第128話「形跡」


「おまえ、こいつには何を合わせる」


 俺がちょうどグラスを干したころ、呼びもしないのに、例の男がやってきて言った。


「おお、今度はウイスキーか?」


「……」


 2杯目はもちろん頼むつもりだったから、勝手に持ってこられたことに文句はない。


 俺が卓に置かれたグラスを覗き込めば、そこに見えたのは飴色の液体。器の半分もないその量と、丸く大きな氷が入った状態を見るに、おそらくはストレート。


 ホント、ここまで呑み方も一緒となると――。


 俺は思考しながらも、新しいグラスを回し、鼻を寄せる。


「……うん、イイ香り。……木の匂いだな」


 次いで舐めるように少量含む。


「やっぱウイスキー、特にバーボンに近いか。……なら、合わせるのは――」


 まったく、どんだけ高いんだ。


 俺は思わず口端を上げながら、同時に、舌の上で転がした液体に何が合うのかを考える。といっても、これだけ同じなら、先人たちの教えに従うのがベストだろう。


「――深い苦みと、後味にちょっと甘みがある、煎った種とか干した果物。……アーモンドとか、ナッツと言って通じるか? あるいは干したイチジクとか」


 ホントはチョコレートとかも合うけど、下手にカカオ100%の飲料出されても困っちまうし。俺が想定する固形チョコが出たら出たで、これもまた反応に困る。


 ありそうな範囲で要求すれば、店員のオッサンは出せる食材を総ざらいするような表情で言った。


「……後半何言ってんのかわからねえが、苦くて甘いのな」


 彼はそれ以上言わず、踵を返して戻っていく。


「よろしく~」


 俺は軽く手を振って見送る。

 たぶん、そう外れたモノは出ないだろう。


 充分離れたところで、改めて一口味わいながら言った。


「こっちは、またクセがあっていいな。樽が若い、熟成年数もそんなじゃない。暴れる酒だ。吞みやすくはないが、いつまでも味わえる」


『具体的にどんな味なんです』


 アルからの問いに、俺は少し考える。


「…………たぶん、樹液がイメージに近い。アルコールの衝撃と、焦げた木の風味と、最後に甘みって感じ」


 特にバーボンは「甘い」と表現される。

 トウモロコシが主原料であり、内側を焼き焦がした新品の樽に詰めて熟成させる。比較的、熟成期間が短いのも特徴だ。


 たぶんこのウイスキーも、糖分が多い穀物を主原料に、作ったばかりの樽に同じ細工をし、おそらくは2、3年くらいで出されている。


 正直言ってもっと期間置いた方がよさそうだが、商売として成り立たせるために泣く泣く封を切ったとかそんなところだろうか。


『……よくそんなもの口にできますね』


「ハハ」


 実際、ウイスキーを口にすると、味覚の大半を刺激するのはアルコールだ。正直言って、呑みやすいモノじゃない。


 ま、俺の場合、ウイスキーはひたすら香りを楽しむ感じだな。

 木の匂い、好きだし。


 俺は軽く笑って言った。


「ウイスキーもそうだが、大概の酒ってのは単体じゃマズいといっても過言じゃない。特にピルスナースタイルのビールはその代表。あれは一日の疲れと油モノを一緒に食べるから最高に美味しく感じるだけで」


 ビールは泡が重要! とか、喉ごしが! とか、キンキンに冷えてるべき! とか色々言われるが。

 俺にとってのビールは、腹が膨れやすく苦みの強い、単なる無難な酒だ。


 夏日に唐揚げや餃子なんかと合わせるなら、真っ先に選びはするけども。


『――ビール、というのは?』


「大麦とかを原料に作る醸造酒のこと。地球上では最古の酒の1つだから、多分この世界でもどっかにはあると思う」


ジョウゾウシュ醸造酒


 俺は言った。


「そう。醸造酒を蒸留したのが蒸留酒。メチャクチャな暴論を言うと、ビールを蒸留したのがウイスキー。一応、主原料は同じな場合が多い」


 酒造関係者に聞かれたら、袋叩きにされそうなことを言ったところで、人が来る気配がしたため、一応口を閉じておく。


 そうしていれば、近寄ってきた例の店員が、卓上に小鉢を置いて言った。


「ほらよ」


「おお、やっぱあるよな、こういうの」


 見た目的にはドライフルーツとナッツの盛り合わせ。

 印象に違わず彼は言った。


「こいつはナイヤの実を干したモノ、こっちはウカージュの種を干して煎ったヤツだ。まだ客に出したことがねえから、あとで感想聞かせろ。代金は取らねえよ」


「そりゃまた光栄だ。だが、どうせ美味いとしか返さねえと思うが」


「それならそれでいいんだよ」


「んじゃ、遠慮なく」


 俺がグラスを掲げて言ってやれば、禿頭とくとうの男は鼻で笑って立ち去った。

 あの様子を見るに……、もしかして俺、わりと気に入られた??


 俺の思考が逸れてる間にアルが言った。


『蒸留というのは、僕の知る限り、水を浄化するのに古くから使われる手法という認識なんですが』


 もちろん頷く。


「だろうな。地球でも似たようなもんだ。技術としては紀元前、あ~、俺が生きてた時代から、5千年くらい前だったかな。それくらい古い技術だが、酒造に使われるようになったのがだいたい千年ちょっと前。で、それをやったのが、中世ヨーロッパの錬金術師」


 地球においても、蒸留の歴史はかなり古い。だが、それを酒に使って蒸留酒が誕生するには数千年の時を経る。


 まぁ、酒の濃度を上げるなんて必要性の低いことを考えるのに、地球ではそれだけの年月が必要だったというだけなんだが。


 俺が見た目ナッツ――ウカージュだったか? それを口に放り込んでいれば、アルが言った。


『……なぜきんを求めて研究していた人間が、より人を酔わせやすい酒を作り出す、なんてことになったんです』


 俺は笑った。


「さっきの説明にはちょっと語弊があってな。錬金術師の全員が金を創り出そうとしてたわけじゃない。不老長寿の薬とか、それでなくとも万能薬とか、とにかくすごい効果のある、神がかった物質を作り出そうとしたのが錬金術師でな」


 俺が言えば、アルからも得心の声が上がる。


『ああ、その手の輩ですか……。それなら、国が把握してない個人規模で、こちらにもいるでしょうね』


「だよな」


「で、蒸留酒は、その不老不死薬を創り出そうとする過程でできたらしい」


『……酒が霊薬の原料……』


 皆まで言わずとも、アルが何を言いたいかはわかる。

 俺はナイヤの実――ドライフルーツを手に取りつつ、苦笑して言った。


「とある宗派では、赤ワインが神の子の血だ、とされていてな」


『……どこからそういう話になるんです』


 胡乱げな問いに、俺は適当に言った。


「例え話が数100年の時を経て、まるで真実だとされたちゃった、みたいな?」


『…………』


 お、このナイヤの実っての、苦みも程よくていいな。

 咀嚼していれば、数秒黙ってたアルが言った。


『まあ、ハタから見れば滑稽でも、往々にしてあることではあるんでしょうね』


 さすが、アル。

 大なり小なり形は違えど、いろんな分野であり得る事ではある。己を見直すに越したことはない。


 俺はドライフルーツの後味にウイスキーを合わせ、口端を上げる。

 うん、美味い。


「――とにかく、エタノールの純度を高めるのに執心した奴らが作ったのが蒸留酒。その他、質量保存の法則を提唱したのも当時でいう錬金術師だし、彼ら無くして科学の土台は築かれなかった、というのが地球の歴史だな」


『……で、その一例を参考にすると、貴方の呑む蒸留酒は、この時代には少し不適当だということですか』


 俺は首を傾げる。


「どうなんだろうな。技術的にはそんなに難易度高くないから、あとは酒という嗜好品にこれだけの手間暇かける熱意と、それを維持できるリターンさえあれば、まぁ、古代末期相当のこっちの世界でもあり得なくはないんだろうが、それにしても――」


 俺はガラスのタンブラーを持ち上げ、氷をカランと鳴らし。溶けだした水と混ざってはモヤモヤと混濁していく飴色の液体を見る。


「――この再現率は、異様だな」


 これにアルが言った。


『つまり、レナのような、貴方と同じ世界を知る人間がこれを作った、と?』


 またまたさすが。

 話が早い。


「しかも、並大抵の熱意じゃねぇな。元は酒造が本職だった人間が、こっちに転生だか転移だかしたうえで、この酒を呑みた過ぎて再現しちまった、というのが妥当な線か」


 逆に言えば、そこまで条件揃ってないと無理だろ。

 まず一生を賭けた仕事だったろうし。


 醸造技術に蒸留技術、ガラスの器に製氷。そして、流通ルートの確立に、呑み方などの飲酒文化の醸成。

 恐らくそこらへんまで1人のニンゲンが成し遂げてる。


 あるいは賛同者を募り、次代に託し、数世代かけてようやくここまで形になったのか。


 初めから最適解を知ってるだけに計画の立案自体は可能だろうが、それを実現するには途方もない金と時間が必要だ。人脈も要る。全てをイチから作り出そうとすれば、知識通りにいかないことだって多い。


 右も左もわからない異世界に突然放り出されて、一朝一夕にできるもんじゃないだろう。

 とんでもない熱意と知識、そして強運とアイデアの持ち主でもある。


 しかもそれが注ぎ込まれた産物が、生活必需品ならともかく、言っては何だがただの嗜好品である酒。


 俺としては感謝しかないが、一歩間違うと地球のジンのように、多くの中毒者を出して社会不安の要因にもなりかねないし。販売ルートを絞るなら、貴族とかと繋ぎが無いと商売として成り立たない。


 そのすべてをクリアしてのけたと仮定すれば、凄いの一言じゃすまない。

 まごうことなき蒸留酒フリーク。


『実際、レナの例もありますし、転移等による知識の流入はあり得そうですね』


「とにかく、やった奴はとんでもねぇよ」


 少なくとも俺には無理。

 日本酒呑みたいけど、並行複発酵はそれこそ一生賭けたって再現は――。


 そこまで考えて、はたと、気づく。


「――でも、そっか。俺って寿命ないから、ゆくゆくはそっちに時間かけたっていいんだな」


 ふと思い至った悠久の時の潰し方。

 やるにしても相当後になるだろうが、悪くないアイデアかもな。


 アルもたぶん付き合ってくれるだろうし。


 俺が勝手に皮算用していれば、それが伝わったのか言ってくる。


『まぁ、別に構いませんが。50年くらいは優に費やす想定ですね?』


「そうだが?」


 しかも、最低50年だ。

 俺は言った。


「三種類ある醸造法のうち、最も複雑怪奇な工程を経る日本酒を舐めるな。蒸留酒を除けば最もエタノール濃度が高くなる、麹菌こうじきん、酵母菌による生物工学の粋が日本酒なんだよ。まずは麹菌の分離から始めないといけねえし、酒米さかまいも探さねえとだし」


 それらしいモノを作り出すだけなら、50年くらいでギリいけるかもだが、俺の呑みたいを造ろうと思ったら、到底足りない。素材の厳選に醸造法の研究、それらを十全に行う環境を作るだけでも時間がかかる。


 ただ、俺には寿命という制限がないから、原型だけ作ってあとは現地の人間に任せちまってもいいだろう。


 うまく広めてあちこちで試行錯誤してもらい、発展してきた100年後くらいを楽しみにする、なんてことも可能なわけだ。


 そうした方が多様な酒を呑めるだろうし。

 何より、生きる楽しみが増えるってもんだろう。


『ひとまず、貴方がどれだけそのニホンシュ日本酒が好きなのかだけはわかりましたよ』


「これに関しては、俺の方から一晩かけて語るのもやぶさかじゃない」


『なら、あとで語ってもらいましょうか。……ヘイコウフクハッコウ並行複発酵についてとか』


 おい、その単語、口に出して言わなかったろうが……ッ。


『だから、ある程度聞こえてると言ったでしょう。全てじゃないですが』


「……まったく。一番の核心を逃さないんだからなぁ」


 まぁ、いい。嘘言ったわけじゃないし、前世の知識を総ざらいする意味でも帰ったら大いに語るとしよう。





 だが、その前に。

 あの店員のオッサンには、ちょっと何点か訊いとこうかな。






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