第130話「復讐」


「…………」


 一転、言葉を迷う宵闇に、アルフレッドは続けて言う。


『表面上は変化有りませんが、本性になった途端にあれでは』


 “アレ”と表現された様を思い出し、宵闇もまた頭痛を堪えるような表情をする。


「一度シリンさんとこ戻った方が良いとは思うが、ホンニンも自覚してるだけに落ち着くまではあのままかね」


『……落ち着きますか』


 自然な動作で歩みを進めつつ、聞こえてくる声音以上に相棒が気にかけていることを承知しながら、宵闇は難しい顔で言った。


「……頭ではわかってたとしても、現物として突き付けられるのはまた別モノだろうからなぁ……」


『……』


 彼らが言っているのは、ハクがこの間見つけるに至った、とあるモノ。

 感情表現が極端に下手な彼らの仲間、白い翼をもつその彼が、求めてやまなかったのだろう、とある証拠。


 宵闇は痛ましげに瞳を伏せつつ、押し出すように言った。


「……できるかわからないが、骨は6割くらい無機物でリン酸カルシウムだから、ハクの魔力で操れるか試させるか? よすがは1つの支えだろ」


『……』


「あと必要なのは、納得と、区切り、かな」






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「……いるんでしょ、木の上に」


 この不可解な呼びかけに、一瞬の沈黙が横たわる。

 だが、ザワリと、不自然な葉擦れの音が鳴ったのち。


 思わず震えが走るような“声”が、その場に落ちた。


『……お前は、アレクシスが世話していた子供か』


 声音は男だ。

 だが、抑揚に乏しく、言葉だけではそこに潜む感情が読み取れない。


 とはいえ――。


 アイリーンは無意識に身体を叱咤し、腹に力を入れて平静を装う。


 彼女は言った。


「ええ、そうよ。わかるかしらないけど、名はアイリーン、性はモントレシア。まだ私が何も知らないガキの時分に、ここの子爵に招かれてた。夏の避暑地ってところね」


『先までの話は聞いていた。……アレクシスの死因は何だ』


 端的な問い。

 前置きも名乗りも何もない、一方的な尋問。


 わずかに言葉を詰まらせ、アイリーンは息を吐く。


「――あの人の遺体は見つけたのね」


 元より想定しており、動揺もなくアイリーンは言った。


「失血死よ。……彼は最後まで粘ったわ。そもそも父が痺れを切らすまで、あらゆる手を尽くして政治的に抵抗してた」


「……でも結局は追い込まれ失脚。父が放った暗殺者も一度は振り切ったようだけど」


 彼女は一度瞑目する。


「我が家の手の者はしつこいわ。無傷で済むはずもなく、力尽きてあの場所で死んでいた。……息のあるうちに見つからないで本当に良かったと、私は不謹慎にも思ったものよ」


 もちろん、拷問を懸念してのことだった。

 目的はシリンの身柄、その知識。間違いなく生きて捕えられれば碌なことにはならなかった。


 問いは続く。


『放置したのはなぜだ』


 遺体を、朽ちるままに放置したのはなぜか、という問いだった。


 彼が倒れたのは、かつて出会った洞窟の間近。

 山脈の中腹手前にある、灌木の茂みの中。


 そこが彼の、最期の地となった。


 埋葬もされず、風雨にさらされ、数年を経た人体は、既に骨ばかり。辛うじて残った所持品が、彼の身元を証明した。


 しかしそういった遺留物を確認するまでもなく、なぜかの眼には明らかだった。


 それが、かつて己に光を見せてくれた、友の成れの果てなのだと。


 アイリーンは言った。


「父が、あの場所を集合地点だと判断したのよ。きっといつか夫人と子供たちが来るんだろうと。下手に場を荒らせば警戒されるからと。見張りを付けて、定期的に巡回させて」


「……私が爵位を継いでからでは時間が経ちすぎていて、むしろそのまま。……縁故ある人に、あの状態を見届けてもらうべきと思ったの」


『なるほど。追手が無くなったのは代替わりか』


「…………」


 あくまで淡々とした応答。


『…………』


 相応のが発露されると覚悟していたアイリーンは、ある意味拍子抜けして言った。


「――それだけなの?」


『なにが言いたい』


 姿が見えないだけに、そこにどんな含意が込められているのか。

 彼と初対面の彼女は必死にその心中を窺いつつ、慎重に相手がいるだろう方向を見上げ言った。


「貴方の発声方法は魔力を介したモノね。だからか、私にも貴方の感情が伝わってくる。それを私へ向ける権利が、貴方にはあると言っているの」


『感情、か』


 己の一部を持て余すような感慨と共に、彼は言う。


『……お前は、私がナニモノかわかっているのか?』


 彼女は頷いた。


「だいたいの予想はついてるわ。というか、これだけあの人の死を悼んでいるなら、権利云々に議論の余地はない。だから――」


『あいにくと』


 言葉の止めどころが分からず、早口になりつつあったアイリーン。

 それを、彼が遮った。


『――あいにくと、今の私が何を感じているのか、私自身が判じかねている』


 アイリーンは理解が遅れた。

 言葉を詰まらせる間に、彼は言う。


『お前は、私の感情、といったが。……もちろん、私であっても、己が何らかの衝動を抱えているのはわかっている。だが――』


『一体それが何を意図したものなのか、何に起因しているのか、それが一向にわからない』


 どうやら本気で発されているらしい声音。


「……なに、それ」


 その呟きをどうとったのか。

 彼は次いで言った。


『例えるなら、敵に向かう時のような、攻撃的で破壊的で。……それなのに、友と出会う前のような、何もない空虚、思考の停止。そんな状態に陥る感覚もある』


 ガサリと、何か大きなものが身動ぎしたような音。

 白い姿が夜闇の中で翼を広げ、鉤爪を踏みしめ、枝の上で身体をゆする。


『アレクシスが既に死んでいることは容易く予想がついていた。私が先日見つけたのはその証拠であって、既にこと切れて数年経っている現状、あのに証拠という価値以上の何かがあるはずもない。全てを持ち帰るまでもなく、持ち物ひとつで事足りる』


「……」


『だが、私はアレがあるこの地から、離れがたいと感じている。……その理由がよくわからん』


『…………私は、私自身がわからなくなっている』


「……」


『すなわち、お前が百万語を尽くそうとも、お前が求める言動がどんなものか、今の私に推し量れるはずもない』


「ククッ」


 言葉を失ったアイリーンに代わり、思わず、といった調子でキリアンが瞳を細めて小さく笑う。

 

「……これはまた、えらく欠けたのがいたものだ」


 彼女は一種の衝撃を感じつつ、改めて言った。


「貴方が感じているのは怒りでしょ。あとは喪失感と悲しみ、悲憤といってもいい」


『ほう、そんな名がつくのか。だが、それで何が変わる?』


「……確かにラベリングに意味はないわね」


 唇を湿らせ、彼女は言った。


「ひとまず一般論を言えば。貴方のような感情を抱えたニンゲンは、大概の場合、復讐を考える」


「貴方たちの秘密が漏れるキッカケを作ったのは私であり、子爵を追い落としたのは私の父であり、その後も貴方たちを追いまわしたのは、私も育成に関わっていた我が家の配下」


「これだけ揃っていれば、貴方が復讐すべきは私でしょう。……あいにく、主犯の先代侯爵はもう死んで、この世にいないから」


 そこまで一気に言ったアイリーンの傍ら、半ば独り言のようにキリアンが呟く。


「こんなことなら、あのゴミ屑を活かしておくべきだったか」


 “生かす” ではなく、“活かす” のニュアンスで言った彼。

 念頭にあるのは、ただ死んでいなければいいだろう、という状態。


 幸か不幸か、彼の力をもってすればそれほど難しいことではなかった。



 何しろ、あくまで表向きは “病死” と片付けられている先代侯爵、その命を停止させたのは誰あろう彼だ。



 医者も介して不審な点はなく、アイリーン以外の一族ほとんどが流行り病で亡くなったという数年前の “悲劇”。


 その形を少し変えておけばよかったかと、つまりは、この瞬間のための生贄に活用すればよかったか、と真顔で宣ったキリアンに、アイリーンもまた、眉を顰めて平然と言った。


「……やめてくれる? 私だってあれ以上、あの男が息してる世界に1秒たりとも居たくなかったわよ」


『……』


 はぁ、と深い溜息を吐いて、彼女は言った。


「話が逸れてごめんなさい。とにかく、貴方がその怒りを向けるべきは一般的に言って私になるわ。……だからせめて、恨み節を聞くくらいは、義務の範疇だと思っているんだけど」


『……それをして、いったい何になるというんだ?』


 至極、不思議そうに返った問い。


「気が済む、かもしれないわね」


『は。……たかが言葉を吐きだしたくらいで、か?』


 短い嘆息とわずかな嘲り。

 ”彼” にしては珍しい言動。


 この瞬間、木の枝に隠れた存在感が急に増した。


 魔力による圧迫感が俄かに強まり、アイリーンには本能的な怯みを、キリアンには反射的な防衛を意識させる。


 要するに、挑発だ。

 彼にその認識はなかったが、おそらく無意識にを想起したのだろう。


 沸き上がる衝動に従い、目の前のか弱い女を一息に害する。


 命には命を。

 失った友のはなむけに。


 はあるが、たとえこの身が欠けようとも。


 思考は一瞬。

 だが、そんな微かな揺らぎでさえ周囲に伝わるほどに、今の彼はなのだ。


 おそらく自らその発想を否定したのだろう、まもなく静けさを取り戻した気配。

 強張った身体を意識的に戻しながら、アイリーンはあくまで気づかないふりをする。


「――そう、言葉にすること。

 実際、感情を音にして整理するというのは有効な手段よ。涙として発露してもいいでしょうね。……貴方が涙を流せる存在なら、だけど」


「おそらくは無理だろうな」


 言ったのはキリアン。

 こちらはもそのままに、この場にいない存在へ向けた嘲笑を口元にく。


「こいつを創っただろうあのクソ神が、ニンゲンの細かな生理機能を再現するような、粋なことまでするはずがない」


 そもそも人型ですらないしな。


 後半は、わずかな憐みも混じった独り言。


 関心が移ったのか、彼が言った。


『お前も私たちと似たような存在か』


「さてなぁ」


 答えをはぐらかし、キリアンはわらう。


「そんなどうでもいいことより、我が主がお尋ねだ。何か言いたいことはないのか、とな」


 ちなみに、キリアンの立ち位置も姿勢も、最初から一向に変化はない。

 アイリーンの左手側、半歩後ろで腕を組み、ゆるりと立って、余裕のある態度をほとんどくずさない。


 だが、なんの意図かは不明にしても、彼の言う “我が主” の周囲にはいつの間にか魔力が渦を巻き、仮にその力を視認できるのなら、茨のようにいくつもの “かいな” を伸ばし――。


 そして、平然とそこにいる。


 彼の視線は明確に枝の中の一点へと向けられ、その口元には好戦的な微笑。




 そういった光景を何とも思わずに認識しながら、再度戻った話題に、白い彼は淡々と言った。


『いくら問答しようが変わらない。私はお前に告げるべき言葉を持っていない。アレクシスは既に死者であり、あいつが望んでいたのはシリンたちの安寧』


『私がお前たちを非難し、害することで、万が一にもアレクシスが生き返るというのなら、私は躊躇しないだろう。……だが、そんなことがあり得ないのは私でもわかる。失われた命が2度と返ることはない』


『……』


『……そして、お前をかつて世話したアレクシスが、己の死の遠因になろうと、お前を恨むことも、その行動を後悔することもない。……絶対に、ありえない』


「……」


『すなわち、お前を私が害することを、アレクシスが望むこともない。そんな無駄なことをしているくらいなら、己の残した宝たちを、気にかけてくれと言うだろう』


 一息入れたような空白。


『……ああ、そうだな。今この瞬間に結論が出た』


『やはり、お前に向ける言葉は無い。私が抱いたこの衝動は、全て私の中で処理すべきもの。少なくとも、アレクシスが望むのはそれだろう』


「……ククッ」


「そう」


 話は終わりとばかりに、すっかり気配の変わった相手が翼を広げる様子を見せる。

 立ち去ろうというのだろう。


 それに追いすがるように、咄嗟にアイリーンは声を上げた。


「もしッ ……もしも。……夫人やお子様たちが暮らしに困っているようならば――」


『気遣い無用だ』


「っ」


『今の暮らしに不足はない』


「……そう」


 アイリーンは、絞り出すように微笑する。


「それは、よかったわ」


 もう堪えられないというように、男が肩を震わせ忍び笑うなか。


 まもなく、大木の枝の間から白い姿が滑り出る。 

 月光の下に現れたのは巨大な猛禽。


 だが、その姿に音は伴わず。ニンゲン2人の頭上を影が横切り、やがてバサリと、翼を一打ち。


 瞬く間に距離を空け、高度を上げていく鳥型の魔物。





 そして、はぁ、と。

 ようやく笑い収めたキリアンが言った。


「――これほど見事で、清々しく、小気味のイイ、悪意の伴わない純粋で裏のない復讐は見たことがないな」


 いやぁ、長く生きてみるモノだ。


 そう言って、また一笑。





「…………さいっこうにムカつくわね。その顔、ぶんなぐってやりたいわ」


 声音だけは平坦に。


 だが、今にも泣きそうな顔をして。



 アイリーンは、唸るように言った。




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理系が転生したら非科学的存在 (魔物)でした 秋人司 @AkitoTukasa

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