てんし あやかし ほろ苦し

不可逆性FIG

Angel, Fairy Cat, Bittersweet.

 記録的な大雨の爪痕がようやく各地から癒えてきたような、清々しい秋晴れの午後だった。俺は自販機からホットの缶コーヒーを購入し、外回りの途中で立ち寄った神社のベンチにどかりと座り込む。湯気が立ち昇る微糖のコーヒーを飲む俺の傍らには、ふてぶてしくもベンチから逃げない三毛猫が一匹。

「はあ、あんだけ暑かったと思ったのに、もうこんなに寒くなるなんてねぇ」

「……にゃあ」


 あ、言い忘れてたけど俺、天使。


 最近、この島国を管轄するよう異動してきた高次元の存在だ。まあ、最近って言っても二百年前くらいだけどな。今はそこらの人間にカモフラージュしてるので、ビジネスマンの格好に擬態中。

 管轄とはいえ、基本的にはそこに暮らす人間たちの自主性に任せてるし、俺が何かを介入することは滅多にない。そう、なすがままにってヤツさ。――でもまあ、多少は俺たち天使が行う調整もあってのLET IT BEなすがままに ということも知っていてほしいところではある。絶対に人間には知られちゃいけないんだけどな。

「人間という種の繁栄、また生態系におけるパワーバランスの保持っていう、ふんわりした神託しかないから色々と派閥が出来ちゃうんだよなぁ。上司が変われば実務も一変……はあ、世知辛いねぇ。なあ、猫さん?」

「……にゃあ」

「ぷぷっ、やめてくれよ。そんな演技しなくたってアンタは九十年くらいは生きてる猫又の婆さんだって、俺にはお見通しなんだからさ」

 じっ、と睨む猫は面白くないとでも言うように鼻を鳴らして、座り直すのだった。

「――私、まだお婆ちゃんって呼ばれたくにゃいんだけど?」

「これは、失礼。素敵な猫のお嬢さん」

「にゃおん。案外、素直じゃにゃいの。猫又の界隈では、歩くマタタビと呼ばれる私の美貌に免じて謝罪を受け入れましょう。それにまだ、生きてにゃいわよ」

 言われてみれば、なるほど瞳は宝石のようにくりっと大きく、顔立ちもツンと伸びたヒゲも整っていて美しい気がする。それにしても、自分で『歩くマタタビ』というのは些か誇張が過ぎるような感じはするが、それは言わぬが花だろう。猫には猫の価値観がある。俺は天使だから生物の多様性には寛容なのさ。


「ていうか、天使さまがこんな下界で油売ってていいの? 今、色々と災害の後始末で忙しいんじゃにゃいの?」

 神通力の備わった相手とは、最低限の自己紹介で済むあたりはラクでいい。天使という概念を既存の言語で表現するのは現代においても、非常に難解でややこしいのだ。その国や地域の風土に合わせた姿で降臨するから、宗教ごとに違う個体として認識されるし、その宗教観に沿った存在であるための演技をしなくちゃならなかったり、とりあえず大変なのである。とりあえず化け猫の怪異よりも高位の存在とだけ理解してくれれば充分なのだから。そして、公の場ではないので畏まる必要さえ不要である旨も忘れずに伝えてある。

「俺がすべき後始末は終わらせたよ。災害に慣れた国民だもの、そこまでデリケートに扱わなくても問題ないんだわ実際」

「ふうん、それにしたって近頃の異常気象は酷いんじゃにゃい? 運命のイタズラってのも流石に限度があると思うのよね」

「はあ……それに関しては俺も概ね同意だね。神託の拡大解釈が原因だから、天使的には難しいところなんだよ。俺個人としても、ちーっと試練が過ぎるとは思うわけさ」

 所在なく頬をぽりぽり掻いて、お茶を濁すように笑う。しかし、猫特有の鋭い目線が俺をじっと捕らえて離すことはなかった。結局、俺に温かいのは手元の缶コーヒーだけだったようだ。

「いやなに俺よりも上位の天使さまがさぁ、本当につい最近配属で別部署から来たんだけど、これがなかなかクセの強い性格しててね……。人間というのは困難に直面すると、さらに繁栄するものだ! って常日頃から言ってて、それを即実践しちゃうのよ。少し前から、この国に色々な災害とか困難が増えたと思うんだけど、まさにその影響なんだよねえ。季節外れのナントカってよく聞くようになったでしょ?」

「にゃあ……新しい上司さまは私たちからすると、まるで悪魔のようだわ」

「だろうね」


 俺と猫又は同時にため息を吐く。喧騒から少し離れた神社に木枯らしが吹いた。秋の晴天に落葉が舞う。こんなにも穏やかな日々がいつまでも続けばいいのに、と俺は思うのだが実際問題として、安寧を手に入れ停滞した国は緩やかに衰退して死にゆくケースを何度も見てきたのだ。

 だから、適度な危機はあったほうがスパイスになる。とは思うのだが、長く見守ってきた命が儚く散っていくのは、さすがに心が痛むというもの。できることなら、予知夢でもプレゼントして命だけは助けてあげたいと思うのだ。ただそういった明確な天使の介入には、やはり独断では決められずに稟議書で承認を得る必要が出てくる。前までは承認される場合も多々あったが、最近ではまず通らない。上司の意向に従って、僅かでも好感度を良くしたい連中が思った以上に多いせいである。――天使の社会も世知辛いのだ。

「でもさ、今の上司になって良くなったことも少なからずあってさ」

「例えば?」

「俺たち現場担当の企画も通りやすくなった。まあ、良くも悪くもロックな精神してるからね、何か面白い企画があれば立場関係なく提出できるってわけ。実際に採用された案も多くてさ、社外秘でネタバレ厳禁だから何かは言えないけど、過去の出来事によってこの国の生き物たちにも様々な影響を与えているよ」

 そう、良くも悪くも企画が通りやすくなったのだ。まあ、あの上司のことなので突飛な企画ほど目に留まるので、人間や他の生き物にとっては迷惑なものがほとんどだと言うことは、知らないほうが良いだろう。薄々感づいてはいそうだけども。

 俺は腕を組み、首を回して、晴天を仰ぎ見る。じんわりと陽光が身体を暖めていて、冬の訪れを感じる薄ら寒い気温も今だけはまだ遠くにあるように思えた。

「それじゃあ天使さまも良い企画をもっと承認させなきゃね」

「うーん……実はさ、これから提出しようと思ってる企画あるんだよね。我ながらナイスアイデアだと思うんだけど……知りたい?」

「にゃあん、いやに勿体振るじゃにゃい。そこまで言ったのなら聞かせにゃさいよ」

 猫又が俺の腕に猫パンチをした。もちろん、本気のパンチではなく小突いた程度なので突っ込みのつもりだったのだろう。缶コーヒーで喉を潤し、他言無用を念押しした上で一足先に俺は猫相手に企画の全貌を披露するのだった。


「前の上司のときはさ、人間同士の大規模な争いがあって国が疲弊してたからあまり派手なことはせず、細かな調整が主な業務だったから、季節ごとに決められたことしかほぼ出来なかったのよ。だから、人間たちがソワソワしだすクリスマスにだっていつも通りのただ寒いだけの冬しかお届け出来なかったわけ。そういうとこは融通効かなくて、ちょっと好きじゃなかったかもな」

「天使さまって天気も操れるの?」

「いやまさか、俺たちは企画を立てて関係各所に調整してもらえるようプレゼンする役目さ。この国の気候は風神雷神っていうツートップがいるからね。顔怖いくせに、義理人情に厚いから仲良くなっちゃえばこっちのモンよ。あ、今のは内緒でよろしく」

 この国にいにしえから住まう神々は結構好きだ。なにせ血生臭くない。そりゃ多少は野蛮なヤツもいるけれど、闘争を是とする神々ばかりの国に比べれば可愛いもんだ。いやはや、やっぱり平和が一番だね、まったく。

「いと高き御方であられる神様に対しての不敬な物言いを聞いてしまった私は、罰当たりにならにゃいか心配になってきたわ……」

「うん? 問題ないんじゃない? 仮に聞かれていたとしても、彼らに行使できる生命における善悪の裁量権は無いわけだしさ。毎日の天気を管理するだけでもなかなかのハードワークだから、たかだか猫又一匹に構ってる暇も無いんじゃないかな」

「事実が事実だけに配慮のにゃい言葉がグサグサ刺さってくるわ。ここは低位のあやかしであることに安堵すべきかしらね」

 何度目かわからない溜め息を吐いた猫又は、何かを諦めたような寂しく乾いた笑いがそのあとに続くのだった。


 まあ、確かに神たちに比べれば取るに足らない存在かもしれないが、命には等しく価値がある。遙か先を見上げ続けても首が痛いだけだし、ひたすら下を見続けても同様に肩が凝って首が痛くなるだけだ。無理のない範囲を見渡して、両の手に掴める程度の幸福を探すほうがよっぽど有意義な命の使い方だと、俺は思うね。優劣なんて考えだしたらキリが無い。神には神の世界が、猫には猫の世界がある、そういうことだ。

 ただし、こういうお説教は好きじゃないので隣の猫又には言ってやらない。上位の存在に言われたところで、嫌味にしかならないからね。悟るも良し、悟らぬも良し。すっかりぬるくなったコーヒーを飲んで、閑話休題。

「つまりさ、季節外れで人間たちの試練になることが結局のところ好きなんだよ、あの上司はさ。だから、本来なら雪の降らない季節に降らせることで交通網とかに色々な試練を与えてやるわけ。ついでに、多くの人が外出して浮かれてる気分の中に一発お見舞いするなんて愉快じゃないか!」

「上司のこと散々言ってるクセに、天使さまだって思考回路は大概酷いじゃにゃい。……私、寒いのは嫌にゃのに」

 俺はふっふっふっと口角を上げて、不敵に微笑む。空間の隙間に手を差し込み、一束の書類を取り出して、企画書の表紙を猫又に見せつけるのだった。

「今までも企画の申請をしたことはあったんだけど、いつも予算の関係上で不採用だったんだよね。だけど、今年は予想外なことが多いじゃん? だから、それの一環としてプレゼンすればすんなり採用されると踏んだね、俺は。だから、雪を降らすのさ。その時期、滅多に降らないクセに人間たちがいつも雪害に備えている日に! ――――今年こそはホワイトクリスマスにしてやるってね!」

「……にゃおん、思ったよりマトモな――いえ、素敵にゃ提案だわ。天使なんて等しく下々の命を弄ぶだけだと幻滅しかけたけど、まだまだ捨てたもんじゃにゃいかもね」

「アメとムチの使い分けだよ。最近はちーっと厳し過ぎてるからなあ。それに、企画さえ通してしまえば、後はどうとでもなるしね。季節外れの雪害とか言いつつ、パウダースノーで美しい冬景色に変えたいんだよ、マジで」


 天使は天使であって、悪魔ではない。人間を、生物を導く役目なので多少の試練は与えるが、決してサディストではないのである。

 俺たちからしたら、瞬きしたら終わってるような命だ。そんな瞬間の煌めきは美しくあるべきなんだよ。星の巡り合わせが悪く、煌めかない命もそりゃ幾らかはあるけど、俺としては須らく最大の愛に包まれていて欲しいと思う。キレイ事で済まない世の中だからこそ、導く立場としてキレイ事を実現して魅せていきたいのさ。

「さて、休憩時間は終わりにしないとな。猫のお嬢さん、ありがとな。俺の暇つぶしに付き合ってくれてさ」

「構わないわ。天使さまと交流のある猫又として、私にも箔が付くもの。とても有意義な時間だったわ、お互い頑張りましょ」

「まったく、したたかなことで。――まあ、クリスマスに雪降ったら今日のこと思い出してよ」

「ええ、そうね。期待しているわ」

 猫又がにゃーんと鳴いて、ベンチを飛び降りる。その瞬間にはもう怪異であるオーラを霧散させて、ただの猫のような振る舞いで見事に擬態をしていた。草むらに紛れる際、一度だけ猫又は振り返ると前足をふりふりと動かし、愛嬌のある別れの挨拶をしたので俺もバイバイと手を振って彼女を見送った。


 神社のベンチに一人残された俺は、冷めきった缶コーヒーの最後の一口を飲み干す。ほろ苦さが鼻に抜ける。秋晴れの陽気に欠伸をひとつ。

 まるでこの世界を凝縮したような味わいだと、ふと思った。


〈了〉

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