EP.9 アレクサンダリアへようこそ 中編
ブォ~ン…… ブォ~ン……
「むっ……」
「ダンナ、どうしたんですか」
「あら、なんか聞こえたわね」
アリア、竜司、ミナの3人は四半日かけてオルテナイに辿り着き、喧噪に揉まれながら宿屋を探していた。この街のどこかにアドリアル、もといルカが泊っている可能性が高いと判断してのことだった。
「聞こえますぅ? こんなガヤガヤうるさいところで……」
「『竜鳴り』だ。竜が助けを呼んでいる」
「ハ……都市伝説のやつじゃないっスかソレ。そんなの一つも聞こえませんよ~」
「今、ブォンブォン鳴ってるやつよね、竜司さん」
「竜司で良いが……いや、驚いたな。まさか君にも聞こえるのか」
「あの、え? ワタシだけですか? ワタシだけ聞こえない?」
「この竜鳴りはワケあって竜が助けを呼んでいる声だ。彼らは声そのものが魔法のようなもので、特定の相手にしか聞こえないはずなんだが……」
竜司は一人おろおろとするミナに説明するが、そもそも竜がヒトとコミュニケーションを取ること自体、理解できないと言った風だった。
「へぇ、随分と大きな声で鳴いてるんじゃないのかしら」
むぅ、としばし考えた竜司だが、その諸因は何も思いつかなかった。
「君が聞こえている理屈は分からんが……とにかく、この声は私に向けて助けを求めているようだ。南の竜ノクティアが、この付近にいる仲間の竜の暴走を止めてくれと叫んでいる。力ずくでも……と」
「ノクティア? 魔法のような声? さぁっ……ぱり意味が分かんないのですが! 竜がどうしたとか私には知りませんけど、何か急ぎの用事があるなら、こっちでルカくんを探しておきましょうかぁ?」
「うむ。すまない、頼まれてくれるか」
「はぁいお安い御用ですよ~」
「ちょ、ちょっとまって!」
ミナの言葉を聞くや否や、竜司がばさりと赤黒いマントを翻した直後。アリアが何かを予感し、彼を呼び止める。
「あの、私も行っちゃダメかな……」
「何故だ?」
「その、なんか、そこに居そうな気がして」
少し溜めた後、竜司が返す。
「阿藤ルカが、か?」
「……っ!」
「うぉい! その言い方はちょっと……!」
アリアは未だ、アドリアルが生きている可能性を諦めきれないでいる。当然竜司もそれを理解してはいたが、それでも彼女の希望に肩入れするのは、ルカの父親として筋が違うという考えがあった。彼もまた、彼女と同じくらいルカが居る可能性を信じていた。
「どっちでもよ! 私が竜の声聞こえたのもヘンな話だし、もしかしたら何か関係があるかも知れないわ、連れて行ってよ!」
「……ダメだな」
「そ、そんな!」
竜司は外套をはためかせ、背に負った大剣が顔を覗かせる。その拭えぬサビや僅かに欠けた刃は、まぎれもなく自らの手で数多のモンスターを屠った証だった。竜殺しと呼ばれるに相応しい業物と、その風格を目の当たりにして、アリアは改めて実感する。彼は只者ではないのだと。
「今回は、竜と戦うことになる。久しぶりだから少々手荒になると思う。俺は生身でも奴らと戦うことができるが、君はどうだ。魔法で自分を守るのが精いっぱいだろう」
「そ、それは……」
「足手纏いにはしたくない、大人しくミナと待っていなさい。少年が居たら、必ず生きて連れて来る」
「ぐっ……!」
「うへぇ、冷たいんだか優しいんだか……」
アリアは悔しかった。無力だと気遣われたこと。そして未だ傷心の身であるからと少年に言葉を変えて配慮されたことが。そこまで優しくされなくとも、自分は戦ってみせるというのに。ぎゅうっと拳を握って、去っていく男の背中を眺めるしかない小さな彼女を、ミナは気まずそうに見つめていた。
一方、冒険の門出を発ち、手始めにと挑んだ地下迷宮。二人の少年は走る、走る、何かに追われてひた走る。
「はっ、はっ、はっ!」
「や、ば、い! あんなに居るなんて!」
転移魔法のテレスト。そしてルカの予想外に華麗な剣さばき。調子づいてどんどん奥へ進んでいったは良いものの、二人は再び、あの群れに遭遇してしまった。
ドドドドドド……
カンッ! カンッ! カンッ! カンッ!
「ギィヤ! ギャッギャッギャッ!」
「流石に、最初出会ったときは10や20はいるとは思ってたけど! ちょっとアレは多すぎるよ!」
「後ろに既にそんくらい居るよぉ! エル、どっか転移できそうなところは……!」
ダンジョンの小道を全力で疾走する二人の背後には、ぞろぞろと寄り集まって追いかけて来る大量の鐘鳴りゴブリンたち。何故彼らがこんなに沢山居るのか、何故ここまで固まって行動しているのか。ルカに答えを考えながら走る余裕はなかったので、疑問ばかりが積もっていった。
「そんなこと言ったって……あぁ! そうだっ!」
ズサァッ!
全力疾走の勢いを打ち消すように、エルドラは砂煙を起こす程の勢いで地面にかかとを立てる。その止まった勢いそのままに銅の剣をスラリと抜き出して、構えを取った。
「ちょっと!? 流石にあんなのに相手にできないよ!? いのちだいじにって――」
「成功するか分からないけど……やるしかない!」
ガガガガッ!
ダンジョンの小道は筒状になっており、その形状は断面からして『円』に近しい。エルドラは立ち止まってあのゴブリンたちに剣を見舞おうとしたのではなかった。ぐるりと壁で縦に輪を描く、転移魔法の際に用いるような一つの『円』を作り出したのだ。
「これは……!」
「こんな小道で詰まっちゃ、ひとたまりもないだろ!」
エルドラが願いと魔力を込めたと同時に、輪が光りだす。
「ま、まさか!」
そのまさかだと言わんばかりに、ニヤリとエルドラは笑ってみせた。
「飛べ、テレストォ!」
「ギャギャッ! ギイヤァッ――」
ブォンッ
あの時に聞いた、空間が振動するような音。描いた輪の通りに目の前のゴブリンはいなくなり、代わりに少し奥の方でその声が聞こえた。
「な、なにをしたの……?」
「へへん、見てごらんよ」
恐る恐る、明かりを近づけながら声のする方向を調べる。
「アイツらはこの小道をその小ささと統率力で詰まることなく、物凄い速さで追ってきた。でもそれを僕の転移で奥にずらして、無理矢理一か所に集めたら……」
「う、うひゃあ……」
エルドラの松明の向けた先にあったのは、小道で所せましと詰められたゴブリンたちだった。その光景はおぞましく、肉のギチギチッ、という音がやけに生々しい。そんな中で、必死で少年たちに襲い掛かろうと、出血しながら身もだえして叫ぶ者もいた。
「ちょっとえげつないけど……見えてる所にしか飛べないのがこの転移魔法の欠点だから、仕方ないよね」
「ちょっとっていうか、かなりだよ……いや! それよりも早く逃げよう、またダンジョンの形が変わったらコイツらと鉢合わせするかも!」
「えぇ、うぅん……素材が惜しいなぁ」
「はやく行くよ、エル! ただでさえこいつらには疑問がいっぱいなんだから……」
「ちょ、ちょっとだけ、こいつらの鐘だけでも……」
素材惜しさに足踏みをする少年に、早く早くと服を引くルカ。その時、彼が強めに引っ張ったのが幸運にも、エルドラの命を助けることになった。
ドドドドド……
「はやく行くよ!」
ドォンッ!!!
「なんの音……ぐあっ!」
「うあっぷ!」
嫌な予感のままに思い切りエルドラを引いたと同時にルカは体制を崩し、二人で後転をするように小道を転げて、その轟音の被害を回避した。
「な、なんだ! 何が起きた!?」
「え、エル、こっちに下がって!」
ドォン ドォン ゴオォォン…… ドォン
その他に、種々雑多な音が周囲でけたたましく鳴り響く。二人は先の轟音のする方を振り向いたが、そこには想像だにしなかった光景があった。
「うそ、道がない……!」
「ないっていうか……エル、これ空洞だよ! 穴を開けられたんだ!」
それはよくよく目を凝らしてみれば、自分たちがそれまでゴブリンを詰めていた小道がぽっかり、まるで何者かが抜き取ったかのように無くなっていた。子供が手を広げられる程の直径の穴は、縦に伸びた長い空洞になっている。そしてその穴の向こうには、どうにかして先をいけないかと右往左往する先ほどの鐘鳴りゴブリン達の姿が見えたのだ。
「ゴブリン詰めのとこだけ、消えた……」
ゴォォン…… ゴォォォン……
「ギャッ! ギャッ! ギャアアッ!」
「ゴブリンが帰っていく!」
「ルカ、この音は鐘突きだ。ボスの方のゴブリンだよ!」
まるで呼ばれたかのように退散していくそのゴブリンの背を見て、二人も帰路を急いで辿りながら、状況を整理しようとした。ようやく思慮のまとまったルカは事態を話す。
「そっか……ようやく分かったよエル。アイツらの行動の違和感!」
「ほんと?」
「多分、ナニかに怖がってたんだ。アイツらもあんな感じだけど仲間同士だから……きっとみんなで集まって、迫ってくる危険に備えていたんだと思う」
「じゃあ最初遭遇した時、ボスの鐘突きが微動だにせずに睨んできたのは、僕ら以外も警戒していたから……」
「恐らくそれがさっきの化け物。道を、いやダンジョンを食べたモンスターだ」
それまでの出来事を追いながら、二人は道を進む。徐々に上へと昇るその岩の小道は、外へ繋がっているという確信を与えてくれた。
「……ルカ! そろそろ出口が近いよ」
「う、うん。早く外に出ないとね。あのワケ分かんないのに食べられちゃう……」
死んだ身で、そもそも拍動も何もないルカだが、それでも胸騒ぎは収まらなかった。悪い予感も的中し、脅威もひとまず回避できた。それなのに、出口まであと少しだというのにざわざわと胸中で蠢く悪い予感。だが少年はその緊張をひとまず無視して、目の前から差す光に目掛けて踏ん張るように歩を進めた。
「ゴォォ……!」
「ひっ」
「こ、これは……僕知ってる」
光を目指し、ついに外に出られたその先。そこは安全で、地上の空を臨める穏やかな平原……のはずだった。
「ゴアァァン!」
そこは外ではあるが、より正しく言うならばソレが『辺りを食い荒らして空洞を作り、天井が派手に崩落して、とうとう外に繋がってしまった場所』だと形容するべきだろう。そして何かを確かめるようなズシャリ、ズシャリという足音。ちょっとした家屋ほどもあろう大きさのソレは、大きな頭部を持ち、血まみれの口を開いて二人を威嚇していた。
「グアァァンッ!」
「い、『岩砕きのドレイク』だ。大食いの竜……! ゴブリン達が警戒していたのはコイツだったんだ……!」
辺りはゴブリンの肉片のみで、それ以外は岩まみれの竜と自分達。二人の眼に映るのは、紛れもなく竜であった。対してその竜の眼に映るのも、紛れもなく少年達だった。今ここでは睨み合いが起こり、どちらかが目を離せばその隙を突かれるのではないか、という極限の緊張状態と相成っていた。
グルグルグル……と、竜の喉が
「ルカ……」
「エルドラ……」
ごくり、と固唾を飲み、名前を呼び合って覚悟を決める。慌てふためくよりも先に、少年達は互いの命を気遣ったのだ。
「絶対、ここで死ぬなんて考えちゃダメだよ」
「はは、僕は不死身だよ……君こそ、転移はこの状況じゃあ無理だろ」
「うん……でもね」
目を離せばやられる。テレストは見た地点に飛ぶ魔法だ。竜の視線の前で、円を描くなどというアクションを起こせばどうなるか分からない。先の岩の小道を喰らったスピードは二人の記憶に焼き付いており、この竜がその気になれば、周囲に散らばるゴブリンの肉片と、全く同じ運命を自分達が辿ることになるなんて想像は容易にできていた。今この場でどれだけ思索しても、二人には万策尽きたかのように思えた。
「それでも、やらなくちゃ始まらない……! 弱さを強さに変えるんだ」
「なっ!? 待って、エルドラ!」
ガガガッ
もはや手慣れたもので、エルドラは手に持った銅剣を使い、一瞬にして自分の周りに大きな円を描く。だがそれに合わせて警戒をしていた竜も動き出した。
「ゴォォ、グオォォオオ!」
岩砕きのドレイクが、今まさに突撃せんと構える。エルドラは焦る様子一つ見せず、円を描いた直後、一歩下がって剣を構えた。
「何をしてるんだ、早く離れろ! エル!」
「この攻撃は必ず当てる! 君こそ離れてるんだルカ!」
その構えは『突き』。両の手で柄を持ち、右胸へと引く。踏ん張る力と腰の捻り、そして上半身の運動。この姿勢は、最大限の運動エネルギーを引き出そうと彼なりに模索した構えだった。
「グオロロロ!」
突撃する岩砕きのドレイクは、周囲に砂塵を巻き起こしては地面を揺らす。少年はその巨体に狙いを定めた。
「……剣よ飛べ」
「エルドラッ!」
我慢ならず、ルカが身を挺してでもその場から離そうと動き出したその時。エルドラは全身にくまなく力を込めた。竜が巻き起こす砂塵をも切り裂かんと、銅の剣が前に出る。
「テレストッ!!」
突き出した剣先は、先程描いた円の上を行き、込められた力はそのままに、転移魔法テレストによって物凄い速さで突撃するドレイクの目玉へと転移した。
ぶぉんっ
「やった――」
「エル!」
転移した剣先は確かにドレイクの目玉に命中した。エルドラの想像通りに事は運んだ。しかし相手は岩山を食い進み、暴虐のかぎりを尽くす化け物だ。サビ止め程度のエンチャントしか施されていない、それもただの銅剣では、岩竜の眼球すらも斬ることはできなかったのだ。
ドォォンッ!
「ぐえっ!」
ズサァッ
「はぁ、はぁ……ありがとう、ルカ……!」
飛ぶ斬撃は眼球を切ることはできなかった。しかし岩砕きのドレイクはその攻撃に怯み、僅かに突進を遅らせることができた。加えて、我慢できずエルドラに向かって勢いよく飛び込んだルカによって、その直撃を免れたのだ。
「エル、その傷……」
「へへ、無茶だなんて言わないでよ……あんな奴の眼球に傷をつけたんだ。安いもんだよ」
「でも、血が……!」
エルドラの腹部には滲むようにして血が現れていた。ドレイクが壁に追突した際の飛散した岩石か、奴の体の一部がぶつかったのか。子供の体にとってはそのどれもが重傷になり得る。エルドラ本人は興奮と恐怖心で痛みが分からなかったが、服が破けていないところから、どこかしらが骨折していることは理解できていた。
「も、もう一撃だ! もう一撃当てれば、きっと……!」
「エル、本当にいけるの……に、逃げた方が――」
「いいや、やってやるんだ。今度は君がやってくれ、ルカ! 僕のじゃなくて、君の斬撃ならまだ可能性はある……!」
「な、なんでそこまで……」
ルカは彼の意志の固さに疑問を抱いた。それまでのダンジョン探索では慎重を期し、多少の冒険はしつつも仲間の身の安全を第一に考えていた彼が、何故こうもあのモンスターを再起不能にすることに執着しているのか。なぜ重傷を負ってまで攻撃を優先するのか、と。
『逃げようと思えば、まだ逃げられるはずだ……今だってアイツが突進した後、作戦を考え直すくらい時間の余裕がある。何をそんなにこだわる必要が……』
「……あ」
それまで在った選択肢。それまでしてきた作戦。そして時にはそれらを覆さなければならない、長い冒険の果てで遭遇する、たった今直面しているようなボス戦という『イベント』。ルカのそれまでのRPGゲームの経験が、一つの真相を導き出した。
「エル、もしかして……」
エルドラは俯き、少年から顔を逸らした。
「魔力が、もう無いの……?」
はぁ、と小さく覚悟したように息を吐き、エルドラは前を向きなおす。
「……ルカ、剣を構えて」
「ちょっ! 待ってよ、エル! 逃げる方法はいくらでも――」
「無理だ、アイツは地中を……ダンジョン中を潜ってきたんだ! 多分嗅覚も敏感だろう……! ま、魔力も一人を飛ばす分しかないんだ……逃げられない。戦うしかない」
「僕は不死身だ、飛んで君だけでも逃げて……!」
「そんなこと、僕が出来るわけない!」
「き、君が……!」
ぎゅう、とルカの剣を握る手に力が入る。これは怒りに似た感情だった。
「君が死ぬ方がダメだろッ!」
「……っ!」
言い合いの最中、竜の喉が鳴る音が聞こえる。竜は壁に衝突した後、その大きな頭を引き抜いて辺りを見渡していた。距離を取っていたので、少年達の位置を匂いで把握するのに手間取っていたが、この大声を聞いてようやく感知したようだ。
「早く飛ぶんだ! 身体能力も多分僕の方が高いし、君が逃げた後でギルドかどこかに応援を呼べばなんとかなるはずだろ!?」
「そ、それは……」
「罪悪感で躊躇してちゃ何もできないじゃないか! 早くッ!」
「……分かった」
ガガガ、ガガガガ……
「分かったよ。君の言う通りだ、ルカ……」
力強く、腹をくくって円を描く。震えるような手つきで刃先の消えた銅剣を握り、線を閉じる。
「……はぁ、ルカ、飛ぶ前に言わなくちゃいけない事がある」
「な、なに……」
エルドラが転移魔法の準備をしている最中、ルカは彼に背を向けて、の方を注意深く見つめていた。恐らく先ほどの攻撃が多少効いたのか、竜はよろめきながらこちらを睨んで構えている。
「僕の魔法、テレストは見ている所に飛ばす魔法。距離は消費する魔力と関係ないから、円の中にあるモノを見えてる限りどこまででも飛ばすことが出来る」
「う、うん。じゃあ、尚更あの空いた天井にも届くんだろ……?」
「じゃあ何を基準に魔力が消耗されるか。それは、飛ばすモノや人の総質量。つまり円の中のモノをどれだけ飛ばすか、なんだ」
「わ、分かったよ。だから早く上に行くんだ。僕もどれだけ耐えれるか分からないから……!」
とうとう竜が突進の構えを取った。今その話を聞いている場合ではない、と言った風にルカはそわそわとしていたが、エルドラはそれでも落ち着いた様子だ。
「ごめんね……こんな時にこの話をするのは、後腐れがないようにする為。君や僕が後悔しないようにする為。嫌な別れ方をしない為」
「な、何を言って――」
その不穏な言葉にルカが振り返ると、そこには円の前に立つエルドラの姿。しかしルカが思わず言葉に詰まったのは、その円の大きさに対してだった。それは子供が収まるには少々大きすぎる。まるで大の字で寝ること想定しているようなサイズだった。
「まさか!」
「ごめん、さっきは嘘をついた。人一人分じゃないんだ。正確には0.8人……最悪片腕だけを残して飛ばすことになる」
エルドラはルカの元に歩み寄った。その眼はとうに覚悟を決めて、少年の顔一点のみを見つめて据わってしまっていた。
「ごめん。ルカ」
ぐいっ
「うわぁっ!」
エルドラは少年の腕を引っ張り、大きな円の中に投げ入れた。それは初めて会ったあの日とは違う。力強いが、優しい手引き。
「……テレスト!」
「待て、エルドラぁ!」
ぶぉん
どさっ
少しの間、暗闇が視界を襲った。そしていつの間にか、ルカは青空の下に居た。
「……え、エル……エル!」
目の前には大きな穴が開いており、先程下から眺めたものだとすぐに分かった。駆け足でその穴を覗く。
「ゴアァ! ゴアァァン!」
どうやら、竜は転移の最中に突進を終えたようだった。ルカが見下ろす視界の中では、あの少年の姿は見当たらない。
「は、はやく……早く助けを呼ばなきゃ……ぐあ!」
ドサッ
町へ向かい、すぐにでもエルドラを助けるようギルドに伝えようと足に力を入れたその瞬間。上体が猛烈な違和感を感じ、足に上手く力を入れられないまま、地面に倒れ伏してしまう。
「な、なんだこれ!」
起き上がとうとしても、うまく起き上がれなかった。はぁ、はぁ、と息を切らしながら、芋虫のようにしてようやく体を起こしたところで、少年は気付く。
「あぁ……そうだ、腕だけ……!」
先ほどの転移は、魔力不足により人を一人分ではなくその8割しか飛ばせなかった。同じ体躯で、しかし不死身かつ既に死んでいるルカは、無痛でそのデメリットを受けることができる。少しの間、自分の左腕、肘から先が全くなくなっていたことに気付きもしなかった事実に、少年は自分の身ながら慄いた。
「く、くそ……! 冷静になれ、落ち着くんだ!」
その体は非常に走りづらく、腕を振る動作をしようにも、無いものは振れない。思うように真っ直ぐ走れない。急を要するというのに、まとわりつくもどかしさ。涙を流しながら、それを拭う手も足りないままに走り出す。
「絶対に、助けるんだ!」
苛立ちと悲しみでいっぱいになりながら、少年は叫んで町への道を駆けた。
以前見た太陽は、自分の真上を照らすだけの、目にも映らない人知れぬ存在だった。しかし今は走り急ぐ自分の視界を邪魔する、実に嫌味な光であった。
つづく
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