シニガミ

高黄森哉

蝋燭が消える


 「ああ、下らねえ」と男は嘆く。男は、寝間着を身にまとっている。この男子大学生は、自己の人生の物語性や作家性の無さに絶望して不眠に陥っていた。今宵も眠れぬ夜で、道路の真ん中を闇夜を、ふらふら踊るように、ほっつき歩いていたのだ。

 「ああ、下らねえ」。帰るところはある。祖母の家を貸してもらって一人暮らし。大学に入学したばかりで、親がまだこちらに越してきていない。普段ならこんな時間に家を出ることは許されない。だだ、今なら、縛るものは誰もない。

 

 夜の道路は黒曜石色に濡れている。雨上がりだからだ。夕方に降った。



 ◇



 信号機の灯火が地面に反射していた。全ての信号が赤の三叉路である。少年は、なにか、ただならぬものを感じ取った。そして、そのただならぬものの気配の方を向く。しんとした暗がりの真っただ中、信号機の根元、しゃれこうべに皮を張った、そんな容姿の老人が佇んでいる。


「たすけてやろう」

 

 少年は、T字路の三つの線が集合する点で止まる。まさか、声を掛けられるとは思わなかったのだ。それに、かなり離れた位置にいる老人の声がここまで明瞭に聞こえるのが、妙だとも思った。


「たすけてやろう」

「どなたですか」

「私しゃ、死神だ。君は、死ぬわけにはいかぬのだろう。心底、同情する、昨今のコロナ禍にの。実のところ、私は結核で死んだものの成れはてなのじゃ。君のような若者を見ると、儂と重なるようで。うぬにも死神は憑いておる。どれ、助かってみぬか」

「ははあ」

「そうか。それはつまり了承したということか。よろし。今日帰ったら、寝たふりをしなさい。死神が足元にすわっていれば、どんなに重症に見えてもまだ大丈夫だが、枕元で見ているようであれば、どれだけピンピンしてようがだめだ。前者なら呪文を唱えるのだぞ。これで大学サークルで人気になりなさい。このコロナ禍なら、大いに役に立つだろう」

「呪文」

「そうじゃ。このように」


 『アジャラカモクレン、コロナの馬鹿野郎、テケレッツのパー』、と老人は唱えた。少年も復唱する。すると、たちまち老人が消えた。どうやら、呪文は、本当らしい。試してみる価値はあるかもしれない。



 ◇



 家に帰ると、男はシャワーを浴び、歯磨きをし、床に就く。もともと、眠れない夜だった。枕を高くして足元を監視しておくのは容易だった。すると言われた通り、死神とやらが煙のように現れる。


「アジャカモクレン、コロナの馬鹿野郎、テケレッツのパー」


 消えた。彼についていた死神は、たちまち失せてしまった。

 それから彼は大学のオカルトサークルで、神秘療法と称し、例の呪文を使って、コロナウイルスの重症患者などを治療していった。この能力により生活は激変した。怪しい雑誌に寄稿して大変儲けたためだ。


「あの、これで治るんですか?」


 とある娘は尋ねた。危篤の彼女にとって彼は天使に思えた。


「治ります」

「とても苦しくて、医者はもうダメだって」

「信じます。お願いたします」


 その娘は彼を慕い、やがて彼女となる。しかし、彼はたちまち彼女に飽き、他の女に手を出すようになる。彼は沢山の人名を死の淵から救ったために金持ちで、故に女性には困らない。大学では彼を中心にハーレムが形成されていた。


「ねえ、あの。昨日、一ノ瀬さんと会ってたの知ってるよ」


 目を赤くはらした彼のパートナーがハーレムの輪に入って彼に告げた。


「あのこ可愛いからね」

「うん、でもさ。私達付き合ってるよね」

「そうだね」

「そうだね、じゃなくて。なんかもっと、あるんじゃないかな ………………」

「なんて言って欲しいんだろうね。なんか、最近、めんどくさいよ」


 少年は薄笑いを浮かべた。遊ばれていることもわからない彼女が、愚かしく思えたからだ。遊ばれていることに気づいた娘は心を病み、夜な夜な町をうろつくようになる。彼女は例の三叉路に差し掛かり、するとトラックがやって来た。



 ◇



 彼が講義室に入ると、室内に噂が充満していた。それは、一昨日、トラックに轢かれた彼女に関する噂だった。自殺の原因は彼にあるのではないかと。彼は、彼女に関する気持ちが失せていたが、これからの大学生活のため、評判を落とさないために彼女を助けることにした。

 講義室を出て、友達に彼女がどの病院にいるかをメールで送ってもらう。搬送先まで、タクシーで駆け付ける。運転手に二万を払い、お釣りは受け取らない。病室を訪れると、彼女と死神がいた。


「待ってください。死神さん」

「どうしたんだ少年よ。久々じゃな」

「彼女には、僕が死んでも助けると約束したのです。どうしても、どうしても、死んでほしくないんです」

「それと儂は関係あるまい。それに、力を授けただろう。それで、うぬには十分じゃ」


 少年はハッとした。呪文を唱えればいいのだ。しかし、死神は彼女の枕元にいた。そこで、少年は奸計を巡らせたわけだ。


「死神さん。お願いがあります。今日の夜まで待ってくれませんか。せめて、今日の夜まで」

「よかろう」

「二人きりにしてください」

「ふむ。せいぜい、若さを楽しむがよい。生きてる内にな」


 霧になって、霧散する。


「……………… 信じてました」

「君を助けたい。だから、僕の言うことを聞いてくれ」

「はい」

「逆向きになれるか。枕元に足を置いて、足元を頭にするんだ」

「なんでですか」

「つべこべいうな」

「は、はい」



 ◇



 やがて、死神が音もなく顕現した。


「それでは楽しんだかのう? では、そろそろ」

「アジャカモクレン、コロナの馬鹿野郎、テケレッツのパー」

「効かん」


 『呪文は枕元にいる死神には効かんのだ』そういいつつ、死神の老人が布団を捲ると、彼女の足が現れた。


「おのれ、騙したな。この娘と死神をだました報いを受けるがいい」


 そう叫ぶと、老人と少年は消滅した。



 ◇



 暗がりにいる。ここは洞窟だ。ひんやりとしている。なんだか荘厳なオレンジの光が、あたりに厳粛に満ちて来る。少年は、言い知れぬ恐怖に襲われた。僕は大変なところに来てしまったみたいだ。


「はっ! こ、ここは、一体! ここは、一体、どこなんですか」

「ここは寿命の洞窟だ」

「じゅ、寿命?」


 なんだか、恐ろしいところに来てしまったようだ。


「ここに人の寿命が管理されている」

「ははあ、そうですか。そりゃまあ、ええ? そうですか、ははあ、」

「これは彼女の火だ」


 彼女の蝋燭は、小さく今にも消えそうだった。その蝋燭が無数の円柱の中に埋もれている。


「へえ、これが彼女の蝋燭ですか? もうすぐ消えそうだ。だいたい半年と言ったところで? なにか、手立てはないのですか」

「どうせ、言葉だけじゃろ?」

「いいえ。いえ! 彼女は、僕が死んでも助けると約束したんです。なにか手は、無いのですか!」


 嘘だ。本当は大学社会のためだった。彼女に死なれると、自殺させたと思われ、非常に居心地が悪くなるのだ。


「ああ、あるぞ」


 老人は目じりに皺を寄せた。唇の端を吊り上げると、顎が伸びて見える。笑みを浮かべることで、老人の蝋人形のような精気のないゴム色の肌はピンと張った。薄い表皮ははち切れそうだ。余りにも、皮膚は突っ張ていたので、骨が透けて見えてしまいそうなくらいだ。


「ここに、君の蝋燭がある」

「こ、これが僕の蝋燭!?」

「ああ」


 そこには、彼女のそれより短い蝋燭が灯されている。先が長くないのかもしれないということを大学生は悟った。


「彼女の蝋燭を、この君の蝋燭の上に乗せるんじゃ」

「そしたら?」

「そしたら君の寿命の分、彼女は生きながらえる。彼女の腹には君の子供がいる。彼女は少なくとも出産することができるじゃろう」

「でっ、で、僕はどうなるんですか?」

「死ぬ」


 風がそよいでいないのに、蝋燭が激しく踊った。


「な、なんで、僕がそんなことをしなければならなんだ! じょ、冗談じゃない! じょ、冗談じゃない」

「しかしながら。彼女を死んでも助けるんだろう」


 聞く耳を持たぬ少年は、小さな蝋燭をとって、自分の蝋燭の真下に持ってくる。他の者から寿命を奪うのは良くない。しかし、死ぬはずだった、この娘からならば。少年は汚い自己肯定を実行した。

 やけどしそうな蝋の滴りを耐え、自分の方へ慎重に継ごうとする。落とさないように消さないように、慎重に慎重に。


「ほれ、落としたら終わりじゃぞ! ほれ、落ちる! 」

「やめろ! やめろ」

「ハ、ハハハハハ。ワッ。あっ、落ちる! 落としたら死ぬぞ!! ほれっ。おいっ。落ちる。落ちる」

「ひっ」

「落ちる!」

「や、や」

「落ちる!」

「やめろ!!!」

「落ちるぞ!」


 死神の意地悪に耐え、少年は無事に蝋燭を継いだ。彼が安堵した直後のことである。


「おっと、危ない!!!」


 死神が蝋燭を奪い取る。少年は、もう息をしていない。


「これだけあれば。彼女も、あと三年は生きられるじゃろ」


 死神は、彼女の体勢を、教えた少年への仕返しとして、蝋燭を彼女のと伝えていたのだ。

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シニガミ 高黄森哉 @kamikawa2001

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