第126話「夜の街」


 ハクと合流できてから、早ひと月。

 あれから街も移動し、着実にイスタニア王都に近づいている今日この頃。


 俺とアルは、今夜もまたイスタニアのとある街――リングレイという名の中規模都市、その繁華街を流し歩く。


 とはいえ、実際に歩いているのは俺だけだ。

 何しろアルの容姿はこの上なく目立つ。そもそも諜報に向かない奴だ。


 フード被って歩いてた時期もあるんだが、それでも目立つのは変わりねえし。


 一座の見世物としてそれなりに話題になってんのもあって、素顔が出ちまった時のリスクが高いと、レイナが苦言を呈したのを皮切りに――。


「――ほんと、つくづくお前はよく我慢できてたよなぁ」


『……何の話です』


 俺は、灯りに揺らめく露店の並びを眺めつつ、アルの声に言った。


「出会ってまもなく、俺に同化されても特に何も言わなかったじゃねえか」


『……』


「こんなにソワソワするもんだと思わなかったわ。同化されてる側」


 足をゆったり進めつつ俺がしみじみ呟けば、アルが迷いながらも言ってくる。


『嫌なら、離れますが?』


 そこにアルが居るわけじゃないが、俺は斜め上を見て言った。


「なんでだよ、お前と俺じゃ今更だろ」


『……』


「そういう意味じゃなくて、これがふと、全然知らない奴だったらと思ってぞっとしてな。で、最初の頃、お前はよく我慢できたなぁって」


 そんな感想にアルは言う。


『あれは。我慢したんじゃなく、諦めたんですよ、早々に。とはいえ、苛立っていたのは否定しませんが』


「ああ、確かにそうだったな」


 俺は思い出して苦笑する。


「……もう1年と言えばいいのか、まだ1年と言えばいいのか」


 俺が呟くように言えば、そう間もなく言葉が返る。


『僕にとっては、まだ1年、ですね』


 そんな返答に、俺は思わず笑って言った。


「そうかい。……特にお前は変わりすぎだしな」


 向こうも軽く笑った気配がする。


『……以前が、変わらな過ぎたんでしょう』


「へえ」


 俺はふと夜空を見上げ、短く息を吐く。


「――お前が、そんなふうに言うようになったのは感慨深いな」


 口端を上げて思わず零せば、その本人は気まずくなったのか、唐突に言った。


『そんなことより、貴方はいつになったら言葉を口に出さずに済むんです』


 つまり念話にしろと?

 この状態で?


「あ? ムリだろ、最初からやる気もねぇよ。ホント、なんでお前はできてたんだ」


 俺が呆れ口調で言えばアルは言う。


『実際のところ、言葉に出す前から僕には大体伝わってるんですから、それでいいんですよ』


「ムリムリ、声にださなきゃ言った気しない」


 ひとり首を振れば、アルが溜息ついた気配がする。


『貴方は本当に、頭が固いですね』


 そんな言われように俺は思わず声に出しかけ、しかしさすがにマズいと、咄嗟に口を抑えて切り替える。


『これは頭が固い云々の話なのか?!』

「ぐ、ゲホッ!」


 反動で盛大にむせる俺に、アルはお構いなしに言ってくる。


『出来てるじゃないですか』


「かはっ」


 あー、まるで唾液が気管に入っちまった時みたい。ホント、なんなんだよこの機能。

 俺は数秒かかって喉の調子を整える。


「ん、んんッ。……常には無理。明確に切り分けられないんでな」


 石畳を進む歩みを再開させつつ、俺はようやく言い返す。


 ちなみに、周囲には夜の街を楽しむ人間たちがもちろん大勢いるわけだが、一人歩く男が突然咽始めようと気にする輩はいない。


 まだ日が暮れたばかりの街の通りは、ほどほどに賑やかだ。


 ちょっとばかしお行儀のよくない男たちが、酒の入った陶器片手に肩を組み、仕事の愚痴を盛大に喚いている。そうかと思えば、客引きの派手な衣装の女たちが、笑顔を振りまき誘ってくる。


 地球の東京、その繁華街に比べれば明るさや賑やかさは雲泥の差だが、店頭に掲げられた松明や蠟燭の炎が微風に揺れて、仕事終わりの男たちの、あるいはこれからが書き入れ時の女たちの、その表情を照らしている。


 小さな町だと、日が落ちれば早々に人気ひとけが無くなったりもするんだが、このリングレイは宵の口とはいえまだ人が動いているあたり、なかなかに大きな経済圏――要するに、金の動きが大きい街なのが、この通りを歩くだけでわかる。


 まぁ、そうでなきゃカタリナさんが興行を打つ場所として選びはしないんだが。


 俺はアルとの会話の合間に、そういった周囲の様子も観察している。

 つまりは、思考を同時並行で回している。


 会話に全集中していないといえばその通りだが、これも昔からの悪癖だ。1つのことに集中しきれない。


 話が戻るが、だからこそ、俺は口に出さずにアルと会話していられない。

 おそらくこういった思考の一部も流れているんだろうが、俺の頭の中で錯綜さくそうする複数の思考、そのどれをアルに言ったか言ってないか、その区切りが自分のなかではっきりつけられない。


 だから、多少変な目で見られようが俺は口に出して言い返す!


 十中八九、この思考も伝わっているんだろうと思いながら俺が歩いていれば、数歩もかからずアルは諦めたように言った。


『……まぁいいですよ、貴方が注目集めるだけなのでもう何も言いません』


 たぶん、俺への視線を気にしたんだろうが、別に俺は構わないからいいんだよ。

 次いでアルは言った。


『それで? 今日はどこへ向かっているんです』


「ふふん」


 ようやくの問いかけ。

 俺は待ってましたと、指に挟んだ小洒落た封筒を掲げてみせる。


『……それ何か気になっていましたが、この流れだと座長に書いてもらった紹介状、ですか』


 もちろん肯定。


「この間、門前払いされた酒場。どうしても気になってな」


 俺が言えば、アルも言う。


『もはや、街の調査とか二の次になってますね』


 アルの指摘に俺は周囲に目を向けつつ。


「もういいだろ? 街も3つ目で早々新しいこともねぇし。それに、お高く留まったハイソな店なら、また違った話を聞けるかもだしな」


『……ハイソ、ハイソサエティ。いわゆる金持ちの社交場』


「そうそう。そのイメージ」


 俺が頷けばアルが言う。


『確かに、酒場という低俗な場所にやってくる貴族、ないし商人からは、また傾向の違う低俗な話を聞けそうですが』


 目的地はもう間近。

 俺は右の路地に足を踏み入れながら、顔を歪めて思わず呻く。


「……お前にその役目を振ってるのは、ホント申し訳ねえな、とは思ってる」


 何しろ、俺が客として店に入って飲み食いしている間に、アルが周囲の会話を聞き集め情報を得る、という割り振りがこの状態でのお決まりだ。


 場合によっては俺が会話に入る時もあるが、そう簡単に打ち解けた話をできるはずもなく。多くの情報は、いわばアルの盗み聞きによって得ているのが正直なところ。


 そして、酒も入った打ち解けた席で、主にその場にいる男たちが何を盛んに話題に出すのかといえば。……まぁ、大体はお察しだろう。


 同じ男としてはまさに居たたまれない限りだが、疲れ切った男どもが集まりアルコールで気も緩めば、その口からでる言葉の八割程度はいわゆる下ネタ、もしくは、それに準じた下世話な話になるのは古今東西、それこそ、世界が異なろうが変わらない。


 残り二割に何気ない生活の話とか、イスタニア人が感じている不安や不満、この国が盛んに行っている戦争の情勢など、そういった情報が細切れに入るから、地道にこの形で街に繰り出すのも意味はあるっちゃあるのだが。


 しかし、ひたすらアルの耳に余計な情報が入っちまうのが、申し訳ないというかなんというか。


 俺が何とも言えない想いに苛まれていれば、アルは平然と言ってくる。


『それこそ今更でしょう。貴方は僕を何だと思ってるんです』


 まぁ、もちろん俺だって、アルが既に成人した立派な1人のニンゲンだってのは認識しているんだがな。しかしそれでも、俺にとってのこいつは――。


「――繊細な感受性をもった見た目が最高に綺麗な奴」


 という評価になる。

 言葉を尽くせば他にも色々表現はあるが、端的に言えばこんな感じだ。


 おそらくは思春期に大概の男が通るであろう、性的な経験もアルは少ない。そんな奴に、酔っぱらいたちの明け透けなエロ話がなんのフィルターも挟まず流れ込んでいるかと思うと……。


『…………ちっ』


「お前、その舌打ちどうやってんの?!」


 ま、所詮、アルにとっては余計なお世話というやつなんだろうが。



 それにしても、俺はなんで今、舌打ちされたんだ??






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 目的の店は、大通りからは少し入り込んだ場所にあった。

 看板も小さく、辛うじて漏れる店内の明かりが、営業中であることの数少ない証明。


 そんな目立たない店をなぜ俺が知ったのかと言えば、単純な話、別の酒場で話題になっていたのを聞きつけたからだ。


 その場にいた人間たちとひとくされ話す過程で、まずは俺の気になるがこの国の一部で流通していることを知り、それをリングレイで唯一取り扱っているのが、この店だと言う話。


 俄然興味が湧いた俺は、この間一度ここに来たわけだが、あいにく紹介状が必要だということを知らなかったので、あえなく門前払い。


 そこで、ダメもとでカタリナさんに相談してみれば、さすが彼女はこの店の主とつながりがあり、と引き換えに俺の希望を叶えてくれた、というのが今日までの経緯。


 その代償がなんだったかは、まぁ、あとで言及するとして。

 まず今夜は、異世界の酒の味を思いっきり堪能したい。



 そんな期待と共に、俺は比較的重い木製の扉を押し開く。


 前回と同じく、紹介状の有無をドアマンのような男に確認され、持ってきたそれを差し出せば、少し間はあったものの今日は入店を認められ、1つの席に案内される。


 それほど歩くことなく席につけたが、店内は広くスペースが区切られていて、他の客の姿を直接見ることはできなかった。


 奥にそれなりの人がいるのは気配でわかるが、あるいは、人目を憚るような人間もくるのだろう、その手の客への配慮がわかる内装だ。


 そういった情報を見て取りながら、俺の頭は物珍しさから瞬時に色んなことを考え始める。扱っている酒もさることながら、これはまた、面白い店を見つけたらしい。


 一方、内心ワクワクしている俺のところへ、ずかずかと歩み寄ってくるのは壮年の男。がっちりとした身体つきに厳つい顔面。歳のせいか意図的か、いわゆる禿げ頭の、なかなかに威圧感のある御仁だ。


 異世界ファンタジーだと、まさに酒場の店主とか、ギルドのマスターなんかで登場しそうな見た目と言えばいいのか。


 少なくとも肉体労働向きの体躯だが、前掛けのような調理人の服装をしているあたり、まあ、厨房に入っている人間なんだろう。


 ここまで案内してきた人よりもちょっといい身なりしているのが、強いて言えば気になるかな。


 おそらくタイミング的には、注文を取りに来たんだろうが……。

 そう思って着席のまま俺が見上げていれば、男は嫌そうな顔も隠さず言ってくる。


「この間来たガキか。座長のツバメでもやってんのか?」


 どうやら前回来た時にもう面識があったらしい。そういや、この間対応してくれたの、この人だったかもしれない。


 俺は、このぞんざいな接客に、これまた面白くなりながら言葉を返す。


「随分な評価だな。俺なんかじゃあの人の相手は務まらねぇよ。世話になってんのは事実だが」


 冗談抜きでホント無理。イイ女だって分かるからこそ、本能が怖れを為して逃げ出す相手、それが俺から見てのカタリナ座長だ。


 ちなみに、ツバメというのは俺にわかるようにこの世界のスラングが翻訳された結果だろうが、いわゆるジゴロ、女性に養われる男妾のことだ。


 俺なんかが彼女と釣り合うはずもないが、そんな可能性に言及されるあたり、1人の男として悪い気はしない。要は顔がイイってことだよな。


「――それより、ガキと言うほど俺ってそんなに若く見えんの? これでも三十路みそじはイってんだが」


 俺が気を取り直して問い返せば、厳つい男は鼻で笑って言った。


「ふん、俺よか若い奴はみんなガキだ。何しろ俺がまだ、ようやくガキを脱したぐらいなんだからな」


「面白いこと言うなぁ、あんた」


 場所が許せば声を出して笑いたいくらい。

 俺が噴き出すように破顔すれば、彼は少し面食らったのか、多少間をおいて訊いてくる。


「……それで、ガキは何をご所望だ?」


 顎をしゃくっての雑な催促。


 この世界じゃメニュー表なんてご丁寧なものはないことが多く、まぁ、そもそも識字率も知れたもの。この店の客層ならあっても可笑しくないんだろうが、少なくとも俺の手にはない。


 仕方がないので、俺は聞いた話を頼りに言ってみる。


「ここじゃ、まだ珍しいを呑めるって聞いたんだ。あんたのオススメくれよ」


 これに、男は馬鹿にするように口端を歪めて言った。


「酔いたいだけなら安酒浴びてればいいものを」


 確かに、それは真理だ。酔いたいなら安酒の方が圧倒的にコスパはイイ。……とはいえ、今の俺は酒に酔うことが不可能な存在ではあるんだが。


 ちなみにどうでもいいが、この人、めっちゃ低音のいい声だな。


 俺はひとりで可笑しくなりながら言った。


「あいにく、そっちじゃもう舌が満足しなくてね。どうせなら美味い酒が呑みたいんだよ」


 俺は足を組みつつ要求する。

 対する彼は、相変わらず小馬鹿にした表情で言った。


「ハッ。精々、きついの持ってきてやるよ」


「楽しみだ」




 さぁ、この文明レベルでは存在するのが明らかに異様な火酒、いわゆる蒸留酒。

 その異世界での味は一体どんなものなのか、ぜひとも堪能させてもらおう。







第126話「夜の街」


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