機能しないデウス・エクス・マキナ

「機械仕掛けの傍観者」という言葉から連想したものは「デウス・エクス・マキナ」だった。しかし、この作品に登場する神は能動的に人々を救ったりはしない。ただ、人間の営みを観察し続ける謎の存在に徹している。主人公は傍観者である機械仕掛けの神を見捨てて、自身を自身で救うために内省し、宇宙を自己の中で生成する。

大局的に見れば、この作品も機械仕掛けの神による救済の小説なのだろう。しかし、方策が一風変わっている。いつだって、自分を救うのは自分なのである……という作者の信念を感じさせる。機械仕掛けの神はきっかけを与えてくれるに過ぎないのだ。

古風な手法を辿っていながらも、新しい試みに果敢に挑戦しているように思えた。そこに一種のひたむきさとさみしさを感じずにはいられない。哲学する者はいつだって孤独であるのだ。大怪獣が全てを破壊するような小説ではないが、現代において、むしろ必要とされているのは深く自己を省みて救済する営為なのではないか、と考えさせられた。