蜘蛛の糸、掴んだ感じ?

清泪(せいな)

昨日の仕事の話

 

 晴香はるかは昼食にと買っておいた馴染みのパン屋のサンドイッチを口にくわえる。

 夕方五時。

 最早夕食といって差し支えない時間帯である。


 鞄の中で長時間置かれていたサンドイッチは、それでも味を損なう事なく相変わらずの美味で晴香は馴染みのパン屋に心の中で感謝した。

 空腹は最高のスパイス、などと言う言葉も失礼ながら効いているのかもしれないが。


「昨日盛り上がりきった話を次の日にされるのって嫌いなのね、私」


 晴香が唇の端に付いたマヨネーズを指で拭いながらそう言うと、向かいに座っていた矢形やかたは、はぁ、と頷いた。

 疑問なのか溜め息なのか、背中を丸めて返事をする矢形からは判別できない。


 大手コーヒーショップのオープンカフェの席に二人は座っている。

 大体の店では時間帯に関係なく店には客は居そうなものだが、どういうわけかこの店には時間帯関係なく客が少ない。

 オフィス街の一角という立地条件の割には客が来ない。

 というよりも、オフィス街の一角という立地条件の割には人通りが極端に少ないのだ。


 

「盛り上がりきった、って時点で終わったって気がしない? いや、例えオチがちゃんとついてないとしてもよ。そこは関西人だとか関東人だとか関係なくね」


「ま、まぁ、そうなのかもしれませんけど。で、でも、ほらオチがついてないと気持ち悪くないですか。それが面白いとか面白くないとか関係なく」


 矢形はコーヒーを啜る。

 夏場のオープンカフェ、無意味に無暗な暑さに耐えながらストローで啜るアイスコーヒーは非常に美味い。

 だけども、店内で涼むことへの希望も捨てずにはいられなかった。

 例え節電の夏とはいえ、内と外ではかなりの気温差であるし、汗でベタつきだしたYシャツの下の肌着が気になってきていた。


「でもさ、そのオチが面白いからって、思いついたから話を継続してきた人の自己満足じゃない。ドヤ顔、っていうの? ああいうのされてもたまらないし。それこそ面白くなかったら、まぁ最悪ね」


 対照的に晴香は暑さを微塵も感じさせはしない。

 服装こそ七分丈のブラウスだが、暑さに耐えてるだとか逆に暑さを楽しんでるだとかを感じさせるものはない。

 今も口に含んでるコーヒーはホットコーヒーだ。

 ダラダラと汗を出し始めた矢形とは違い、汗一つ垂らさない。

 まるで、女優の様に。


 

「それで、やがたさんだっけ、やかたさんだっけ、話って何?」


 はむっ、という擬音が似合いそうな勢いと愛らしさを兼ねて晴香はサンドイッチの残りをくわえ、口に押し込んだ。

 女優の様な端整の取れた容姿には似合わない。

 昼食を逃していたので空腹のあまりというヤツだ。


「や、やかた、です。ま、まぁ憶えなくても結構ですが、そうそう会うこともないでしょうし」


「ちょっとムッとしないでよ。誰にだって間違いはあるでしょ? 大体珍しい名字なんだから、一、二回の問いかけぐらいはセーフでしょ」


「ど、どんなルールか知りませんが、もう五回目なんで諦めましたし、あ、諦めましょう」


 そう言って矢形はコップを持ち、ストローを外してグイグイとアイスコーヒーを飲み干した。


「し、失礼ながら、いや、ざ、残念ながら、ですか、昨日の話をしたいと思います」


「昨日の、話?」


「そう昨日の、仕事の話です」


 ゲップが出るのを抑えて話す矢形に店員が近づく。

 アイスコーヒーのおかわりの有無を聞かれ、矢形はおかわりを頼んだ。

 すでに四杯目のおかわりだったが、店員は変わらぬ態度で気前よく空になったコップを持っていった。


 何杯飲もうが汗が止まりそうにない。


 

「それで、昨日の仕事の話が、何?」


 矢形に昨日の仕事の話と言われてから、ハッキリとわかるほど晴香の態度が悪くなった。

 口調も強くなり、口に押し込んだサンドイッチをわざとらしくクチャクチャと音をたてて咀嚼している。


「昨日の仕事は大体は上手くいってたでしょ。まぁ、文句言われる部分はわかってんだけどさ、それってそっちの仕事って聞いてるから。そっちの仕事だから、それほど気にしなくてもいいって予め聞いてるから。こうやって呼び出されて文句言われるのって説明されてないんですけど」


 矢形が何かを言う前に晴香は捲し立てて言葉を並べた。

 要は責任放棄であるのだが、それは業務上仕方がないのだと晴香は思っている。

 思い込むことにしてる。

 思い込むことにした。

 一生懸命、あるいは、必死の想いで、昨日の夜に思い込むことにした。


 あれは、業務上過失致死、なのだと。



 晴香は心臓の鼓動がどんどん早くなるのがわかった。

 昨日の、あの時の鼓動の早さに近づいていく。

 まるで体外から叩かれているかの様に、鼓動は身体を震わせる。

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