第10話(というか、おまけ)※最終話

 最後に、アサの運命の人となった、この青年の話をしよう。


 青年の名前はただしという。彼の父親が、正直で真面目な子になるようにという願いを込めてつけた名前だったが、当の本人はその名前も、名前に込められた願いも、全く気に入っていなかった。彼の父親こそ「正」という名前が相応しく、正直で真面目なのが取り柄の男だった。正は父親の真面目さを嫌っていた。父のようにだけはなるまいといつも思っていた。ちなみに、父親の名前は獲夢どりーむ(これでドリームと読ませる)で、その名前を考えた正の祖父は、いつも大きな夢のような話ばかりをしている男だった。素朴な生活を営むことを嫌い、壮大な計画を立てては、たまに本当に実行して家族に迷惑ばかりかけていたらしい。そんな自分の父親を見て、ああはなるまい、と決意しながら生きてきたのが、正の父親だった。


 それはさておき、正が、運命を信じるようになったのは、父親の真面目さへの反発心もあったが、何より科学者である叔父の影響が大きかった。


 正の叔父は、科学者だった。正の父親は、科学者とは何をして暮らしているのか全く知らなかったが、いつも暇そうだとは思っていた。まさに息子の教育係として適任だと考えた。そして、幼い息子を、伯父の元へせっせと通わせた。父親が教育係を付けたからといって、正が手に負えないような問題児だったというわけではない。息子が早くも祖父そっくりの夢見がちな傾向を見せていたので、科学者に物事の事象を教えてもらえば、さぞかし現実的な思考が身につくだろうと期待したのだった。


 だが、結果は、全く逆効果だった。

 一体何を教えたんだと詰め寄る兄の口から、教育係を任された理由を初めて聞いた正の叔父は、


「それは僕に頼むのが悪いよ。世の中に、科学者ほどロマンチストな人種はいないんだから」


 と言って、悪びれる様子もなく、大声で笑ったのだった。


 ここで、彼の叔父が正にどんなことを教えたのか、それをいちいち説明するのは省こう。とにかく、正はあらゆる事象に、漠然とした因果関係を感じるようになった。そういう目を持つと、世の中には、科学によって、くっきりと解明された因果関係ばかりではなく、まだ今の科学や知識や道具では説明できないけれど、解明されていない何らかの力や因果関係によって、ちょっとした必然性を持って起こっているのじゃないかと考えられる出来事が見えてくるのだった。正は、後者のような出来事を運命と呼んだ。


 思春期を迎え、恋人らしき相手を作っては上手くいかないということを繰り返した正が、こんなに上手くいかないのは、自分に出会うべき運命の人がどこかにいるせいだと思うようになったのには、叔父の考え方が影響していた。


 何度も失恋したあげく、運命の人を見つけたいと強く願って、運命の赤い糸が小指から伸びているのが見えるようになったという話は、彼自身がアサに語ったとおりだ。

 補足をすると、彼が、糸を見ることができるようになったのは、アサが別れを宣告された日の三日前だった。彼は三日間の間、糸を頼りにあちこちさまよい続け、三日目の夜に自分の部屋に辿り着き、続きのない糸の先端を発見して絶望するのだった。

次の日、目覚めた彼は、運命の人を探すために無理矢理取った休日が、あと一日残っていることに気がついた。仕事が休みだからといって、何もする気は起きなかった。四日間の休暇の最後の一日は、見つかった運命の恋人と二人きりで過ごす予定だったのだ。

 部屋にいると糸の終わりを見てしまったショックが何度もよみがえって落ち込むばかりだった。これから先、どんな人と出会っても、どんな子と付き合っても、それは運命の人ではないのだ。こんなことなら、いっそ、赤い糸なんて最初から見えなければよかったのに、と彼は、どこにも繋がっていない小指の赤い糸を見ながら思った。今更のように両目から涙が溢れた。

 彼には、何か辛いことがあった時(多くは失恋した時だったが)、美術館に足を運ぶ習慣があった。遠い昔の時間ごと塗りこめたような宗教絵や、ホールの真ん中に孤独に耐えて立ち続ける彫刻、黴臭い匂いや、薄暗い空間が、彼を落ち着かせるのだった。

 彼は、重い体を持ち上げて着替えを済ますと、とぼとぼと足を引きずりながら、美術館に向かって歩き始めた。       


(おわり)

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アサの赤い糸 寒竹泉美 @kanchiku

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