最初で最後

花火

トクベツ

「今日、暇?」


 必ず2週間おきに来るメッセージ。見慣れてしまった文章に私は迷いもなく指を滑らせる。少し古い型の黒の車。ホワイトムスクの香りがする車内。助手席のドアを開けた私に「お待たせ」と少し笑うスウェット姿の君。タメ口なのに"さん"付けで私の名前を呼ぶ一つ下の彼とは職場で知り合った。

毎朝の掃除場所が同じ、という学生でもありそうな理由で職場で会えばよく話すようになった。失礼ながらイケメン、と呼ばれる部類ではないもののとにかく喋りが上手くて、末っ子気質で人懐っこい。長女気質で自己肯定力が低く、世話焼きな私が仲良くなるにはそう時間はかからなかった。そして、気づかないうちに彼を恋愛対象として見る様になっていた。


私にとって恋愛は“相手に尽くす事”が全てだった。そして彼は、“尽くしてもらえる様に振る舞う事”がとても上手い人だった。【長女気質の女と末っ子気質の男が出会うとこうなります。】と見本に出来そうなくらいその関係性が綺麗に造り上げられてしまった。


恋心を抱く様になりしばらく経った頃、私は一度だけ彼に「好きになってしまったかもしれない」と伝えた事がある。その時彼は「今は彼女いらないんだよな」と一言だけぼそりと呟き、上手く言葉が出なくなった私を強く抱き締めた。彼の発言に合わない行動に驚き、戸惑い、私は泣いた。泣き続ける私に「ごめん」と息を吐くように言い、静かに唇を重ねた。この最低すぎる行動は恋愛体質の私に期待を持たせるには十分すぎる出来事だった。この日、それ以上の線は超えなかったものの"先輩と後輩"という関係が崩れていく過程はあまりに安易で醜いものだった。



いつの間にか彼とは週末の夜にしか会う事が出来なくなっていた。彼は私が生きてきた22年間で1番私の扱い方が上手かった。2年間付き合った幼馴染よりも、ずっと好きだと想いを伝え続けてくれた先輩よりも、遥かに私の脳内に居座り、寂しくさせ、求めさせた。それでも彼が私を恋愛の対象として見る事はなかった。

ライトが淡く色を変えるラブホテルの天井を見つめながら「普通に昼間も遊びたい」と伝えた時、彼は一瞬間を空け「忙しいから」と答えた。じゃあ昼間に見た明らかに家でDVDを見ているインスタグラムの投稿はなんだったのか。そう言葉が出かけた唇をギュッと噛み、「そうだよね」と掠れた声で呟きばれない様に静かに涙を流した。それでも彼を突き放す事が出来なかったのは私自身も寂しさを埋める為の時間が必要だったからだ。私もまた彼と同じで自分勝手な理由で彼を求めていたのだと思う。


彼は私の事を好きではないくせに嫉妬深かった。インスタグラムに男の影があれば機嫌が悪くなる様な人だったし、彼が私と関係を持とうと思ったきっかけも私が共通の友人と仲良くしているのを知ったからだと後から聞かされた。そんな分かり易い嫉妬が“もしかしたら”という期待をより一層膨らませた。


___________________

都合のいい女にも都合のいい女なりのプライドがあり、私から夜に会おうと連絡する事はなかった。彼は自分の欲だけで私を呼び出す罪悪感からなのかラブホテルはいつも地元の中でも良いホテルに連れていってくれた。しかし、この日は違った。いつも左に曲がるところを右にウインカーを出した。

「どこ行くの?」

また無駄な期待を抱き彼に問いかけたがその期待はあっけなく砕かれた。

「先輩に良いラブホ教えてもらったんだ。そこ行こうかと思って。」

少し落胆する私に気付くはずもなく彼は楽しそうだった。

ラブホテルを目指すまでの道は普段煌びやかに見えていた街並みでも、この時だけはいつも暗く深い黒の様なものに感じていた。彼との目的地が綺麗な夜景とかだったら見え方も違っていたのかもしれない。そんな事を考えながら他愛もない話をし、車を走らせる事数十分。

「あれ、ここらへんって聞いたんだけどな」

「名前聞かなかったの?」

「場所しか聞いてないんだよね」

肝心な部分を聞いてこない微妙な雑さが彼らしい。私も周りを見渡しながら探してみるがそれらしき建物は見つからなかった。


「なさそうだね。時間も遅くなってきたしどうしよっか」

「まあ、また先輩に聞いとくよ。いつものところにしよう」

「…そうだね。随分遠くまできちゃった」


『じゃあここからはドライブだ』


“ドライブ”

このなんでもない言葉に私の心臓がドクンと音を立てて鳴ったのを感じた。彼の言う“ドライブ”は勿論、いつものラブホテルまでの道のりを指す。彼に恋心を抱きながらも都合のいい女に成りあがってしまった私にはラブホテル以外で過ごす彼との時間は唯一自業自得な苦しさを感じる事無く過ごせる貴重な時間だった。その時間がいつもより長く、ドライブという名前が付けられてしまった以上、この時間はあまりに特別で煌びやかなものへと変化した。

『私、やっぱり君が好きだよ』

喉元まで出かけた言葉を水と一緒に流し込む。今さら再び伝えたら今度こそ関係が終わってしまう。都合のいい女でいるくらいなら終わってもいいという決断が出来るほど私は強くなかった。彼はきっと私の恋心に気付いている。前に好きと伝えた時から感情が変わっていない事も、連絡をすればすぐに会える事も、簡単な単語一つで私が喜ぶ事も彼は無意識に全て把握していた。


彼と2人で目的地を決めて、車を走らせ、手を繋いで街中を歩く。ただそれだけでいい。それだけの普通が欲しかった。体の距離だけ近くなるばかりで心の距離は先輩と後輩、いや、それ以下だったかもしれない。

今夜も私は彼に抱かれる。行為中、何度も口から出かける「好き」という言葉を押し殺し、喘ぎ、彼は満足そうに果てる。そして眠りにつく。熱だけを持った愛のない行為はドロドロと私の心を蝕んでいった。彼の寝顔を見ながら朝が来なければいいのにと願うのはこれで何度目だろう。頬にそっとキスをし、眠れない夜を彼の隣で独りで過ごす。この関係を終わらせなければならない。そう思っていながらもこの温もりを手放す勇気は私にはまだなかった。私が終わらせると言ったら簡単に終わってしまう事が頭のどこかで分かっていたからこそ、それを認めずにいたかった。


きっと今日が最初で最後の“ドライブ”だった。私に唯一与えられた数分間の普通。また次に会う時はきっと地元の少し良いホテルに直行し、私が欲しかった普通の応えは置き去りにされたまま君に抱かれ、眠りにつく彼の横で独りで朝を待つのだ。



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