ログイン戦争
春夏あき
ログイン戦争
ここはどこだ?
気が付けば、僕はだだっ広い建物の中に立っていた。僕はそれなりに活躍する商社マンだから何度も空港に行ったことがあるし、世界中の巨大な建物を見てきた経験がある。しかしこの場所は、そのどれとも比べものにならない程に巨大だった。
イメージとしては、吹き抜けがあるデパートが正しいだろう。そしてそのデパートを、そのままの比率で1万倍に大きくしたらここに近くなるんじゃないだろうか。
一階の床はどこまでも延び続け、建物の中であるはずなのに地平線が見えている。正面にはエスカレーターがあり、その上には何段にも階層が積み重なっていた。いったい何階まであるのだろうか、上層部は霞んでしまって見えない程だ。
この場所が一体どこであるのか、僕は何か手掛かりを探そうと後ろを振り向いた。するとそこには、スーツ姿の男が一人立っていた。
僕は思わず引き下がった。男は慌てて手を伸ばし、落ち着くようにジェスチャーをしてみせた。
「すみません驚かせてしまって。決して悪気があったわけではございませんので」
「はぁ……」
僕が落ち着きを取り戻したことを確認すると、男は改まった態度で再び口を開いた。
「えー、ごほん。ようこそ、ログインセンターへ」
「ログインセンター?」
「えぇそうです、ログインセンターです」
いきなりそんなことを言われたものだから、僕は面食らってしまった。ぽかんとする僕に、男は続けて言う。
「私はここで案内人をしております、以後お見知りおきを」
「はぁ」
「それでは早速行きましょうか。時間と広さだけは腐るほどありますから、説明は歩きながら致しましょう。ささ、私についてきてください」
そう言うと男は歩き出した。僕はまだ納得していなかったが、知らぬ場所で迷ってしまうと困るので慌てて彼を追いかけた。
彼はポケットから手帳を取り出して、しばらくそれをパラパラめくっていた。やがてお目当てのページを見つけたのか満足そうに頷き、話を再開した。
「あなたは享年36歳なんですね。死因はトラックとの正面衝突。運転手は居眠り中……。不運な方ですねぇ」
それで初めて思い出した。そうだ、確か会社からの帰り道、僕はトラックにはねられて死んでしまったはずだ。では、この場所は一体何だというのだろうか。
「今は、再ログイン率はかなり高いですからね。以前はそこまでだった日本も、最近は上位国にランクインしていて戻るのも大変ですよ」
「ちょちょ、ちょっと待ってくれ!」
余りにも情報が多すぎて混乱してしまう。目の前を歩く彼の肩を掴み、僕は慌てて彼を止めた。
「僕は確かにトラックに轢かれたよ。赤信号で歩道で待っていたはずなのに、ふらふら走ってきたトラックに突っ込まれたんだ。あの時は腹も立ったし痛みも感じた。そしてそのまま意識を失ったはずだ。でも、ここは一体どこなんだ?僕はいまこの場所に立っているし、自分の身体があるという実感もある。それに、「再ログイン」とか「ランキング」って何のことを言っているんだ。急にそんなこと言われても、わかるわけがないだろ」
彼は急に歩みを止められて戸惑っていたが、ようやく主張が理解できたようでうんうんと頷いてみせた。
「いやぁすみません、いきなりこんな場所へ来ても何もわからないですよね。僕の説明不足でした。……毎回こうなんですよ。お陰で怒鳴られたり泣かれたりの繰り返しで。何度も直そうとはしてるんですけど、生憎時間が年単位で空きますからねぇ」
彼は再び歩き出した。しかしその速度は先程と違ってかなり遅く、話をしながらでも十分について行くことができた。
「まずはこの場所の説明から致しましょうか。この場所は、いわゆる死後の世界です。……でもご安心ください、地獄ではありませんよ。まぁ、天国でもありませんがね。人はみな、死ぬとここへ集められます。そして再び人として生き返る為に、ここで現世への転生の順番待ち、再ログインをするのです」
「死後の世界から、現世への再ログイン?」
「そうです。輪廻転生なんて考え方もありますが、あれに似たものです。一つ違うことは、種としての転生先は固定されているということです。上位種から下位種への移行なら自由にできますが、まぁやる人はいません。恐らくあなたも人間に転生したいでしょうから、このまま先へ進みましょう」
いつの間にか、目の前には一本の巨大な柱があった。恐らく大人が三十人いても周りを囲むことはできないだろう。
柱には扉が埋め込まれていた。彼がそれを苦労して開くと、中には小さな小部屋があった。二人で並んでそこに入ると、彼は出入り口の横に取り付けられているパネルを操作した。すると扉が自動的に閉まり、もったりとした加速感が身体を揺すった。恐らくこれは、現実世界で言うところのエレベーターなのだろう。
「人間が人間に転生するとき、問題になってくるものは何だと思いますか?」
彼は正面を見据えながら言った。
「……性別ですか?」
「うーんおしい。性別は確かにはっきりとした区分ですが、あれは有性生殖のために分かれているだけであって、人間としての本質は変わりがないんです」
「なら、一体なんだって言うんですか」
「それは人種です」
「人種?」
「はい。現在地球上には、約200の国が存在しています。しかしそれらは、全てにおいて平等であるわけではありません。気候条件や資源の分布、人口密度や、果ては国民性に至るまで。そこには明確なパワーバランスが存在しているのです。
それにより、死後の人間が生まれ変わりたいと願う国には偏りがあります。事実、現在ランキングトップの国と最下位の国では、希望人数に100万倍以上もの差があります」
「100万倍ってことは、ここには少なくとも100万人がいるんですか?」
「はいそうです。人気度の偏り上、人の集まりにも偏りができてしまいます。現在この施設では一フロアにつき一国を担当しているのですが、上に行くにつれて人の数はどんどん多くなっていきます。あなたがもし日本に生まれたいと願うのなら、それは大変な苦労をしなければなりませんよ」
チーンという音がして、身体にかかっていた圧が消えた。どうやら目的の階へ到着したらしい。僕は彼に勧められるままに、エレベーター内部から外へ足を踏み出した。その途端、僕の目には信じられないような光景が飛び込んできた。
人人人。見渡す限りの人だ。どこを見ても人でいっぱいで、フロアは先の先まで人で隙間なく埋め尽くされていた。
「こ、これは?」
「ここは日本を管理しているフロアです。先ほどの説明通り、これは日本に生まれたいと願う人の待機列です。まあここにいても仕方ないですし、予約だけは済ませちゃいましょう」
彼ははぐれないようにと念を押してから、臆することなく人ごみへ入って行った。フロア内はまさしく立錐の余地もない状態で、僕と彼は何度も人にぶつかりそうになって、その度にすみませんと頭を下げながら、どんどんと間隙を縫って先へ進んでいった。
比喩でもなんでもなく、受付にたどり着くまでに丸二日かかった。どうやらこの世界ではお腹もすかないし、疲労もたまらないらしい。しかしだからと言って精神的な疲れまでとれるわけでもなく、僕は幾分かやつれた顔をしながら受付に立った。
「彼は新入りです。日本を希望するらしいので、整理番号を渡してやってくれませんか」
「了解です。現在の整理番号は……2863万2347番ですね」
「そんなに!?」
たどり着くまでの疲労もあり、僕は思わず大声を出してしまった。しかし受付のお姉さんにとってそんなことは日常茶飯事なのか、何でもないように説明を始めた。
「はい、そうでなんです。現在の再ログイン人気ランキングでは、日本は常にトップ5に入っています。そのぐらい人気度が高くて、こんな番号になってしまうんですよ。整理番号はそのまま順番待ちの人数になります。つまりあなたは、あと2863万人は待つ必要があります。途中で別の国に変える人がいれば多少変動しますけど、まぁそんなことは些細な問題です」
予測していたとはいえ、余りにも非現実的な数字に気が遠くなる。これからこの何もない空間で、一体どれだけの時を過ごせばいいのだろうか。
「まぁ、そう気を落とさないでください。なんなら暇つぶしのサービスもございますので、そちらを紹介しましょうか」
「そっ、それを是非教えてください!」
「かしこまりました。……それはですね、この施設の案内人になることです。簡単な講習のあとに施設を自由に散策してもらい、新入りの方や困っている方を助けてあげるんです。何もない場所ですが、仕事があれば多少気がまぎれるとは思いますよ」
「では、それをお願いします」
「承知いたしました」
お姉さんは何やら俯いて手を動かし、小難しい文章が書かれた書類を手渡してきた。
「講習は、右の壁にある緑色のドアの先で受けられます。そこで説明を受けた後は、順番が来るまでしばらく仕事を楽しんでください。整理番号は呼出し後三日間応答がなければ破棄しますので、ご自身の順番は常にお気にかけておいてください。それでは、よい待ち時間を」
説明が終わったといなや、ここまで案内してくれた彼が話しかけてきた。
「よかったですね、ここで働けて。この施設では職員数に限りがあるので、丁度誰かが再ログインしたときにしか職員にはなれないんですよ」
「あの、もしかしてあなたは……」
「お気づきになりましたか。そうです、私も、再ログインの順番待ちをしているのです。私の整理番号は927万5002番。あなたより若いとは言え、まだまだですね。大体一年で百万人程度が再ログインできるので、あと十年はかかってしまいます」
「ということは、僕は……」
「ここでは時間は無限にありますから、そんなことは考えなくてもいいんです。ささ、早速講習を受けに行きましょう。私も暇ですから、そこまで案内してあげますよ」
彼は仲間ができた喜びからか、笑顔で壁へ向かって歩き出した。僕は事実を噛みしめる暇も無く、はぐれてしまわないように、慌てて彼についていくしかなかった。
ログイン戦争 春夏あき @Motoshiha
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