ほんとうの顔

赤蜻蛉

――――――


 私たちは、素顔を見られることに慣れていない。








「――先輩のことがずっと、好きでした」


 ――――春、三月。

 とある高等学校の屋上に、濃紺のセーラ―服の女子生徒と、学生服の男子生徒が立っている。男子生徒の胸元には、紅白のリボンのついた、ピンク色の花。手には筒状の証書入れ。今し方、卒業式を終えてきたという様相である。


 卒業式後の告白。どの学校でも見られる、定番のイベントである。

ただ、普通と異なるのは、2人ともということだ。








 未知のウイルスの出現から、10年。

最悪の場合死に至るこのウイルスを、人類はいまだに根絶できずにいた。


 この10年の間に、著しい進化を遂げたもの。

 その一つが、もはや生活必需品となったマスクである。

 目や鼻の粘膜から進入するウイルスを防ぐため、顔全体を覆う「拡張型マスク」が主流になった。目の部分に極薄の、透明なウイルス除去フィルターが付いており、視覚に影響がないようになっている。

 デザインも、初期から比べるとかなり多様になった。

 動物やキャラクターを模したもの。

 中世の仮面舞踏会のような、華やかなもの。

 能面のように、シンプルだがより個人にあった「顔」を選べるもの。

 人々は服を選ぶように、「顔」を選ぶようになった。


 生活様式もだいぶ変わった。

 感染予防のため、食事は基本的に個室で1人で摂る。学校や会社、飲食店には、1人用の個室が完備されている。眠るときですら、マスクを外さない人もいる。

だからこの世界では、自分の「ほんとうの顔」を知っているのは家族や恋人くらいのものだった。


 ――私たちは、素顔を見られることに慣れていない。

 中には裸を晒すのと同じくらい、抵抗感を覚える人もいるほどである。










  「……ごめん、俺、好きな人いるんだ」


 ――知ってる。だってずっと見てたから。


 先輩とは、委員会が一緒だった。

 1年生の時の体育祭。ほとんどの先輩が、後輩に片付けを任せて帰っていった。校庭の砂で汚れた床を拭くため、一人重いバケツを運んでいたら、声をかけてくれたのが先輩だった。

『持つよ』

 素っ気ない言い方の中に、優しさを感じた。


 周りにも公認の「仲良し」。

 先輩はそれ以来、廊下ですれ違うと声をかけてくれるようになった。

 私はそれが嬉しかった。

 気がつくと、先輩の姿を目で追っている自分がいた。


「いいんです。言えてスッキリしました。―――卒業、おめでとうございます」


 私は努めて明るい声を出す。


「ありがとう。×××も、元気でな」


 フィルターの越しの先輩の瞳が、優しく笑った。

 

 名前を呼んでもらえるのも、これが最後かな。



「……先輩!」


 屋上を出ようとした男子生徒を、女子生徒が呼び止める。


「最後に一つ、お願いがあります」

「なに?」

「顔、見せてください」


 ―――これでいい。これで私は、前に進める。


「……いいよ」


 少し考えて、男子生徒は頷く。そしてゆっくりと、シンプルなスクール用のマスクに手をかける。















先輩の、素顔。

はじめて見る、ほんとうの顔。












 「……もういい?」


 先輩は、やや顔を赤らめながらそう言った。

 私たちは、素顔を見られることに慣れていないのだ。


 私の沈黙を肯定と受け取った先輩は、素早くマスクをつけ直すと、バタバタと屋上を去っていった。









――なあんだ、やっぱり勇気出してよかったよ。


想像イメージと、全然違う。

お世辞にも、イケメンなんて言えないじゃない。

全然、私のタイプじゃないんだから。



 偽の「マスク」の隙間から、大粒の涙がとめどなくこぼれて落ちた。






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