終章. 青み強き薄紫
「これより『儀式』を執り行います。本家の跡継ぎである私、綾目あいりが今回の…………」
普段のあの、かったるそうにしている声じゃなくて、艶のある声音だった。
あいりが「奥の座敷」と言っていた、ここ――旧宅の座敷には、十何人かの人が集まっていた。みんな親戚ということだろう。中心に生贄役の私が座っていて、目の前にはあいり。私たちのことが一番よく見える位置には、まーくんとおばさん。他の人はざっくりと周辺に、といった感じである。手は縛るのに足は自由なままなのはなぜだろう、とか思っていたけれど、もし今動いたら、すぐに捉えられてしまいそうだ。
縄がたるんでいるのを悟られないよう、私の意識は手元にいっていた。けれど。
「静かになさい、昌嗣」
おばさんのささやき声が耳に届いた瞬間、額に汗がつたった。気にしていないつもりでも、やっぱり、体は殴られたことを覚えているのだろう。
なんでお誕生会、こんな暗い部屋なの? あのお姉ちゃん誰? 無邪気にそう問うまーくんは、写真よりもぐっとあどけなかった。――そんなこと、知らないほうが幸せに生きられるよ。心の中で、彼に向けて呟いた。
「昌嗣。こっち」
あいりはまーくんを呼んだ。
短刀を握りしめたあいりがこちらに一歩、歩み寄る。そして、私の首を指さした。
「ここにね、大事な、太い血管が通っているの」
すぐにでも手が自由になるはずとは言え――いくら何でも、凶器を持った相手に対して首筋をさらけ出しているのは怖い。
あいりはまーくんよりも私を殺した方が、ずっとずっと、今後の人生の悩みが少ないはずである。この土地で、何も知らないふりをして生きていけるのだから。まーくんを殺したら、「殺人犯」になって、制裁が与えられて――。
ん?
あれ、もしかして私、だまされてた? のこのこと付いて行って、まんまと殺されそうになってる?
だって、これからあいりは誰かを殺さなきゃいけなくて、今現在、身動きが取りにくいのって私じゃん……?
……自分で自分に引いている。ドン引き。あいりほど賢くないなんてことは知っていたけど、ここまで阿呆だったのか。
「ほら、昌嗣。自分の首、触ってみて」
あいりはまーくんの手を取って、指先を首に当てさせた。
「んー、よくわかんないよ」
小学生ってこんなに幼かったっけ? 首をまだ傾けたまま、私がこれくらいの時ってどうだったっけ……と考える。
「ああ、えっとね、場所がずれてる。もうちょっとこっち側なんだけど」
そう言って、あいりは彼の滑らかな首の方へ腕を伸ばしたようである。首を倒していると正面しか向けないから、はっきりとは見えないけれど。
次の瞬間、悲鳴が聞こえて、私が横を向いたら、彼女は赤く返り血に染まっていた。
怒声が飛び交う。
「昌嗣っ……嘘! ねえ! 返事して!」
「あいりっ! 何をしているの!?」
「馬鹿野郎! お前が今ここで首切れ!」
この勢いじゃ、もし短刀が誰かに奪われたら、あいりは殺されちゃうかもしれない。どこか他人事な私は、ふすまへと駆け抜けた。早く強力な第三者をこの場にいれないと、計画は無駄になってしまう。
ああ、誰も私に気をかけていない。何事もなく座敷を出て廊下に出ると、あいりの悲痛な叫びが聞こえた。
「昌嗣が死なないと、命が大事だってわからないんだね!? 馬鹿はお前らだろ! こんな『儀式』は間違ってんだよ!!」
辛い、無理、もう嫌だ。足が止まりそうだったけど、どうにか走り続けた。
玄関まで来たが、靴は見当たらなかった。おおかた、すでに証拠隠滅のためにどこかにしまわれたのだろう。諦めて、裸足のまま駆け出す。
息を切らしながら、涙と洟で窒息しそうになりながら、母屋の前まで走る。飛び石が足の裏をくすぐった。
初夏の頃にはアヤメがたくさん咲いていたのに、今の庭は桔梗がさざめいていた。同じ紫の花でも、醸し出す情緒はまるっきり異なっている。そんな考えがやけに鮮明に頭に浮かんだ。
さて、あいりが言っていた通り、自転車が停めてあったし、もちろんスマホも籠にあった。あいりは――「芹奈は襲わない」という約束を守ってくれた。彼女はある意味ではずっと、誠実であったのだ。
「うえっ、ぐふっ」
むせながら自転車にまたがる。吐きそうだ。いろんな思いが入り混じったこの感情も共に吐き出せたら、いっそのこと楽になれるのかもしれない。
ふらふらと漕いで、表の坂道に出た。そこからは、自転車は意思を持ったかのように、私を坂の下へと運んでくれた。
いつもどおりの夏休みは、来ない。
アヤメ家 文月柊叶 @Shuka_Fuzuki
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