とある強欲冒険者の異世界冒険メシ"今日は肉が食いてえ!日に肉の悪魔と米の神に捧げるワイルド・バッファローのステーキ・ライス"
しば犬部隊
肉の悪魔と米の神とトオヤマナルヒト
「ーー今日は肉が食いてえ」
それは、天啓だった。人にはたまにコレが現れる。
ある日のこと。
遠山鳴人が目を覚まし、日課の庭での早朝鍛錬を終えた直後の発言。
教会の銭ゲバ主教から月に金貨5枚の家賃で借りているこの屋敷には井戸付きの広い中庭がついている。
冒険都市を囲う大壁が朝日によって紅く染められていく。
遠山は上半身裸のまま、それを眺めて何かに取り憑かれたようにぼそり。
「ディス? 急にどうしましたディス? 今日の食事当番はラザールディスよ、なんでもこの前、南領の港町から仕入れたスパイスを使って何か作るとか言ってましたけど」
鍛錬に付き合っていた水色髪の少女。
流れるような水色の髪を結い直し、タオルで汗を拭っていた。
天使教会第一の騎士にして、遠山鳴人の一味、ストル・プーラ。怪訝な顔で口を尖らせた。
「ストル、俺、もう今日は肉が食いてえんだ」
動きやすいインナー姿の彼女に見向きもせず、遠山は茶色の瞳に朝日を灯したまま、つぶやく。
スイッチは急に入ったのだ。
遠山鳴人は、この異世界に来る前からも身体の中に悪魔を飼っていた。
それは夢の中のパン文書館の灰髪メガネ泣き虫物知りギャルや、湖にいる怪しいお札封印マッチョたちとは別の存在。
ーーハラミ。
ーーリブ。
ーータン。
ーーランプ。
「肉が、食いてえ」
それは、肉の悪魔。
食欲の権化。人に肉を食べさせるだけに存在する衝動の源。
さまざまなストレスや苦しみを抱えて生きていく現代人。彼らの中に棲まうその魔物を遠山もまた例に漏れず飼っていたの。
そしてその魔物は、異世界に転移した今もこうして再び、遠山の中で今まさに、荒れ狂い始めていた。
「まあ、お肉が食べたいんなら、塩漬け肉が少し残っていた筈ディス、ドロモラの商会から買ってたもの残りがー」
ーーダメ、シオヅケ、カライ、ツメタイ、カタイ。
肉の悪魔は、グルメだ。保存食では満足してくれない。
「違う…… 今日はそれじゃダメだ」
ストルの言葉を遠山が静かに、しかし強く遮る。
「焼き肉、ハラミ、牛タン、しゃぶしゃぶ、すき焼き、トンカツ、ホルモン…… ああ、肉が食いてえ」
竜と戦ったり、蛇の化け物と戦ったり、その他なんやかんや死にかけたりしながらも、割とこの異世界での生活をエンジョイしてきた遠山だが、今ほど現代が恋しくなったことはない。
ここには気軽に行ける焼肉屋も、肉が食べ放題のシュラスコの店もない。
ーーカンケイナイ、クワセロ。炭火焼き、ハンバーグ、シロコロホルモン、マトン、ポーク、"ビーフ"
「ビー、フ」
でも、もうその衝動は抑えられない。
肉が、食べたい。
肉を喰わせろ。
脂をじゅうじゅう鳴らし、香ばしくワイルドな香りを放つ肉を喰わせろ。
筋を噛みちぎり、熱々の肉を頬張れ。
ーー"ステーキ"
「肉が、食いてえ」
肉の悪魔からの指令は止まらない。遠山鳴人は朝日の中、考える。
ここは異世界、わかりやすいファンタジーな冒険都市。焼肉屋がない。シュラスコがないのなら、焼き鳥屋もスーパーもない。
だが、遠山鳴人は知っている。この世界には奴らがいる。生命に満ち溢れた猛々しい生き物。
モンスター。彼らは強く、恐ろしく、そして。
ーーモンスター ニク、ウマイ。上質なジビエと牧畜肉、その両方のウマサ。
肉の悪魔は知っている、それを飼う遠山鳴人も知っている。
「よし、決めた。肉を狩りに行こう」
モンスターが美味しいことを。美味しいモンスターがこの世界には存在していることを知っているのだ。
「ストル、ラザール起こしてギルドん行くぞ。もう俺完全に入ったわ、グルメスイッチ」
遠山鳴人は、モンスターを狩り、金を稼ぐ、冒険者だ。
肉の悪魔によって刺激された肉欲を、その欲望をもう遠山は抑えることはしない。
「あー、まあ、ニコちゃんたちに美味しいもの食べさせるのは賛成ディス。付き合いますディスよ」
朝日に照らされ、冒険都市の一日が始まる。
既に遠山の頭の中には肉がじゅうじゅう焼ける音と、肉汁がプチプチ弾ける音が踊り始めていた。
「よし、決まり。今日のメシは牛のモンスター、平原地帯のワイルド・バッファローだ、肉を食うぞ。欲望のままにな」
ーー例え、異世界だろうとなんだろうと人は生きる限りその欲望には抗えない。
人は好きなものを好きな時に好きなように食べることでしか満たされない時がある。
この物語はとある冒険者、遠山鳴人が転移した異世界オープンワールドで送る生活の中、欲望のままにその時食べたいものを食べるだけのなんのへんてつもないお話である。
〜とある強欲冒険者の異世界冒険メシ1食目目。
"平原地帯のワイルドバッファローのステーキ・ライス"〜
◆◆◆◆
………
……
…
「で、ナルヒト、今日は一日オフだと聞いていたわけだが、どうして俺は今荷車を引いて冒険都市を出ようとしているのか確認してもいいかな?」
脳を揺らす渋い低音ボイス、鋭い牙に、縦に裂かれた大きな瞳孔。
喋るトカゲ男がそこにいた。
白い鱗に茶色の革鎧、トカゲ人間、"リザドニアン"のラザールがぼやく。その尻尾は不服そうにへにょりと垂れ下がっていた。
「恥ずかしながら食欲だ、俺のわがままとも言える、すまん、ラザール」
遠山は表情一つ変えずに、ラザールと共に大きな荷車を引きながら、今まさに冒険都市の西門を潜り抜ける。
「……大人が開き直るとタチが悪いな。はあ、まあ、ナルヒトの思いつきや突破な行動はいつものことだ」
ラザールがため息をついてぼやく。彼は遠山鳴人のこの世界でのはじめての友人にして、仲間。
ひょんなことから始まった付き合いは、ラザールに遠山の奇行に対しての諦めにも似た慣れをもたらしていた。
「ディス、ラザール、それにしてもこの男の顔つき、やばいディス。見てください、ただでさえ目つきが悪くて、悪い顔なのに今はさらにそこに剣呑さがプラスアルファされていますディス、朝日を眺めながら肉がどうのこうの30分以上、つぶやいていたのディスよ」
「ストル、お前人ディスるときだけ語彙豊富になるのなんなの?」
呑気な会話をしつつ、遠山の一味が冒険都市の外に出る。
風が、吹き抜ける。目の前に広がるパノラマ、地平線が覗けそうな広い草原が一面に。
風が吹くたび、緑のカーテンがなびいていく。上を見上げれば吸い込まれそうな青い空。広く、高い。
遠山のいた現代とは、空の青さがまるで違う。
「相変わらず、良い景色だな」
「だが美しさの中に危険は潜む。もうここは冒険者の狩場であり、モンスターの狩場でもある、ナルヒト、気を引き締めていこう」
「ああ、もちろん。サーロインにリブ、ランプが俺を待っている」
「微妙に気合の入り方が間違えてる気がしますディスが…… どこから探しますディスか? ワイルドバッファローは群れを持ちません。この広い草原の中探すのはなかなか骨が折れる気がしますディスが」
「いや、問題ねえ、今日は肉を食いに来たんだ」
「……ラザール、トオヤマはやはり頭がおかしいのディスか? 話がいつも以上に通じないんディスが」
「話が通じないのはいつものことのような気もするが、今日はひとしおだな」
虚な表情の遠山を仲間達がヒソヒソと遠巻きに噂する。
たしかに通常ならば獲物の捜索には時間がかかるだろう。
ーーホルモン、シマチョウ
「……近い」
だが今日は違う。遠山鳴人は導かれている。肉の悪魔によって。
ーーニク、リブ、サーロイン。
ーーイドメ、タタカエ、モトメヨ、ソシテ
「ブモオオオオオオ」
空気が揺れた。草原の向こう側、空気が響き、おじいていく。
黒い塊がいた、それはどんどん大きくなってきて。
「おい、ナルヒト、まさか、あれ」
「ええ…… 今の雄叫びって、もしかして」
ラザールとストルがどこか疲れたような顔でぼやく。ぼやきながらも2人はそれぞれ武器を引き抜き、表情を静かに消していく。
ラザールの縦長の爬虫類の目が大きく縦に裂ける。
ストルの水色の瞳がすうっと、なんの色も写さない静かなものに変わっていく。
奇行を隠さない友人に呆れる者の顔から、狩る者、冒険者の顔に変わっていく。
ラザールは腰に備えた大振りのナイフを逆手に構える。
ストルは鞘から細身の剣を引き抜く。剣身の上を陽光が滑るように反射して。
「来た」
遠山がつぶやく。
草原の青い草、白い花々を踏みつけ、散らし、泥を巻き上げながらこちらへ大激走。
牛だ。
雄々しいねじれ角。針金のような毛皮。躍動する四つ足に巨大な身体。そして、さかまくたてがみ。
小型バスほどの大きさの牛のモンスター。
獣毛種、2級モンスター、ワイルドバッファロー。
ーーニクヲモトメシモノよ、ワレヲコエテミロ!
肉の悪魔が、叫ぶ。それは遠山にとっての都合の良い幻聴に過ぎない。
しかし、遠山にはそれが導きに聞こえていた。
「ッッ!! ナルヒト、ストル! ワイルドバッファギューだ!! でかいぞ!」
「ディス! トオヤマ、指示、をーー?! は?」
ラザールとストルが武器を構えて叫ぶ。ラザールは現状の報告を、そしてストルはトオヤマへの指示要求を。
いつもの役割通りに、いつも通り、冒険者達が動いて。
「肉ウウウウウウウゥヴヴヴヴヴヴヴヴオオトオオオオオオオオ!!」
「「はあ?!」」
全くいつも通りじゃない男が1人。
肉の悪魔の叫びとともに、遠山が、真正面から駆け出す。
自殺行為とも言えるその行動に仲間たちが目を丸くして。
ーーワレヲ、クラエ!!
「おうよ! イタダキマアス!!」
都合の良い幻聴に元気よく答える、今日は遠山はもう肉を食いに来たのだ。肉を前にした人間に、IQはない。
角、角、角。遠山の眼前に牛のモンスターの角が迫る。喰らえば大怪我では済まない、その一撃。
ーーイドメ! ワレニ! ニクニ敬意を!!
「オオオオオオオオオオ!!」
「ブモオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
肉の悪魔の導き通り、遠山は挑む。
目を逸らさず、方向を逸らさず。
数ある遠山の武装のうち、最近新調したものの一つ、ドワーフの工房で購入した数打ちの鉄の槍。
それを構えて真正面。
「バカ、ナルヒト! ぶつかる気か?!」
ラザールが悲鳴をあげて。
「いや、違う、ディス!」
ストルが、驚愕の表情を。
「ブモオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ」
重機の如き勢い、角を構えた暴れ牛のモンスターが遠山に突っ込んで。
ーーイマ!!
「今!!」
ズサアア!!
地を這う、這う。スライディング。槍を脇に畳むように構えて、遠山が足から地面に滑り込む。
「ブモ?!」
その巨体は脅威。人なぞ容易にバラバラにする膂力の塊。だが、巨体ゆえに、その牛角には死角が存在した。
突撃してくる牛に対してのスライディング、自殺行為にも等しいその行動は紙一重で牛角の死角、地面と角の空白のスペースに遠山を運んで。
「肉がァ! 食いてエ!!」
ずぶ。
ガラ空きの、腹に槍を突き上げる。鼻先を角の先端が掠めて、体の脇を牛の蹄が踏み固めて。
「ぶ、も」
ーーミゴト。
遠山鳴人の上を、ワイルドバッファギュー通り過ぎた。
「ぶもおおおお、……」
ずしん。力なく、その巨体が横に倒れる。一瞬で勝負は決まった。
「ふう、ありがとう、肉の悪魔」
無意識に遠山は、倒れたモンスターへ歩み寄り、手を合わせる。
今はもう遠い故郷の礼儀。食事にはそれが必要だ。
「いただきまーー」
手を合わせて、目を瞑り、食材となる命に感謝をーー
「「お前マジで何考えてんの?」」
「あ、ヤベ」
次の瞬間、遠山が目にしたのは割と本気でキレているトカゲ男と、水色髪の少女騎士のマジキレ顔だった。
◆◆◆◆
…………
……
…
「ぶっすー」
「むすー」
「ヘイ、ヘイヘイヘイヘイ、ラザール、ストル、だーから、俺が悪かったって。ほら、悪かったてさー」
「……ニコ、ラザールさんとストル、なんであんな感じなの? せっかくのご馳走なのにさ」
「ストルちゃんに聞いたけど、お兄さんがモンスターを倒す時に、危ないことをしたらしいわ。ラザールさんとストルちゃんを無視して、1人でモンスターに挑んだって」
「あー、なるほど。アニキがそんな真似するなんて珍しいな。んで、ラザールさんがいじけたてんの珍しーわ」
「みんな仲良くすればいいのにー、ねー、ペロ」
「ダウ」
「はあ、俺が悪かったって。もうしねーからさ」
「……ナルヒト、こちらの身にもなってくれ。今日のアンタは本当にいつもよりおかしい」
「ディス。あなたがイかれてるのは既に知っていましたが、今日はほんといつもよりどうしようもないディス」
やべえ、思ったより怒られてる。
遠山が、割と本気でキレている仲間たちへの対応に迷う。こちらを心配しての怒りなのでおちゃらけて流すのも違う。
さて、どうしたものかと考えて。
ーークワセロ。ナカマタチニモ"ニク"ヲクワセロ
ーークワセロ。アツアツジュウジュウのステーキをクワセロ
「肉の悪魔…… わかったよ。信頼は肉で取り戻すことにする」
「ラザール、彼、大丈夫ディスか?」
「手遅れかもしれん」
「よし、少し待ってろ、今日はもう俺が至高の逸品作ってくるから!」
「……追い詰めすぎましたディスかね?」
「……まあ、反省はしているようだな。腹が減ったのは確かだ、それに、結果だけ見れば全員無事ではあるしな、ここまでしておけばすぐにはバカなことはしないだろう」
どこか生暖かくなりつつある仲間たちからの視線を背中に受けつつ、遠山はキッチンに移動する。
仲間達からの信頼は肉で取り戻す。それに何よりもう肉が食いたいという欲望が限界で。
「さて、とりあえず、ステーキを作ることは決まりだ。それにパンの残りがあったからそれを合わせて……」
ーーなりません、人の子よ。
声が、聞こえた。
遠山の耳だけに響くその声に、思わずまた動きを止める。
ーーアツアツの肉汁したたるステーキ。香辛料とニンニクで決めたそれと一緒にあなたが本当に食べたいものはなんですか?
ーー例え世界が異なろうとも、あなたの中にはニホン人の血がたしかに連なっています。
ーーあなたは知っているのです、お肉と共に食べるべきその素晴らしい食材の名前を。
また新たなる食欲の悪魔の声、清廉で広がる声。
一面、黄金の毛並み、いや、稲穂が風に揺られるイメージが広がって。
それは悪魔の声ではなく。
「こ、米の神……」
新たなる食欲。
コメが食いてえ。熱々の肉と一緒に米をかき込みたい。
肉汁の絡んだツヤツヤテラテラのお米をかき込み、水で流し込みたい。
「……献立は決まりだ」
言うやいなや、遠山の行動は実に早かった。
「米」
ある商人から仕入れたそれ。
完全にパン食メインのこの地域ではほとんど栽培されていないが、帝国東部のごく僅か限られた地域に広がる田園地帯でのみ生み出されるそれ。
「帝国ライス…… キロ金貨5枚のやべえ贅沢品だが、今日の俺はもう肉と米しかないんだ」
手慣れた手つきで遠山が米を洗い始める。水桶に貯めていた冷たい井戸水を柄杓で掬い、ボウルのような食器に溜めていく。
「水道ってほんと神設備だな」
シャバシャバと簡単にすすぎ洗いをして、鍋の中にまた水を入れ、洗った米を注ぎ入れる。
しばらくこれで、放置。
次は肉の下処理だ。
「筋引いたりとかはめんどいからこれで」
手に握るのは簡素な木のフォーク。それを逆手に構えて思い切り肉に突き刺す。
その上に、この世界ではかなり貴重な黒胡椒。
「思ってる3倍かけて…… やべ、使い過ぎた、ラザールに叱られる。……ドラ子に土下座してまた分けてもらうか」
恐らく竜大使館に、醤油を借りるテンションで出かけて香辛料を分けてもらえる人間はこの世界で遠山鳴人ただ1人だけだろう。
「はい、次」
解体の際に別に分けておいた脂肪分、言うならば牛脂の塊。ビンに入れておいたそれをスプーンで掬い取る。
「へいへいへーい」
穴ぼこにした真っ赤なステーキ肉に牛脂を塗りたくる、昔、知り合いに教えてもらった美味いステーキの食べ方だ。
「あとはここにアジノモトがあればなー。……人知竜に頼めばもしかしてワンチャンあるか?」
食のために、魔術の祖、空に浮かぶ魔術学院の護り竜にして、最も古い竜の1人に頼みごとをするかどうかまじめに検討する遠山。
しかしなんか代償がありそうなのでいったん諦める。
「よし、下処理完了、あとは……」
人知竜から貰った火の輝石を何度か打ち付けて、かまどにくべていく、あらかじめ薪を入れているそこに、自ら燃える魔術式を施された石が火種となって薪を舐めていく。
「よしよし、米を炊いて、と」
炊飯器が恋しい、まあ土鍋で炊いてる気持ちで諦めるか。
遠山は次に、かまどの空いたスペースに鉄のフライパンを置く。この世界には絶妙に遠山のよく知る形のフライパンがなかったため、これもドワーフの工房で作って貰ったものだ。
牛脂を引いてすぐにパチパチと脂が弾け始める。
滑らかに溶け始めた脂をフライパンを揺らして広げる。
「参る」
ーーユケ。
寝かした肉を静かにフライパンへ。
じーーわーー
脂の弾ける音、肉が焼ける音。遠山の中の肉の悪魔がタクトを振るう。
ああ、良い。
目を瞑り、ただ、静かに遠山はその音を聞く。
薪の焼ける匂いと肉が焼け、同時に登る黒胡椒の芳醇な匂いが鼻に広がる。
「……金、稼ぐぞ」
これだけでもう狩りに対するモチベーションが上がっていく。
たくさん働いてたくさん食べてたくさん遊ぶ、なんだかんだ人間の幸せとはそこに見出すことが出来るのではないか。
肉の悪魔のささやきでかなりアホになっている遠山はアホなことを考えながらも、そのタイミングを待つ。
肉の火入れの状態を考える、まだか?
ーーマダ。
「もういいだろ」
ーーマダ、マテ
ぶつぶつと肉の悪魔と語り合う遠山。その目つきは、もはやまともな人のそれではない。
「お、お兄さん、あれ、大丈夫?」
「あ、アニキは正気なのか?」
「い、色々あるのよ、大人には」
「……残念だ、みんな席に戻ろう」
心配して様子を見に来たらしい子供達とラザール。ルカとリダ、ニコは怯えた目で慄き、ラザールは何か疲れたような目で首を振って子供たちを促し、そっとその場を離れた。
頂点は常に1人。
真のグルメとはいつも孤独なのだ。遠山は少しショックを受けつつも肉と向かい合い続ける。
じゅ、ジューー
音が、僅かに小さく。
「っ!!」
ーーイマダ!
「ーー!!」
細い目を見開き、無言で肉をトングでひっくり返す。本当に美味いステーキを食べるのならひっくり返すのは一度だけ。
遠山は逃すことのできないチャンスをものにして。
ーーミゴト
肉の悪魔もこれにはニッコリ。後方師匠ヅラで腕組みしつつ、脳裏の彼方に消える。
「ふう……」
冒険の時よりも消耗した体力、思わず息をつく遠山はしかし、何かをわすれている違和感に動きを止めた。
「なんだ、俺は、なにを忘れている?」
それは急いで荷造りをした旅行の出発直前、家の鍵を閉めた瞬間に襲ってくる忘れ物の気配に似ていた。
その時は決して思い出せないが、ホテルについた時にあ、アレ忘れてるわ、と思い出す奴だ。
「落ち着け、肉の悪魔、俺は何を忘れている?」
遠山は己の中の肉の悪魔に問いかける。
かた、かたた、かたたた。
揺れる、音。
遠山がその音の方向に、勢いよく視線を向ける。
かた、かたた
ーー定命の者よ、ふきこぼれです。時は満ちました。
「米の神ーー!!」
吹きこぼれている、鍋。
米だ。米を炊いている土鍋の蓋があぶくで僅かに持ち上がり、かたかたと鳴いている。
遠山にはそれが、オーケストラの始まりに聴こえていた。
ーーニク、イマ
「っは!!」
焼いた肉、フライパンを瞬時にかまどから取り出し逃す。
本当ならアルミホイルか何かで肉を休ませたいが残念ながらこの世界にそんな都合の良いものはない。
木の皿に優しく肉を乗せて、上から底の深い皿を被せて余熱での最後の火入れを行う。
ーースバラシイ。
肉の悪魔もこれにはご満悦。
だが
ーー定命の者よ、はじめチョロチョロ中パッパ。黄金の法則を忘れた、と?
「ま、待て!」
吹きこぼれ続ける土鍋、米の神、立腹。
今までにないほど取り乱す遠山、恐らくこの世界に来て何度も死にかけているが、これほど焦った顔を見せるのは初めてかもしれない。
「ま、まずい、火、火が強すぎる…… くそ、薪を……」
悲しきかな、火加減の難しさ。現代ならばガスコンロのつまみを回せば済む話だが、ここは異世界、そんなものは、ない!
薪の熾す火の調整は難しい。熾火になるまで燃やしたり、本数を調整したり。だがいまの遠山にはもう時間がない。
「く、そ。鍋をいったんどかして!!」
かまどから鍋を避難させようとする遠山、しかし
ーーなりません、一度火にかけた米を火から離す、それは黄金律に反します。逃げることは許しません、戦いなさい
米の神、想像以上の原理主義者! たまにいる異常に米の炊き方にうるさい人間と同じ反応。
「米の神ィ……」
ぎりりと歯を食いしばるIQ50くらいの遠山。食欲に取り憑かれた彼にもはや理性はない。
「うわあ……」
「ストルねーちゃん、おにーさんどーしたのー?」
「だう」
「……戻りましょうディス、ペロ、シロ。バカに関わるとあなたたちまでバカになりますディス」
ラザールたちに続いて、様子を見に来たらしいストルと子供たち。
しかし米の神ィ、とか言ってる遠山を目にした瞬間、優しい目をしてすっと厨房から去っていく。
「まずい、俺の信頼度がどんどん下がってる気がする」
かた、かたた。揺れる土鍋、どんどん圧を増す米の神の言葉。
逃げ場もない、料理をしているだけなのに仲間たちからの評価はどんどん下がり、恐らくこのままでは米炊きに失敗する。
追い詰められた遠山が動きを止める。
だが、それでも思考だけは止めない。すすむ、進む。
例えどれだけ困難でも、例えどれだけ強大な試練でも、遠山鳴人はそれがある限り止まることはない。
「今日は肉と米だ。肉と、米なんだ……」
欲望のままに。
遠山鳴人はそれを叶えるためならば手段を選ばない。
ーー定命の者よ、残念です
かたたた。
火力、このままでは確実に米は焦げつきーー
「まだだ。ーー"遺物、霧散"」
それは、遠山鳴人の最強の探索道具。
"竜"をすら滅ぼす、この世の道理から外れた力。
ズッーー
遠山鳴人が首元に手を。瞬間、首からひきだされるのは古びた柄、欠けた刃。
「来い、"キリヤイバ"」
瞬間、マシロの霧が遠山の首元から噴き出す。それは遠山の意思に従い、支配下に置かれた超常現象。
ゆっくりと白い霧がかまどの火の口に流れこみーー
「切り刻め」
じゅ、ば、ジ。
キリが、火にまとわりつく。かと思えばそれを喰らうように瞬いた。
切っている、斬っている、喰らっている。
薪と、燃え盛る火を共にキリがズタズタに切り裂いていく。
ーーな。んと
米の神の感嘆の声。
キリが、火を切り刻み、ちょうどいい弱火と熾火を作り出す。
土鍋は嘘のように落ち着きを取り戻し、均一に暖められた鍋をは米をじっくり炊いていく。
「ご苦労、キリヤイバ」
首に収められる欠けた刃、同時にマシロのキリもその姿を消していく。
世界一しょうもない遺物の使い方をした男は満足げに息を吐く。
静かに音をたてて炊き上がる米、ゆっくりと目覚めの時を待つ寝かせた肉。
肉と米の祭典の準備は整った。
…………
……
…
「少し、責めすぎたかな」
「……ディス、少し追い詰めましたディスね。なんか、一人でブツブツ言いながら料理してました」
屋敷のリビング、長テーブルに座るラザールたちは、厨房の様子を振り返り少し沈んだ声を紡ぐ。
無謀な行為を咎めたのは間違いではないだろう、だが、その結果がアレだ。
「なんか、肉の悪魔とか言っていたな……」
「米のカミとかも言ってましたディス、カミって、なんディスかね……」
肉の悪魔とか、米の神とかブツブツ言いながら半笑いで肉を焼き、米を炊く遠山の姿を目の当たりにした彼らは、皆口数を少なくしていた。
「ヒヒヒヒヒヒ、待たせたな、野郎ども」
バン! 勢いよく扉が開く。
話題になっていた肉の悪魔と米の神の信徒が、ニヤニヤと悪人ヅラを紅潮させてテンション高めに現れる。
遠山鳴人だ。
蓋付きの大皿を無駄にしなやかな動きで机に乗せて、それぞれに取り皿を配る。
「よし、がきんちょども。手は洗ったか? 待たせて悪かったな。飯にするぞ、飯に」
「あ、アニキ、大丈夫、なのか?」
孤児たちの最年長、リダが恐る恐る声をかける。遠山はフフンと鼻を鳴らし、親指をぐっと立てた。
「テンションが不気味すぎるんディスけど……」
「安心しろ、ストル。自覚はある。だが、今日の飯はすごいのが出来たぞ。全人類好きなやつだ」
「な、ナルヒト、その、すまない。少し言い過ぎた。だから、落ち着いてくれたらありがたいんだが」
「俺は冷静だ、ラザール。それよりもう飯にしようぜ」
「「ああ、うん」」
遠山鳴人のギラギラした目に気圧されたラザールとストルはもう諦めたように笑って頷いた。
「あれ、なんか、いい匂い……」
ふと、金髪ふわふわ髪のちびっこ、ペロがつぶやいて。
「よく気付いた、ペロ。今日の飯はもうすごいぞ。たくさん食べろよ、俺もたくさん食べるから」
「いったい何を作ったんだ?」
ラザールの問いかけに、遠山が目を細める。
そして、一気に大皿の蓋を取り外した。
匂い、爆弾、肉、香り。
それは爆発、一気に部屋に肉の香ばしい香りと脂の匂いが広がる。
「わ、すご……」
子供たち、いや、その場にいる全員が皿に目を奪われる。
表面はこんがり、しかし断面はしっとりと僅かに赤身の残る一口サイズにカットされたステーキ肉。
それと一緒に炒められた米はしっとりテラテラ輝く。香辛料や肉の脂が絡まった白米は鈍色の存在感を放って。共に炒められたコーンが見た目を華やかに。
「ステーキ・ライス。今日は肉と米の日だ。はい、どうぞ!」
間違いなく美味い奴。
米食に慣れていないラザールやストル達、しかし皆押し黙り、無言で皿を手に持ちスプーンを握る。
ぐううううう。
誰かのお腹が大きく鳴って。
「いただきます……」
誰かが、いや、多分全員が小さくつぶやいた。
子供達、遠山がスラム街から拾い上げた彼らがまず最初に、それを頬張った。
「ん、ンンンンンンン!!?」
「うわ!! な、なんだこれ! 美味え!!」
「……おいしい…… おいしい!」
「ダウウウウウ!?」
「わあ、……わあ!」
子供達それぞれが、大きな歓声をあげる。かと思えばみんなすごい勢いでステーキライスを平らげていく。
「ごくり……」
「ゆ、ゆっくり食べなさい、君たち……」
ストルが生唾を鳴らし、ラザールも子供達を嗜めつつも尻尾を揺らして大皿を見つめている。
その様子を見た肉と米の奴隷、遠山がニヤリと笑った。
「どうぞ、召し上がれ」
「「い、いただきます」」
小皿に持ったステーキライス。ラザールとストルがスプーンを口元にはこんで。
「ッっっ?!」
「ハ、はハ、これは、驚いた……」
ストルが目を白黒させ、ラザールは笑い出す。
本当に美味いものを食べた時、人は笑うか驚くしかないのだろう。
2人もまた無言で皿に向き合い始める。
勝った。
ステーキライスに夢中になる一味を眺めて、遠山は息を吐く。
完璧な火入れによって外はこんがり、中はしっとりと焼き上げられた牛的な赤身のステーキ。
繊細に炊き上げられた白米、それをグレービーソースと一緒に炒めた欲望の一品。
遠山もまた、自分の分を皿に装う。
さて、お味のほどはーー
もぐり。
「ーーひ、ひ、ひひひひ」
お味のほどは、だと?
遠山は自分の呟きに思わず噴き出す。
苦労して自分で狩った食材に、薪と鉄フライパンで焼き上げたステーキ、そして高い米、グレービーソースで甘辛く炒めたコーン。
それらを香辛料で味を整えて、さっと炒めたステーキライスーー
「いや、美味いに決まってんじゃん」
一口食べた瞬間、遠山は顔を押さえて笑い出す。
牛、牛、牛牛。牛の深い肉の味、香辛料のガツンとした刺激をふっくらと炊き上がった米が受け止める。
「だが、その米に染み込んだ甘辛いグレービーソースが肉の深い味を引き立てる! そして噛めばプチプチと弾けるロコロココーンの楽しさ! 肉と米、米と肉! ソース! 永遠に食い続けられるぜええええ!!」
あとはもうかっこむだけ。
遠山たちはそれぞれ、目を剥き出してステーキライスをかっこむ。
人は決してそれには抗えない。米と肉の旨味の暴力になすすべなく陥落するだけ。
ーーウマイ
ーー見事です、定命の者よ
食欲のままにスプーンを動かす遠山達を優しく見つめる悪魔と神。
彼らが満足そうに消えていく。
例え世界が終わろうと、例え世界を敵に回そうと、例え異なる世界に放り出されようと、人にはそれが必要だ。
遠山の手も止まらない、甘辛いのとしょっぱいのと肉と米を平らげて、そして水差しに入れていた炭酸水をコップに注ぐ。
ステーキライスを頬張り、一気にそれを刺激の強い炭酸水で流し込む。
味の濁流、旨味と刺激で、脳がピリピリする。
「アー、マジで美味……」
遠山がステーキライスと炭酸水で優勝し一息ついて、それから食卓を眺める。
「美味い、本当に美味いぞ、ナルヒト」
ラザールが目を丸々と。
「く、悔しいディス、で、でも、止まらないディス…… うう、おいしー」
ストルが半泣きで。
「「「「うまああああああい!!」」」」
「……ほんとに、おいし」
こどもたちはニッコニコ。
美味いものを美味いと言いながら食べること。それがきっと、人には必要なのだ。
騒がしい食卓の時間は続く。
これは、永遠には続かない一瞬のひととき。決して戻ることのできない人生のひととき。
誰にも奪えない大事な時間。
遠山は、再びステーキライスを口に運ぼうとして。
肉の悪魔と米の神がいつのまにか消えていることに気付いた。
「ありがとう」
小さな呟きはすぐに、ステーキライスを頬張ることで消える。
小さな感謝と大きな歓びを手にして遠山は進み続ける。
美味いものを食べたいときに、食べたい人間と一緒に食べる。
それもまた、遠山鳴人がたどり着くべき光景の一つだった。
とある強欲冒険者の異世界冒険メシ"今日は肉が食いてえ!日に肉の悪魔と米の神に捧げるワイルド・バッファローのステーキ・ライス" しば犬部隊 @kurosiba
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