第2章 依存という名の日常


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 二度目の日常が崩壊したのは、私が小学四年生の時。

 いつも通りいつも通りと、ルイと会える毎日を楽しみ、学校もそれなりに過ごしていた。

私だけが、そう思っていた。

 私はルイと遊び、少しだけ余裕をもって学校へ到着する。いつものように無駄に長い廊下を歩き、教室へ無言で入る。それだけだ。

 なのに、

(あれ?)

 私が入ってきただけで、教室の空気がガラリと変わった。去年とは違い、見知った人は何人か入るがクラス替えによって大まかに変わってしまった教室は、まだ新鮮な反応をする子供が多い。

 さて、ここで自分自身に問おう。教室が、これまでにない団結力を見せる時がある。誰も打ち合わせもしていないのに、自然と相手が何を言っているのか分かる団結法。

 もし、この質問が実際に私に問われていたのなら、私はこう言うだろう。それは、『共通認識をする敵がいるから』だ、と。

いわゆる――虐めだ。

 ここで、私は去年思い浮かんでいた事を思い出す。あの時の私は、嫌われた方が都合がいいけど面倒事は止めてほしいと、確かそんな事を考えていたはずだ。

(あーあ。という事は、私は面倒事に巻き込まれた、という事か。でも、何が原因だ?去年一緒にいた松井さんもいないのに?)

 といっても、虐めに理由なんてない。理由があると思っているのは大抵相手側のほうであって、虐められる側からすれば、それは理不尽の極みでしかないのだから。

(となると、首謀者は誰なんだろう?)

 自分の事だというのに、どこか他人事のように感じる。

私はこの事を、あまり大きくとらえていない。それだけでなく、この人達がどこまでやれるのか、少し観察でもしてみるか、なんてどうでもいい事しか考えていなかった。

(……久しぶりの感覚だなあ)

 三年前の日常。その感覚と感情に似ている。でも、違うとすればそれは私が命令に対して対抗する意識が芽吹いている事だ。

(あの時は気づかなかったけれど、私は痛いのも苦しいのも嫌。なるべく楽して生きていたい。得して生きれるのなら、それに越したことはないしね。だから、面倒事はごめんだ)

 だからと言って、特別何かしようとは思っていない。

 私は、何食わぬ顔をして自分の席へ行った。だけど、短い距離だからと言って歩いている途中に近くにいる人からあからさまに避けられたり、ヒソヒソ話慣れるのはいい気分ではない。

(これは、さっさと終わらせた方がいいかも)

 本当、厄介事に巻き込まれた、と小さくため息を零し席へ座ると三人の男子が私の席の前にいた。

「おい、クソ野郎。お前、よく学校に来られたな」

(……野郎じゃないんだけどなあ)

 小学生の見え透いた挑発にかかるつもりはない。そもそも、こんな語彙力が乏しい人から何を言われたって、心底どうでもよかった。

(でも、知らないのはちょっとイラつくし、少し探ってみるか)

 私はいつものように笑顔を張り付けて、目の前にいる人達を見る。

「うん?どうしたの?鈴木君」

 私に話しかけてきた男の子は、鈴木力すずきつとむ。暴力的な性格で、関わると面倒くさい。

「ハァ?何、しらばっくれてんの?」

 その次に思いついたかのように声を出すのは斉藤君。鈴木君のセコム一号だ。

「つーか、何その笑顔。自分、何もしていないよってアピール?あからさますぎでしょ。マジドン引きだわー。最低すぎんでしょ」

 たぶん、この中で一番頭がいいであろう田中君。だけど、その頭の良さはずる賢い方に行っている鈴木君セコム二号。

(全員が全員、私から見れば精神年齢が幼児以下なんだけど)

「知らない罪をかぶせられても困るなあ。そんな風にされる理由も分からないのに最低とか、そっちの方が酷くない?」

 あからさまな挑発に、三人の顔が赤くなるのが分かる。

(ハァ……。もう少し、大人になろうよ)

 呆れ半分、ちょろいなと思う半分で、三人を見る。

 すると、鈴木君が怒りに身を任せるように口を動かした。

「昨日、お前が俺の物を盗んだろうが!泥棒のくせに知らない振りして、ウゼェんだよ!」

「はぁ?」

 私が不機嫌な声を出すと、三人の他にもこの教室にいる全員が私の方を見て肩を震わせるたり、顔を青くしている。

(おおっと。いけない、いけない。子供相手にいちいち反応してたら、強くなれないわ)

 あくまで冷静に、と私は一層笑顔で鈴木君立ちを見る。

「それって、誰か見てたの?証拠とかあるの?」

「お、俺達が見たんだよ」

「この目でバッチリとな‼」

 斉藤君と田中君が半分涙目でそう言っている。

「へ~。ところで、私は何を盗んだの?」

「へ?」

「え?だって、君たちの話だと、私が盗んだ現場を目撃したんでしょ?なら、何を盗んだかも分かるでしょ」

「そ、それは……」

「何?言えないの?」

「と、遠くからで、あまりうまく見れなかったんだ」

(勝った)

 ちょろかったな、と思う。まだ、物陰も隠れてとか、そういう障害物をあったからという理由ならまだ逃げ道があったのに、と言ってしまった。人間、不測の事態になれば思考能力が鈍くなるものだ。

「遠かったから分からないの?」

 余りにも憐れだったので、確認という名の優しさを与える。

「そうだって言ってんだろ!」

(それでも無下にするのだから、しょうがないでしょ)

「そっか。なのに、よく遠くからでも私だって分かったよね~。そんな目立つ格好でもしてなかったのにね?」

「な、なにを言って――」

「あ、もう一つ聞きたいんだけどさ。私を見たのって、一体何時だったの?」

(さあ、なんて答えるだろうね)

 朝?それとも昼休み?もしや、放課後だなんて言わないよね?まあ、どれにいたって私にはアリバイがある。しかも、それに該当する証拠だってある。毎日のルーティンがここで生かされた。

「んなの、誰もいない放課後に決まってんだろ!」

「俺たち、力の事を待っている時に見たんだし」

 理由が弱いと思ったのか、田中君が細くするがそれでも残念だ。それが墓穴を掘っていると知らないで。

(ダウト)

 心の中でほくそ笑む。

いつも貶められる側だったから、こんなにも逆の立場が楽しいとは思わなかった。

「え?その時間、私はもう帰ってるよ?」

「な⁉嘘をつくなよ‼」

「俺たちはしっかり見たんだし」

「え~。そんなこと言われたって……。私、家の事親から任せられているから早く帰らないといけないんだよね」

「でも、俺たちは――」

「それに、私が早く帰るのって去年もその前からもやってる事なんだよね。忙しくて遊べないの。自分が可哀そうだとは思っていないけど、それでももっと時間に余裕があればみんなと遊べるかな?とか思う時もあるのに……。それなのに泥棒扱い?私が鈴木君の物を盗む時間もないのに?どうやってやるのよ。私に教えてくれない?」

 鈴木君も、斉藤君も、田中君も、ここにいるクラスメイト全員が唖然あぜんとしているのが顔で分かる。

「――鈴木君」

「な、なんだよ……」

 先程までの威勢も何もない。私が名前を読んだだけで、挙動不審な動きをしているのが、見ていてスッキリした。

「人を怪しむ前に、この二人を怪しんだら?人の事をこうやって泥棒扱いするぐらいだもん。こっちの二人が怪しいよ」

 いつの間にか、私は笑みを消していた。

 一体、何時からだろうか。

(それとも、それほどまでに私は苛ついていたとか)

 そうなると、私もまだまだだ。こうなんで強くなろうとしているなんて、一体何時までかかるのやら。まさに、夢のまた夢だろう。

「それじゃあ、この話はおしまいね。私、次の授業の準備をしないといけないからあとは三人で話し合って。鈴木君、無くした物見つかるといいね」

 笑顔を張り付けて、どっか行けと遠回しに言う。鈴木君たちは毒気が抜かれたように自分たちの席へと戻っていった。それを、見ていたクラスメイトがひそひそと話し合う。

(うっわー嫌な空気。これ、結果は変わらないやつ?)

 私は周りにいる一つのグループと目を合わせる。

すると、一瞬を肩を震わせながら、慌てて目を逸らせてしまう。

(やっちゃった系かー)

 人は異物を嫌う。

 例えば、だ。クラスメイトの一定の空気を読まず、独りよがりに行動する奴がいたとしよう。人を前に出せるようなタイプの人間なら好まれるだろう。しかし、その逆の人はどうだ。まあ、当然嫌われるだろう。

(そして、今の私は後者に該当するんだろうなあ)

 クラス一暴力的な奴を口だけで勝った人。それなら、まだいい感じの人だろう。

しかし、実際はちょっと違う。他の人から見た今の私はこうだろう。『グループにも入らない、空気の読めない奴がクラス一暴力的な奴を口だけで勝った人』。それが、今の私の立ち位置になってしまった。

(ハァ……。きっかけはあっちだったとしても、まさか自分から日常を壊すなんて……。今からでもルイに会いに行こうかなあ)

 現実逃避のような考えだが、半分以上は本気だ。

(でも、それだとなんか悔しいし)

 言い負かせた鈴木君の報復が怖くて早退した、なんて見えるみたいでそれはなんだか悔しい。

(ここで帰ったたら負け……だよねえ)

「ハァ……。」

 これだから、人間が面倒くさい。目先だけの言葉と嘘で動かされて、それが悪いとは一切感じない所とか。

(私は人が嫌い。だけど、この世で二番目に嫌いなのは人の『欲』と『感情』だ。)

 それだけで、人は簡単に悪に染まる。

物語に書かれているアダムとイブを見てみろ。人の欲と一時の感情だけで、神様に捨てられた物語。これが証拠と言わず、なんといようか。

(ルイ……)

 今、何をしているだろうか。

 私の居ない所で、傷ついてはいないだろうか。

(早く会いたい……)

 朝から、こんなにも長く感じてしまうのは何故だろうか。

 学校が早く終わる事を、私は静かに待つのだった。


・・・・・


 翌朝。

 昨日は、つまらなかったあの事件のせいで、少し長くルイと居てしまったため寝不足状態に陥っている。

 長く感じている廊下をゆっくり歩きながら、私はそんな事を考えていた。

 そうして歩いていると、どこからか視線を感じた。ちらりと、その視線の先を見つめるとその先は同じクラスメイトの子で、口元を醜く歪ませながら笑っていた。

(……もしかして)

 そんな面倒くさい事になっているのかと、でもそんなはずはないと、淡い期待を抱きながら私は教室に着いた。

(どうか、面倒事に巻き込まれていませんように……!)

 そう思いながら、私は教室のドアを開ける。

 すると、楽しそうに騒いでいた教室の空気が明らかに一変して変っていくのが分かる。

(……ハァ)

 心の中で小さくため息を零す。それは、期待外れの意味を指していた。

 今時珍しいのは、このクラスの人が他の友達に言いふらさなかった事だろう。その理由に、歩いていた時はクラスの子たちの視線しか感じなかった。どうやら、昨日の事は皆がみんな無かった事にしたいみたいだ。

(くだらない)

 そんな風に無かった事にしたいのなら、私を異物のように見るその目も止めてもらいたいものだ。

 しかも、クラスの人たちがひそひそ話していたのが聞こえたが、どうやら鈴木君の物を盗んだのは斎藤君と田中君が犯人だとか。

なのになぜ、私がこうして嫌な視線で見られているのだろうか。どうしても気に食わない。

(てか、皆も気づけるはずでしょ)

 あの二人は、途中から私に全ての罪を擦り付けようと必死になっていたじゃないか。最後の最後ま、何を言おうか、どうすれば擦り付けれるか、そう考えていたじゃないか。

人の目は、何よりも正直に語ると言う。嘘ついたときや、人を嫌ったり、憎んだり、それか異物を見る時なんかは何よりも分かりやすい。

(その点、動物は人間よりも正直なんだよねー)

 三面前のあの日。私が『水』を流した時に言った言葉は、今でも忘れない。


 『私たちって、二人合わせて“幸せの涙”なんだよー』


 私は、ルイというだけで幸せを感じれる。まるで、水のように染みあがっていくのが何よりも心地よかった。

(ルイも、幸せを感じてくれているのかな?)

 私はさっき、動物は正直だと言ったがそれでも、こうして会話できないのがもどかしいと感じることはある。もしも、ルイと会話できるのならどれだけ救われて、どれだけ幸せを感じているのか、その事を話したい。それに、ルイの本音も聞きたかった。ルイは、私の事をどう思っているのか、これからの人生をどうしたいのか。最後のその時まで、叶えてあげたいから。

(人は、エゴの塊だと誰かが言いました)

 今の私が、まさしくそれだろう。ありえない事をルイに押し付けて、私はそれに喜んでルイを見る。

 それは、さながら狂った人形みたいだ。

 そんなことを考えていると、担任がこの異様な空気に気づかないで入ってくるのが見えた。どうして気づかないのだろうか、と考える。教師というのは、こういう時に生徒を助けるのが普通なのではないのかと。

(まあ。信用してないのだから、どうでもいいのだけれども)

 あの日以降、私はどうしても人というのが信用できなくなった。

 そんな風にどこかボーっとしながら、校長の次に話が長い朝の会の言葉を聞き流しながら、今度は窓の外を眺める。

 窓の外は綺麗な青空で埋め尽かされていて、今の私の状況とはかけ離れた澄み渡っている光景が広がっていた。

(いじめなんて、虐待と比べたらマシな方だ)

 今でも、母親とは一切会っていない。それどころか,顔も今でははっきりと思い出せなくなっていた。

(……なのに、今でも私を苦しめる)

 もはや、一種のトラウマ状態だ。

(辛いなー、なんて言ってみたりして)

 冗談交じりに言うが、そうしないとやっていけない。

 もうすぐで、あの暑い季節がやってくる。

 それは、ルイと会えた季節。

 そして、私が悪夢で苦しめられる季節だ。

(……今年も、かなあ……)

 耐えるかのように、私は目を閉じる。

 また、この季節がやってくる。

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灰色の雲と共にあるのは 雲咄 @kumobanashi

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