第127話「蒸留酒」


「なにお前、なんか怒ってる?」


『むしろなんで貴方はそんな平気なんです』


 品が出るのを待つ間、そこはかと伝わってくる“怒”の感情に俺が恐る恐る訊けば、やっぱり返ってくるのは予想に違わないイラついた言葉。


「……そんなに怒るようなポイントあったか?」


 まず間違いなくさっきの店員の言いザマに怒ってんだろうが。……まぁ、お行儀がイイ言葉選びじゃなかったのはそうだけど。


 実際、アルは言った。


『男妾だの、酒も飲めない子供だの、これ以上なく罵倒されていたと思いますが』


 そんな風にまとめられると、確かに酷いな。

 俺は苦笑しながら言った。


「全部事実じゃねえけど、そう思われる要素があるのもまた事実だし。強いて言うなら、あんな接客態度と一見さんお断りの営業形態でよくこの店やってんなとは思ってる。儲かってるみたいだし、むしろ評価は上がってる」


 内装とか、従業員の着てる服とか、あとは清掃の行き届き具合とか。そういったものを見るに金回りは悪くない。


 つまりは、出してる酒や料理が美味くて儲かっている、もしくは大穴で、ヤバい薬で別口の儲け先があるとか、だろう。


 まぁ、まず間違いなく酒と料理が美味いんだろうが。


『はぁ……。貴方の場合、心の底から言ってるのがまた』


「何もおかしかねえだろ」


 そんなことを言い合っていれば、さっきの男が戻ってくる。


「おい、もう酔ってんのか? 独り言がうるせえぞ」


「まぁそんなとこ。癖でな」


 そう言って返すと、男は意外にもソフトな置き方で、トンと、酒の入った器を卓に置く。


「ほらよ、お望みの火酒だ」


 一方の俺は、その置かれた "器" から目を離せずに一瞬沈黙しちまった。


「…………へえ」


「なんだ」


 ある程度、予想されていたのか、反応を催促してくる男のこともそっちのけ。俺は器を持ち上げ、ゆっくりと揺らし、密度の異なる2種類の液体がモヤモヤと混ざり合うのを観察し。


 そして、カランコロンと器の中でぶつかり合うが現実に目の前にあることを確かめる。


「言いたいことがあるなら――」


「いや」


 俺はほぼ反射で男の言葉を遮り、笑みさえ浮かべて呟いた。


「――まさか蒸留酒があるだけでも驚きなのに、更に、しかもで出てくるとは思わなくて。驚き過ぎただけだ」


「……」


 俺は返答も待たず、グラスを回して軽く鼻を寄せる。


 うん、いい匂い。

 アルコール臭のなかに柑橘系のフレーバー。

 これはまた驚きだ。


 次いで一口。


 ……うん、なかなか。


 俺は言った。


「これは……ジンに近いかな。ハハ、飛び切りキツイのとか言いながら、水割りのジン出すあたり、あんた益々面白いな」


「……」


「これなら、合うのは肉かな。なぁ、あんた、干し肉とかないか。塩気があって旨味があるやつ」


 俺が視線を向けて問いかければ、ようやく彼から言葉が返る。


「ここでそんな素っ気ないモノだすかよ。ちょっと待ってろ」


「いや、早くこの酒と合わせたいから、簡単なものを今すぐ出してほしいんだが」


「そんなかからねえよ」


 男は踵を返して戻っていく。


「あ、この一杯分くらいでいいからな!」


 片手を振られたあたり、多分大丈夫だろう。



 俺は引き続き、冷えたガラスに口をつける。


 オルシニアじゃ、窓にガラスが使われてるのを見ていたが、コップとして、しかもこれだけ中身が明確に見えるほどの出来で、そして俺が手にできるとは思わなかった。


 もちろん、ほどほどに分厚いし透明度もないが、十分凄い。


 そして、この氷。

 酒が冷えてまた美味い。


 これだけのものをただの酒場でだしてるなんて、とか、様々ツッコミどころがあるにはあるが。まぁまず、美味いモノには逆らえない。


 俺は本能に従い気持ちゆっくり口を付けていれば、アルが言った。


『ロック、とはなんです』


 俺は言う。


「この場合、氷のことだよ。……まさかこの世界で人工的な氷が、しかも嗜好品として商業的に消費されているなんて驚きだ」


 魔力を使えばある程度この世界じゃ簡単なんだろうが、例えば、生鮮食品の保存といった必要に迫られての用途ではなく、より美味しく酒を呑みたいという、至って必要性の低い目的で使われてんのが注目すべきところ。


 アルは言った。


『おそらくは魔道具でしょう。どちらにしろ珍しいモノだとは思いますが』


 おお、魔道具という、久しぶりのファンタジー用語。まぁ、かく云う俺こそが、生粋のファンタジー的存在ではあるんだが。


 俺は以前に聞きかじった知識を口にする。


「術式刻んで魔力流せば稼働する道具、だよな、魔道具ってのは。この国はまたそういった系統が進んでるなぁ」


『……なかなか脅威ですね』


「だな」


 声量には一応、気を付けつつ言っていれば、人の近づく気配がする。

 ホントに待たなかったな。



 姿を現した男は、これまた意外なほど丁寧に木皿を置く。


「ほらよ。羊肉の塩漬け、これつけて食べな」


 出されたのは、素朴としか言いようがないが、だからこそ食欲を誘うこんがり焼けた骨付き肉。そして、オイスターソースのような、いや、それよか色が多少薄めのタレが入った小皿。


「おお、こっちのはなに」


「教えるかよ。黙って食え」


 と、言われると思ったので、俺は自分で指につけて味見する。


「……うわ、色々入りすぎて何かわからん。でもコンソメ、野菜系か? 美味いな。酒に合いそうだ」


「……」


「??」


 ちょっと行儀が悪かったか?

 そんなの気にする店、というか、気にする人間じゃなさそうだが。


 結局、男は何も言わず、呼び鈴だけおいて立ち去った。


 


 夜も更けているから、お客も増えているらしい。

 視界の端に人の動きが見えたり、話し声が聞こえてきたりと、人のざわめきが増しているなか、俺は1人楽しく肉を味わう。


「う~ん、美味い」


 出てきた肴はグラス一杯分ということで、一口大よりかちょっと余るくらい。たぶん羊のロース肉、ラムチョップってやつだろうか。


 塩気のある焼いた羊肉ってだけだが、素材自体に旨味があるから十分だ。第一、塩とあぶらはポテトチップスに代表される、人間が「美味い」と思わずにいられない組み合わせなんだから当然だ。


 俺はまず、手づかみで肉を取り上げ齧り取り、飲み下したのち、当てとして酒を呑む。


 思った通り、絶妙な相性でひたすら美味しい。

 比較的こってりとした肉の味に対し、グッとくるアルコールと、柑橘フレーバーのすっきりとした後味が対照的。


 いわゆる無限ループってやつだろう。


 俺がそんな感じで味わっていれば、アルが言った。


『ジンというのはなんです』


 俺は言った。


「麦やジャガイモを原料に発酵させ、それを蒸留した蒸留酒の1つ。いろんな風味がつきやすく、蒸留酒の中じゃ比較的クセがないと言われてる」


『美味しいんですか、それ』


 重なる問いに、俺は口端を上げて言った。


「呑みやすいな。別名、堕落の酒。少なくとも地球のジンは、かつて大量の中毒者をだしたことでそう言われる」


 まぁ、あれは当時の社会情勢とか関係するから、全ての原因がジンにあるわけでもないんだが。


「――自己主張はあるが、後味がよくて残らない。次々口に入れたくなる。いわゆる “厳しい酒” だな」


 俺のじいちゃんの表現を借りて言えば、アルは案の定、言ってくる。


『……言葉がおかしくないですか?』


 俺は言った。


「いや、合ってる。つまりより一層、自己管理して呑まないと限界超えて醜態晒す酒、ってことだ」


 ここで一口。

 うん、美味うまい。


「――ひるがえって、物凄く美味おいしいってこと」


 ホント、言い得て妙な表現だ。

 これを言った俺のじいちゃんは真の酒呑みだった。


 何しろ、美味い日本酒呑んで、一言目で唸るように「……これは、厳しい酒だ」ってしかめ面したというから、相当だろう。俺だったら単に、「あぁ、うま~い!」で終わりだ。


 酒を呑むのか、呑まれるのか。


 じいちゃん曰く、その主導権を如何にとるのかが、酒呑みの一番の醍醐味、らしい。

 俺が懐かしく思い返していれば、アルが言う。


『当然、あの男もわかって出してますよね』


「だろうな」


 つまり、彼が言った “とびきりキツイ酒” というのは、誇張表現なんかじゃない。水割りなところがまた念入りだ。


 そもそも水割りとはいえ蒸留酒だから、呑みなれていない人間ならまず度数でキツイだろうし。そして、下手に耐性あったらあったで酒に呑まれて失敗する可能性が高い。


 仮に原酒のまま、いわゆるストレートだったら、アルコールのキツさに警戒も上がるのだが。それが水で薄まって一応吞みやすくなっているから、罠としてまた一段危ないことになっている。


 一方の俺は、幸い呑むの慣れてるし、何度も言うが、そもそも酔えないし。ワンチャン、雰囲気に酔うことがあり得るが、まぁ、酷いことにはならないだろ。


「ということで、俺としては全然ありなんだけど。これただの素人へやったら、マジでヤバいかもな。グラスに一杯だけってのが最後の良心か。だが、これも多分、要求されれば次々注いでくるつもりだろ、この調子だと」


『……』


「色々言いたいことはあるんだろうが、俺はかなりこの店気に入ったぜ。なにせ、店員が酒の特性をよくわかってる、肉がすごく美味い、タレも酒に合う。肝心の酒も文句なし」


「酒と料理が美味いなら、酒場としては満点だろ」


『……』


 俺はなぜアルから返答がないのかと思いつつ、ふと浮かんだ予想を口にする。


「あ、呑みたい?」


 あたらずしも遠からずだったのか、アルからは微妙な肯定の気配がする。

 とはいえ、返ってきたのは拒否の言葉。


『手段が無いでしょう。貴方と違って、僕がこの場で人に戻ると裸だ』


 俺は苦笑する。


「たぶん、自己認識の違いなんだろうがなぁ。俺にとっては毛皮が一種の服の認識。対するお前にとって服は服。自己の一部にはなりえない」


『そのうち出来るようにしますよ。不便ですから』


「一々、脱ぎ着するのがな。場所を選ぶし、服という痕跡が残る」


 俺としては別に同化しとけばいいとは思うけど。

 味覚を共有できるか試した方が楽なような。


 ただ、本人からすると面倒だってことはわかるし、アルが出来るようにすると言ったのなら、きっと近いうちにそうなるってことで。


 まぁ、つまりは、どっちだっていいんだが。


『……』


「ちなみに話は変わるが、この世界に錬金術ってのはあるのか?」


『レンキンジュツ』


「その反応は無さそうだな」


 棒読みに近い言い方に予想を付ければ、アルが重ねて言う。


『呼び名が違う可能性もありますが』


 俺は表現を悩みつつ言った。


「あー、端的にいうと、ただの鉄をきんに変えようって研究のこと?」


『なんですか、それ。鉄は鉄であり、金は金でしょう』


「ハハ」


 全くもってその通りなんだが。


 お前からその言葉が常識としてでてくるのもまた凄いことだな。


「地球において錬金術ってのは、ある意味 "原初の科学" であり、そして、この蒸留酒の生まれるキッカケにもなった分野なんだよ」

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