本日、あります。🦊

上月くるを

本日、あります。🦊



 そろそろお雛さまにお出ましいただこうかしら。

 おばあちゃんもさぞ気を揉んでいるでしょうし。



      ****



 2月も半ばを過ぎ、浅い春を感じるころ、ヒフミはやっとその気になりました。

 去年までは祖母まかせだった雛段、今年からは自分で飾らなければなりません。


 ヒフミを産んですぐに亡くなったかあさんが生まれたとき、おばあちゃんの実家の両親が贈ってくれたという雛人形は、お内裏さまをはじめ、三人官女、五人囃子、じょうと姥……いずれも相当に古びていて、真白なはずの手にシミがあったり、どこかが少し欠けていたり、よく見ると十二単じゅうにひとえが虫に食われていたり……。🏠🌞👘👑


 けれど、みやびなお顔立ちはそのままですし、むしろ昨今の新作には望むべくもない得も言えぬ品格が漂っているので、ヒフミはこの季節を楽しみにしているのです。


      *


 5段の雛壇に緋毛氈ひもうせんを敷き、その上にひとつずつお雛さまをお据えしていく作業は思いのほか時間がかかりますし、官女、囃、翁、おうなの小さな手に銚子、盃、太鼓、小鼓、笛、熊手、箒などチマチマした道具を持たせてあげるのも気をつかいます。


 朝食の片づけも早々にとりかかったのに、大汗をかいての飾り付けがなんとか形になったときは正午になっていたことを、これまた古い鳩時計が知らせてくれました。


 その「ポポー」という、のどかな鳴き声は、亡くなったおばあちゃんにそっくり。

 で、ヒフミは、にわかに思い立ったのです……そうだわ、あれをお供えしなきゃ!


      ****


 何か月ぶりかで物置から自転車を引っ張り出して近所のお豆腐屋さんへ走り、越後出身のご主人から特製の油揚げを分けてもらって来たヒフミは、ていねいに油抜きを行って、とっておきの三温糖と味醂と醤油で、ゆっくり時間をかけて煮含めました。


 すし飯の調味加減も、おばあちゃん直伝の企業秘密です。

 といって、別にもったいぶっているわけではありません。


 こう見えて、稲荷ずし専門の「きつね屋」は地域ではいささか有名なお店でして、たくさんの常連さんが付いていてくれますし、人間ではないお客さまも……。(笑)



     ****



 雛あられの代わりに、出来立てのふっくら稲荷ずしを雛壇にお供えしたヒフミは、うん、そうしよう……ひとりでつぶやきながら、レジ横のパソコンに向かいました。


 やがて、プリンターからA4判の紙が1枚はき出されて来ました。


     🔴


 ――本日、あります。


     🔴



 かわいらしい丸ゴチック体で、たった8文字が印刷されています。


 昨秋、おばあちゃんが倒れたときは、つかい慣れた明朝で「本日、ありません。」と打つのがやっとでしたが、いまは親しみやすい字体を工夫するゆとりがあります。


 この紙をガラス戸に貼っておけば、山から降りて来た仔狐にも読めるでしょう。

 ひとつずつラップにくるんだ稲荷ずしを10個、レジ横の空き箱に入れました。



      ****



 そして、翌朝――。


 空き箱にはきれいに磨かれたドングリの実が10個、きちんと置いてありました。

 昨秋から何度も様子を見に来たはずの子どもの狐がお礼に置いて行ったもの……。


 それにしても、店いっぱいの甘い香りはなあに。

 それから、このまばゆいほどの薄紅色はなあに。


 表面張力いっぱいに(笑)盛り上がったふたつの黒い湖が見つけたものは、おばあちゃんが大切にしていた備前焼の大甕おおがめからあふれ出て咲き満ちる、桃の花でした。


 🌺🌺🌺🌺  🌺🌺🌺🌺  🌺🌺🌺🌺  🌺🌺🌺🌺  🌺🌺🌺🌺 



 うわあ! これはきっとかあさん狐の仕事だね。

 ありがとう! わたし、きょうからがんばるよ。


 おばあちゃんが守って来た「きつね屋」を、孫のわたしが引き継ぐから安心して。

 そして、仔狐ぼうやのお手々がちんちんしないように、温かな手袋を編むからね。



 

  。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。




参考:『本日、ありません。』

https://kakuyomu.jp/works/1177354054917243496/episodes/1177354054917244291

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