以後、気をつけてください
「や、殺ってしまったものは仕方無いです。そ、それについても、確かに上の方から注意がありましたが僕の方で話はつけておきました」
話をつけておいたという矢形の言葉に晴香は驚いた。
頼りなさそうなこの男にそれほどの力があるのだろうか。
単なる連絡役なのだと決めつけていたが、かなりの役職なのかもしれない。
「ま、万が一不注意で、み、見つかってしまった際はそりゃ誰だって殺ってしまうでしょうし、お、仰る通りそれの処理はこちらの仕事ですから」
誰だって殺ってしまう、矢形は自然な事の様にそう言った。
まるで蚊が飛んでいたら叩いて落とす事を説明するような、そういった殺意と認識すらされない殺生として言う。
ふいに晴香は目の前の男が恐ろしいモノに感じられた。
全身に鳥肌が立つ。
鼓動がまた早くなる。
これ以上早まれば、何かしら心臓に、あるいは、身体に異常をきたしてしまうかもしれない。
現に少しずつ呼吸が難しくなってきていた。
今、吸うべきなのか、吐くべきなのか。
この男と同じ空気を吸うべきなのか、同じになろうとしている空気を吐くべきなのか。
「『オイ、この死体捨てておけ』『ヘイ』で済めば、ら、楽ですし、何の問題も無いんですけどね。ただ、痕跡を残されると厄介な話だ」
「……痕跡?」
「け、警備員、銃で撃ったでしょ。防音処理とかには気が回るのに、弾痕は綺麗に残していかれた」
弾自体は死体の中だったんで良かったんですけど、と矢形は続けた。
矢形の言葉に、晴香の頭の中で昨日の出来事が鮮明に思い出される。
泥棒というのを仕事にしてどれほど経つのだろうか?
昨日もそんな事を考えながら依頼された品を盗みに、あるビルに侵入していた。
宝石や絵画などとロマン溢れる盗みではなく、企業のデータなど重要機密と呼ばれるものを盗む事を専門としていた。
潜入し短な期間だがその企業の社員として働き機を狙って盗む、などという煩わしい手を使わず一回の侵入で盗んでいくのが晴香のやり方だった。
運が悪かったのだ。
晴香も、警備員も。
晴香にとって、大掛かりな組織と手を組んで仕事をしたのは今回が初めてだった。
それ故に失敗は許されなかった。
あの時――契約を結ぶ席で晴香はそう思った。
失敗は許されない。
それは組織への恐ろしさにではなく、自身のプライドとして。
失敗は許さない。
そう思い込むプライドが、咄嗟に引き金を引いた。
泥棒というのを仕事にしてどれほど経つのだろうか?
そのはっきりとは思い出せない経歴の中で、初めて人を殺してしまった。
引き金を引き、銃弾が飛び、警備員の胸の辺りで鮮血が飛び散った。
護身用だと言って、最近盗んだ銃だった。
世の中物騒だからな、なんて同業者に言われたもので御守り代わりに持っていただけだった。
その重い鉄の跳ね上がる様な衝撃を手で押し留めていると、目の前の警備員が前のめりに倒れた。
そこからは混乱でしかなかった。
ただ仕事だけはやりきろうと、それだけはルーチンワークか身体に染み付いているのかこなすことができた。
「だ、弾痕からも足なんてついちゃいますからね。例え、盗品でもね。ましてや、相手は警察だけってわけじゃないんですから」
「……警察だけじゃない?」
「ええ、そりゃ盗みに入った会社もそうですし、ま、まぁ一つ一つ挙げるには多過ぎですけどね」
「は? 何よそれ、聞いてないっ!」
激昂する晴香を横目に矢形は店員の持ってきたアイスコーヒーを受け取っていた。
「聞いてない聞いてないって、そうやって考えも無しにやるからこんなことになってんだろうが」
先程まで吃りながら話していた矢形の口調が変わった。
しかし、変わったのは口調だけで背中を丸めた様子やら頼り無さげな雰囲気は変わらない。
だからこそ、晴香には矢形が不気味に見えた。
人を殺した話を蚊を殺すのと同列にして話せる男だ。
「ま、まぁ失敗は誰にでも付き物です。い、以後気を付けてください、と今日はそれを伝えに来たんです」
以後、矢形がその言葉を口にした時の口の動きが晴香にはスローモーションで見えた。
以後、つまりこれからも晴香と組織との契約は続くのだ。
警備員が晴香を見つけたのは、単なる不運なのだろうか。
いや違う、警備員の仕事の賜物だ。
それだけ警備は厳重に行われていた。
針に糸を通す様な緻密な計画が簡単に崩れさる様な警備だった。
そんな綱渡りの様な現場がこれからも晴香を待っているのである。
晴香は鞄に入れた銃の冷たい感触を思い出していた。
今は誰より自分の頭を撃ち抜きたい気分だった。
蜘蛛の糸、掴んだ感じ? 清泪(せいな) @seina35
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