茨の冠

あばら🦴

いつまでも、あの日の事を忘れない

 晴天の下、私はミラゴラスの街を少女と共に歩いていた。といっても、50歳ほどの私と活発な9歳のレミスコでは私の周りで勝手にレミスコがはしゃいでいるようなものだ。

「ジールおじさん! 早く来てよ!」

「待ってくれよ。最近腰が悪いんだ」

 私とレミスコは一緒に住んでいるものの血が繋がっていない赤の他人だ。断じて言うがやましい下心で共に暮らしているわけじゃない。およそ5年前にレミスコと暮らし始めた。

 今現在レミスコは私をどこかへ連れていこうとしている。行先は伝えてもらえない。レミスコらしい困った行動だ。だがこの勝手な行動に振り回されるのに悪い気はしない。


 歩き回されて連れてこられたのは人気ひとけのない広場だった。そのこじんまりとした広場には中央にそびえる立派な木とひとつの長ベンチしか見えない。

「ここがどうかしたのか?」

 私は目的が分からないため聞いた。

 するとレミスコはにっこり笑って小走りにベンチに座る。木の影で隠れていても輝かしい瞳が私をまっすぐ見つめた。

「良い休憩場所でしょ? ジールおじさんも一緒に休もうよ。疲れたでしょ」

 ふっ、と思わず少し吹き出してしまった。

「全く、誰のせいで……」

「細かいことは気にしないの!」

「それじゃあお言葉に甘えて、隣失礼するよ」

「どうぞどうぞ」とレミスコが私の座るスペースをポンポンと軽く叩いた。

 吹く風がベンチに座る私達の髪と豊かな葉を撫でる。耳に意識を集中させれば、葉っぱ達のさざめく音に隠れている小鳥のほうけた声が聞こえる。なるほど、確かに休憩場所にはいいかもしれない。しかしここまで来るのに疲れるのじゃあ本末転倒だろう。

「いつここを見つけたんだ?」

「昨日。たまたま歩いてたらここ見つけたの。道うろ覚えだったけど、ちゃんと来れてよかったよ〜」

「なに?自信ないのに私を連れ回したのか?」

「うろ覚えなだけで自信あったよ!」

「うろ覚えなら普通自信なんて湧かないと思うがな」

 その後もたわいもない会話をしながら時間を過ごした。やはりレミスコといると私の空っぽな心が満たされる気がする。


 しばらく2人きりでそこにいた。通行人はちらほらいる程度で誰も私達の空間を邪魔しない。

 しかし突然、通りがかった青年に声をかけられた。

「失礼」

「はい?」

 私は訝しげに返事をした。レミスコも興味を持ったか青年を見た。

 その青年は見たところ20代のようだが驚くほどにが感じられない。性格的に暗いのでは無い。その場合でも根本の明るさは消えないはずだが、この男にはそれが感じられなかった。

 異様な雰囲気にレミスコも気づいたのだろう。警戒心むき出しの眼差しを向ける。濃い緑色のポンチョから覗く男の腰に携えた剣がさらにレミスコの警戒心を高める。

「ジールという男を知っているか?この辺りに住んでいるらしい」

 心臓がドキリとした。

「なぜ私に聞くんだ?」

「わざわざここにいる辺り土地勘があると思ったからだ」

「どういう関係なんだ?」

「……。俺の人生に影響を与えてくれた人だ。ずっと探しているんだ。お礼をしたいと思っている」

「そうか……」

 私の嫌な予感が反応して少し眉が釣り上がる。きっと私に猛烈な悪意があってやってきたに違いない。

「ジールおじさんになんか用なの!?」

 番犬のように私を守ろうとするレミスコ。逆効果のそれはこの男に私の正体を明かす結果になった。

「お前が? なんだと?」

 男が信じられないといった風に目を見開いて私を見つめる。もうしらばっくれることが出来なくなった。

 しかし私は最初からしらばっくれることなんてしなかっただろう。きっとこの男は神が寄越した処刑人だと悟ったからだ。


「ああ。ジール・ベストとは私のことだが」

「信じられんな……。グランゼシアの軍神がこんなシケた場所でのうのうと日向ぼっことは」

 グランゼシアの軍神。それは私がおよそ10年前までグランゼシア王国につかえていた時に呼ばれた異名だった。

「その呼ばれ方は久しぶりだな。お前はどこの誰なんだ?」

「グレイス。出身はブールミズ村だ。覚えていないか?」

 その名前の村は聞いた事がない。いや、私が忘れたのだ。何故かその確信はあった。

「……場所を移そう。レミスコ。少しこの人と話してくる。そこを動くんじゃないぞ」

 何がなんだか分かってないレミスコを巻き込むまいとそう言った。「うん」といつもの活発さが無い返事をするとグレイスの方を睨んで言った。

「変なことしないでよ!? そうしたら許さないんだから!」

「安心しろ。なんてしないさ。あくまでもな」


 私達は薄暗い裏路地、まず人は来ないであろう道の隙間を歩いていた。

「俺は18年間お前を探していたんだ」としばらく進んだところでグレイスが語り出した。

「18年前のあの日から今までお前を殺すことに必死だった」

 殺すと言ったことに対して驚かなければならないのだろうが、私はやはりかという気持ちが湧くのみであまり驚けなかった。

「だがその前に聞きたいことがある」

「なんだ?」

「なぜブールミズを襲った?ずっと知りたかったんだ」

「……。正直言っていいか?ブールミズなんて名前は知らない。忘れたんだ。」

「なんだと?」とグレイスが立ち止まった。

 蛇をも恐怖で震え上がらせられるだろうその眼力は私への明確な怒りと殺意を孕んでいた。

「襲撃してきた集落なんて多すぎていちいち覚えていない。どうせその名前も無くなるしな」

 ガッとグレイスが服の襟首を掴んで持ち上げた。私はその強い影響で顎が上がってしまう。

「クズ野郎が、お前のせいで俺は7歳で路頭に迷ったんだぞ! おい答えろ! なんで俺はそんな羽目になった!? お前はなんで俺の家族を殺した!?」

 グレイスの大地をも揺らしそうな気迫は私をたじろがせた。そして襟首を掴む力が一段と強くなる。

「私はあの頃……地位が欲しかった。不安なんて何も無い揺るがない地位が。領地を献上した時が一番地位を獲得しやすいと気づいた時、俺の中で何かが変わったんだ」

「地位なんかのためにお前何人殺したんだよ」

「さあな。数え切れん」

「ふん。くだらねえ」

 ドサッとグレイスが手を離した。息苦しさから解放された私は膝から崩れ落ちてゴホゴホと呼吸を整えた。


 グレイスがポンチョに隠れる剣をカチャリと掴む。その様子を見ているとふとグレイスが質問してきた。

「もうひとつ聞かせろ。なんでお前はグランゼシアの軍隊から離れてこんな場所に住んでる? 見たところあのガキはお前の娘じゃ無さそうだな」

「あの子は捨て子だったのを拾ったんだ。レミスコと名付けた」

「……。今更善人ぶってんのかよ。」

 私はそれを聞いて笑ってしまった。その通りだ、今更すぎる。

「そうだよな。今更善人ぶるなんておかしいよな、私みたいなクソ野郎が」

 その笑い声にグレイスは苛立ちを隠せないようだった。

「……。早く教えろ。なんでお前はグランゼシアの軍隊を抜けたんだ?」

「10年前に奴隷の革命があっただろ? ハイガとかいうやつがやったあの革命だよ。その時に、もう軍隊に私のような存在が不要になったんだ」

「そうか。同情するつもりは無いが哀れだな」とグレイスが軽蔑する眼差しを向ける。

「全くだ。確固たる地位を欲して人の心も捨てて身を捧げたのにもう全部失ってしまった」

「それで家族ごっこを始めたわけか」

「家族ごっこか。確かにそうだな。……軍隊なんかに入らないで、もっと早く始めれば良かった」

 私は心の底からそう思っていた。グランゼシアの軍神として仕えていた頃は自分の安全しか考えていなかった。自分が安全を手に入れていないのが怖かった。手に入れたとしても自分の安全が脅かされるのが怖かった。

 人の事なんて考えていなかった。人としての心に封をした。誰が死のうと、誰が不幸になろうと、誰が何を思おうと私は侵略を繰り返して必死に地位を確立するために奔走した。

 だが、長年かけて築き上げた地位が簡単に剥奪されて軍隊から追い出されてしまった。そうなったらどうだろうか、私には何も残っていなかった。今更人としての心を手に入れたところで遅すぎたのだ。

 レミスコを育てているのは本当にただの家族ごっこと言っていいのかもしれない。だがレミスコと居る時が人生の中で一番楽しいと思える瞬間で、軍隊にいた頃と比べ物にならない程の喜びがあった。


「クソ、な」

 地面にへたりこんで打ちひしがれる私の姿を見たグレイスがそう言った。ただ拳の中に剣のグリップはしっかりと握っている。

「お前に罪の意識を植え付けるためにどうやって苦しめて殺すか考えてたのに……。なんで生粋の悪人のまま生きてくれなかったんだ、クソが」

 ポンチョの隙間からスルスルと剣のブレードが伸びるように現れた。

 そろそろ私は殺されるだろう。この世に未練なんかない、レミスコのこと以外は。

「待て。私を殺すのはいいが、頼みがある」

「はあ? お前、よくいけしゃあしゃあと俺に頼めるな」とグレイスは元から歪めている眉をさらに歪ませた。

「レミスコを頼む。私がいなくなったらあの子はひとりぼっちになってしまう。ごっこ遊びだろうが、私の家族が不幸になってしまうのは耐えられない」

 私は誠心誠意頼んだ。私の血と泥と恥と後悔に塗りたくられた命よりもレミスコの命の方が大事だった。


 グレイスは何を思っているのか目を瞑った。そして何故か苦しそうに瞳を開ける。

「……決めた。お前はあのガキが相当大事らしいな。復讐として俺と同じ目に合わせるためだ。ガキには死んでもらう」

 私の願いも虚しくグレイスはそう答えた。グレイスが身体の向きを来た道の方へ向いた。

「ま、待て! やめろ! レミスコに罪は無いはずだ!」

 私は慌てて立ち上がったが、すぐさま抜かれた剣で腹を切られた。動けなくなるが致命傷では無い。いや、復讐達成のためにあえて手加減したのだろう。

 痛みに声を出してうずくまる。そしてグレイスの方を見ると、グレイスの怒りがさらに増したのがこちらにも伝わった。

「てめえ! どの口で言ってんだ! 『罪は無いはずだ』だと? じゃあ俺の家族はどうなんだ!? 罪なんてなかったのに殺されたんだぞ、お前にな!」

 グレイスから真っ直ぐな憎悪が向けられる。罪は噛み締めていたはずなのに、やはり心が締め付けられる。グレイス1人の憎悪でもこれほど深いのだ。世界中にある私への憎悪は想像もできない。

 だがそれでもレミスコを死なせるわけにはいかない。道の端でうずくまるのを助けた時からあの子を幸せにすると誓ったんだ。

 歩きだしたグレイスを止めるため、痛みを堪えながら立って駆け出して腕を掴む。掴んだ瞬間倒れ込んでしまったがグレイスの腕は離すわけに行かなかった。

「だ、ダメだ! いいのか、私のようになってしまうぞ……!」

 グレイスがレミスコを殺す行為は私がグレイスの家族などにやってきた事と同じだ。なんの罪も無い命を自分の満足のために途絶えさせる。

 私の言葉が効いたらしい。グレイスが立ち止まった。

 だが様子がおかしかった。しばらく立ちっぱなしのように見えたが、呼吸に合わせて動く肩の上下する振り幅が段々と大きくなる。次第に荒すぎる呼吸の音がこちらにも聞こえるようになった。

 いきなり手を振り払われた。弱々しい私の力ではすぐに剥がされてしまう。

 そしてこちらを一瞥したグレイスの目は真っ赤に充血していた。そして顔は果てしない憎悪に歪んで見るに堪えないものになっていた。

「18年っ! この時を待ってたんだ! っはあ、っはあ、やってやるよ!」

 ズンズンと進んでいくグレイスを止める手段はもう無かった。

 彼に思うところはある。しかし私に彼を攻めることはできない。彼をあんな風にしたのは私なのだ。


 何とか身体を起こして壁に寄っかかったがもうこれ以上立ち上がれない。

 しばらくするとグレイスの手によってレミスコが連れてこられた。気張っているが不安を隠せていないレミスコが、息を荒くしているグレイスに腕を掴まれていた。

 レミスコが私を見ると心配そうに駆け寄ろうとした。

「ジールおじさん!」

 しかしグレイスによって腕から引っ張られてしまう。

「な、何したの!?」

 レミスコがグレイスに怒るがグレイスは全く意に介さない。

「ジール! 見てろ! お前の家族が死ぬ瞬間だ!」

「ひっ!」

 怒気と狂気に満ちた声を聞いたレミスコが泣き出しそうになるが必死に涙をこらえた。

 私も思わず萎縮してしまう。だがレミスコだけは守らなくては。その想いだけが喉を震わせた。

「やめてくれ! 私だけでいいはずだ!」

「ダメだ! ダメなんだよ!」

 私の罪の重さが身に染みる。私の欲求のせいでレミスコもグレイスも今のこの状況になっているのだ。

「っはあ! っはあ! っはあ!」

 呼吸を荒らげながらグレイスが掴んでいない方の手でジャキンと剣を引き抜いた。

「いやっ! やだ!」ついに泣きながら身体をよじらせるレミスコだが効果はない。

 私は無我夢中で叫んだ。それでもグレイスの狂気は止まらない。剣を振りかぶった。


 だが、その剣が振られることは無かった。私からも見えるほど汗をかいているグレイスはしばらく全身をカタカタと震わせたまま停止すると、膝をついて座り込んだ。

「クッソ……」

 グレイスは泣き出したようだ。なぜそうなったのか分からない私とレミスコは呆然としてしまうが、ゆっくりとグレイスは語り出した。

「今のこいつは……あの時の俺だ。うぐっ、いきなり全部奪われて、訳わかんないまま放り出されて……」

 グレイスはレミスコの腕を掴んでいた手を離してその手で目を覆った。

「俺みたいな気持ちに、もう誰もなって欲しくねえよ……」

 その悲痛な想いは私の心をさらに穿った。そうさせたのは他でもない私なのだ。

 グレイスの涙の訴えにレミスコもいつの間にか恐怖や警戒心が無くなっていたようだった。

「や、やめてくれるの? もう酷いことしない?」

「……」グレイスは泣くのみで何も言わない。

 私は気付いてしまった。グレイスのもう一方の剣を握る手は離すどころかむしろ握る強さを増していたことに。彼の身体にかけて腕に伝わった震えが剣にも伝わり、地面に擦れてカタカタと音が鳴った。


 よろよろとグレイスが立ち上がった。恐怖したのだろう、レミスコが仰け反る。

 そしてグレイスは私達に語りかけているのか、あるいは独り言なのか、弱々しい声で呟き出す。

「ずっと……18年間……声が聞こえるんだよ。復讐しろ、仇を討て、ジールを殺せって。運良く生き残った俺の意味だって」

 非常にゆっくりと私の方に近づくグレイス。しかしグレイスの腰から腹あたりにレミスコがしがみついた。

「だめ!」

 立ち止まってそちらを一瞥したグレイス。

「危ないから離れてなさい!」

 私がそう言うもレミスコは離れない。そしてグレイスも止まったまま何もしなかった。

 そのままグレイスは語り出した。

「どんな時でも声が聞こえたんだ。飯食ってる時も、寝てる時も。……ジールのことを一瞬でも頭から離すとすぐに声がするんだよ。お前は親を殺されて平気で忘れられるやつなのかって」

 またしても息を荒らげるグレイス。その場にしゃがみこんでしまったのでレミスコも離れざるをを得なかったようだ。

「い、今のこの瞬間も聞こえるんだよ……! 産まれたことを後悔するくらいむごたらしく殺せって! ジールが大事にしてる人間が枯れるくらい涙を流すのを見せつけろって! ガキの腹を割いてジールにはらわたを浴びせてやれって!」

 呼吸に続いて語気までも荒くなるグレイス。心の中で戦っているのだろう、グレイスの憎悪の声とグレイスの願いが。


 グレイスの異様な気迫にレミスコも後ずさりしてしまう。レミスコがグレイスを見る目は人間が凶暴なドラゴンと対峙した時の目と同じだった。

 だがレミスコ、彼をこんな風にしたのは私なんだ。私はなるべくして彼に殺される。いや、私が彼に植え付けた呪いを解くには私が殺されるしかないんだ。

「レミスコ。お前と会えて良かった」

 絶対に言わなくてはならない事だった。

「じ、ジールおじさん?」

 戸惑うレミスコをよそに、私は最後の伝言を伝えた。

「この人がこれから何をしても、許してあげるんだ。いいな?」

 そして私は2人の方を見て呟いた。

「頼む」

 グレイスが急接近して剣を振り上げる姿が見えた。


 /


 あの日から18年越しに俺はようやくジールを殺すことができた。ずっとこの日を待ちわびていた。家族の仇としてジールの息の根を止めるこの時を。

 なのにおかしい。込み上げるはずの嬉しさが無い。

 ジールを殺せってうるさかった声も用事が済んだらさっさと居なくなった。

 今聞こえるのは、ジールの死体にすがるガキの泣き声だけだ。その声は俺の心臓に釘を打ち込むように突き刺さる。

 俺が殺す前まで持っていた憎悪を今はあのガキが持っている。俺があの時に置かれた状況に今あのガキが置かれている。

 その事の辛さは身に染みて分かっているんだ。俺が一番分かっているはずだった。

 なのに俺はあのガキに俺と同じ呪いをかけちまった。


 だがそれでも俺はジールからガキを頼まれたんだ。俺が育てなくてはならない。

 ジールの仇の俺に育てられるなんてどんな屈辱だろうか。どれほどの憎悪が溜まるだろうか。そんなもの分からない。俺がまだ経験していない苦しみだからだ。

 俺は、あのガキが俺を殺せるようになるまで育てなくてはならない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

茨の冠 あばら🦴 @boroborou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ