EP.8 アレクサンダリアへようこそ 前編

『これは……現世の記憶だな』


 ぼんやりとした意識が身の回りを纏っていた。布団にでも入っているのか、とても心地が良かった。


 夏の暑さが、茹だるような熱射が、じりじりと焼き付ける音の無い殺意が。阿藤ルカは、あの日の思い出を夢見ながらに回顧した。


『もう、いっそ殺してくれと何度願ったか。物心つく前から父はおらず、母もあの時。あの夏、僕は一人だったな……』


 少年はあの日からというもの、電車の迫るガタン、ゴトンという轟音が、ぷぁんと弾けるような停車音が、脳裏に焼き付いて離れなかった。


『まだ夏休みの頃だったかな、インターネットで調べたんだ。慣れないキーボードで、色んなことばを検索したっけ』


 少年が調べたのは、魔法の世界への行き方。不思議な国へ行く方法。ファンタジー、スペース、実在する……等々。


『調べていくうちに母さんのことを思い出した。いや、ネットがアテにならなくって思い出に浸ってたんだっけ……とにかく、どうやったら魔法使いになれるのかって、昔に聞いたことがあったなぁ』




 在りし日の母曰く――。


「流花が心の底から、『いきたい』って願えば……きっと願い事は叶うのよ!」


 在りし日の自分が返す。


「行きたいよ、本気で行きたいって思ってるもん! 魔法学校とか、不思議な世界とか、ドラゴンの巣とか!」


「ふふ、ちょ~っと違うのかもね~、うふふ」




『違う……? 何が違うのか、結局分からなかったな。思い出した後、けいじばんってやつに載ってたある方法を見つけたんだっけ……』


 一つ、確実に飛び降りて死ぬこと。


 二つ、地面にはぶつからないこと。


 三つ、異世界で何がしたいかちゃんと考えること。


「以上のことを守れば、絶対に異世界に行けます……いせかいって、剣と魔法の世界……!?」


 喪失感に襲われ、正常な判断のつかなくなった阿藤ルカには、そのふざけた投稿さえも自分を救う言葉に感じられたのだ。


 ガァ、ガァと喚くカラス。ゴォゴォと地面を震わす車両たちなど。ルカは自分がそれまで現世で辿った景色を、走馬灯のように巡った。


『そうだ。この先が、異世界アレクサンダリアの入り口……』


 パァァン!




「……わぁっ!?」


「うおっ!」


 一度経験したとはいえ、夢で思い出すクラクションは心臓に悪かった。息切れしながら辺りを見渡すルカ。どうやらエルドラとのダンジョン探索の最中、いつの間にか気を失って倒れていたらしい。


「こ、ここは……エル、ごめんっ、僕気を失ってたみたい!」


「大丈夫大丈夫! ふふ、すごい汗だよ~ルカ」


「うぅ……ぼ、僕どうなってた? どれくらい時間経ってた?」


「う~~ん、君が倒れてから……松明の油布を4回取り換えたくらいかな?」


 ルカの体感にしてみればそれはおよそ30分から1時間ほどの時間。随分長いこと心細い思いをさせたようで、ルカは申し訳なくなった。


「あのゴブリンたちが居た部屋から引き返して少しした後、君が左腕を抑えて倒れたんだ」


「左腕、あの時もげちゃった方の腕だ……」


「あはは……そのせいで痛みが後から遅れてきたのかなぁって。ほら、不死身だけど痛みは防げないとか? 多分僕のせいだと思うから、君が申し訳なさそうにする必要はないよ」


「で、でも――」


「僕達、一緒に冒険してるんだよ? どんな時も助け合うってこういうことを言うんだよ。くよくよしてばっかりじゃ先に進めないって!」


「そ、そっか……」


「それにすごい汗ばんでる。何か嫌な夢でも見たの?」


「うわ、ホントだ! こんなに汗かいたの久しぶり……」




 待てよ、とルカは異世界に来てからのことを振り返った。初日、落下死直後の肉体に転生。地獄のような痛みのせいで、そのまま気絶したことを覚えている。


「……痛みだ。その時は痛みがあった」


 二日目。アリアに助けられた後のことだ。自分が動く死体だと発覚し、泣きそうになった。しかしそれでも零れない涙に、自分の身体に強く絶望した。


「あの時は、泣けなかったのに……」


 先日の宿屋の出来事を思い出す。なんだ、涙が出たじゃないか、と。


「ルカ、ど、どうしたの……?」




『貴方が死んだ理由は何ですか? 何を求めて異世界を目指したのですか? 答えに相応しい力を与えましょう』




 女神の言葉が浮かんだ。そしてあの時自分は答えたのだ。『母に会うために』と。


『死んだ体はもしかして……いややっぱりそうだ。だったんだ!』


 ルカはバッと立ち上がり、離れたところに置かれていた銅剣を手に取った。


「な、なにしてるのルカ……?」


『ギフトの内容はつまり、蘇生! きっと、僕は日ごとに生き返ってるんだ……もしかしたら魔法も使えるようになっているかもしれない!』


「確かめなくちゃ……」


 自分の太ももに目掛けて、剣の切っ先を定める。エルドラが何かを察して止めるその前に、ルカは勢いよく剣を降ろした。




「ルカ、やめてっ!!!」


 ザシュッ


「いっ……」




 その剣は確かにルカ自身の足を切った。だが思ったよりも傷は深くない。しかも、自分の身体が、予測通り本当に生気を取り戻してるならば、そこに必ずあるはずであろう痛みも無いのだ。


「あ、あれぇ? 痛くな――」


「この……バカっ!」


 ぱしんっ、と小気味いい皮膚の弾ける音が響いた。痛覚こそなかったが、なんとなく、自分は頬を叩かれたのだとルカは理解した。


「な、なにするの……」


「それはこっちのセリフだよ!」


 ずいっと前のめりに怒るエルドラ。そのぼさぼさの緑髪は逆立つかのように揺れ、怒髪天を突くとはこのことか、と言わんばかりだった。


「言ったじゃん! 申し訳なく思う必要はないって! そういうのナシにしようって!」


「あっ……」


「急に黙りこくって何しだすのかと思ったら、いきなり自分の身体傷つけて!」


「い、いやそんなつもりじゃなくて……これは」


「そんなつもりじゃなくても! いくら自分の身体が不死身だからって、そんなこと普通しないよ!? もっと自分の身体を大事にしなくちゃ!」


 勢い余って、少年はルカの肩を掴む。


「お父さんお母さんが生んでくれた、大切な体なんだから……!」


「こ、この体……そっか、そうだった……」


『今は自身の体でも、元はアドリアル・カリオストロのものだ。僕が雑に扱っていいわけがない……』


 ルカがしばし落ち込むようにして考え出した後、エルドラがぎゅうっと彼の手を掴み、念を押すようにして言った。


「いい!? 作戦はこうだよ!」


「えっ!?」


「いのちだいじに!」


「い、いのちだいじに……」


「そう! 分かった!?」


 どこか、ファンタジー作品で聞いた言葉だ。まさかこんな異世界で、それも現地の人間から聞くことになるなんて。


「ふっ! ふふ、あはは……!」


「ちょっと! 笑いごとじゃないけど!」


「ははは、はぁ。ごめん……僕がバカだった、うん……」


『結局、身体は死んだままだったし……』


 自分の愚かさ加減と、思わぬセリフに笑い飛ばしそうになったが、少し落ち着いて自分の非を認め直した。


「くっ、あはは!」


「も~、またぁ!」


「だって、いや……僕が悪かったよ、ごめん。もう二度としない」


「本当に……?」


 彼もきっと怖かったのだろう。目の前で友達が傷つくさまを平気で見ていられる者は居ない。心配そうな目はルカの心を刺すようだった。


「うぅ、本当だよ。君を傷つけるようなことはしないから……」


「わ、分かった。じゃあ先行くよ!」


 わぁっと散らしていた荷物を集め、収め、そして早々に準備を済ませるエルドラ。それまでの緊張した空気をなかった事にしたかったのだろうが、ルカにはそれが申し訳なくも、少し可愛らしく思えてしまった。ふふっと笑みを浮かべながら、彼に背を向けて自らの手を見つめる。




『エルドラの記憶に残る、あの魔法。できたりしないかな……』




「シズナ……!」


「ふぅ、ルカ! 準備できたけどそっちはどう?」


「え! あぁちょっとまって!」


『あぁ、やっぱり何も……』


 結局、手のひらには何も生まれなかった。少年の願いは未だ足りず、大気のオドも祝福を拒む。少年は、まるで自分がかのように思いながら、生まれなかった水の行方に思いを馳せた。






 かつん、こつん、ざり、じゃり。様々な粒を踏みそろえて、小さな歩幅で突き進む。


「さっきはごめん、ほっぺ叩いちゃって」


「いいよ、君が怒ってるところが見れたし」


 ルカは調子良さげに返す。


「ちょっと、それってどういう意味!?」


「えへへ、意外と熱いんだなぁって」


「もぉ~! そんなに言うんだったら、君が怒ってるところも見せてよね!」


「えぇ~? どうかなぁ」




 ルカが眠っていた間、ダンジョンの地形は随分と変化していたようだ。二人はずんずんと突き進み、空間を探していく。


「なんか、雰囲気変わったね」


今度は小部屋が幾つか見つかり、ゴブリン以外のモンスターの気配もする。茶化し合いながら進んでいた二人だったが、段々と緊張感が高まってきた。


「ルカ、しっかり剣を構えててね」


「うんっ」


 何故だかその剣はとても握りやすかった。都合のいいことに、アドリアルは剣もそこそこに扱えたらしい。生まれてこの方真剣など手にしたことのなかったルカも、持つだけでそこはかとない自信が湧いて来たのだ。もしかしたら、あのゴブリンにも勝てるのでは、とさえ。


『いや、やっぱり人型を切るのは流石に……ちょっとムリかも』




 キュウ~ン……


「はっ!」


 咄嗟に、音のする方へブンッと銅剣を突き付ける。何かの鳴き声らしきそのか細い音は、ぼんやりと薄明かりを放つ、ある場所から聞こえてきた。


「なんだ、この光……」


「ミュイ、ミュイ……!」


「ぐえっ、凄い匂いだ!」


「これは……うぅん、見たくなかったな……」


 二人が目にしたのは、その可愛らしい鳴き声通りの姿かたちをした、クレイラビット。その姿は形容するならば焦げ茶色の大型のウサギで、伸びをすれば大人の腰くらいの高さはあるほどであった。


「うわぁ……パララビット程ではないにしろ、こんなカワイイ動物を……」


「こいつはクレイスライムだね、見た感じ、ラビットの捕食中みたいだ」


 二人が見ていたのは可愛らしい姿のままのクレイラビットではなかった。同じ洞窟に住むモンスター、クレイスライムによる捕食の真っただ中だったのだ。


「ナショナルなんとかグラフィックで、こんなのを見た気がする……」


「なにそれ? 詠唱?」


「い、いやなんでもない! 先を急ごう、ずっと見てたらちょっと気分が……」


「ダメだよ、モンスターの素材は高く売れるんだから、ここで倒すよ!」


 うへぇ、と口角が下がり、露骨に嫌がるルカ。その彼を尻目に、エルドラは何度か握り直して剣を持ち、不慣れな様子で切りかかろうとした。


「う、うおっ、こ、この……!」


「エルドラ……もしかして、剣振ったことないの」


「い、いやぁそんな! 少しはあるよ。少しは、ね」


「はっは~、さては荷物持ち……」


「う、うるさい! そういう君はどうなんだ! ルカ!」


 エルドラは剣を突き付けて、次は君の番だと言わんばかりにムキになる。ルカは先ほどの自信もあってか、勇み足でスライムの前に出た。


「……?」


 当のクレイスライムは、知能がそれほどない為か自分の置かれた状況を理解していない。


「うお~し。これくらいならやれる、これくらいならやれる……」


 ダンッ! と大きく踏み込み、思いのままに銅剣を振るった。錆止めのエンチャントが施されたためか、緑がかった光が綺麗な剣の軌跡を描き、スライムの脳天へとめがけていく。




 むにょんっ


「あぁっ、避けた!?」


「なんだって……!」


 そのモンスターは器用にも先のラビットを捕食しながら、ぐにゃりと形を変えて回避したのだ。そしてその形状変化の勢いを利用し、バネの要領でカウンターの体当たりを仕掛けた。


「ルカ、攻撃が!」


『こ、こうだ……!』




 ザパン! ビチャッ、ビタビタッ……


「おぉ」


「いけた!」


 スライムが真正面から体当たりをしたのに合わせルカは咄嗟に、そして力強く、刃を自分の正面に据え置いた。空中では体をくねらせて回避をできなかったスライムは、自ら刃に直撃し、真っ二つになる。


「すっご! すごい、達人みたいだ!」


「あ、あはは、これは……まぁ」


『アドリアルの賜物だ、と言えるはずもないな……』


 まさかここまで思い通りになるとは、とルカは驚き混じりで息絶えたスライムを見遣る。


「これ、どこが使える素材なの……」


「う~ん、分からないから全部持って行っちゃおうか! ラビットの方は防腐用のシグサの草を巻いて、布で包めば腐りづらいよ」


「ぐえぇ、既に臭い……」


「我慢我慢! クレイラビットは臆病でなかなか捕まえられないんだ。少しでも素材があるなら拾わないと」


「じゃあこっちのスライムは……?」


 真っ二つになったはずのスライムは、だんだん細かく分裂し、液体に近づいていく。死んだのは確かだが、これの回収は容易ではなさそうだった。


「うわわ、こんなになっちゃうのか……」


 エルドラはバシャバシャと水をかき分けるようにしてその肉体を漁ったが、掴めるようなものは何もなかった。


「あぁ~、水になっちゃった~!」


「ふふ、あはは!」






 つづく

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