エピローグ いつかの魔女へと遺すもの

 今日も彼女はやってくる。


 『人除けの魔法』をものともせず。


 『笑顔の魔法』にピクリとも頬を動かさず。


 『抜け道』を使って違う町に移っても、何食わぬ顔でドアノブを捻ってやってくる。


 「今日は、なんにも悪いことしてないでしょうね?」


 まるで、私の母か姉かのように、細い釣り目で私を藪睨む。


 怒ってる? 疑ってる?


 いや、最近解ってきたけれど、これは彼女のデフォルトの顔の形みたいだ。


 紅茶を飲んで安らいでいるときでさえ、あんまり目尻は下がらない。


 そして、なんというんだろう。


 散々いたずらをしてきて、ようやくわかったことなのだけど。



 「なんにもしてないよ」



 「そう? それはよかったわ、今日はすぐに記録できるじゃない」



 彼女は私に対して、本気で怒ったことが一度もない。



 呆れつつ、叱りつつ、疲れつつ、いっぱい私の後始末に付き合いつつ。



 それでも彼女は本当に、私に対して憤怒や憎悪を向けたことは一度もない。



 ……多分ね。人の心なんてあんまりわからないから、自身ないけど。



 私が一度泣き崩れて、それをあやされたあの日の後も、彼女は特に変わっていない。



 翌日には変わらぬ感じで、店に来て、商品のチェックをしては、私が過去にしてきたことの記録を取り出す。


 私としては、あの日の夜、大層やってしまったとベッドの中で独り悶えていたわけだけど。


 彼女は特に変わらぬまま、私と接し続けている。


 うーん……あれかな、教会で子どもたちを慰めるのと同列で扱われてるのかな。


 それならそれで、大したことは思われてないんだろうと言う安心感と、何故か何とも言えない物足りなさと。


 微妙な気持ちを混在させながら、私はそっとため息を吐いた。


 残念ながら、真実の眼鏡に自分の心の内を見る機能ないのだから。


 ……いや、彼女に眼鏡をかけてもらって、見てもらえばいいのかな。


 うーん、ありかもしれない。でも、魔法への耐性ってこういうとき有効なのだろうか。


 少し悶々としながら、紅茶を入れて、いつも通り話を始める。


 「どこまで喋ったっけ?」


 「『忘却の魔法』を使えるようになったとこでしょう?」


 「あー……その前はね」


 言いかけて、口が止まった。


 「どうしたの?」


 不思議そうに彼女の首が傾げられる。


 私としては、少しバツが悪いのを感じながら、そっと目を逸らしてしまう。


 「………………た」


 「ん?」


 「……前、喋った」


 「ああ、なるほど」


 私がそう言うと、彼女は少し首を傾げた後、手のひらをぽんと叩いた。


 そう、いつか私が彼女に泣きながら話したのが、私にとっての原初の記憶。


 何百年も生きている他の魔女と違って、私は比較的若いからまだ残っている、私自身の始まりの記憶。


 本当はこの段階まで我慢するつもりだったけど、あの日は耐えきれなくなってすっ飛ばして話してしまったんだっけ。


 少々バツが悪くなりながら、私はずずっと紅茶を啜った。


 「……」


 「てことは、一通り記録は取り終えたってことよね」


 「まあ、うん、そうだね」




 「そっか、じゃあ―――」




 彼女がそう言いかけた時、私は思わず手のひらで言葉を制した。


 「ま—――」


 その後に続く言葉が容易に想像がついてしまったから。


 だって、彼女はずっと私の記録を取るためにここに来た。


 じゃあ、その用事がなくなったら……?


 彼女はもう、ここには来なくなってしまうのだろうか。


 それか、偶に商品の様子を見に来るだけとか。


 そんな風になってしまうのだろうか。


 「……どうしたの?」


 不思議そうに首を傾げられて、言葉に詰まる。


 なんて言えばいいのだろう。


 用事がないのに来てとも言えない。


 私がいたずらを増やせば来てくれることも増えるだろうか。


 でも、それで彼女に嫌われてしまうのはどうしてもいやだし。


 というか、今、嫌われていない保証もないし。


 どうすれば―――、



 「ずっと、ここに……」



 いて―――くれるんだろう。


 





 「別にどこにも行きゃしないわよ」



 「…………え?」



 いつものように呆れた彼女の視線が私を見つめる。


 「あのね、あんた、私以外に見つけらないんだから、私が眼を離すわけないでしょうが」


 だけど、今日はどことなくその表情が笑っているような、そんな気がした。


 「そう……なの?」


 「そりゃあね、私以外、あんたを見たら忘れちゃうんだから。……それより、今度は外で話しましょうよ」


 「え……?」


 その笑顔を見るだけで、少しだけ胸が熱い。


 「もう、長く腰を据えて話を聞かなくていいだから。外に出てピクニックでもして、紅茶でも飲みに行きましょうよ」


 「う……うん」


 まだ一緒にいていいんだと言う事実が、じんわりと身体の中で広がっていく。


 「あー、でも一応、報告書書かないといけないから。簡単に話は聞くわ、そうね。今日のお茶の感想とか、新しく入った商品のこととか、それくらいでいいわ」


 「…………」


 まだ、私達は一緒にいてもいいらしい。


 彼女はまだ私と一緒にいてくれる。


 「……私、この仕事結構気に入ってるし。あなたのことも好きだから」


 これからも。


 私のことを――――—?





 「……好き」



 「うん、まあ、ちょっといたずらっ気があるし、臆病なとこもあるけど。悪意がないのはわかってるし、意外とちゃんと素直だしね?」



 好き。



 「私も」



 「あら、そうなの? ありがと」



 笑顔が眩しい。



 釣り目がちな目元も、あの日、私を受容れてくれたことも。



 ずっとそばにいてくれる優しさも。



 それに何より。



 こんな私を、本当に好きになってくれた人がいたことが。



 嬉しくて、嬉しくてたまらなくて。



 「好き」



 「え、うん。なんで泣いてるの?」




 どうしよう、こんな気持ち初めてで。




 「結婚しよ?」




 「え、あ、え? そういう好き? いや私、教義的にちょっと……」



 「そんなの書き換える!! だから結婚しよーー!!」



 「いや、本当にできそうだから止めなさい!! あと、泣かない! くっつかない!!」



 「やだー!! 結婚するーー!! あと永遠の命に興味ない!? 私の知り合いが鋭意研究中なんだ! せっかくだから緒にどう!?」



 「やっぱりもうちょっと人の心をわかれバカ魔女ーーー!!!」


 






 そうやって、私とリオンの想いは通じ合った。


 神ってやつには正直まったくいい印象がないのだけど。


 リオンに眼をかけたのだけは、まあ少し認めてあげなくもないところだ。


 あ、でも同性婚だめじゃんね。やっぱ神ってクソだわ。






 ※






 独りで生きるのには慣れていた。


 心を操る魔法も、世界中に張り巡らせた抜け道も、どちらも独り生きるにはうってつけなんだから。


 ずっと独りで生きていけた。


 というか、どれだけ頑張っても私はずっと独りだった。


 たくさんの人にどれだけ囲まれても、本当の心は誰も私を向いてない。


 誰も私を見てはくれない。


 それが寂しいと言うことにすら、彼女に出会うまで気づかないまま。


 そんな私に彼女はある日、本を一冊手渡した。


 これは何って聞いたなら。


 彼女は優しく微笑んで、今までの記録の写しと答えたんだ。


 ほら、魔女って長く生きすぎるから、段々が記憶が薄れるんでしょ?


 それで遂には、自分のことも大事な人のことも忘れてしまうって、前言ってたじゃない。


 だから、この記録、あなたにあげるわ。


 ほら、どれだけ忘れたって、これをみたら想い出せるでしょ?


 あなたが何を感じて、あなたが何を想って、あなたが何を成して、今日、ここまで歩いてきたか。


 全部、全部、遺したから。


 そう告げて、君は微笑んだ。


 だから、私は抱き着いた。


 最近、こうすると君は少し驚くけれど、そこまで嫌がっていない気がする。


 機嫌がよかったら、そのままあやすみたいに撫でてくれる。


 もう仕方ないなって、甘える子どもにするみたいに。


 でも、君は解ってないんだ。


 君がどれだけ、私の心を救ったのかを。


 君との出会いが私の百年をどれだけ変えてしまったのかを。


 君はちゃんとわかってないんだ。


 だから、ちゃんと思い知らせてあげなきゃいけない。


 君の命はあと何十年?


 私の寿命に比べたら、きっと一瞬で過ぎてしまう程度の時間。


 急げ、急げ。


 君は、もしかしたら病気になるかもしれない。事故で早死にしてしまうかもしれない。


 だから急げ、あの手この手で伝えるんだ。


 私が君をどれだけ好きなのかを。


 君にどれだけ救われたかを、君をどれだけ救いたいかを。


 言葉を一杯にして、物をたくさんにして、いろんなところへ君と一緒に。


 それから、その日の終わりに君との思い出をたくさんたくさん書き遺すんだ。


 これから、私の命がたとえどれほど長くても。


 君をずっと忘れないよう。


 君からもらったものをずっと抱え続けていられるよう。


 何度忘れたって、いつかの私が何度も何度も想いだすんだ。


 



 そんな私の想いをまだちゃんと知らない君は。


 少し困った顔で笑いながら、そっと私の手を取った。


 いつかの路地裏で出会った君と。


 二人で手を引きあって、ずっとずっと歩ていく。



 この気持ちも、きっとずっと忘れないように。



 君の心にもきっとずっと遺ればいいな。







 おしまい

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いつかの魔女へと遺すもの キノハタ @kinohata

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