます。器用貧乏な私じゃあ到底届かない、天から授けられたような才能……アレもある種の『ギフト』ってことなんですかねぇ」
「ふむ……」
「……すぅ」
二人が小声で話す中、アリアが膝をついて、人の形をしたものに触れた。次に目を瞑り、神への祈りのようにして、少女は唱えた。
「割れたものを、紡いで……ヒラシール」
「おぉ、おおー!」
「いつ見ても凄いな、物体の再生魔法……」
「……ふう」
淡い光が辺りを包み、かざして触れたそれは、ついに人体と言えるほどになった。
「この顔は……」
ミナ・ストレイキャットが確かめるべく顔を覗かせる。それは少年ではあったが、ぼさぼさの緑髪で、あまり筋肉質な体ではなく、同時に再生した衣服も彼女の記憶には無いものだった。
「アドリアル・カリオストロではないか……」
「そ、そうね……」
竜司とアリアは少し安堵の表情を見せつつも、次にすることを決めた。
「……目当ての人間じゃなかったのは幸いなことではある。だが、このまま遺体を放っておくことは出来ない。埋葬してあげよう。それが私達にできる唯一のことだ」
「そっスねぇ……あぁ可哀想に、こんな幼いうちから死んでしまうなんて――」
「……おい、ミナ」
「あ、いでっ!」
竜司は亜人の耳を引っ張りながら、膝をついて少年を見つめるアリアの方をこっそり指さした。アドリアルの運命を思えばこそ、ミナの発言は彼女にとって危ういものだった。
「ごめんなさい……で、デリカシーってやつですね……はい」
ぺこぺこと謝るミナを尻目に、アリアはばっと勢いよく立ち上がる。うん、とかよし、とか色々と呟きながら、次にする作業の準備にとりかかった。
「じゃあ、やりましょうか!」
「え? えっと――」
「ぼさっとしてられないでしょ。早く埋葬をして、アドルを探すわよ! すぐ町に戻ればまだ見つかるかもだし」
「えっとー……そ、そうですね、えぇ。はやく終わらせちゃいましょう」
「……ふむ、杞憂だったか」
少女は短時間で、竜司の思っている以上に強かになったようだ。彼女なりに考えを整理し、自分がすべきことを理解したらしい。悲しみに暮れるよりも先に、目的を達成する。非情で過酷なこの世界に、彼女もようやく面と向かう覚悟ができたのだ。竜司はまるで子を思う親のように、その成長を喜んだ。ただ我が子への心配を隅に留めながら。
ズズ……
「……えっ」
「アリアちゃん! 危ないッ!」
一行が気持ちを切り替え、動き出したその時。アリアに目掛けて、突如現れたのは針のような鋭い火球。先の失言を気にしてしきりに少女の顔色を窺っていたミナは、少女を襲う謎の攻撃にいち早く気付くことができた。
「くっ! 何者だ、いきなり子供を狙うとはッ!」
それまでの不真面目な雰囲気とは打って変わり、ミナ・ストレイキャットの眼は赤く光っていた。怒り故の、亜人特有の体質変化。爪をめきめきと立て、フゥ、フゥと息を荒げながら、ミナは魔力の発生源を五感を用いて探していた。
「待って、ミナ……」
アリアは申し訳なさそうに、彼女の肩を掴み訴える。
「ミナ、いいの、大丈夫だから……これは多分、本気で当てるつもりじゃなかった」
「アリアちゃん、何を言って……!」
「二人とも、敵は複数か、単体か? 魔法の扱えない私に詳しいことは分からん。正確な情報だけ教えてくれ」
大剣を構え、二人を庇うようにして立つ竜司。それでも、アリアは誤解を解くようにミナの制止を振りほどいて前に出た。
「だ、大丈夫……! これは、この気配は!」
「は、はは」
「笑い声……?」
はぁ、はぁと少女の動悸が激しくなるのが、他二人には端から見て理解できた。アリアは胸を抑えながら、少しの間を開けて、押し出すようにして叫んだ。
「アドル、アドリアル! アンタなの、そこにいるのは……!?」
「はっ、ははっ! オレが、アドリアル……オレが!」
ズズ、と引きずるような音の正体はすぐに分かった。それは先ほどまで3人が見つめていたモノだったのだ。
「だ、ダンナ。蘇生魔法なんてこの世に存在しませんでしたよね……」
「私に聞くな、魔法は詳しくないんだ。だが少なくとも、これは……いいやそうだ。相容れないはずの別々の魂と肉体が、重なり合って死後動き出すなど――」
阿藤竜司は、目の前の光景にたった一つだけ思い当たる節があった。それは自分の身に起き、自分の子にも起きたであろう奇跡。この剣と魔法の世界に居ながらも、きわめて特異な超常現象。第四の魔法、神々の領域、禁術……などなど、様々な名称を与えられたそれは――。
「『転生』したのか、アドリアル・カリオストロ……!」
「誰だ、このオッサン……?」
3人の前に立っていたのは先ほどの少年の死体だった。再生が終わり、綺麗なまま埋葬しようと準備をしていたその直後。目を離した隙に一つの魂が宿ったのだ。
「あー……その通りだ、オレはアドリアル・カリオストロ。かの有名なカリオストロ家の長男であり、勇者としての使命を授けられた、選ばれし者……」
「……アリア、本物か?」
「見た目も声も違うし、勇者だなんて初耳……」
「ふむ、では――」
「でも、それでもこの口調と、気配というか、魔力の感じは……アドルそのものだわ」
「おいおい、オイオイオイ! アリア、俺を信用しないってのかぁ? どうみたって本物だろ。なぁッ!?」
「うわ~、なんか第一印象から好きになれそうにないっスわ、私……」
「っうるせぇな亜人風情が! 黙ってろッ! それよりも、それよりもだ!」
アドリアルを名乗るその存在は、阿藤竜司を指さした。
「なんか知ってる風だよな。特にオッサン」
「竜司だ」
「名前なんざどうだっていいんだよ!」
アドリアルは空中に手をかざし、力を込めた。その際には何も唱えず、それらしいそぶりも何一つ見せず……。
ギィィンッ!
「なんだと……」
「うわ、何もない所から剣が!」
「創生魔法……健在ね、アドル」
「おうよ。このくらい、カリオストロ家の人間なら当然……そうだよなアリア!」
「うっ……」
「ちゃちなエンチャントでイキってもらっちゃ困るぜ……ったく!」
苛立ちを隠せない、と言った風に勢いよく、アドリアルはその剣を竜司に向ける。
「オレの体、アドリアルの肉体がどこに行ったのか探している。オッサン、あんたのさっきまでの様子からそれがどこにあるのかも分かってるんじゃねえか……?」
「だ、ダンナ……」
この時、ミナは憂慮していた。竜司は対ドラゴンの戦闘ばかりを行ってきた男。バルフォルシアの生前の身体能力と、女神からの『ギフト』だけでここまで来た。魔法の扱えないそんな彼が、剣を一瞬で生成するほどの天才魔導剣士と渡り合えるのだろうか。この人が自分の子供と同じ年ごろの相手にどこまで戦えるのだろうか。様々な心配がミナの脳裏を
「心配するな。子供相手にムキにはならん」
「ちょ、ちょっと! それ一番危ないんですって!」
「なに、少し教えてやるだけだ。大人に対する口の利き方というものを」
「それ! それがフラグなんですよぉ! 相手はあのカリオストロ家の血を継ぐもの、油断なんてしたら本当に殺されますって! アリアちゃんも何とか言ってくださいよ!」
「おいアリアぁ! 邪魔したら許さねえからな!」
「うぅ……し、しないわよ……」
『あぁ駄目だ、萎縮し切ってる……! ここはダンナが無事に勝つのを祈るしか……!』
「オッサン、その剣を構えるってことは、そういうつもりでいいんだな?」
「あぁ、そうだ」
竜司が大剣を両手で構えた。正面から迎え撃つ気がありありと伺えるその体勢は、アドリアルからは隙だらけにしか見えなかった。
「んじゃあ……死なねえ程度に殺してやるッ!!!」
町は日暮れが過ぎ、夜と相なった。宿を取り損ねた少年は、ただ人気の薄まった街道で脚を動かし続ける。
「エル……ごめんよ……」
オルテナイは昼の活気を忘れ、今は湿ったような空気が辺りを覆う。昼間は外からの冒険者で賑わうが、夜は町民たちの時間だ。穏やかな住民は活力を養うために、早くに眠りについていた。
「僕が弱いせいで……」
なので、誰も
「お、お前は!」
びくん、と少年の肩が弾むが、男は気にせず声をかけた。
「あん時のガキじゃねえか」
「……誰ですか」
目の前に立っていたのは、非常に大柄な男。太っている……のではなく、それらは全て筋肉で、装備も相まってまるまるとしているように見えるだけだった。ルカは昔、格闘ゲームで見た筋肉質なファイターを思い出した。
「ハッハッハ! そりゃあ忘れるよな、あんなくだらねえオッサンなんかなぁ、ガッハッハッハ!」
『う、うるさいな……すごくうるさい』
見れば、腰に(ルカにとっては)大きな直剣と丸盾。そして荷袋を抱えている。ソロの冒険者なのだろうが、とても一つにまとめるようなサイズではない大荷物だ。
「ほら、『荷物持ち!』って言ったら思い出せるか? それともこんなしょうもないヤジも耳に入っちゃいねえかな」
「あ……あぁ!」
「お、思い出したか!? ほら、昼間の!」
エルドラと共にダンジョンへ向かうその道すがら、人通りの多い冒険者たちが行き交う道で、二人に冷やかしの言葉を投げたその有象無象の中の一人だった。
「お、思い出した。あの時の酔っぱらってた……」
「ははは、クエスト帰りで打ち上げしてたんだよ……いやあん時は済まなかったな。お前も帰りか? ……っておいおい、その腕はどうした!?」
「えっと、これはその……」
「うん? そういえばもう一人のガキもいねえけど……」
「あっ……」
もう一人の。この言葉を聞いた途端、ルカの視界はにじみだした。
「だめだ、ごめっ……ごめんなさい……!」
少年はしばらく堪えていた感情が、ついにあふれ出てしまった。鮮明に思い出したエルドラとの短い思い出が、彼の心を刺激してしまったようだった。
「お、オイオイ、泣くなよぉ。どうした一体!?」
止めようとしても、それでも涙がぼろぼろと出てくる。少年が何かしら心に大きな傷を負った事は、その大男の眼にも明らかだった。慰めるためにも、男はやさしくその小さな頭を撫でる。
「うあぁ……ああぁ……! 僕が……エル、えるぅ……っ!」
「おいおい……なにがあったかは知らねえけどよぉ、ここは泣くのに向いてねえぞ? 場所を変えようぜ」
「う、うぅ……」
「まだ近くの飯屋が開いてるはずだ。奢ってやるよ」
「あぁ、ありがとうございます……うっぐ……」
「はっは! 泣き虫だなぁお前はぁ!」
担がれ、『荷物』のように軽々と運ばれながら、ルカは男の言う飯屋に連れていってもらった。
「はぁ、それで一人で町ン中を……」
「えぇ、はい……」
「エルドラは見つかったのか」
「捜索願いは出してます……カインさんも知ってると思うけど、ギルドから捜索班も出ていて、夕方には北の森に消えていったって報告も……」
「あーそれだけどよぉ……」
かちゃ、かちゃと大きな肉を切り分ける。カインと名乗ったその大男は、少し深刻そうにして続けた。
「それェ見つけたのはオレだ」
「えっ!」
「あの時、ダンジョンの近くにいたんだよ。そんで駆け付けて、見たんだ。お前と入れ違いだったのかもな」
「そうだったんですか……気付かなかった」
「そりゃあんだけドデカイ崩落が起きてりゃ、冒険者なら誰でも見に行ってみたくなるぜ。まぁあんまり気分の良いもんでも無かったから、見に行った奴は皆げんなりして帰ったがよ」
「そ、それって……」
カインはちらりとルカの皿を見て、少年がとっくに飯を食い終えてるのを確認した。
「人が食われる様だ。誰かは言うまでもねえだろうが……」
「……あぁ」
「言っとくが、皆が助けようとしてたぜ。だが間に合わなかった。崩落した穴にわざわざ落ちて竜と戦うなんざ、普通なら誰もやりたがらねえ」
「う、うん……分かってます。そのまま、北の空に逃げたんですよね」
「あぁ、だが……正しくは怯えるようにして、だな」
ごろん、とテーブルの上を少し転がるように巨大な茶色い物体が置かれる。それは少年にとって見紛うことはない。あの『岩砕きのドレイク』の鱗であった。
「こ、これは……うっ!」
「よぉルカ、いちいちトラウマ引っ張ってちゃこの先ろくに生きていけねえぜ。まずはここから見えるものを探すんだ。この鱗を見て、何か気付くことはあるか?」
「うっ、何かって、一体……」
カインの眼光が鋭くなった。それは一流の冒険者のそれであり、今まさに何かを試されている気がする、とルカは雰囲気から感じ取った。言われるがままに、よくよく鱗を観察する。
「こ、この鱗、僕の使ってた剣じゃ傷一つつかなかった。眼球さえもとんでもない硬度だった。なのにこれ、凄い切り傷がついてる」
「そう、そうだ! この鱗のこの部分、これは模様じゃなくて切り傷なんだ!」
ずいっと乗り出して、目を輝かせて言った。
「こんな大きい剣の痕なんざありえねえって、他の冒険者の野郎どもは言ってたけど、俺はそうは思わねえ。竜が飛び立ったあの時、その場に居た皆が狙われねえようにと身を潜めてた。竜から目を逸らしてた! だがな、俺はそこで剣を構えて見てたんだ。その姿を少しでも目に収めようと!」
男は鱗の傷痕を何度も指差す。これが重要だと言わんばかりに。
「見たんだ。この痕跡の主、とんでもねえ大剣使いが竜の足にしがみついてるのを!」
「大剣……?」
「噂にでも聞いた事ねえか? 今から10年前、遥か北東のサウデーニャ大国の雪山で、数十体の大型ドラゴンが大暴れしたって話を」
ルカの記憶にはないが、アドリアルの肉体はそれを知っていた。その名は竜殺しバルフォルシア・ドレッドノート。大剣を振り回し、魔法を使わずに竜を屠る超人の存在。
「竜殺しバルフォルシア。10年前、サウデーニャが竜によって亡国の危機に陥った時、その男が全て屠ることで解決したって話だ。その後病気で命を落としたって聞いたんだがな……」
ごほん、と咳をしてカインは調子を整えた。
「まぁ、つまりだ! エルドラの命を救うことは叶わなかったが……きっと今頃竜殺しが敵を討ってくれている。知性ある竜がヒトを襲うなんてことはあまり起きねえことだが、今回の不運な事件、竜殺しの手によって因果応報で収まると思うぜってことだ」
「そ、そうですか……」
「ううむ……それでも気に入らねえか」
カインは心配そうに、ルカの心を探った。
「い、いや……なんというか」
既に平らげた後の白い皿は、空虚な自分を表しているのか、とルカは見つめながらに考えていた。
「エルドラがもし生きていたら、二人でリベンジしたかったな、とか……はは、あはは!」
「……笑っちゃいけねえな」
「へ……?」
「もしそれが前向きな気持ちなら、笑っちゃいけねえ。今後の自分を決める、覚悟って奴になるんだからな。だがそれが尾を引いて今後の自分を悩ませる後悔や心残りなら、今すぐ捨て去るんだな」
「あ、えっと……」
「俺は傷痕を見て、ロマンを感じて欲しかったんだ、冒険の素晴らしさを……な。だがエルドラの死がそこまでお前の冒険を足止めするなら……」
まだ食いかけで、カトラリーも皿に乗ったままだったが、がちゃりと大きな音を立てて男は立ち上がった。
「よし。A級冒険者カイン・バルドーザからのアドバイスだ!」
カインは少年の眼を真っ直ぐ見つめた。大柄で野蛮な風貌からは想像のつかない、綺麗な輝きを秘めた眼差しだ。
「『死んだ奴の声を忘れるな』。そして『死んだ奴の魂を忘れるな』!」
「ど、どういうことですか……」
「……こほん! そもそも、アレクサンダリアの冒険者ってのは皆、死ぬ前に何かしら自分の存在をこの世に残すだろ? それは魔法であったり、歌であったり、手紙であったり、直接言葉で伝えたり……」
そういう世界なのか、とルカは直感で理解した。そうだ。ここは、常に死と隣り合わせの世界。
「あんときはお前たちを茶化したけどよ、エルドラって奴の顔は随分立派な冒険者に見えたぜ。きっと、お前にもなにかを残してるんじゃねえかな」
「エルドラが、僕に……」
「あぁ。心当たりがあるなら、それを忘れるなよ。そしたらそいつの魂も一緒に冒険に連れていける」
カインは最後の一口を大口で平らげ、ふぅと息をついた。「あぁ、慣れないことをした」と小声でつぶやくのが耳に入ったが、少年は聞こえていないフリをした。
「ルカ、この部屋で大丈夫だったか?」
「はい、ありがとうございます」
「堅苦しい返事はいいんだよ! 同じ冒険者、同じ仲間だろ?」
「あはは……うん、分かった。ありがとうカイン」
ルカはエルドラとの別れを覚悟し、ギルドからA級認定を貰った熟練の冒険者カイン・バルドーザの元で、弟子として師事することを決意した。世界を旅するというその男に付きながら母親に関する情報を探す計画だ。不安は残るが、とりあえず前に進まなくてはと考えてのことだった。
「……エル、君は僕に何を残してくれたんだ」
カインが選んだ宿屋は、月光が綺麗に差す良い部屋だった。その月明りを頼りに、少年は自分のバッグを漁る。
「あれ。この紙……なんだろ」
松明を燃やすための布きれに混じり、少し小綺麗な紙が挟まっていた。布が主流のこの世界ではあまり見ない、手紙だ。よくよく見ると、一部、角が丸く削れているのが分かった。
「この丸さ、もしかしてテレストの痕? エルったら恥ずかしがり屋すぎるでしょ……手紙くらい普通に渡したらいいのに。ふふっ……」
なんだか可愛らしいな、と寂しく思いながらその封を開けた。エルドラのものと思しき字が書き連ねられている。異世界の文字だが、転生時に入れられた知識として識字は出来る。ルカはそれらを頭の中で読み上げた。
ルカへ。
この手紙をいつ書いたか分かるかい? 君がダンジョンでうっかり気絶した後に、少し手が空いたから書いたものだ。手紙は貴重なものだけど、僕の生まれた村ではこうして親しい人に、遠くても近くても関係なく、伝えたいことがある時に手紙を送るんだ。
早速だけど、僕の伝えたいことを言うよ。僕は君がどんな人か、ちょっとだけ気付いてる。多分だけど、この世界の人間じゃないんだろ? お父さんから聞いた事がある。転生魔法というものの存在ともう一つ、この世の外から来る存在、『転生者』について。君もその一人なんじゃないかなぁ~ってさ……。
あ、でもね、何も申し訳なく思う必要はないんだ。君は嘘をついてたけど、それでも嫌な感じはしなかったし、きっと事情があるんだろうし……何よりあの夜のことを思えば、君のことを悪くは言えないなと思った。
良いかい。こういう手紙は、普段面と向かって言えないようなことを言える良い機会なんだ。だから決して笑わないでくれよ?
君はこの世界の初心者だ。冒険も不慣れだろうし、そういう世界から来たのかなって思う。まだまだ門出に立ったばかりで、右も左も分からない。だから、これからは僕が君を支える! 君の頼もしい仲間になる!
君の旅の目的が叶うように、僕も心の底から一緒に願うよ! ほら、魔法も願いの強さが大切だろ?
君は少し不器用だけど、体を鍛えているしその点は僕より頼りがいがある。僕は魔法で、君は近接で戦うとか、役割を分担するのも良さそうだ。
料理に関しては……僕の腕前は期待しないで欲しい。前のパーティで食中毒? というのを起こしてしまって、それで追放されたから。
クエストをどんどんこなして、いずれはA級。そしてその先にあるというウワサの『特級』ってヤツにもなりたい! これは旅の目的じゃないけど、これくらいにならないと、この世界はきっと楽しみ切れない。
エルタバスに居る僕のお父さんに君を会わせたいな。不死身の仕組みが分かるかもしれないし、なにより僕の冒険の仲間だって教えたらきっと凄く喜んでくれる!
故郷にもいつか戻りたいけど、冒険を止めたくなりそうだから、しばらく先だな。全部終わって、満足した後に帰ろうと思う。その時は君も一緒に来てほしいな。
そうそう、旅の果てで君のお母さんにも会ってみたい。大魔法使いじゃなくても良い。冒険の成果を一緒に話そう! 君の故郷のお母さんがこれを聞いたら、きっと驚くと思うんだ!
ええとまぁ、色々と偉そうにしたけど……。これは僕のやりたいことリストの抜粋だから気にしないで! それよりも、これだけは最後に言いたいんだ。
君は不死身だから、痛みも怖くないかもしれない。死ぬのだって無縁だと思ってるかもしれない。でもそれ以上の辛い事、悲しい事がこの先で君を待ち受けるだろう。この世界は残酷で、外から来た君をまるで歓迎しないかのように、色んなものと出会っては、色んなものが死んでいくところを見せつけて来る。でもそれは決して神様の試練なんかじゃなくて、この世界の日常の一つなんだ。どれだけ悲しくても皆が前を向いているのがこの世界の当たり前なんだ。
だから後ろを振り向かないで。死んでいく人たちが望む以上に、その死を悲しまないであげて。例えこの先僕が死んだとしても、君は冒険をやめないで。
これが今の僕の願いであり、君への思いだ。
僕の全部をこの手紙に込めて、君へ送る。それじゃあ改めて……。
アレクサンダリアへようこそ
「エルドラ・マクスウェルより……」
手紙を読み終え、少年は座り込んだ。それまで頼りにしていた月光は、目を凝らせば小さなオドの集まりだと認識できた。妖精のごときそれらは、まるで自分を祝福するように辺りを舞う。
「エル、僕は行くよ……っ」
少年は月光を辿るように、天に輝く星々を見た。それは現世で見るものよりも何倍も眩く、数が多い。
「きっ、君を連れて……!」
幾度も流した涙は、未だ枯れることを知らなかった。死んだ体がそれで潤うように、徐々に体が暖かくなっていくのが分かった。彼の魂がこの身を包んでくれているのだろうかと、その温かみに泣きながら少年は星を見上げ続けた。慟哭は空に消え、その思いは天の女神にまで届いただろうかと、そう思いながら泣き続けた。首元は涙で濡れて、頬は泣き疲れて、眼の感覚が朧げになるまで。いつまでも、いつまでも……。
つづく
母を求めて異世界へ 泡森なつ @awamori
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