誰のものでもなくてよかった

緋雪

誰のものでもなくてよかった

 そうちゃんは、私の体を愛している。


 壮ちゃんと会うときは、秘密に満ちている。どちらの家とも会社とも全く関係ない駅の前。私は、まるでタクシーにでも乗るように、壮ちゃんの車に滑り込む。

 行く先は決まっている。行きつけのラブホのうちのどこか。お昼も一緒に食べるので、壮ちゃんはコンビニでおにぎりやパンや飲み物を仕入れてきている。

果歩かほの好きなベリーチーズケーキがあったから、買っといた。」

そういうところは、気が利いているなと思う。


 休みの日は、こうやって、朝から夕方まで、壮ちゃんと過ごす。私の好きなケーキを頬張りながらゲームしたり、壮ちゃんの好きなアダルトビデオを観たり、一緒ににお風呂に入ったり、キスしたり、セックスしたり。当たり前にラブホを楽しむ。


 壮ちゃんは、プログラマーだ。私には関係ないけど。


「今度は誰に抱かれてきたの?」

「ヒロキ。」

「誰それ?また新しいキャラじゃない。」

「誘われたから。」

「ふーん。どんな風に抱かれたの?」

私は壮ちゃんに、されたことを全部話す。

「気持ち良かった?」

「まあまあかな。」

「俺とどっちが良かった?」

「壮ちゃん、かな。」

「当たり前だろ。果歩は俺の体からは離れられないからな。」

そう言って、壮ちゃんは私を押し倒し、またキスとかセックスとかする。


 壮ちゃんとは、互いの会社の関連会社の大きなパーティで知り合った。

 声をかけられ、彼の言うままにパーティを抜け出し、二人で飲みに行き、その日のうちに抱かれた。簡単なゲームみたいな関係だ。だけど、

「俺と果歩は体の相性が凄くいい。」

壮ちゃんが言うように、私は、今のところ、壮ちゃんの体が一番好きなようだ。


「シンジはどうしたの?」

「さあ?奥さんにバレたんじゃない?」

「シンジ、わりと好きだったじゃん、お前。」

「んー。キスが上手かったからかな。」

「許さない。」

そう言って、何かを奪うかのように、キスしてくる壮ちゃんは可愛いと思う。


 私なんて、ただの女なのにね。


 私には常に性欲を満たしてくれる男が必要で、誰とでも寝る女だと信じている。そして、そんな女を自分の物だと信じている。奥さんのことが一番大切だと言いながら、でも果歩のことを一番愛してるなんて、都合のいいことを言うのを、私が気にしないのを知っていて。


 私はどうやら、「壮ちゃんの愛人」という位置づけで、他の男の人としたことを全部報告させて満足しているらしい。

「果歩は淫乱な女だね。俺はそんな果歩が好きでたまらない。殺したくなるくらい愛してるよ、果歩。」

「そう…私もだよ。」

嘘を付く。愛してる人を殺したいって、意味がわからない。

 でも、体は確かに正直に反応するのだ。壮ちゃんとのセックスは夢みたいに気持ちいい。何回も何回も天国を見る。気を失うほどに。



 私には好きな人がいない。

 

 相手が私のことを好きで、私を抱きたいと言えば、抱かれる。だけど、興味はない。

 だから、結局、壮ちゃんのところへ帰っていく。今のところは。  



 孝史たかふみさん。相田孝史あいだたかふみさんは、私に興味がなかった。

 勿論、私に興味がない人は山ほどいる。だから、孝史さんが私のことを見てないというのは不思議でもなんでもなかった。



桜木さくらぎさん、ちょっといいかな。」

不意に私を呼ぶ声。私は、PC入力だけという日常的で興味もない仕事をしていた。呼んだのは、孝史さんだった。ドキッとした。


「今度のプロジェクト、一緒のチームになったから。よろしくね。」

「あ…はい。」

「今日、夜、あいてる?」

「え…?」

いきなり…ですか?聞こうとして、馬鹿だ私。と思う。

「プロジェクトチーム皆で打ち合わせ。」

「あ…ああ…はい。」

「決起集会って名目の飲み会だけどね。」

そう言って、孝史さんは爽やかに笑った。


 私は企画課に籍を置いているものの、単なる事務職で、チームの一員って言ったって、総合職の皆さんの出してくる数字の入力や、書類整理、資料のコピーや配布…それくらいの仕事しかやらないのに。私まで誘ってくれる孝史さんは、やっぱりいい人だなと、デスクの上のカフェオレを飲みながら思う。

 今日はちゃんとした恰好かっこうをしてきたかしら?


 プロジェクトの内容自体は、難しくて私にはあんまりわからなかった。孝史さんが、

「まあ、簡単に言うとそんなところかな。また詳しくは今後の会議で詰めていきましょう。じゃ、プロジェクト、頑張って成功させよう!」

そう言うと、チームの皆が拍手をした。私も慌てて周りに合わせた。


 孝史さんはカッコいいなあ。そう思っていたけれど、私とは住む世界が違う気がしていて、壮ちゃんに孝史さんの話をすることもなかった。


「果歩、火曜日の夜、一緒に歩いてた男、誰?」

「火曜日?」

「スーツ着てる背の高い男と歩いてた。」

「ああ。同じ会社の人。」

プロジェクトの決起集会の後、孝史さんが、駅まで送ってくれたのだ。ただ、同じ方向だからっていうだけの理由だ。

「壮ちゃん、見てたの?」

「たまたまね。近くで部下と飲んでた。」

「そう。」

やきもち?面倒くさいなぁ。

「壮ちゃんが期待してるような関係じゃないよ。」

「そうか。」

そう言ってコーラ味のキスをした。



 私の仕事もなんだか増えてきて、いつもは殆どしない残業も、毎日のようにするようになっていた。

 コトン。

 デスクの上にカフェオレの缶。

 見上げると、孝史さんの爽やかな笑顔があって、びっくりする。

「お疲れ様。ごめんね、毎日残業つきあわせちゃって。」 

「い…いえ、そんなこと…。」

「これ、よかったら飲んで。」

「あ…ありがとうございます。」

「時々休憩入れてね。」

そう言うと孝史さんは、他の社員のところへ行ってしまった。

 私が毎日これ飲んでること知っててくれたんだ。そんな小さなことに少女みたいに喜んでいる自分がいた。


 プロジェクトも佳境に入ったある日、帰り際に貰った書類に違和感を感じる。これを入力すれば、私は帰れるのだが、どうも数字が違うような気がしてならない。

 孝史さんが自分のデスクにいた。私はその書類を持って、彼の所へ行く。

「相田さん、これ。」

「どうしたの?」

「確認なんですけど…。これ…この数字で合ってますか?」

暫くその書類を見ていた孝史さんが、急に立ち上がった。

「佐藤!!佐藤いないか?!」

残っていた社員は半数で、この書類の担当の佐藤さんは帰ってしまったようだった。

「参ったな〜。」

席に座る孝史さんに聞く。

「どうしたんですか?」

孝史さんは私の方を真面目な顔で見た。

「ありがとうね。よくみつけてくれた。大きなミスが起きてしまうところだった。」

「そうですか…。」

そう言って、席に戻ろうとすると、孝史さんが、

「ごめん、すっごい我儘なんだけど、聞いてくれる?」

 彼は、彼が計算し直した数字を、一緒に計算して、入力してほしいと言った。

「わかりました。」

受けたものの、こんなに大変なことになるとは思わなかった。これは、ホントに気付いて良かったな。プロジェクトの大事なことに携われたことが何だか嬉しい。

 何より、孝史さんと一緒に、しかも隣で仕事できてるなんて。


 今日のうちにやるべきことを終えて、ハッとした。孝史さんも同じ顔をしている。

「ごめん…終電…」

「あはは。もう間に合わないですね。」

「うわぁ、ごめん。ホントにごめん。」

「いいです。いいです。なんとかします。」

「タクシー呼ぶよ。」

「大丈夫です。うち、遠いんで。」

「泊まるあてとかあるの?」

「…。」

ないわけではなかった。電話一本で飛んでくる男は何人かいた。だけど、皆、体目当てだ。こんな忙しい時に無駄に疲れたくない。

「ビジネスでいい?」

「え?」

「行こう。」

荷物を持って、一緒に会社を出た。

 え?え?え?待って?ダメだよ、孝史さん。急過ぎる。私の心臓は壊れそうなくらいドキドキしている。


 孝史さんが部屋をとっている間、私は、これからしてはいけないことをする子供のように、ソワソワしていた。

「はい。3025室。僕は隣の部屋だから、用事あったら、声かけてね。」

「え…あ…はい。」

「ん?どうかした?」

「いや…シングルだったから…驚いたっていうか…」

はっ!ついうっかり本音を吐いてしまって後悔する。孝史さんは笑い飛ばした。

「何言ってんの。急に狼に変貌しないよ。満月にはまだ遠い。さ、明日もハードなお仕事だ。早く寝よう。」

「は、はい。」


 朝は別々に出社した。

「変に疑われると面倒でしょ?俺、時間ずらして、裏玄関から出るから。」

孝史さんがそう言ったから。

 やっぱり皆に知られたくないよね。こんな汚い女と同じホテルで過ごしたなんて。寝たどころか、一緒の部屋でさえなかったけれど。そう、何も何もなかったんだけど。



「最近忙しいの、仕事?」

壮ちゃんが聞いてくる。ソファに座ったまま、私を上に乗せ、後ろから私の首筋にキスをする。

「やめて、そこにマークつけないで。」

いつもより強めに言ってしまって後悔した。

「俺より好きな男ができたでしょ?」

壮ちゃんは私をベッドに引っ張っていくと、力付くで奪う。

「やめて!壮ちゃん!こんなのはイヤ!」 

叫ぶ私の呼吸を奪うようなキスをして、私の口を塞ぐ。

 あ…あ…あっ…あ…

 なんで…なんでこんな状況で、私の体は反応してしまうのだろう。


「わかった?果歩は、俺でしか満足できないの。」

敗北感と、快感を引きずった疲労感の中で涙がこぼれる。

「愛してるよ、果歩。」


辛い…悲しい…虚しい…恋しい…そんなどうしようもない気持ちを抱えたままトボトボと家に帰る。

 橋の上から見上げたのは三日月。そんなに細い光なら、いっそ光らなくていいじゃない。月に八つ当たりしながら。



 暫く仕事に集中することにした。私にできることなどたかが知れている。でも、皆と一緒に頑張りたかった。どんな些細な仕事も喜んで引き受けた。


 こうして、プロジェクトは成功を収め終了した。

「お疲れ様でした!!皆の、全員の力がなければ、できなかったと思う。本当にありがとう。今日は皆、飲んでくれ!プロジェクトの成功に、乾杯!!」

プロジェクトリーダーの孝史さんが、一層嬉しそうに乾杯の音頭を取って、宴会が始まった。

同じ課の人たちの輪に入ってるなんて、以前の私には考えられないことだ。

「ありがとう、孝史さん。」

心の中でそっと感謝する。

 

 孝史たかふみさんは、ずっとずっと「憧れの人」でいい。きっと彼のためにも。

 そんなことを思いながら、凄い熱量から一旦離れて廊下に出る。トイレに行って帰ってくると、途中で孝史さんと出会った。

「あ…トイレ、まっすぐ行って左です。」

「そう。ありがとう。」

そう言うと、孝史さんは、こっちをチラッと見て微笑み、私のポケットに何か入れて立ち去った。


「何…?」

ポケットから恐る恐る取り出すと、半分に折られたメモ。開くと、孝史さんからのメッセージ。

「中野橋で。11時半に。」

「えっ…?」


期待してもいいんですか…

だけど、私の正体は…


 11時半。橋の上で、孝史さんを待っていた。少し遅れて彼が来る。

「ごめんごめん。三次会に行くって奴らから逃げるのが大変だった。」

孝史さんは笑いながら謝ってくる。

「いえ…そんな…だけど、どうして?」

戸惑う私に、笑顔を見せながら、

「ほら。」

月を指差す。

「今日は満月です。」

「はい…」

そう言うと、孝史さんは私の髪を撫でた。

「狼に変身してもいいかな?」

ダメだ。涙が出そう。嬉しいのと辛いのとで。


 タクシーに乗って、孝史さんの家に行った。

「散らかっててごめんね。まあ、男の一人暮らしなんてこんなもんなんだけどね。」

照れくさそうに笑う。

 コトン

 テーブルの前、コートも脱がず座っている私の前に、孝史さんはカフェオレを淹れてきてくれる。

「作ったことないから、味は保証しませんが。」

笑いながら。私もつられて笑う。

 

「コート、脱げばいいのに。」

「脱ぐ」という言葉に過剰反応してしまい、自分がやっぱり孝史さんには相応ふさわしくない女であることを自覚する。

「ごめんなさい…」

「…ごめん、俺、今、フラれそうになってる?もしかして?」

「違うんです…」

「ごめん…悪かった…君の気持ちもちゃんと聞かないまま連れてきて。俺のせいだ。」

「違う…違うんです…。」

私はとうとう泣き出してしまった。

「あなたのことは好きです…違う、あなたのことが好きです、凄く、凄く、ホントに。」

泣きながらゆっくり喋る私の言葉を、孝史さんはちゃんと待って聞いてくれる。

「私は、あなたに好きになってもらえるような女じゃないんです。そんな資格ないんです。」

「どうして?」

孝史さんは何も知らない。私のしてきたことなんて。言えない。言えない。


 私はコートを脱いだ。スーツも、ブラウスもストッキングもスカートも。

 孝史さんは驚いて、 

「ちょ…ちょっと待って、ちゃんと話して。」

私の手を止めようとした。その手を取って彼を抱きしめ、キスをする。

「遊びでいいんです…私なんか。」

泣きながら。


「待って!」

孝史さんの強い口調に、私はハッとして手を止めた。

「ちゃんと話してくれないとわからないよ。」

 私は覚悟した。もし本当のことを話しても、私のことを抱いてくれるなら、私に飽きるまで遊んでくれていい…そう思った。

 私は、孝史さんに全部話した。泣きながらだったけど、私の淫乱な所を全部。嫌われる。絶対に嫌われる。さようなら、純粋に孝史さんが好きだった私。


 不意に、孝史さんが、私の体を抱き寄せた。相手があなたなら、何でもいいんです…。そう思った。 

「大丈夫。君は寂しかっただけだから。そうすることで、自分の存在価値を見出していたかったんだ…。」

泣いた。わあわあ泣いた。孝史さんの胸で、わあわあ泣いた。 

「俺は、君がどんな人か知ってるよ。だから、こんなにも好きになってしまった。」

孝史さんは優しく優しくキスしてくれる。


 この人が好きだ。孝史さんが好きだ。もう想いが止まらなかった。こんなに…こんなに男の人に抱かれたいと思ったことがあっただろうか。


 苦しいほどに互いを求めあった。何度も。何度も。キラキラと頭の中を喜びが舞う。

 

 私たちは繋がったまま朝を迎えた。

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