「表音文字」はとても便利?
※ 移転載しました:
https://kakuyomu.jp/works/16817330663922262667/episodes/16818023213584491345
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こんにちは、たてごと♪ です。
前回の、{じ}{ず}{ぢ}{づ}の話の余談ですますよ(
思うに、例に出した「
これは違う表記になってるだけで、発音も意味も由来もぜんぶ
英語でも「
一方で、〝表意文字たる漢字を別々に遣ってる、ゆえに別々の語なのだ〟って勘違いされやすいタイプのこれは、たぶん日本語特有のものなんですよね。
「ホトトギス」の漢字表記とか、「
というわけでこれは、ずっと前の『「全部ひらがなでいいのに何で漢字使うの?」って
つまり、「やまとことば」は同音異義語だらけ。
要するにボキャ
どうしてそんな事になったのか、ということに関する想像というか、
†
まず日本語の成り立ちは、こんなところだと思います。
もともと日本語の原形「やまとことば」には、文字という物が有りませんでした。
そんななか、紀元よりもとうの昔。
いちおう漢字も同時期に輸入され始めたけど、学校どころか紙も勉学の概念すらも無いのに、そんなすぐの普及なんか無理。
そのせいで、「やまとことば」は育たないうちに成熟してしまった、のではないでしょうか。
つまり伝達に必要になる語を、全部「(一時記憶にとぼしい事で知られる)頭脳」だけで考えたせいで、
だから当然のように同音異義語が大量発生したし、かつ〝言葉とは
そんなストーリーでも無いかぎり、〝似たようなくくりにできそうな対象は全部同じ
区別に困りますからね。
それくらい〝紙は偉大〟だって事ですが、ただ逆に言えばそれは、「同じ記号から異なる意味合いを察する事ができていた」って事です。
つまり日本民族って、そこらへんの
まあボキャ
やがて数世紀ののち、紀元を越したころでやっと、漢字を使い倒せる基盤が整ってきまして。
その過程では、「語の意味にふさわしいと思われる漢字」をわしわし割り当てるという、至って人為的な作業がなされたもので。
そのために漢語もすこし混じったりして、どんどん「日本語」に成っていったわけですね。
†
ところで、半ば人工的であるという事は、
結果として、大量の同音異義語はもとより、異形同語までもが誕生したり。
また、きっと正確に
あるいは言葉は
ないしは英語だったら「
もしくは協調を重視しすぎるゆえの同調圧力からか、「
そういう、伝達を
もしかしたら、「コメがそうさせた言語」とも言えるかもしれません。
そしてその
まさにHENTAI、まさにガラパゴス。
日本人ですら、ここらへん何がどうなってるのか、いまいちよく
って言うよりそもそも、日本語の全容を掌握できてる人なんて、この世に一人でも存在するんでしょうかね。
だってこれ実感的に、たぶん最先端の量子力学よりもずっと難解ですよ。
……じゃあ、そしたら。
整合性のきちんと取れてる文法なんてものも、定義は不可能なのかもしれませんね……。
ごめんなさいルール作った人、ちょっと言い過ぎたかもでした。
前回での
これにて菊花の紋は、平穏が約束されたのです……!(
あっちなみに日本の皇室や国家機関のシンボルとして掲げられてる「
え、
ここだけの話なのですが、実はこれを2倍した32こそが、プルトニウム式原子爆弾の爆縮起爆点最適数なのであります!
つまり‼
オモテの日本とウラの日本が合わさって花弁が32になったとき超爆発が(
そんなこんなで日本語は、〝世界一習得の難しい言語〟という事で、しばしば筆頭に挙がりまして。
それについて、〝アルファベット圏の基準で見るからそうなるんだ〟との物言いがついたりしますが、これについては「それは違うよ」と。
だってここまで、文法がグダグダな言語って、他に有ります?
日本語は世界的に類を見ない、ある
あっそこ、「苗木君のクセに生意気ね」とか言わないで(
まあだからこそ、余計な鎖は付けないほうがいい、とも思うんですけれどね。
†
余談をもう一つ。
混同されてて紛らわしいのをどうにかしよう、っていう意図で同音異義語には、漢字が当てられるわけですけども。
『「ら抜き言葉」ってどうしてダメなんだと思う?』の項で説明したとおり、「やまとことば」には子音一音に至るまでに、ある程度の意味合いが含まれていたりするんですね。
そしてあまつさえ、その一音一音についてすら、同音異義語みたいなものが生じてしまってるわけです。
だから〝{ぢ}{づ}を{じ}{ず}に書き換えろ〟なんて規定、本当は無いほうが良かったはずなんですよ。
何が何だかわからなくなりますからね、
「ゐ」「ゑ」も{い}{え}に置き換えて書くことになりましたが、前者はそもそもヤ行であるゆえに発音上で小書き仮名「ぃ」「ぇ」のように機能したほか、語幹なし一段動詞を除いては語尾には現れないゆえに特有の意味合いを持つと推定されるなど、性質面で多少の差異が有ったりするので、こちらの
つまり、公式正規の取り決めがすでにもう、
マジでこんな気持ちの悪い言語、他に有るんでしょか。
で、こんな規定いったい何のためにあるんや、という疑問だけは前回出しましたけれども。
たぶんこれ、〝
表音文字ってつまりそのまま
けれどもさあ、だったら助詞の「は」「へ」「を」だって{わ}{え}{お}と発音するけえ、「わ」「え」「お」でよがね?
「ぢ」「づ」だって「ゐ」「ゑ」みたいに
こんなハンパな
半可くさいにも程あるでねか?
ちゅうか日本語って同音異義語が
せやから表意文字たる漢字までをも
助詞の「は」「へ」「を」を残しとんのも、結局そういう理由やろ。
要は〝表音文字教〟ちゅう宗教は日本じゃあ邪教そのものじゃき、勧誘にゃあくれぐれも乗っ
……我ながらなかなかエ
†
似た話で、漢字の読みの差異ってやつもありますね。
たとえば「目の敵」は一般に{めのかたき}と読むもので、これを{まのかたき}と読んだ人にいちいちツッコミ入れてるのをよく見掛けます。
でもこれ、{め}は現代読みで{ま}は旧読みってだけで、意味的には何ひとつ変わりありません。
むしろ、そこまで言うならちゃんと{めのてき}と読んでるんだろうな(※「
ついでに、「
ほか、「役務」も一般には{えきむ}で、これを{やくむ}と読んでる人にも同じくツッコミ入りますけども。
これも、{えき}は漢音で{やく}は
つまり音読みするとき、漢音に沿うか
そして結局には同じ意味になるんだから、そんなものはどちらでもよろしい‼
つまり、漢字は表音文字じゃなくて表意文字なんだから、その漢字を指してるって事だけ
もちろん、野放図にしてしまうと発音バラけまくって収拾つかなくなるんで、本則みたいのは有ったほうがいいですけども。
ゆうても「役務」を{やくむ}と発音されて
というか言語自体、意思の伝達をするために存在してる物じゃあないですか。
それってつまり、「
それは言い換えるなら、「意さえ伝わるなら、
じゃあ多少そこに、辞書通りでない発音が有ったとして、意味的に間違ってないなら問題も無くないですか。
こだわる所を間違えてませんか、いったい何のために
だいいち辞書ってこれ、国が法として
かつ、「
つまりそんな物はただの「著作物」、ただの「参考書」であって、法典でも聖典でもないはずでしょう。
なのにそこで
†
って思ったんだけど、〝現代仮名遣い〟に関する内閣告示。
よく確認してみるとそれ自体は、要約するとこう。
◦ 主として口語体のよりどころを示すものであって、正しいものとして規定するわけでも、各専門分野や個人の表記にまで及ぼそうとするものでもない
……はー
この告示の内容もまあ、表音文字教のなせる
じゃあこれ完全に、ヴァカが「目安」を「正規」と勘違いして広めてるだけじゃん。
ざけんな、
いわゆる〝誤用警察〟のみなさんって、割とそういう本質からそれた、的外れな事ばっかり言ってたりするので、「あーはいはい」とテケトーに受け流しとくが吉です。
ま、ぶっちゃけこれも〝表音文字教〟の
やーいやーい邪教邪教(
†
そもそも〝表音文字教〟って、マジ邪教なんですよ。
表音文字の利点は、〝ごく限られた数の文字だけで、すべての語が表現できる〟ことだと。
そんなふうに
それで表現されるのは飽くまで「
さっきも出ましたが、同音異義語の多い言語圏だと「発音が
よしんば「
こんなんじゃあ、どれが何の「のり」なのか全然わからんじゃん。
表記から得られた
ほらやっぱ、〝すべての語が表現できる〟なんて大ウソじゃん!
日本語で漢字が使われるのも、平仮名もまたそれくらいには「役に立たない」からだし、逆に言うなら日本語ってそれくらい、漢字に依存してるんですよ。
え、「のりをたべる」なら
なに言ってんだ!
みんな小学校時代には
ま、本来「
あの授業ってあれ、いったい何を伝授してる業なんでしょか。
あ、ども。
国語も音楽も赤点だったボカロPのアカウントはこちらです(
†
そしてこれは英語の話ですが、さらに加えてもう一つの問題。
◦ 〈
◦ それと〈風〉も「
◦ あっそういや〈婦人〉も「
……表音できてねえじゃねーか!
なにが〝アルファベットは表音文字です〟だ‼
なにがテヘッ♡だバカヤロウ(
これ、日本人が英語に取っつけない最大の理由じゃないですか。
だってこれじゃあ、アルファベットの基本的な発音知ってても、音読すらまともにできないじゃないですか。
日本の表音文字たる平仮名でもまあ、例の助詞とかで多少の揺れは有りますけど、こんなひどい発音の裏切り方はしませんよ。
〝アルファベットはひどい〟、はいこれ
あっ大丈夫です、英語圏の人はたぶんこれ同意しますから(
実際、あっちの人たちって基本的にルールに忠実なんで、許せないとか恥ずかしいとか内心思いつつ
〝言葉とは時代によって
でも結局、まったく同じ表記の語に対しても、ニュアンス的な差異を持たせたいってニーズって、かならず発生してくるんですね。
かと言って、発音の揺れごとに新たな
たとえば冒頭にも出した、〈通過する〉という意味の「
こいつの表記の揺れをカウントしてみよう、なんて奇特な方がいらっしゃったようで。
そしたら何と、実用されてたのが確からしいものだけで、五百通りを超えるバリエーションが見つかったそうな。
おい信長、秀吉、家康、ホトトギスなんかに
中世の英語とか大体そんな感じだったようで、複数の表記がない単語は無かった、とまで
これを全部辞書に載せよう、なんて事をやり始めたら、一体どうなってしまうのか〜⁉(
近代になってやっと「こりゃあアカン」ってなって、標準化が図られてきてるようですけど、未だに{throu}だの{thru}だの残ってますからねえ。
そんなわけで、表音だけで語を表現しきろうだなんて、
そこに目をつぶり続けてるかぎり、〝表音文字教〟は邪教でしかないんじゃないすか。
あ、ども。
英語も赤点だっt以下略(
そう考えると、表音文字と表意文字の入り混じった日本語というのは、実は結構理想的なスタイルなのかもしれません。
意を強調したいのか
というか根本的な話、「聴覚情報で伝える」のと「視覚情報で伝える」のって、冷静に考えたら全然別の行為じゃないですか。
なのにその手段を無理繰り共通化させる、メリットとデメリット、割と後者に
「文語」と「口語」っていう対比も有ることですし、どうも〝書き
そういう観点で、漢字ってものすごい発明品だと思います。
†
あ、ただし発音に気を付けたほうがいい、という場合も有りまして。
語が連続するときに濁る
逆に、連続している語をあえて濁らせないことで、それらが
その遣い分けの例としては、たとえば「間髪いれず」という
これ、{かんぱつ}って読むのはちょっとマズくて、{かん・はつ}と濁らせないまま、かつ{は}にアクセントつけて言ったほうがいいやつなんですね。
というのも、これは〝
ここ濁らせると
ゆえにそこは、区切れることを明示しといたほうが
まあ濁ってても伝わる、って言えばそうなんですが、より
あるいは、〝
と、こんなことを普段から考えたりしてる
たてごと♪さんの、ことばノート たてごと♪ @TategotoYumiya
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