階級ワッペン

増田朋美

階級ワッペン

寒い日だった。今日も、川に氷が張り、みんなコートを着て、寒いなあと言いながら、車や徒歩などで移動していた。杉ちゃんと、ジョチさんは、小薗さんの運転する車で、ある建物の前を通りかかると、何やら嬉しそうな顔をして、制服を着た若い男女がたくさん集まっているのが見えた。

「あれえ、若い奴らが、ここで何してるんだ?」

と、杉ちゃんがジョチさんに言うと、

「今日は、私立高校の合格発表日なんですよ。」

と、小薗さんが言った。

「ああ、そうだったんですね。そういえば、最近、公立高校が、大幅に定員を割れて、私立高校が人気みたいですね。」

と、ジョチさんはそういう。

「そうなんか?」

と、杉ちゃんが聞くと、

「ええ。僕が以前買収した、支援学校に通っている方にお話を聞きましたら、どうも最近は、公立高校へ進学する方が減っているみたいです。代わりに、私立高校のほうが、制服が可愛らしいとか、授業をきちんとしてくれるとかで、人気があるみたいですよ。昔は私立単願というと、変なやつという因縁をつけられるようでしたけど、今はそういう事も無いようです。」

と、ジョチさんは答えた。

「はあ、そうなんか。じゃあ、今は、高校というと、なんか階級ワッペンみたいな事も無いのかな?」

と、杉ちゃんが言うと、

「ええ、本当はそれもなくなってほしいですけど、年寄がいるまでは、それは無いでしょうね。」

ジョチさんはしたり顔で答えた。小薗さんが理事長さんも大変だと言って、頭を軽く下げた。

杉ちゃん一行は、今日視察するはずの、伊沢保育園に到着した。ここは他の保育園とはちょっと方向性が違っている。まあ、言ってみれば、他の保育園でうまく行かなかった子どもさんを専門的に扱っているといえば聞こえはいいが、周りの人からの評判は悪かった。杉ちゃんたちは、保育園の駐車場に到着したところ、園庭で子どもたちが、遊んでいるのが見えた。二人が、車を出ると、子どもたちは気がつくのは大人よりも早かった。すぐに、理事長先生!と言いながら、保育園の入り口に近づいてきた。

「ああ、皆さんこんにちは。お元気でいらっしゃいますか?」

とジョチさんがそう言うと、子どもたちは、今日家の中でこんなことがあったとか、そういう事を話し始めた。そういうところは、普通の子供達と何も変わらない。ただ、前の保育園に馴染めなかった。それだけのことである。

「あのですね。伊沢園長を呼んできていただけますか?」

と、ジョチさんが、鼻水を垂らしている女の子にそう言うと、女の子は、わかりましたと言って、すぐに職員室へ向けて走っていった。こういうとき、歩くのではなく走るというのも、この保育園に通っている子供の特徴なのかもしれない。

「理事長先生、園長先生を連れてきました!」

と、彼女はそう言って、伊沢園長を連れてきた。伊沢園長も、まだ三十代半ばくらいの若い女性だった。その当たりはちょっと頼りないけど、でも、この保育園は貴重な保育園で、多くの母親から支持されているのも確かだった。

「お久しぶりです。理事長先生。」

そう言いながらやってきた伊沢園長に、子どもが何人か付いてくる。なんだか普通の子以上に、大人のすることに首を突っ込んでくるのも、こういう保育園ならではであった。そう言うときに、杉ちゃんのような面白いおじさんが必要な事もジョチさんは知っていた。杉ちゃんが、子どもたちに、一緒におはじきしようと言わなかったら、子どもたちは、伊沢園長から離れないに違いない。

子どもたちが、杉ちゃんと一緒に、おはじきをしに、別の部屋に言ってしまったのを確認して、ジョチさんは、伊沢園長とはなしを始めた。

「今日はどうしたんですか?僕達に来てほしいと呼び出したりして。なにか、子どもさんとトラブルでも?」

「いえ、そういうことじゃありません。実は、子供の問題ではなく、ここに集まっている保育士の話なんです。」

伊沢園長は、こう話を始めた。

「私は、この保育園の保育士さんたちに、制服を設けようと思うのですが、理事長先生いかがでしょうか?」

「制服とは、どのようなものですか?」

とジョチさんが聞くと、

「ええ、今の保育士さんは、皆、ジャージ姿に、エプロンは任意で買ってもらうという設定になっているんです。ですが、それが、保育士さんたちの、階級を示しているような気がしてしまいまして。御存知の通り、私達の保育園は、いろんな学歴の保育士さんを受け入れています。ですが、エプロンの色などで、階級を表すような真似はさせたくありません。なので、ジャージを、アディダス製のものに統一しようと思っているのですが、いかがでしょうか?」

伊沢園長は、そう話した。

「そうですか。それほど、保育士さんたちの、いがみ合いが深刻ですか?」

ジョチさんがそうきくと、

「いえ、そういうことでは無いのですが、実は、ちょっと特殊な経歴の保育士さんを雇いたいと思いまして。」

と伊沢園長は言った。特殊な経歴と言いますと、とジョチさんが聞くと、

「ええ、高校中退で、働いていなかった時期がある保育士さんです。なんでも、いわゆる高卒程度認定を受けて、通信制の大学で保育士資格を得たそうなんです。」

と伊沢園長は言った。

「よいではありませんか。そういう女性程、子供の気持ちがわかる存在になってくれうかもしれない。海外では、試験を受けて、高校卒業と同格になることは、広く知れ渡っていますし。バカロレアの試験を受けて、バカにする国家は、日本だけですよ。」

「受け入れてくださいますか?」

ジョチさんがそう言うと、伊沢園長は、嬉しそうに言った。

「ええ。僕は、良いと思います。現代社会の闇の部分だって、保育士が教えなければならないことだってあるでしょう。その女性が、うまくやってくれる可能性だって、あります。」

「ありがとうございます。まだまだ学歴社会なので、そういう経歴の保育士さんを雇うのは、だめかと思っていましたが、理事長先生が受け入れてくれて嬉しいです。」

「いやあ、園長はあなたなんですから、あなたが決めればいいのではありませんか?いちいち、僕に相談していると、キリが無くなりますよ。」

ジョチさんは、にこやかに笑った。伊沢園長も、わかりましたと言って、にこやかに笑った。

「ありがとうございます。寛大な理事長先生で良かったです。じゃあ、その経歴の保育士さんを、採用しようと思います。保育士は、多ければ多いほどいい人材ですから。私は、そういう訳ありというのかな、そういう方でも、たくさん受け入れようと思っています。」

伊沢園長はとてもうれしそうだった。きっとかなり悩んでいたのだろうと思われる。確かに、レールに乗ってこなかった人物を採用するというのは、ちょっと悩んでしまうこともあるが、それは、気にしないでほしいなと思うのは、ジョチさんだけなのだろうか。

伊沢園長と、何人かの子どもたちに見送られて、杉ちゃんとジョチさんは、伊沢保育園を出た。ジョチさんが杉ちゃんに、変わった経歴の保育士を雇ったと話すと、

「そうか。バカロレアの試験で大学へ言ったやつを採用するのは、変わってるというのが、間違いなんだ。カールさんの話によれば、外国ではそういう人も資格さえあれば、採用してもらえるぜ。」

と、カラカラと笑った。そういう人物が、まだまだ増えないのは、日本は教育について、発展途上国だなと思われる。

それから、数日後。ジョチさんと、杉ちゃんが、別の用事があって、道路を移動していると、向こう側の通りから、乳母車に乗った三人の子どもがやってきた。それと同時に、保育士と思われる女性が三人やってくる。三人とも、アディダスのジャージを身に着けているので、伊沢保育園の保育士さんだとわかった。

「こんにちは。ごせいが出ますね。」

とジョチさんが、保育士さんにそう言うと、子どもたちは、理事長先生、こんにちは、と挨拶した。

「今日はどちらかへお散歩か?」

と杉ちゃんが聞くと、

「ええ。バラ公園で、梅が咲いていると聞きまして。」

と保育士の一人が答えた。

「なるほど。梅ならきれいに咲いているから、楽しんでくるといいよ。」

と、杉ちゃんが答えた。子どもたちは、おじさんありがとうと言った。一人の保育士の格好をした女性が、

「あの、この人達は。」

と、聞いている。

「ああ、お前さんが、新人の保育士さんか。あの、バカロレアの試験で保育士になったって人ね。」

杉ちゃんがそう言うと、彼女は申し訳無さそうな顔をした。

「はい。この保育園が、初勤務となる、杉内祥子です。」

「ああ、あなたが伊沢園長がお話していた保育士さんなんですね。こちらこそ、よろしくおねがいします。理事長の曾我です。」

ジョチさんがそう言うと、祥子さんは、ありがとうございますと頭を下げた。

「なんだか、もうちょっと貫禄があると、保育士さんらしくなるかなあ?」

と杉ちゃんが言うと、

「貫禄なら、そのうち付いてきますよ。そうですね、祥子先生。」

と別の保育士が言った。祥子先生は、にこやかにまた頭を下げた。

「はい、がんばります。私、子どもの世話をするのは、大好きですから、精一杯保育士の仕事をやらせていただきます!」

「ええ、その元気があれば大丈夫です。祥子先生、頑張ってください。」

ジョチさんは、にこやかに笑った。そして、三人の保育士が、乳母車を押して、ばら公園の方へ歩いていくのを見送った。祥子先生はきっと、貫禄のある保育士になるよ、と杉ちゃんが、そう呟いた。

それから、また数日後のことである。製鉄所に、また伊沢園長が電話を寄こしてきた。

「はい、曾我です。ああ、伊沢先生。どうされたんですか?」

ジョチさんは、受話器を取って、そう言うと、

「ええ。実は、子どもが怪我をしてしまう事件がありまして。」

と伊沢園長は言った。

「はあ、それはどういうことでしょうか?」

と、ジョチさんが聞くと、

「はい。一人の男子児童が、鉄棒から落ちてしまって、足が折れたんです。それを、見ていたのは、あの、杉内祥子先生で。それで、杉内先生の不注意だって他の保育士さんが。」

と、伊沢園長が、泣きそうな様子で言った。

「杉内先生は、なにか言っていますか?」

ジョチさんがそう言うと、

「流石に、保護者から、文句が出たとか、そういう事は申していませんが、かなりショックだったようで。」

と伊沢園長が言った。

「わかりました。まずはじめに、彼女を落ち着かせることから始めてください。それで、誰の責任でもなく、そういうことがあるんだと言うことを、覚えさせて上げれば大丈夫です。」

ジョチさんは、理事長らしく言った。

「ありがとうございます。私は、一体彼女に対してどうしてあげればいいのかな?」

伊沢園長は、申し訳無さそうに言っている。

「ええ、彼女の悩みはできるだけ聞いてあげて、彼女が頭を空っぽにするのを待つだけです。」

伊沢園長もまだ、30代なかばだ。こういうトラブルに、巻き込まれてあまり対処法を知らなくても当然の年齢だった。

「大丈夫です。伊沢先生は、彼女に対して、階級を撤廃させようとか、そういう工夫をされているんですから、伊沢先生は、大丈夫です。」

ジョチさんは、すぐにそう言うが、伊沢園長は、落ち込んだままだった。でも、彼女は、なんとか立ち直ろうとしているようで、

「ええ、ありがとうございます。私も、これから頑張らなきゃ、こんな事で、彼女をやめさせるわけには行きません。ただでさえ、うちの保育園は、人が足りませんし、子どもたちの世話をする人材もいなくちゃ困ります。」

と、ちょっと涙声で言った。

「ありがとうございました。理事長先生。よろしくおねがいします。」

と言って、伊沢園長は、電話を切った。ジョチさんは、生きていれば色々いろんなことがあるものですねと呟いた。

しばらくして、利用者が、製鉄所に戻ってきた。というより、家に居場所がなくて、この製鉄所に、仕事を持ってきているのである。いろんなところで働いていたり学校に行ったりする女性たちが、この製鉄所という施設を利用しにやってくる。ときには、製鉄所の利用者たちが劣等感を感じてしまう、医療や介護、福祉の職種の女性たちが、やってくるから驚きである。その女性もその一人だった。

「理事長さんこんにちは。今日は、二時間こちらを利用させていただきます。」

と、彼女はジョチさんに言った。ちなみに、彼女は、パートという扱いであるが、別の保育園で保育士をしている。彼女は、Tシャツにジャージのズボンを履いて、エプロンを付けていた。それが、彼女の勤めている保育園では、制服みたいになっている。ちなみにパート保育士ということで、ズボンの色は青にすることを義務付けられているという。

「ああ、ご利用ありがとうございます。今は、利用者も少ししかいないので、どこの部屋でも使ってください。」

と、ジョチさんは彼女に言うが、

「ねえ理事長さん。あたし、聞いたんだけど。」

と、彼女は話を始めた。

「なんでも、伊沢保育園と言うところでは、大検で保育士になった子を、保育士として使ってるんですってね。」

「そうみたいですよ。」

ジョチさんは、事実を淡々と話すように言った。

「あたしが、短大出で、パート扱いなのに、その保育園では、そういう人を、正規として働かさせるんですね。なんだか、聞いたけど、その保育園で、事故が起きて、大変な事になってしまっているそうじゃないですか。私、おかしいと思いましたわ。なんであの保育園では、学歴問わないんですかね?」

女性はうじうじとそういう事を言い始めた。ジョチさんは、まるで呆れてしまった。なんで、一般の人は、そういうふうに、学歴とか、正規とか、そういうことばかり気にしてしまうのだろう。そんなもの、子供の世話という同じ仕事では全く関係ないと思うのだが。

「ええ。まあ、市立保育園と、私立保育園では、雇う人の方針も違いますからね。」

とりあえずそれだけ言っておく。

「そうかも知れないけど、なんで、その保育園では、保育士の学歴とか問わないんですかね。私は、パートだから、みんなにバカにされてどうしようも無いんですよ。」

そうグチグチいう彼女にジョチさんは、

「しっかりしてくださいよ!保育士は、階級ワッペンじゃありません!子どもさんの世話をする、大事な仕事ですよ!」

と、彼女に言った。

「そうなんですけどね。あたし、この仕事は、なんか周りの人間関係と言うか、そういうことばっかり言われて、どうしようも無いんですよ。あたしは、たしかにパート職員だけど、子供の世話だってしっかりしていますよ。それなのになんで、パートは口を出すなとか、そういう事を言うんですかね!正規の先生なんて、子供の前ではおべっか使ってニコニコしてるけど、裏ではガチンコバトルですよ!」

そういう彼女の言うことこそ、保育園の現実なのかもしれなかった。何故か子供の前では、嬉しそうな顔をしているのに、裏では、正規とか臨時とかパートとかをとても気にする人が多い。公立の保育園ほど、それが強い気がする。

「それでも、仕方ないじゃないですか。でも、子どもたちはとても可愛いでしょう。それにかこつけて行きていくのも、ある意味必要ですよ。」

なんでこんな事を、言わなきゃいけないのかなと思いながら、ジョチさんは、そういった。彼女は、はいわかりました、わかりましたよと言いながら、仕事をするために、部屋へ行った。それと同時に、只今戻りましたと言って、別の女性が製鉄所にやってきた。彼女は始めの女性とは別の仕事をしている。彼女の場合は、発達障害と診断されていて、つける仕事が限られているが、彼女はそれをどうでもいいとはっきり口にしている。

二人の女性は、部屋に入った。先程、保育園の不満をぶつけた女性は、帰ってきた女性に、保育園についての不満を漏らした。どうしてそんなに不満が噴出するのか不明だが、保育園は、なんだかそういう不満が出てしまう場所らしい。別の女性は、何だ保育園に定期的に勤められるからいいじゃないという不詳な慰め方で、彼女をなだめた。確かに、幸せなのかもしれないなと、始めの女性は考え直してくれたようだ。そして、女性は伊沢保育園の話を始めた。あっちはどうだとか、こっちはどうだとか、比べるよりも自分はどうしたいかを考えるべきだと、ジョチさんは思うのであるが、

彼女のぐちはどうしても止まらなかった。そして、発達障害の女性も、彼女の話を聞いていた。もしかして、彼女の話を聞けるのは、そういう障害を持った人でないとできないのかなとジョチさんは思った。

また、製鉄所の電話がなった。誰かと思ったら、伊沢園長だった。

「あの、何回も電話をかけてしまってすみません。優希くんの怪我は、骨が折れてはいませんでした。あの、祥子先生も、それを聞いてホッとしてくれたようです。すみません、細かいところまで、報告しておいたほうが良いと思いまして。」

と、伊沢園長はそう言っている。ジョチさんは、伊沢園長に、伊沢保育園が、他の園から羨ましがられている事を話し、

「伊沢保育園は、正しいことを、他の園より先にやったんです。確かに事故もあると思いますが、頑張って、保育園を続けてください。」

と、彼女を励ました。伊沢園長は、

「はいわかりました。保護者の方から、イメージが悪くなったと、これ以上言われないように、いたします。」

としっかり言った。ということは、保護者からの苦情も来ているのだろうか。それでも、ジョチさんは伊沢園長が、一般的な保育園にあるような、汚らしさを身に着けてほしくないなと思った。

「少なくとも私達は、階級ワッペンを付けることはいたしませんよ。」

そういう伊沢園長は、どこか頼りなさそうだったが、

「ええ、頑張ってくださいね。」

ジョチさんはちょっと強く言った。

悩んだときは、無駄ではないという誰かの言葉があるが、それも自分の考えと、環境次第なのである。


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階級ワッペン 増田朋美 @masubuchi4996

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