1秒

とと

第1話

「わかるよ」

 一言、低く落ち着いた声色は何故かストンと響いてきた。




 高2のとき、私は芸能事務所でマネージャーをしている上持うえもちさんのスカウトで芸能界に入った。

 何回も告白されていたからルックスには自信があった。

 それでもスカウトされるほどとは思ってもいなかった。

 芸能界入りに不安が強かった家族も事務所は社員も含めてほとんど女性。

 フォローもケアも体制は万全だと説得され、反対しなくなった。


 事務所のレッスンをこなす日々。

 元々志望していてなかったため、通らないオーディションに早々に折れそうになった。

 日に日に沈んでいく私。

 見るに見かねた上持さんがバーター(抱き合わせ)でエキストラの端役を用意してくれた。


 現場の緊張感。

 真剣な表情で働く大人たち。

 今まで想像もしていなかった。

 できなかった。

 圧倒された私は緊張でろくなコミュニケーションもできず、見ていることしかできない。

 ちょっとした事でも衝撃的な体験に感じた。

 何もできなかったけど、この場で役者として関わっていることがとても嬉しかった。


 撮影後、家族には興奮して話をした。

 撮影の空気。

 役者の表現力。

 待機中の出来事。

 家族にこんなに熱くしゃべるのは覚えている中では初めてだったと思う。


 完成映像の中、セリフのあった先輩タレントがとても輝いて見えた。

 私の姿は1秒も写っていない。

 それでもすごく嬉しかった。

 誇らしかった。

 撮影の時に感じた想いは、1秒にも届かない露出でも色褪せない。

 むしろ強くなった。


 「謙虚にね」

 上持さんからのアドバイス。

 家族には思いっ切り自慢したけど、学校・友人への自慢は控えた。


 あの感動の世界に行きたい。

 私は役者を目指すことにした。



 オーディションには相変わらず落ち続けた。

 それでもよかった。

 オーディションに参加すること自体が幸せだった。


 この頃から始まったいじめや嫌がらせも気にならなかった。

 中学から付き合っていた彼氏とは自然消滅した。


 この入口の先にあの世界が待っている。

 そう思うと胸の奥が熱くなった。



 事務所では、会えば挨拶以外の会話をする女優のスミレさんがいた。

 テレビを見ない人はともかく、知らない人はいないだろう知名度の人。

 纏っている空気が違うように思えた。

 それがオーラというものなのかは分からない。

 ただキラキラと本当にキラキラと輝いている人を見たのは初めてだった。



 相変わらずレッスンとオーディションの日々。

 転機が訪れたのは、スカウトから1年後。


 ある日、事務所のパーティーに出席した。

 所属のタレントがこれだけ集まっているのを初めて見た。

 輝いているのはスミレさんだけかと思っていた。

 ところが事務所では私たちと変わらないように思えた先輩タレントも、今はスミレさんと同じような輝きを放っている。


 輝く人たちのなかで私は怯えてしまった。

 何で私と同じだと思えたのか?

 愚かな自分を呪いたい。

 頭がくらくらする。


 パーティーには関係者と呼ばれる人たちも参加する。

 お披露目や縁作りも兼ねているのだろう。

 私を含む新人数人は上持さんに連れられて挨拶回りをしている。

 並んで挨拶する新人の娘たちもみんな輝いて見えた。


 監督さん、プロデューサーさん、スポンサーさん。

 たくさんのポジションの人たち、名前なんか覚えられない。

 私は輝いていない。

 どうしよう。


 「だいじょうぶ?」

 はっとした。スミレさんだった。

 私は壁際にいた。

 声をかけられるまでの記憶がない。

 ただ、惨めな気持ちだけがあった。

 「えっあっ」

 口がワナワナと震えうまく言葉にならず挙動不審になった。

 身体が震える。

 「顔色悪いよ」

 私の二の腕をなでててくれる。

 「カオルちゃん」

 「あっ」

 名前を呼ばれて、空気に色が戻り焦点が合う。

 震えが治まった。


 「大丈夫みたいだね」

 にっこり。

 やわらかい笑顔に見惚れてしまった。

 安心してしまった。

 一滴涙が落ちる。

 そして次から次へと涙が溢れてくる。


 この涙は今でも再現できるが、この気持ちは言葉で表現したくない。


 申し訳ないと辞退しようとする私を無視して、スミレさんは化粧室まで引っ張ってくれた。

 ハンドタオルで涙を拭ってくれる。

 柑橘系の香りがした。

 「あなたは綺麗だよ」


 「ほら見てご覧?」

 私の顔をぐいっと鏡の方へ向ける。


 化粧はしていなかったからお化けではないけど、一発で泣いたと分かる顔がそこにいる。

 「な゛き゛ました。ひどいか゛お」

 鼻をすすり上げる。


 「うん。それでもいい顔じゃない。うん、とてもいい顔をしてる」

 後ろから私の肩に頭を乗せると、先輩と鏡に並ぶ。

 甘いとてもいい香りがする。

 スミレさんはとても真剣な表情をしている。

 それでいて優しさが溢れている。


 「私も泣いた。この気持ちを大切にして」

 ギュッと抱きしめられる。

 「経験は必ず生きていくから」


 ニコッとすると私と向き合う。

 ほんのちょっとの接触だったけど、離れたことに寂しさを感じる。


 「よし行こう」

 「えっでも・・こんな顔だし・・・」

 「う~ん」

 スミレさんは腕を組んで少し考える素振りを見せる。


 「任せて!」

 私は手を引かれて会場に戻った。


 その後はスミレさんについていた。

 どれくらい年上なのかも分からない人たちと話しながら私を紹介してくれる。

 「緊張してちょっと泣いちゃって涙目なの」

 「カオルちゃんっていうの。ひよこみたいにピュアピュア、かわいいでしょ」


 親しみのある少しからかう口調。

 密着の多い過剰なスキンシップにドキドキする。

 

 何人目だろうか。

 変わらず同じテンポで挨拶を繰り返す。


 先輩は変わらず輝いている。


 不意に、ここもあの世界の中なのだと気が付く。

 本番は撮影機材の前だけだと思っていた。


 違う。

 

 そう違う。


 先輩はどこで見ても輝いていた。

 なんで?


 いつでも本番なんだ。


 ゴクリと自分の唾を飲む音が響く。


 本番中だから輝くんだ。

 少なくても狙ったときにオーラを出せる人が選ばれていくんだ。


 同じステージに立ちたい。

 この日から先輩に強烈な憧れを抱くようになった。

 

 この世界は輝いている。

 世界自体が明るく光っている。

 光の中でも一際眩しいスミレさん。

 私も、・・たい。


 輝きたい!


 この日何度もひよこと呼ばれたからか、スミレさんからはひよこちゃんと呼ばれるようになった。



 「インスタするよ」

 ある日、スミレさんのマネージャーになっていた上持さんに言われた。

 上持さんの企画でちょっと変則的なプロモーションをするらしい。


 そのお陰で役者としての仕事が決まった。

 ミニドラマの主演、初めてのセリフがある役。

 嬉しさで震えが止まらない。

 ついにあの世界の中心に立つ。


 全力だった。

 幸せだった。


 撮影が終わった。

 事務所ではスミレさんがニコッとして「ひよこちゃんおめでとう」と言ってくれた。

 忙しいらしく擦れ違いざまの一言。

 それでもすごく嬉しかった。


 ドラマで私を見たと言ってくれる人が増えた。

 クレジットには出ない仕事もちょっとずつ入るようになった。


 スポンサーの部長さんがスミレさんと挨拶したときから気になっていたらしい。

 形だけのオーディションが行われ、CMが決まった。

 決め手は主演したミニドラマだったそうだ。



 高校を卒業。

 進学はせず、役者に専念することに決めた。


 CMは順調に更新が行われ連作になった。

 嬉しい。

 数十秒の世界で私は何を伝えられるのか。



 仕事はあまり増えていない。

 私の演技はどうやら上手くないらしい。

 エゴサーチでも容姿は抜群の評価だけど、演技の評価がない。

 舞台の仕事がないのも演技の評価なの?

 確かに棒読みに毛が生えたくらいだよ!

 自分の作品を見て微妙とは思っていたけど、それでも面と向かって突き付けられるとやはりショックだった。


 悔しさはあったけど、逃げたい気持ちの方が強かった。

 モデルなら演技をしなくてもいいかと思った。


 違かった。

 甘かった。


 私には役者よりもモデルの方が厳しかった。

 モデルではカメラマンの呼吸と合った瞬間の表現を求められた。

 ポージングですらにわかなのに何でいけると思ったのか?


 CMに出演していてもモデルのオーディションには受かることはなかった。

 カメラマンに会った瞬間、タイミングが合わないってわかった。

 合わない。

 演技のタイミングが合わない。

 私のショットは奇跡の1枚のさらに奇跡の1枚になる。


 どうして?

 努力してるよ!

 恋い焦がれても届かない。

 このままじゃ・・・。

 スミレさんの・・・、この世界で生きられない。

 涙が止まらない。


 気になってエゴサーチをする度に自信はなくなっていた。

 それでも諦められない。



 そのオーディションはダメ元だった。

 最後だと思った。

 上持さんにも、もう諦めようと思ってる事を伝えていた。

 「悔いを残したまま進んだらダメ」

 「最後と思うなら、何も考えず思いっ切り全力でぶつかってきなさい」


 棒読みと言われてもよかった。



 私は知らなかった。

 高校を出た年齢でも世間を知らない子供だった。

 沢山の成熟した大人たちと仕事をするようになって、自分も大人になったつもりでいた。



 信じられなかった。

 オーディションに合格して映画のヒロインを演じる事になった。

 10代の最後にヒロインを演じる。

 このチャンスは逃せなかった。


 ヒロインは男性二人の間で恋に揺れ動く役。


 撮影前に主要キャストの方々と顔合わせがあった。

 役柄もそうだけど、リアルでも恋を演出していく事になった。


 監督と主役の広本さんに私は恋をする設定。

 恋をする。

 自分に言い聞かせる。


 今振り返ると、恋でもすればベタ演技の私でも多少は使えるかもって策だったのだろう。

 私は本音すら告げられない子供だったのだ。

 今も十分とは言いがたいけど、当時はもっと視野が狭かった。


 「話しやすいようにお互いタメ口にしようよ」

 そう言ってくれたのは主演の広本ひろもと海人かいとさんだった。

 「はい。でもいいんですか?」

 「うん。役も作りやすくなるよ。だ、か、らタメ口」

 優しい声。

 「はい、わかりました」

 「違う。ウンワカッター。だよ」

 何故か私の台詞を片言にしてる。

 「あっ。うん、わかった(小声)」

 恥ずかしくて尻すぼみになりながら言った。

 「よし。これからよろしく!」

 広本さんが右手を差し出してくる。

 「はい。よろしくおね・・・。え~よろしく」

 広本さんの表情が苦いものに変わったのを見て言い直した。


 私は握手ができた。


 「呼び方もカイトね」

 握手しながら要求してくる。

 さすがにこれは断った。



 「一皮剥けたね」

 映画の撮影中そういった言葉を聞けるようになった。

 嬉しかったがもどかしかった。


 年上の男性との気軽な会話。

 その時、私は気付いていなかったが、演技の恋と現実の恋とが区別できなくなっていた。

 今思うと現実に戻るたび、意識下にある恋心を失うことが辛かったのだろう。


 役が終わると自分がどこにいるかわからなくなる。

 何かを失い続ける感覚。

 胸が苦しい。

 私は誰?

 ここはどこ?

 これをどう表現していいかわからない。

 わからないことだらけ。


 「ねぇスミレちゃんは元気?」

 ドキッとした。

 広本さんの口から憧れのスミレさんの名前が出てくるとは!

 「えっ?」

 「事務所で会わない?」

 「あっ、会うけど・・・」

 なぜか胸が痛い。

 「前に共演してさどうしてるかなーって」

 「えっ?そうだったの?」

 「ああ聞いてない?」

 「うん全然、そういえばここしばらく会えてないよ」

 「そっか」

 ちょっとホッとしたような様子が印象的だった。


 私は喪失感について先輩やマネージャー、家族にも相談をした。

 私を気遣ったたくさんの言葉をもらう。

 けれども、

 (そうじゃない)

 (わかってもらえない)

 という思いが違和感と共に強くなるだけだった。


 日が経つにつれ生彩を欠いた演技が増える。

 自分でも演技ができてないことは分かっている。

 どうしようもなかった。

 

 ある日、どうしても感情が乗らず同じシーンを何度もリテイクしていた。

 頭を冷やせと待機場所で年の近いマネージャー里見さとみさんと話し合うも、思ったような切替はできていなかった。

 (このとき、映画のため専属のマネージャーがついていた)


 「わかるよ」

 一言、低く落ち着いた声色は何故かストンと響いてきた。


 突然の声は広本さんだった。

 聞こえていたの?


 「がんばろうな」

 肩に手を置かれるフワッといい香りがする。


 「かっこいいね」

 「う、うん」

 思わず里見さんの口から出た言葉に頷く事しかできなかった。


 ぽけーっとしていた。

 「はじめるぞ~」

 ADさんが呼ぶ声で我に返る。


 (「わかるよ」)

 周りの冷たい視線の中で私を認めてくれた言葉。

 頭の中で何度も何度も繰り返される。


 その日、まともな演技もできず撮影は中断となった。

 申し訳ない気持ちはあったが、それ以上の気持ちが胸の奥に広がっていた。


 私の世界に色がついた。

 薔薇色と言っていい。

 あの喪失感は鳴りを潜めた。


 演技の中で私は恋をしていた。

 違う。演技の中恋をしていた。

 見つめ合うたび、触れ合うたびに喜びが溢れた。


 「・・かいと・・・」

 キスシーンで私はつぶやいてしまった。

 驚いた表情をした広本さん。


 「カッ~~~ト」

 「海人~その表情じゃないよ」

 「あっ。ですよね。やって違ったな~て思いました。すみません」

 おどけた感じに謝る。

 「てへじゃねぇよ。頼むよ~」


 「じゃもう一回。海人もカオルちゃんもすぐ行ける?」

 「「はい。大丈夫です」」


 そのときが初めてだった。

 いつもの「広本さん」ではなく初めて名前を呼んだのだ。


 (バレた)

 気持ちがバレたことしか考えられなくなかった。

 

 次のキスで私は真っ赤になり、その次のキスでは震えが止まらなかった。

 何度かのリテイク。

 あの日のように中断とはならず、その日の内にOKが出てホッとした。


 何て思われただろう。


 撮影は順調に進む。

 大きな問題もなく無事にクランクアップを迎えた。


 撮影中も、クランクアップ後も広本さんからは何も無かった。 

 なんとも思われていないのだろうか。

 伝わらなかったのか。

 不安と失望、失恋したのだと思って泣いた。


 映画の撮影が終了すると同時に仕事が増えた。

 どうやら海外でも発表することになり、経歴に箔をつけていくとのことだった。


 「来月はbrillareの撮影があるから」

 オーディションもなく専属モデルがあっさり決まった。

 1回、ゲストモデルをした後、専属契約になるとのこと。

 何度もオーディションに落ち、あれほど無理だと思っていたのにだ。


 実力ではないところで仕事が増えるたびに不安になった。

 それでもこの世界にいる喜びは、不安な気持ちを隠していった。


 ミュージックビデオの撮影で広本さんとばったり出会った。

 予期せぬ再会に胸の奥がざわめきたつ。

 撮影は終わっていたので、スタジオの隅で少し会話。


 「元気してた?仕事増えたんだって?」

 「はい元気です」

 寂しかったとは言えない。

 「戻っちゃったね」

 私の口調をいっているのだろう。

 「あっごめ・・・」


 ところが、

 「名前嬉しかったんだ」

 彼はやさしくささやく。

 「えっ?」

 「あのとき、俺の名前呼んだろ?」

 心臓の音がうるさい。

 「本当はあれからずっとカオルのことを考えてた」

 名前を呼ばれた。嬉しい。

 身体が震えているのが分かる。

 「俺は結婚してる。子供もいる。それでもカオルを忘れられなかった」

 真剣な表情の広本さんから目を離せない。

 「俺のこと考えてくれないか?」

 「・・・・はい」

 メモ紙を握らされる。

 「もっとカオルのことを教えてほしい」

 そう言うと広本さんは知り合いに挨拶しながら去っていった。


 メモ紙にはRINEアカウントが書いてあった。


 広本さんの目から見たら、私の反応なんてバレバレだっただろう。

 ちょろくていい、なんとでも言っていい。


 私は好きな人から求められた。

 それが全てだ。


 何度か食事デートをし、たくさん会話をした。

 広本さんをカイトと呼ぶようになった。


 1ヶ月後、カイトの宿泊先、ホテルに呼び出された。

 カイトは荒れていた。

 部屋も彼もひどい状態だった。

 理由は聞かなかったけど何か辛いことがあったのだろう。

 そんなときに私を求めてくれたのが嬉しかった。


 好きな人が、苦しいときに求めてくれる。

 幸せとしか思えない。

 カイトから求められるままに一夜を過ごした。


 かぁーくんと呼ぶようになった。


 溺れる。

 恋心が叶った嬉しさだけではない。


 知らないこんなの知らない。

 セックスがこんなに気持ちの良いものだったなんて知らなかった。


 格闘技で鍛えたかぁーくんの腕の中で乱れに乱れた。

 厚い胸板、逞しい腕、大きな手、だけども指先は繊細に私を探る。

 愛をささやく唇は柔らかく熱く、そこから伸びた舌先は私をトロトロに溶かした。

 肌を重ねるたびに、快感は深く、深くなっていった。


 かぁーくんの奥さんが出産した。

 同じ時期に映画のプロモーションが追加になった。


 暗い感情にかき乱される。

 一言でいうなら嫉妬だろう。


 危ない恋を匂わす内容を仕掛けるとのこと。

 本当にそうなってはダメだよと言われた。


 だが、もう遅い。


 プロモーションではお互いのプライベートコメントに恋を匂わす内容を入れていくとのこと。

 映画の詳細が発表され宣伝HP上のコメントも恋愛模様の内容に決まった。

 映画の私のコメントはいかにもかぁーくんに恋してますとアピールするものだった。


 SNSのコメントにかぁーくんと共通のキーワードを載せる。

 これじゃ誰も気付かないよ。

 なんて思った。


 プロモーションで好きなものだけ撮りたいという表現を使って、何回かのうちにかぁーくんの写真を入れる。

 映画の配役でも現実でも恋する私。

 私は本気だった。


 やはりよからぬ企みは日の目を見ることはなかった。

 途中でかぁーくんの奥さんがプロモーションの事を知り、事務所を通し監督他関係者に詰め寄ったのだ。


 奥さんは2世な上、苦労されてのし上がった方で業界内での影響力も強い。

 不貞に相当するプランだったので無視することはできず、監督さん他、何人かが土下座して謝罪したそうだ。

 さすがに映画を潰すことはできず普通のプロモーションを展開することになった。


 私はこのエピーソードを他人事のように聞いていた。

 自分がもっと悪質な事をして、不当に傷つけてる人がいるなんて想像もついていなかった。

 そしてさらに傷つく人がいるなんて・・・。


 かぁーくんは行動が制限されるようになった。

 奥さんとの出会いも共演がきっかけだったことはこの時くらいに知った。


 次に会えたのは、公開初日の舞台挨拶でだった。

 舞台挨拶が終わり、打ち上げまでの間に少し時間があった。

 すぐに一番近いホテルに行った。


 かぁーくんを見たら自分を抑えられなかった。

 かぁーくんも同じだったのだろう。


 お互い貪るように愛し合った。

 かぁーくんの汗の匂い。

 胸板。

 触れられるだけで声が上がる。


 この日避妊をしなかった。

 打ち上げの席では側にいれなかったけど、私の一番近くに彼はいた。


 映画は無事公開され、海外のレッドカーペットを踏むことになった。

 愛しい人とドレスアップしてレッドカーペットを歩く。

 別な見方をすれば、式を挙げることよりも特別だ。

 私は愛と喜び以外の感情を持っていなかった。


 海外では何のためらいもなく一緒に過ごせた。

 この時が一番調子に乗れていた時期だろう。


 交際は密かに行われた。

 慎重に慎重に私の痕跡は消していた。


 ある日、スミレさんと久し振りに会った。

 「ひよこちゃんレッドカーペットおめでとう!」

 「ありがとうございます」

 「あっもうひよこじゃないか。いつまでもごめんね」

 「いえ。ひよこって呼んで下さい」

 「うーん。まあいいっか。じゃまだひよこちゃんのままで」

 

 「ところで広本さんは大丈夫だった?」

 「えっ?」

 突然の質問に凍りついた。

 バレたの?

 「あの人手が早いじゃない」

 スミレさんがふぅとため息をつく。

 「共演したときは、片っ端から口説いてたからね。ほんと性欲魔神だったのよ」

 憧れの人の口から愛しい人を否定する言葉が出てくる。

 「ひよこちゃんは素直だから、ちょっと心配してたんだ」

 聞きたくなかった。

 「そ、そうなんですか?」

 動揺する。スミレさんの表情は変わらないが私はそんな上手くできない。

 「だから大丈夫だった?あれから時間も経ってるし、手当たり次第ってことはないだろうけど」

 「奥さんも子供さんもいるから絶対気を付けないとダメだよ」

 その後何を話したのか覚えていない。

 気が付くと自宅のベッドの上だった。



 スミレさんの忠告があっても別れられるはずもなく。

 もっと慎重になって密会を重ねた。

 周りのことなんか考えもしなかった。



 さらに時間が経ち奥さんにバレた。

 かぁーくんとのメールからバレたらしい。


 バレた頃は「会いたい」、「抱きたい」、セックスの感想だけではなく、顔の写っていない行為の画像も送り合っていた。

 まさにお花畑。

 これが丸々見られたら言い訳のしようもなかっただろう。


 世間でいう修羅場というものはなかった。


 ある日、事務所に呼び出され事実確認をされた。

 事前に週刊誌側から掲載の連絡を受けたためだ。

 血の気が引くというのはこういう状態なのだろう。

 震えながら顛末を話した。


 結局、事務所で取引できる材料も無く不倫の記事は掲載されることになった。

 「これから大変な事になる。掲載前にご家族に連絡をしなさい」

 「最悪、引っ越しもしないといけないだろう」


 家族に連絡した。

 電話越しの母は泣いていた。


 私は事務所を離れられない。

 事務所が建て替えた違約金は全て私が負担することになったからだ。

 針の筵の中、復帰への道を模索する毎日。



 呼ばれて行った会議室にはスミレさんがいた。

 一人で私を待っていた。

 逃げようと踵を返す。

 慌てて追いかけてきたスミレさんに抱きしめられた。

 「ごめんね」

 「えっ・・・なんで?」

 身体の震えが止まらない。

 「知ってたのに伝えられなかった。あのときには遅かったんだね」


 「・・・はい」


 「ごめんね」


 返事を返すことができない。

 涙が溢れてきた。

 止まらない。


 スミレさんの抱きしめる力が強くなった。


 嗚咽は号泣になった。

 スミレさんにしがみついて生まれて初めて声を上げて泣いた。

 泣いている間、スミレさんとの思い出が延々と流ていく。


 私はこの人まで傷つけていたのだ。


 「カオルちゃん。これからは一人だよ」

 スミレさんはゆっくりと話しだす。


 「多分誰も助けられない」


 「表立って応援もできない」


 「カオルちゃんの生き方を示すことでしか道を作ることはできないと思う」


 「それでも私はあなたを綺麗だと思う」

 スミレさんは泣いていた。


 「パーティーのあのときよりも」


 「ずっとカオルちゃんは輝いている」


 泣きながら優しい声色で私に語りかけていた。


 私は頷いた。



 1年経ち私に出演依頼が来た。

 スタートはゼロではなくマイナス。

 変装してのミュージックビデオ出演。

 顔もわからないし、当然ながらクレジットもない。


 私は快諾した。

 嬉しくて涙が出た。


 完成映像を見た。

 ほんの僅かな時間私が映る。

 最初の撮影を思い出した。

 同じくらいの時間私が演技している。


 変装というより仮装、私だとは分からない。

 もちろんアーティストの人たちも変装後の私しか知らない。


 撮影のとき喜びで身体が震えていた。

 映像にはそんな様子は微塵もなく上手く動けている。


 誰も私を知らない。

 それでも私は知っている。


 昔、スミレさんが言ってくれた言葉を思い出す。

 「経験は必ず生きていくから」


 こんな経験でもいい。

 輝けなくてもいい。

 私はこの世界で生きていく。

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