そういうつもりなので、よろしく

白浜ましろ

そういうつもりなので、よろしく


 この時期はいつも、梅雨明けはまだかなあと、夏の気配にそわそわとする。

 だが、夏が深まることでやってくるだろう暑さを思うと、もう既に今から気怠くもなってしまうもので。

 けれども、この湿っけのじめじめ感は好きではないし、やはり梅雨明けが待ち遠しい。

 そんな複雑な気持ちを抱える梅雨の季節。


 外はざあという音をたてながら、もう何日も雨が降り続いていた。

 雨粒が窓を叩き、つうと水滴が撫でる。

 どこからか吹き込む風が、湿り気をはらんで廊下を吹き抜けた。


 学校の休み時間。

 彼女、小日向こひなた風夏ふうかは、友人である水無みずなしあおいと共に学校の廊下に出ていた。


「え? 二人で出かけんかって誘われたんだ。葵、いつの間に桐谷きりや君とそんなに仲を深めとったの?」


「別に深めてないし……うちだってわけワカメだしぃ……」


 膨れっ面で抗議するように葵が風夏を肘で小突き始める。


「だからさ、風夏」


 上目で見やる葵の姿は、風夏にはまるで何かをねだる子供のように見えた。

 目が幾分か潤んで見えるのは、梅雨時期ゆえの湿気のせいだろうか。


「桐谷とのそれ、一緒に行ってくんない?」


「はいぃ……?」


 風夏の語尾が困惑たっぷりに上がり、廊下を吹き抜ける風が彼女のポニーテールを呑気に揺らした。

 下駄箱のある生徒玄関口からの風なのかもしれない。


「あのさ、葵。それってつまりは、デートってことだとあたしは思うだに」


 風夏がそう言ってやれば、葵は目に見えて狼狽え始めた。

 薄ら染まる頬がちょっといじらしい。


「デートとか、そ、そーいうのに当てはめなくていいしっ! 冗談はよしこちゃんっ!」


「えー……でもさぁ、男子が女子誘うって、下心あるとしか思えんけ――ど!?」


 力の入った葵の肘が風夏の脇腹に入る。

 思わず上ずった風夏の声に、湿った廊下をきゅっきゅと音を立てて歩く他生徒の視線が一気に突き刺さった。

 うわぁと心内で悲鳴を上げるも、ただのじゃれ合いかと知るれば、すぐに他生徒の興味はそれたようだった。

 それにほっと安堵しながら、風夏は葵の肩を掴んで水滴が撫でる窓へ共に顔を向けると、内緒話のように声をひそめる。


「だから、葵だけで行っときんよ。あたしも一緒に行くのは何か違うと思うし。……その前に誘われてもないし」


「えぇー、でもさぁ……」


 まだ渋るかと、風夏が葵の顔をねめつけてやると、不服そうに彼女はぽつりと声をもらした。


「……桐谷のジャージ買いに付き合うだけだよ? デートならさ、こうもっと、何かあんじゃん」


 手で円を描き、何か、を示す葵。

 その円が描かれる度に大きくなっていくのは、その分の不服な何かを現すのだろうか。


「何かって?」


「そー言われると……うちも困るけどさ……」


 それっきり口ごもってしまった葵に、風夏はふふーんと心内でしたり顔をした。

 なんだ、満更でもなさそうじゃん。行きたいんじゃん。

 本気で行きたくないということではなく、そう、つまり。


「――つまり、場所が気に入らんってこと?」


 意地の悪い笑みを浮かべ、風夏はそうかそうかと一人頷く。


「水族館とか遊園地とか、何かそれっぽいとこに憧れあるもんね」


「……別にそんなんじゃないし」


「せっかくのデートだもんね、デート」


「っだから、そーいうのにいちいち当てはめなくていいしっ!」


「でも、二人で仲良くお出かけするだら?」


 と風夏が言った途端に、葵はうぐと言葉を詰まらせた。

 ほんのりと頬が染まっている気がするのは風夏の気のせいか。


「……」


 何だろうか。今は何だかものすごく、うずうずとしている。

 じっとするにも我慢ならず、うずとした気持ちが風夏の中に沸き上がるままに、彼女は衝動的に葵に抱きついた。

 わっと葵から驚きの声が上がるも、風夏は気にすることなくそのまま抱きつく。


「んーっ! あおちん、かわいいっ」


「そ、その呼び方はやめてって言ってんよ」


 風夏の揺れるポニーテールが葵の顔をくすぐる。

 それを鬱陶しそうに払っていると、廊下から歩いて来るとある姿を見つけて葵は身体を硬直させた。

 ぴしりと言葉通りに硬まった葵を怪訝に思い、身体を離した風夏が振り向くと。


「いつも仲良しだよね、風夏ちゃんも水無ちゃんも」


あさひ君に桐谷君。おっす」


 風夏のおっすにおっすで返すのは、パーカーの上から制服の上着を着る南雲なぐもあさひ

 風夏たちとは別のクラスの同級生男子だ。

 そして、そんな彼の後ろから片手を上げておっすと返すのが。


「き、桐谷……」


 ぱっと風夏の後ろに隠れた葵を、肩を揺らしながら笑う桐谷きりや蒼汰そうただった。


「おもしろ」


 くつくつと喉奥で笑いながら、彼がそのまま葵の元へ歩む。

 が。


「――と、桐谷君。これ以上、葵を刺激しんであげて欲しいな」


「しんであげてって――死ん……?」


 彼を遮る様に風夏が行手を塞ぐも、驚いたように目を丸くする彼らの様子に、そこで己の失言に気付いた風夏は慌てて言い換えた。


「あ、ごめん間違えた。そう、これ以上の刺激はしないであげて欲しいな」


 ちらりと風夏は自分の背後を振り返り、警戒するように蒼汰を睨む葵を苦笑する。


「……ああ、なる。そーいうことか」


 納得した様子で蒼汰は頷くと、少しだけおどけた様子で続けた。


「おっかしいなあ、距離は縮んだはずなんだけど」


 ぴくと身体を強張らせる葵に、蒼汰の瞳は楽しげに細められた。


「……おもしろ」


 そんなくつと小さく揺れる肩に旭の手が乗る。


「まあ、その辺にしておいてあげたら? 水無ちゃんからかって、そんなに楽しい?」


「そーかもしんない」


 途端。蒼汰を睨む葵の瞳に不服そうな色が滲む。

 その様が彼をさらに調子付けることになるのを、彼女は自覚しているのかいないのか。

 やれやれと苦笑交じりにかぶりを振った風夏は、可哀想に見えてきた友人のためだと、助け舟を出してあげることにした。


「そうだ、桐谷君」


 しゅっと軽く手を上げ、彼の視界に入り込む。


「ん?」


 楽しげに葵を見ていた瞳が風夏を見やる。


「桐谷君の言う、その距離とやらがまだ縮んでいないようなので、あたしから提案があるのですが」


 挙手の体を取る風夏に、蒼汰はくつと笑って続きを促す。

 その瞳は楽しげに揺れていた。


「桐谷君と葵のお出かけに、あたしもお邪魔していい?」


 瞬間。葵が風夏の首元に抱きついた。

 ぐえっと勢いよく絞められた首に批難の意を込めて軽く彼女を睨むと、少しだけ腕の力が緩んだが、彼女は抱きついたままだった。

 そして、その横からは元気よく手を上げて主張する声が上がる。


「オレもオレもっ! オレもそのお出かけ行きたいなっ!」


「へ、旭君も?」


 驚いて風夏が隣を見やれば、旭は嬉しそうに笑ってみせる。


「うん。水無ちゃんはそうと二人っていうのは気まずそうだし、ここは多人数で遊ぶ体で行った方が気楽なんじゃと思って」


「南雲……」


 抱きつく葵は感激に震えているようだ。

 それに呆れていると、ふいに旭が風夏の耳元へ顔を寄せて。


「それにさ」


 すぐ近くで鼓膜を震わす男子の声に、ぞくりとした言い知れない感覚が風夏を襲う。

 どぎまぎした心のままに旭の言葉を。


「途中で蒼に気を遣って二人で抜けようよ」


 聞くことになって、妙な弾み方をして息を詰まらせた。

 友人の異変に気付いただろう葵が、どうしたのと顔を覗き込んでくる気配がする。

 そうはさせまいとあらぬ方へ顔を向けると、旭と目が合い、彼がにししと子供みたく笑うではないか。

 これ以上動じてたまるかと、むぐと口を引き結んだ。


「旭もほどほどにしといてやれよ」


「えー、何が?」


 肩を揺らす蒼汰に、旭はからからと笑った。

 遊ばれている気がする。悔しい。

 そんな彼女の胸中を知ってか知らずか、彼らの会話は続いていく。


「とりあえずオレの目標は、風夏ちゃんに素で話してもらえるようになることだから」


「素?」


「うん。だって風夏ちゃん、水無ちゃんの前だと方言ふつうに出てるでしょ? さっきだって言い直してたし」


 と言って、むぐと口を引き結んだままの風夏を見やる旭に釣られて見やった蒼汰も、ああそうか、とひとつ頷く。


「小日向って、中学の途中からこっちに引っ越して来たんだっけか」


 そして彼は、問うような視線を風夏ではなく葵に向ける。すると彼女は、そろと風夏の背後から出て行くではないか。


「だから、気が抜けてるとそのクセが出ちゃうんだってさ」


「つか、別に気にする奴いねーと思うけど」


「だよねー。うちもそう思ってんだけど、風夏は微妙な方言であまり好きくないんだってさ」


 と。先程の警戒ぶりはどうしたのか、常の調子で蒼汰と話し始めるではないか。

 扱いが上手い。その手腕に風夏は蒼汰へ感心の念を抱く。

 なるほど。友人の話を振ることで、明らかに自分を意識し始めただろう彼女の警戒を緩めたか。

 その話題の中心が己なのはちょっと気に入らないけれども。


「へえ、風夏ちゃんはあの方言あまり好きくないんだ」


 己の思考に没頭していた風夏は、旭の声で現実に意識を戻す。


「だって、どこまでが方言で、どこからが違うのかわかんないじゃん。さっきみたいに通じないこともあるし、そういうのこんがらがるし、あたしだけ変に思えちゃうもん」


「うーん、まあ、そういう気持ちもわかる気もするけど」


「だら?」


 得られた同意に思わず返しのそれを叫んでしまい、慌てて手の甲を口にあてがう。

 先程のは紛れもなく方言のそれである。

 がばりと横を振り向くと、にへと笑った旭の顔があった。


「うんそれ。そういうの可愛くていいなって、オレは思うんだけどね」


 にへと笑う彼の顔は子供みたいで――無邪気に見えて、妙な弾み方をする心は何なのか。

 そして、彼の笑みが深まる。ちょっと照れくさそうに。


「と。そういうつもりなので、よろしく」


 よろしくとは何をよろしくなのか。

 ぱちくりと瞬く風夏の瞳にはにかみながら、旭が躊躇いなく手を伸ばしてくるものだから、身構えることも出来なかった。

 気付けば頭を撫でられている状況である。

 動じてたまるかとむぐと口を引き結ぶ。

 旭とは、葵を通じて蒼汰と知り合ったのちに、彼を通じて知り合った。

 その当初から、じゃあ風夏ちゃんって呼ぶねと言われ、名前で呼ぶんだから名前で呼んでねと詰められて。

 風夏はさらにむぐぐと口を引き結んだ。

 何だか、始めから相手のペースではないか。


「ん、どうかしたの? 風夏ちゃん」


 頭を撫でる手を止め、旭が顔を覗き込んでくる。

 彼の言うよろしくとはつまり、そういうことなのか。

 別に自分は鈍い方ではないと思う。だから、そういうつもりはそういうつもりなのだろう。

 恨めしく思いながら見上げて。


「……旭君ってさ、距離詰めるの上手いって言われない?」


 呻くように聞いてみると。


「さあ、どうだろうね」


 彼はからからと笑うだけだった。


 相変わらず外ではざあと降る雨。

 その雨音に紛れてしまうことなく、不思議と彼の笑う声は風夏の耳に残った。




 その後、お出かけとやらは結局四人で行くことになった。

 だが、その日は友人らに気を遣うふりをして抜けようか、と彼とこっそり相談するのは、秘密の作戦会議をしているようで楽しかった。

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そういうつもりなので、よろしく 白浜ましろ @mashiro_shiro

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