(7)
適当に頭を下げて、何でもないように、隣の自宅に逃げ帰って、すぐに施錠した。
「……はぁ、なんてこった」
綺麗な美人は実は男で、コスプレしてて、大酒呑みだったなんて、そんな事があってたまるか! しかも、今度うちに採用されるかもしれないんだろう? どうすればいいんだ、あんなに動揺した姿、バラされたりしたら皆に猫被ってたって笑われるぞ……
「とりあえず、落ち着こう」
腹が減っては戦はできぬ、だからな。とりあえず、何か食べて落ち着こう……ん? さっきパン食べた気がするけど……まぁいい、小腹も空いたし、何か摘もう……
「あ、クッキー……」
そうだ、北崎さんがくれた何時ぞやのクッキーがあった。早く食べないと、後から期限切れで発見されてしまう所だった。
小さな小袋を開けると、個包装されたバタークッキーが三枚ほど入っていた。何処のクッキーか分からないが、見た目からして美味しそうな色をしている。袋を開けて、食べてみる。なるほど、確かに普通のクッキーではあるけれども、市販されてるものではないな。何処かの洋菓子店のクッキーの味だ。
「うん、美味い……」
時計を見ると、なんとか間に合ったようなので、テレビをつけ、視聴予定の放送局に合わせておく。
何と言っても、今日は特撮三昧の日だ、この日のために一週間頑張ってきたと言っても過言ではないのだ!
よく分からない酔っ払い野郎との付き合いで見逃すなんて、ありえない事だ。
「……ん? 」
テレビに映った変身して敵と戦い始めた美少女達を見て、ふと思い出した。あの人、コスプレするって言ってたな……
クッキーの袋の裏面に、小さく手書きでサキと書かれた偽名と、アカウントらしき暗号が書かれている。多分イベントで配るプレゼントのお裾分けだったんだろうな。
「……何処のアカウントか書いてない! それじゃ何も見られねーじゃねーか! 」
まぁでも……なんか、そういうちょっと抜けた感じ、可愛い人だな。
「……はっ! ち、違う違う! あれは野郎だ! ただのまぬけだ! 」
頭がまだ混乱している。あれは容姿端麗な男性だ、お前が初めて見た時の想い人は男だったんだ。しかも、もしかしたら部下になるかもしれないんだぞ、しっかりしろ。
クッキーも食べ終え、とりあえずアカウントだけスマホのメモ帳に控えておいた。今度またいずれ会うんだろうし、その時にでも聞こう。
『それでは、また来週、お楽しみに! 』
はっ、しまった……奴の事に気を取られて、まともに頭に入って来なかった! 畜生、何という事か! 今日は重要な展開だったのに……。
仕方ない、後でネタバレをネットで漁ろう。とりあえず、次の特撮までの短い時間に、皿洗いとゴミの片付けをしてしまおう。
日曜日の午前中は、我々にとっては至福の時間なので、一分たりとも無駄な時間はない。というか、休日は貴重な推し活に勤しめる日なので、無駄な時間など一時もない。シフト登板の時は自分で、広松さんが担当の時は察して、日曜日は休みになるようにしてくれている。
日曜日休みにしている代わりに、祝日や人手が足りない時は平気で連勤したりするので、皆からは直接特に言われた事はない。裏で何か言ってるかもしれないがな、まぁそこまでは知らない。
「……あ」
広松さんから送信メールが来た。採用面接申し込みが来たから今度面接をするとの内容だった。
「本当に申し込んだのか、あの人……まぢかよ……」
後日履歴書とかを持ってきて面接する時に、俺と隣人だってバレたら、どんな顔してればいいんだ。
後日、店長から呼び出された。大体予想はついている、面接結果だろうな。
「先日応募があってね? 二十代の男性で、受け答えも良かったし、採用しておいたからね。来月から来る予定だから、もし来たら、ロッカー教えてあげてね」
「分かりました、男性ですね。新人さん決まって良かったです、人数増えると捗りますし」
北崎さんかどうかは知らないがな、他にも応募あったかもしれないし。
「ちなみに、名前とか分かりますか? 特徴とか。誰か分からないと案内できないですよ」
店長は引き出しから履歴書を取り出し、目を細めた。
「きたさき、さんかな? 字が小さくて見えないや。髪は君くらいに短めでね、いやぁ、綺麗な人だった。一瞬ボーイッシュな女性かと思ったよ」
……まぢか、本当に来てしまうんですね、貴方が。
「きたさきさん、ですね。分かりました、メモしときます」
ポーカーフェイスで、顔が引き攣らないように、何とか乗り切った。つもりだったがどうだったかな……
「あぁ、頼むね。多分広池さんだと体も声もデカいから、あの人怖がらせてしまうんじゃないかなって思ってさ。百家君の方が、歳も近いし優しいから、教えやすいんじゃないかなってね? 」
……うーん、それはあるかもしれないですけど、俺でいいんですかねぇ、北崎さん的には。
「そうですか? 広松さんでも丁寧に教えてくれますよ? ……あ、シフト的には俺ですね、分かりました」
来月は確か初旬は連勤だった。仕方ない、やり切るしかない。
「すまないねぇ、よろしく頼むね」
「はい! ……あ、混んでそうなんで、出てきますね」
俺には、彼とは別の戦いの為の資金集めがあるからな。真面目に働かなくてならないんだ。負けられない戦いがな。更新日という名の恐怖の日付が近づいている。
「いらっしゃいませ! お客様、宜しければこちらのレジにどうぞ? お待たせ致しました」
今日も元気に笑顔を振りまきながら、いろんな敵と戦いながら、今日も俺は、ひたすらレジにバーコードを通し始めた。
隣の北崎さんは、今日も必死にもがいています 里岡依蕗 @hydm62
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