知らないままの方が良かったなってことがちょいちょいある

 

「ところでさ、和佐……」


「何だよ?」


 結局免許を取得するという話は何の進展もなく切り換えられて、和佐は不機嫌に返事する。

 前を走る車がノロノロと走っているのも、不機嫌さを加速させる。

 若葉マークなどがついてるならまだ許せるが、前を走る車にはそれら何かしらを示すマークはついていない。


「この真ん中についてある、大きな赤いボタン何だ?」


「何だ、って自爆スイッチだよ」


 車線を変更して、ノロノロと走る車を追い越す。

 横を過ぎる際に中を覗くと、カップルがイチャついているのが見えた。

 和佐は窓を開けて煙草を投げつけたくなったが、クソがっ、と一言口に出して怒りを抑えた。


「は?」


「ああ、すまない。もうオッサンだってのに、あんなのにイライラしちまった。最近どうもなぁ……いや、逆に歳だからイライラすんのかもなぁ」


 和佐は右手で左肩を揉みながら言う。

 若い頃に見た中年男性の疲労アピールだ。

 今になると少し気持ちがわかる気がした。


「……じゃなくて、自爆スイッチって何だよ!?」


 那谷は車の、一般的にはカーナビが設置されている場所を指差して声を上げた。

 そこには大きな赤いボタンがあった。


 

「いや、だから、自爆スイッチですけど?」


「え、何その『今さら聞くなよ』みたいな感じ?」


 那谷はちょっとだけ和佐の口調を真似てみた。


「いやまさに、今さら聞くなよ、なんだけど」


 那谷の物真似に和佐はイラッと来ていたが、つい先程短気になったことを反省したところだったので流す事にした。

 それよりも那谷の質問である。


「ああ、えーとえーと。和佐、俺にわかるように説明してくれ。何で自爆スイッチについて聞くのが、今さらなんだ?」


「いやぁ、大体の車にはついてるからなぁ。自爆スイッチ」


 和佐の言葉に那谷は眉間を左手の親指と人差し指でつまみながら、うーん、と唸りだした。


「なぁ和佐、ふざけてるならやめとけよ。三十半ばになってこんな手の込んだ嘘――」


「嘘じゃねぇよ。何だ、免許取得してないとこんなことも知らないんだな」


 口調が強くなり出した那谷の言葉に被せるように笑いながら和佐は言う。

 コミュニケーションの手段というのはやはり嘘だと那谷は思った。

 和佐は人を馬鹿にしているのだ。

 今まさに馬鹿にされているのだ、と那谷は思った。


 

「よし、わかった。そこまで言うなら試そうじゃないか」


「は? お前、馬鹿か。自爆スイッチだって言ってるだろ!」


 赤いボタンに右手を伸ばそうとする那谷を、和佐は慌てて左手で制止する。

 慌てたので車の運転が一瞬乱れる。

 左にぶれた車体が横を走る車にぶつかりそうになる。

 おわっ、と那谷と和佐が同時に声をあげる。

 和佐は直ぐ様ハンドルを右に戻し難を逃れた。

 横を走る車から苦情のクラクションが鳴る。


「な、何してんだよ、ちゃんと運転しろよ」


「お前が悪いんだろ、スイッチ押そうとなんてするから!」


「確かめようとしただけだろ」


「確かめたら終わりだろうが、お前馬鹿か!?」


 さすがの和佐も笑えなくなっていた。

 那谷に対しては昔から笑えないと思う事が多々あった。

 マイペースすぎる那谷にはイライラしてしまうことが多く、コミュニケーションを取ろうという気を削がれてしまう。

 今ももうこれ以上、那谷を車に乗せていたくなくなった。

 ぶつぶつと何か反論している那谷をよそに和佐はアクセルを踏み込んだ。

 早く那谷の次の現場について、おさらばだ。



 

「あのね、法定速度って知ってる?」


 白バイの警官はガムをクチャクチャと噛みながら和佐に問いかけた。

 和佐は苦笑いしながら、もちろんです、と答える。


 気づけば車は時速120kmで走っていた。

 とにかく早く那谷を降ろしたい一心で運転していた和佐は、踏み込みすぎていることにまったく気づいていなかった。

 ただでさえ速度が出るように改造された車であるので普段なら気をつけていたのだが。

 白バイのサイレンで我に返った和佐は、白バイからの呼び掛けで全てを諦めて車を止めた。


「一緒に乗ってる人もね、何で止めなかったの……って、アンタ何やってんの?」


 警官は助手席に座る那谷に声をかけた。

 那谷は返事をすることなく、右手をそっとボタンの上に置いた。

 和佐は今度は止めずに、ただ息を飲んだ。


「何やってんのって聞いてんの? 何そのボタン?」


「自爆スイッチ、らしいです」


 声を震わせながら那谷は答える。

 は?、と警官は那谷が何を言っているのか理解できなかった。


 

「その、我々殺し屋なんてものをやってまして、こう警察と関わっちゃ不味いんですよ。ましてやスピード違反なんて、調べられたらまぁ色々ホコリもでちゃいますし」


 和佐が早口でまくしたてる。

 警官はまた、は?、と言い那谷と和佐の両方の顔を見た。

 顔の皺からも三十代ぐらいと見てとれるいい大人が、自爆スイッチだ殺し屋だと言っている。

 ああこれは薬物だな、と警官は応援を要請せねばと考えた。


「あのね、聞き返しますけど、それ自爆スイッチなの?」


 警官は薬物使用の確証を得るために質問を繰り返してみようと思った。

 薬物使用者や所持者の取り調べなどしたことはなかったが、しつこくいけばボロが出るだろう。


「じゃあ、ちょっと押してみてよ」


 警官の言葉に那谷は神妙に頷いた。

 和佐は溜め息を吐いた、ありったけの溜め息を吐いた。

 最後に一本煙草を吸いたかったが、お気に入りの銘柄は買い忘れていたので諦めた。

 警官は集中して二人の様子を見ていた。



 そして、那谷はボタンを押した。


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閃光のような鮮やかな爆発への憧れ 清泪(せいな) @seina35

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