第129話「想定外」


 ほぼ同時刻。

 とある寂れた土地に、ひそかな訪問者があった。


 移動は馬車。

 黒馬2頭を操る御者の男と、車内の女性、2人のみ。


 魔物に襲われたり、夜盗に出くわしたりと、夜の移動は基本的にないのがこの世界の常識だ。少なくとも、人数をそろえて必要以上に物々しくしておくのが安全策というモノだろう。


 だが、くだんの彼らは先に述べた通り正真正銘の2人であり、もしその姿を見る者がいれば不審過ぎて二度見くらいはしたはずだ。


 とはいえ、この地はいわく付きのため住む者もなく、暗色の馬車はほとんど見とがめられずに目的地へと達した。


 速度を緩め、朽ちかけの質素な屋敷の前に停まった馬車。


 男が身軽な動作で御者台から降り、チラリとあらぬ方へ視線をやったが特に何もなく。微かに笑った彼が足場を用意する間にも、待ちきれなかったのか、車両の扉が静かに開く。


 顔を出したのは、この世界では異様に映る、短いハニーブロンドを後ろでまとめた若い女性。


 その彼女が、茶色の瞳を周囲へやりながら、ポツリと言った。


「……あれからもう6年、5年だったかしら。見る影もないわね」


 それに返る言葉は無く、用意を終えた男が手を差し出せば、女性は慣れた動作で支えにする。


 元より反応を求めてはいなかった。


 そうして数段を降りれば、足元は膝まで隠れるほどの草むらの中。

 辛うじてわかるのは、うっすらと残るわだちのみ。


 その跡から察するに、2人がいるのは庭を入って程なく、といったところか。


 無人になって久しい2階建ての屋敷には、向かって右手に大木が1つ。屋敷を守るように枝を伸ばすその姿も空しく、蔦に覆われた建造物にはもう人が入ることも叶わない。


 その無惨な様子を眺める女性に、背後についた男が溜息と共に言う。


「何もこんな時間に動かなくとも」


「なによ」


 見下ろしてくる複雑な色の虹彩――アースアイを、憮然とした表情で睨み返す女性。肩口に振り返った彼女がまとうのは、小振りな藍色のドレス。


 対する男は上から下まで闇色だ。御者を担うにふさわしい簡易な下仕えの服装は、この男が身に着けるには不似合いだが、機能性を重視したのだろう。


 ちなみに、金と茶色で象ったブローチは目立つため、彼の懐に入っている。


 左右非対称な前髪を掻き上げつつ、男――キリアンは苦笑して言った。


「いや、単に夜は休めばいいモノを、と言っている」


 顔を正面に戻し、女――アイリーンは肩を竦めて言った。


「こんな時だけ正論ぶらないでくれる? 人目を忍ぶんだから仕方ないでしょ」


「正式な視察にすればよかっただろう」


 続く言葉に、アイリーンは口を歪めて反論する。


「言っては何だけど、こんな忘れられた罪人の邸宅に? どんな理由付けをする気よ」


「その忘れられた廃墟に、そもそもなぜお前が来る必要がある」


 再度、あらぬほうへ視線をやったキリアンが、それを己の主へ向け直し、口端を上げる。


「知らせがあったとはいえ、お前の目的は例の学者を捕らえることではなかったはずだ」


「もちろん」


 ここに来たのはただの感傷。


 そう呟いた彼女は、次いで言った。


「下手すればもう2度と来れないかと思えば、自己満足だろうが一言挨拶には来たかったのよ」


「……」


「どの口が言ってんだってのはわかってるわ」


 自嘲し、声を落としたアイリーン。

 一方、沈黙したキリアンだが、なんのことはない――。


「俺にとってはどうでもいい記憶だからな。詳細が曖昧だっただけだ。……あれは確か、ゴミ屑お前の父親が生きてた頃か」


「……そこからなのね」


 彼にとって数年前と数日前はそう変わらない。

 人外の時間感覚に息を吐きつつ、アイリーンは言った。


「ええ。何しろ、権力欲に目がくらんで子爵夫妻を罠に嵌めたのが、何を隠そう我が父だもの」


「ああ、そうだったな」


 軽く嗤うキリアンに対し、アイリーンは視線を下げる。


「彼らに初めて出会ったのは、貴方に見つかるちょっと前ね。地獄のような日々の中で、一時の安らぎをもらった」


「子爵夫妻は本当によくしてくれた。毎年の夏にここへ来るのが生きる糧だった。……結局、その大恩を最大の仇で返してしまったんだけれど」


 その声音には、懐古と感謝、そして後悔があった。

 表に出ている以上の感情が、彼女の中で渦を巻いているのが窺える。


 だが、傍らの男は至って軽く言った。


「自らも政争の種を抱えながら、お前という劇物に手を出したんだ。要するに、油を被って火事場に近づいた能天気が順当に火に巻かれた、ということでいいんじゃないのか?」


 この瞬間、アイリーンは顔を歪めて目を伏せる。

 まるで泣く直前のようだったが、しかし。


 彼女は数秒もかからず持ち直し、乾いた無表情で顔を上げた。


「貴方ならそう言うと思ったわ。ヒトの持つ優しさとか善意とか、全く意に介さないものね。……まあ、実際そういうことなんだけど」


 そんな振る舞いに、キリアンは瞳を細めて微笑する。


「別に俺の感性を肯定しなくともいい。当時のお前にとっては何よりも存在だった、そういうことだろう」


 一見して合意できたような言葉遣い。

 だが、いい加減付き合いの長いアイリーンは、含意を読み違えたりはしなかった。


「……ありがたい……、あぁ、有り難い、ね。そのニュアンスだと物珍しいとか、興味深いとか、そういうカテゴリーになってるわね?」


「間違ってはないだろう」


 まったく悪びれない確認。

 その整った顔に呆れた視線を向けつつ、アイリーンは頷いた。


「……まぁ、そうね。語源を考慮しても外れちゃいないわ」


 表面上はいつもの調子を取り戻したらしい彼女。

 仕切り直すように顔を上げ、更に振り仰ぐ視線の先には、月光に照らされた大木がある。


「…………」


 その距離は数メートル程度。

 表に出ている葉や枝は月光を淡く反射しているが、大半の部分は闇に沈み、黒く大きく見えている。


 そのオブジェクトを明確に見つめながら。


 アイリーン・モントレシアは言った。


「――と、いうことで。私としてはわざわざ足を運んだことだし、これを機に質問あれば答えるのもやぶさかじゃないんだけど、何かある? 」



「いるんでしょ、木の上に」




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「ああ? この酒の発案者?」


「そうそう。アイデア――この酒の造り方を考え付いた奴がいるだろ? なんか知ってたりしないか」


 そんな言葉を交わすのは、リングレイの酒場、その店主と客の男。

 禿頭の店主は何かを警戒するように眉をひそめ言った。


「それを訊いて何になる」


「いや、なんにもないな。ただ、俺の故郷でよく似たものがあったから、もしかして同郷の奴がいるんじゃねえかと思ってな。単なる興味程度なんだが――」


「俺の爺さんだ」


 長くなりそうな弁明に、店主は先に答えを言う。


「もう死んじまったが、聞いた限りじゃ生まれはこのあたりのはずだ。ただ、若い頃に何してかは知らねえから、その時にでも見聞きしたんじゃねえか」


「へえ、そうかい。生きてりゃ思い出話でも聞きたかったが」


 なるべく自然に見えるように、男は意識して言葉を選ぶ。

 正気を疑うような調子で店主は言った。


「偏屈なジジイだぞ。酒造りに心血注いで、何回ばあさんに愛想つかされそうになったか」


 肩を震わせ男は言う。


「ますます面白い話が聞けそうだな。まぁ、いいや。おかげでいい酒呑めたし、今の造り手たちにもお礼言っといてくれ」


 店主も言った。


「俺も2番目に出した酒のアテに悩んでたところだ。ありゃ、爺さんの残した記録頼りに造った新作でな」


「ほう、それは貴重だ。素人が口だすのもなんだが、もうちょっと熟成させた方が美味くなるぞ、あれ」


「ああ、わかってんだよ。別の樽で様子見中だ」


 男は苦笑して言った。


「なら余計なこと言った。そんじゃまぁ、請求はカタリナ座長宛ってことでよろしく」


「あの女傑相手にツケ頼めるたぁ、ホントお前なんなんだよ」


 怖いモノを見た顔で店主が言えば、男も同意するように頷いた。


「相応の見返りは請求され済みだよ。利害も一致するし。まぁ、悪い取引じゃなかったな」


「……はぁん、そっちの輩か。ま、精々命は大事にすんだな」


 何かを察したらしい返答。

 男は意外な表情に次ぎ、はは、と笑って言った。


「ご忠告、ありがたく受け取っとくよ」


 既に店の外での会話だった。

 そのまま踵を返した男は、帰路を辿って歩み出す。


 店主もまた見送ることなく中に戻った。




 周囲は人通りも少ない石畳の路地。

 男が酒を楽しむ間にも夜は更けており、地球で言えば20時程度ではあるのだが、この世界では本格的に街が寝静まる時間帯に差し掛かっている。

 

 街灯なんてものはなく、頼りになるのは月明りのみ。

 男にとっては一向に不自由しない環境ではあったが、普通の人間にとっては足元もおぼつかないことだろう。



 まもなく、そんな薄暗い道を抜け、ある程度の大通りに辿り着く。

 ここまでくれば、人がいないこともない。


 ある程度、独り言が漏れようが目立たないと踏んだのか、ようやく、声なき声が発された。


『都度、代金のやり取りがない時点でそうだろうとは思いましたが、貴方、何を対価にしたんです』


「……あ? まぁ、別にヤバいことでもねえし、アルに影響あるもんでもねえよ」


 男は相変わらず声に出しながら言った。


「こっちの顔は売らない方がいいが、四つ足姿なら、今以上に動いてもイイだろ」


『はぁ……。なにも酒場への紹介状如きで身を売らなくてもいいでしょうに』


「おい、身売りとか言うんじゃねえよ」


 身もふたもない表現に苦情を飛ばし、男は話題を変えて言った。


「それより、なんか新しい話はあったか?」


 姿なき声――アルフレッドは否定を返す。


『ありませんね。店内にいたのは貴族の従者やら、そこそこ金を持った商人といった程度。会話としては、エルズウェイン侯爵が後宮に入る日付が決まったとか、増税の噂があるとか、そういったところです』


「エルズなんとかは、現役の女侯爵様だったよな、確か」


 男が確かめれば、今度は肯定。


『ええ。……本人はあまり貴族社会で好意的に見られていないようです。貴族の従者と思しき奴らが、後宮入りを下世話な表現で話題にしていたので。ああいうのは、主人の思想も大いに影響しますから、上の貴族もそう変わらない感想でしょう』


「なんとも他人事だが、男社会で唯一の爵位張ってた女性ね。さぞ苦労したんだろうな。しかも結構な若さ」


『…………』


 男が何気なく呟けば、微妙な気配がアルフレッドから発される。


『……貴方の感覚では若い、なんでしょうが、貴族社会では僕と同世代の女性なら、盛りを過ぎた、と表現されますよ』


 言葉を選びながらの指摘。

 男もまた理解を示して曖昧に頷く。


「……まぁ、この世界の医療事情とか考えれば、十代後半くらいで結婚・出産しとかないと体力もたないのはわかってるけど」


『ええ。なので、狙いとしては次代を望まれているのではなく、モントレシアの力に王家の首輪をつけたいからだ、というのが大勢の見方ですね』


 むしろ、下手に身籠り命を落とすようでは意味がない。女性として囲われながら、その本分は果たせない、そんな境遇に置かれるということ。


「嫁ぎ先の方が望んだんだよな?」


 声を出しているだけに、言葉をぼかした確認。

 アルフレッドからは肯定が返る。


『その噂が有力です。端的に言って警戒された、もしくは駒として有力視された、ということでしょう』


「……それで爵位持ったまごうことなき侯爵が、表政治から引きずり降ろされ、後宮に入るハメになるのが、なんともはや。……気分のイイ話じゃねえな」


 まさに彼女が彼女であるからこその扱いだ。

 男がヤレヤレと頭を振れば、アルフレッドは言葉を継ぐ。


『加えて、ただの貴族位ではなく元から王家ともつながりの深い大家たいかだ。先代侯爵はシリンさん一家が逃亡するキッカケにも絡んでいますし、レイナの様子を観察するに、彼女を元々使っていたのが、くだんの侯爵家である可能性も高い』


「ああ、後宮入りを初めて聞いた時のあいつの反応な。今まで雇い主が国境領地の男爵だって以外は適当なこと言ってたようなのに。座長からのタレコミ聞いて以来、動揺するわ気もそぞろになるわ、わかりやすすぎて逆に心配になるレベル」


『少なくとも何かの思い入れがあるのは間違いないでしょう。古巣に戻ろうとか、そういったことを考えてはいないようですが』


 本人がこの場にいないからこその会話。

 男――宵闇は独り言ちる。


「……組織的に孤児を拾って育て、暗殺者として使ってるような貴族、ね」


 彼の脳裏によぎるのは、イサナの腕にある八桁の数字。レイナの腕にも、刻印を焼きつぶしたのだろう、酷い火傷跡があると知っている。


 現代の地球で培われた彼の感覚からすれば、人間を家畜に等しい扱いに落とす、唾棄すべき所業と言っていい。


 まだ憶測にすぎないが、噂のエルズウェイン侯爵がレイナやイサナの所属元であるのなら、その行いを主導している本人ということ。


 とはいえ、イサナが口を噤み、レイナがかわしている現状、これ以上の推測は立てようもないのだが。


「まぁ、万が一逃亡されて危ないのは座長かな。あとは、がバレるのはそこそこ痛手だ」


 何しろ、腕に刻印を持つ暗殺者たちは、かつて執拗にシリンたち親子を追っていた者たちだ。ある時を境にその追跡もパタリと絶えていたが、それでも、主目的の片手間にイサナが彼女ら一家を狙ったのは記憶に新しい。


 つまり、仮にもレイナが古巣へ戻ろうと動いたならば、“そこそこ痛手” 以上のマズい状況になるわけだが。それにしても、宵闇の言い方は軽かった。


 アルフレッドは呆れた口調で指摘する。


『本当に貴方はヒトを信用してるのかしてないのかわからないですね』


 宵闇は肩を竦める。


「アルだって、レイナが今更姿消すとは思ってないだろ」


『貴方だって、それを完全に信じ込んでもいないでしょう』


 慣れた応酬。

 宵闇は動揺もなく言い返す。


「俺がやってんのは単なるリスク管理だよ。絶対あり得ないことだって起こる時には起こるんだ。あらゆる想定をしながらそれへの対策を考えておくだけ。想定外が無いようにしとくのは何事でも大事だ」


 マーフィーの法則とか知ってれば、至って普通の思考だよ。

 そう続いた言葉に、アルフレッドは湧きあがる好奇心を抑えて低く唸る。


『……詳細は並行複発酵とともに後で尋ねるとして。話題が掠ったので話しますが――』


 元より宵闇も覚悟の上だ。

 苦笑と共に頷く彼の一方、アルフレッドは、数週間前からの懸案を、口にした。




『――ハクの最近の様子について、貴方はどう思います』





第129話「想定外」





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