初告白の行方

仲室日月奈

第1話

 本日、セント・バレンタインデー。

 意中の人にチョコを渡して愛を告白する日である。かくいう私にも今日は特別な日だ。なぜなら、これから人生初の告白をするのだから。

 相手は隣のクラスの男の子。実は名前ぐらいしか知らない、話したこともない相手。

 けれど、すれ違うときの雰囲気とか、男子と話しているときの気さくな人柄とか、何より笑顔に惚れてしまって。

 気づけば、目が彼を追っていた。そして、彼もそんな私を見ていた。時に視線が交わり、でも不思議と逸らされる事はなくて。

 そのまま、ふたりして見つめあっていた。


 だから自惚れかもしれないけど、脈は全然ないわけじゃない……と思う。たぶん。 


 勇気を振り絞って、放課後に旧校舎の裏で待ち合わせを取りつけた。実際は、一方的に認めた手紙を下駄箱に突っこんだだけだけど。


 来て……くれるかな。


 悪戯と思われていたらどうしよう。脈がどんどん速くなる。髪が変に跳ねていないか、急に気になってきた。ここに来る前、鏡で入念にチェックしたというのに。

 深呼吸を繰り返しても、全然落ち着かない。ドキドキは加速するばかりだ。

 だって、こんなこと、生まれて初めてだし。

 

 あーどんどん緊張してきた。手が震えてる。ちゃんと声、出せるかな……?

 

 長いようで短い時間を持て余していると、彼がひとりでやってきた。姿を見た途端、胸が高鳴るのが嫌でも分かる。でも期待するには早い、と自分に必死に言い聞かせる。

 やがて、足音は私の前で止まった。

 目の前にやってきた彼は、どことなく落ち着きがない。視線があちこちにさまよっている。というより、私よりも緊張してるような、硬い表情だった。


 いや待って、これはもしかして不機嫌な顔なのでは……。はっ、もしや、苛立っていらっしゃる? ああ、よく見れば、眉間に皺を寄せてる!


 これは間違いない。放課後にわざわざ呼び出しやがって……という無言のプレッシャーだ。

 

 やばいやばい。これじゃ計画が! 告白前から、こんな剣呑な雰囲気になるとは誰も予想してないよ!

 

 青ざめて言葉を失っていると、しびれを切らした彼が口火を切る。

 

「手紙をくれたのは君?」

「そ、そう……です」

「じゃあ、あなたが香椎あやめさん?」

「はい……香椎は私です……」

 

 ああ、不毛だ。受け答えが不毛すぎる。

 しっかりするのよ、あやめ。

 早く用件を終わらせて、今すぐここから立ち去ろう。二月だというのに、冷や汗が尋常でないレベルになっているもの。

 

 ああもう、こうなればヤケよ!

 

 後ろ手に隠していた箱を彼の前に突き出す。勢いのまま、何度も脳内シミュレーションしていた言葉をぶつけた。

 

「あのっ! チョコ、受け取ってください」

「……俺に?」

「も、もちろん。あ、もしかしてチョコ嫌いだった?」

「ううん。そんなことない。ありがとう」

 

 さっきまでの戦闘態勢はどこへやら、彼は口元を綻ばして、両手で丁寧に受け取ってくれた。

 

 わあ、どうしよう神様、私、そろそろ天に召されてもいいかも。もう充分、私は幸せな人生を歩んで来れたと思う。今なら隕石が落ちてきても大丈夫。もはや本懐を遂げた気分だもの。


 彼は、ふと思いついたように質問する。

 

「ねぇこれ、今開けてもいい?」

「えっ」

「だめかな」

「ううん、いいです! 開けてみてっ」

 

 リボンがついたゴムを器用に剥がし、中に入っていたチョコレートをぽいっと口元へ放り投げた。

 間違いがないよう、貯金箱をひっくり返して高級チョコレートを用意したけれど、彼の口に合っただろうか。

 気分は、さながら魔女審判にかけられている新米魔女だった。田舎から出てきた魔女が右も左もわからない裁判所で罪を問われているような、そんな気分。

 判決の瞬間がこわい。自分の未来は、彼の一言で決まる。薄い唇をジッと見つめていると、ぽつりとつぶやくような声が聞こえてきた。

 

「……美味しい」

 

 神様。前言撤回します、まだ殺さないで。もう少しだけ生きていたいです。

 

「香椎さん」

「はい」 

「ごめん」

 

 え、何が?


 ……そうだ。忘れてたけど、私、チョコ渡したのはいいけど。まだ肝心の告白ができていない。だけど、バレンタインデーに呼び出してチョコを渡すって言ったら。すきです、って言っているようなもので。


 きっと彼にもそれが分かったんだろう。

 受け取って貰ってはしゃいでいたけど、謝罪を受けるってことは、つまり。


 気持ちには応えられない……ってことよね?


 ああそうか、やっぱりそうなんだ。私の人生なんてそんなものよね。神様。チョコのようにほろ苦い人生が所詮、私の歩む道ってことですね。

 

「ううん、こちらこそ。急に呼び出して……その、ごめんね」

「…………あのさ」

「ん?」

「さっきの『ごめん』はちょっと、意味がちがうんだけど」

「どういうこと?」

 

 分からなくて聞き返すと、彼は顔を赤らめてしまった。

 どういう意味だろう。ますます分からない。

 

「あ、もしかしてチョコの味、もっと苦いほうが好きだったとか?」

「いや、これは好きな味」

「えっとじゃあ、やっぱり私のバレバレな気持ちに対してのごめんってこと?」

 

 ああどうしよう、思っていたよりこの事実確認は痛恨の一撃だ。自分で言っててなんだか泣きそう。でも、フラれた女が目の前で泣くっていうのも、きっと彼は困るだろう。

 だから、込み上げてきた涙を目に力を入れて、ぐっと堪える。


「違うよ。そうじゃなくて。……自分の気持ちがうまく言い表せなくて。なんて言ったらいいかわからなくて、ごめん」

「うん?」

「…………俺と、付き合って、ください」

 

 絞り出すように言葉を紡ぐ彼の耳が、赤ワインよりも赤い気がする。

 だけど、私は言われた意味を理解するまで、たっぷり時間を使ってしまった。

 

「え、嘘……新手の冗談とかではなく!? 本気!?」

 

 驚きのあまり、素っ頓狂な私の声が響く。

 

「うん。前から気になってたから。いきなり付き合うのがあれだったら、まずは友達からどうかな……」

「ごめんなさい」

「えっ」

 

 今度は彼が驚く。目をこれでもかってぐらい見開いて、微動だにしない。まるで時を止める魔法にかかってしまったように。

 その驚きように、あ、しまった、と遅れて気づく。

 

「あ、私も間違えちゃった。……ずっと好きでした。よかったら付き合ってください」

「…………」

「あれ、だめ、だった……?」

 

 返事がなくて、あたふたしてしまう。

 すると、雪像みたいに固まっていた彼――都築くんの時間がやっと動き出す。

 

「……ああ、びっくりした。フラれたのかと思った」

「や、それはこっちの台詞なんだけど」 

「え? どうして?」


 本当にわからない、といった風に都築くんは首を傾げる。私は素直に言っていいものか悩みながら、正直に言った。


「……だって、ここに来たとき、怖い顔してたから」

「……マジ?」

「うん」

「……ごめん、それはここに来る前、さんざん友達にからかわれたから。ちょっと気が立ってたかも」

「なんだ、そっかぁ。よかった……」

「じゃあ、仕切り直ししようか。香椎さん、俺と付き合ってくれる?」

「……は……はい」

 

 今度こそ、間違えずに言えたことにホッとする。

 都築くんも同じ気持ちだったようで、二人で目を見合わせて笑う。

 突き抜けたような空は青く、空気はひんやりとしている。春の気配はまだ遠い。でも重ね合わせた手は温かかった。

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