第6話 暦の光
それは私が病室でテレビを見ていた時だ。
幼稚園の先生や皆から贈られた千羽鶴と数々の手紙…。それは同じ幼稚園というだけの関係の素性も知らない人たちからの。
当時私、皇暦は期待とは無縁の人間だった。
私はあまり感情を表に出したりしないし母さんや父さんも然程私に興味もない。
私は兄弟もいなければ友達もいなくて親と呼べるのはお婆ちゃんだけだった。
そんなお婆ちゃんは今日も遠い中、お見舞いにきてくれた。
包容力があって見ているだけで心が温かくなるような表情をしたお婆ちゃんは亡きおじいちゃんの話をいつもした。
「なぁ…暦よ、あの人すごいじゃろ〜」
テレビに優しく声をかけるように。
それは何かの思い出を話すかのように。
当時この病院はあまり設備が整ってなくテレビも地上波も限られていてスポーツくらいしかみるものが無かった。
そのためスポーツがここについているのが殆ど。
それは私にはあまりに理不尽なもので、私は生まれた頃から体が弱くスポーツで泣いたり笑ったりしている人達が妬ましく思ってしまう程だった。
何故私は生まれた頃から制限されているのか…?
何故こんなにも孤独というものは辛いのか…?
そんな人生の理のようなポエムみたいなことを私は幼いながらに感じていた。
でもそんな二つの不安な気持ちを還元してくれる存在は私には確かにあった。
それは他でもない目の前のお婆ちゃんと今はなきお爺ちゃんの実績。
私はこの二つに自分の体や心は生まれた時から奪われているようで嫌なものでは決してなくむしろ自分の人生に意味はあるのだと感じていられるほどに…。
しかし私は小さいながらにその意味が消えるのはそう遅くはないと悟った。
そう感じ始めたのは物心ついたくらいの時。
「お婆ちゃん。お爺ちゃんってどんな人だったの?」
お婆ちゃんはよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに話し始める。そんなお婆ちゃんは何をする時よりも生き生きしている。
「暦がまだ生まれてなかった頃にな?…サッカーっていうスポーツで現役引退するまで日本代表として選ばれてだな…」
そこからは断面的にしか覚えてないがお爺ちゃんは本当に凄い人だった。当時はわからなかったが今なら充分にわかる。
そうしてある日当時監督をしていたお爺ちゃんは監督引退した翌年この世を去った。
でも時が過ぎる中お婆ちゃんは何故か多くを話している…それはまるで…
お爺ちゃんが生きているかのように…。
目の前のテレビには高校サッカーが放送されていた。皆、体格が大きくてサッカーしている姿は確かにカッコよくて。お婆ちゃんはよく私にこういう人と結婚しなさい、などとばかり言っていた。
私は嫉妬なのか…それとも単純に結婚願望がなかったのか…まぁそうな事を考える年でもなかったのでそんなに重くは考えなかった。
そこからの記憶は鮮明に覚えている。
そんな高校サッカーで圧倒的な支持を受けたチームがあるとお婆ちゃんに聞いていて私もそこを応援する事にした。(私の県は負けてたから)
確かに強かった。準決勝なはずなのに相手とはまるで体格の差がすごくてテレビ画面でも伝わるくらいだ。そんな中試合は一方的に進み終盤に差し掛かった時、
「修さん!もっともっと!」
お婆ちゃんの昔に戻ったように甲高くなった声は印象的で。
お婆ちゃんはテレビを見ながら光を取り戻したかのように。
お爺ちゃんの話をする時みたいに目を輝かして。
でも私は疑問を口にした。
「修さんって…お爺ちゃんは出てないよ?」と。
でもお婆ちゃんは気が狂ったように私を激しく一蹴してみせた。
「何を言ってるの?暦もちゃんとあの人を見て」
何もおかしくないと言わんばかりの言い草に少し信じてしまう。
でも目の前には老人などいるはずもない。
そんな事実は小さな私でも直ぐに分かった。
「あの人も孫にサッカーを見せてあげられるなんて…」
今にも泣き出しそうなお婆ちゃんはとても嬉しそうで、
「お爺ちゃんいないよ?」
私がそう、いくら聞いても話が変わることは消してなかった。
お爺ちゃんが亡くなりそれを受け入れなくなったお婆ちゃんは頭がおかしくなったと久しぶりにきた母に言われた。
私はそれを教えとして聞きその日、光がくすんでいくのを感じた。
お婆ちゃんは今日もお爺ちゃんの話を私に聞かせた。今日は恋の話だった、お婆ちゃんとお爺ちゃんが出会って日のこと。
「……そしたらお爺ちゃん一目惚れした…!なんて言ってね?」
そんな姿は恋する乙女のそれで今日も楽しそうで。
だからこそ母の言葉は私の頭を駆け回る。
「手紙なんて書いたの。恋文って言ってね?それは今では殆どもうないけど…嫁に欲しい…!って強く思った時とかの許可を昔は相手に送ったりしてたの…」
恋文、余り聞かない単語だが響きもよくて素敵だと私は思った。あの恥ずかしがり屋なお爺ちゃんがそんな大胆な事するんだ、とも思った。
「お婆ちゃん顔真っ赤だよ?」
「あらら…孫に恥ずかしいところ見せちゃったわね」
そしてお婆ちゃんは何かを思い出すかのように。
「…そうだ!お爺ちゃんもここに連れてきてこの事話させようかしら!」
私はこの時初めて言葉にブレーキをかけた。
本当に初めてだった。
人を気遣いその人のために言葉を選ぶ…。
「そうだね…3人で話したいね」
それにお婆ちゃんは笑顔で頷く…そうしてその笑顔を最後にお婆ちゃんは病院に顔を出さなくなった。
半年が経って私の孤独という色は黒く…より濃ゆく真っ黒になっていく。
それでも流れる時間とスポーツが流れる小さなテレビ。
それからまた半年が経って私は退院できる喜びとお婆ちゃんへの感謝で胸が大きくなっていた時。
そんな幸せは許さないと言わんばかりにその手紙が届いた。
私は今まで沢山の手紙を受けていたが開くことはしなかった。
でもその日私は手紙を開いた。
それはお婆ちゃんの名前が書いてあったから。私は恐る恐る手紙を開き中を取り出す。
『暦、ご飯はちゃんと食べられていますでしょうか?かっこいい選手は見つける事はできたでしょうか?この手紙を暦が手にした時お婆ちゃんはこの世にはいないでしょう。暦があの日お婆ちゃんを気遣って言ってくれた時もうお婆ちゃんは役目を果たしたのだと思いました。』
そこまで読み終え私は自分があの時ちゃんと伝えていればなんて今更になって痛感する。
しかしそれを見透かしたように、
『いいえ?これはお婆ちゃんが初めから決断していた事なのです。そう、初めから。お爺ちゃんが亡くなった3年前7月13日のこの日から私には暦だけが孤独をなくす唯一の存在でした。』
そして分かった。充分に思い知らされた。
それはお婆ちゃんがお爺ちゃんを忘れた日なんて一日だってなかったことを意味していることを。
私はそこまで読み終えると読むのをやめ、重たい足で病室を飛び出した。
それから遠い遠いお婆ちゃんの家に着くまではあまり覚えていなかった。
ただただ今までこの道のりをほぼ毎日来ていたお婆ちゃんに感謝する気持ちだけが昂るばかり。
ドアは何故か空いていて。
机の上には1通の手紙が置いてあった。
私はそれを開け…ようとしたが既に開けられていて少し飛び出してしまっている。そしてその字を見て分かった。それはいつの日か言っていた恋文だった。
『幸さん。貴方の魅力的な性格や元気で周りを和ませてくれる温かい笑顔に惚れました。貴方がお婆ちゃんになっても愛し続けるのでこんな俺でよかったら…』
それは短文の至ってシンプルな手紙でそれでもお爺ちゃんとは思えないほど大胆だった。
でもそんな時物音がしたのを感じ恐る恐る足を運ぶ。
そこにいたのは痩せほそった私の光で。
目頭が熱くなるのを感じると…同時にいつの間にか体全体が動き出している。
私は感情だけに任してこう叫んだ。
「お婆ちゃん!!!!!!」
その瞬間お婆ちゃんは驚いたように、でもどこか嬉しそうに私を見る。
私は気がつくと胸に飛び込んでいた…冷え切った病室では味わえなかったこの温もりと私が欲していたものを初めて得たという背徳感。
私は隠そうともせずわんわん泣いていてお婆ちゃんも泣いていた。
目の前にはお爺ちゃんの写真が何枚も…何枚も…全部が笑顔で。
「お婆ちゃん!」
私は目を見つめそれだけ叫ぶ。
「どうしたの?」
そんなお婆ちゃんの不安だけど優しい声が耳元に届くと暖かくなる。
「あのね?私ね?お爺ちゃんみたいな誰にも負けないサッカー選手になる!」
お婆ちゃんは目を丸くし何かをやっと見つけたように私を握りしめた
そして私の光は大きく…そして一つになった。
ネットを揺らせ! 美波 @matchaore
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