明日

 その日の豪雪と複雑な事故とを交えても、自宅で夕方の食事には有りつけた。

 ただ何かと気丈な筈な美登里が、仲良くこたつで鍋焼きを食していたら、理由も無くウンウンと涙を流し続けた。深くも聞ける筈もなく、ただ今日あった事を極力手短に話ながら、美登里の同意、良かったねを最後に聞けた。


 夜は昨日程極寒では無いものの、思わず寒くないかと漏らしたら、美登里が俺の布団に潜り込んで来た。起きる時間帯がいつも別な為に、初めて抱き合いながら添い寝した。

 不意にタイトル日曜礼讃のパネルはと浮かんだ。師匠の合同展示会で持って行かれたかも知れないが、3階の何れのパネルはほぼ包装されているので、一から探そうにも骨が折れる。明日、いや明後日でも、今更誰にも怒られる事も無いかに落ち着いた。

 そして、俺と美登里はお互いの呼吸を子守唄代わりに深く眠った。

 その日の夢は合浦公園での仲間内の花見だった。多分十分な程の温もりがあったからと思う。


 そして、朝2時の起床ベルが鳴り、美登里を起こさまいと素早く止め、縋る腕から丁寧に布団から抜け出した。昨日の豪雪で通勤4時間は掛かったので、除排雪はされど3時間の読みで動く事にしていた。


 いつもの徒歩通勤。まだ真っ暗な道は、歩道など無く申し訳程度に広がった2車線が限界だった。

 急ピッチで除排雪された何れの道路も、八甲田山の雪の回廊程の高さでは無いも相当側面に積まれていた。うっかりの逃げ場すら無い。

 ただそれでは普段のリュックに最大限貼り付けたLEDバンドでは心許ないので、背後に向けての懐中電灯も追加装備した。背後からまま来る車両は大きく避けてはくれた。


 そうして準限界集落の戸来町への夜間の往来は、今日も少なく、運が良いのか、読み通りに3時間でマウトストア戸来町店に到着した。

 深夜番の善次店長が、おお来たなと大歓迎してくれた。ただその姿は着の身着のまま昨日と同じで、またの豪雪被害からシフトにどう穴が開くかの保険で、当分店に泊り込む覚悟ではいるらしい。そこは俺にも期待を掛けられている。そこはやむ得ない。


 その日も、常連によるエクストリーム来店は続いた。ただ都市圏の様にただ縦に並ぶよくあるコンビニの風景とはまるで違い、ただ平和そのものだ。

 そこに、ほぼ8時ジャストに例の彼女がやって来た。


 例の彼女は、戸来町にライフライン二台拠点、コンビニマウトストア戸来町店と、もう一つのスーパーのネザースーパーに努めるレジの美帆で健康美まっしぐらでヤング真っ只中だ。


 美帆は同じ戸来町に住み、猛暑になればただタンクトップにホットパンツと、渋谷でようやく見かけるギャルの出で立ちそのものだ。まあ準限界集落で老人ばかりでは、涼しそうねの挨拶で終わるのが、人ごととはいえギリセーフになる。ただ、いつ目を付けたヤンチャのワゴンに放り込まれるか、店を出た後でも常に細心の注意は払っている。

 そして彼女のポニーテールに巻き上げた首筋には、ヘキサグラムのワンポイントタトゥーが自ずと浮かぶ。そこには深い理由がある。

 常連の壮年の戸来町唯一の洋装店重谷美装の重谷薫さんが。吐息を混ぜながら、簡潔にまとめる。


「美帆もよね。あの親父団平が客をぶん殴って大暴れもして懲役刑食らわなければ、港町の方で手堅く運送店も続けられて、青森有数のダンサーで世界にも飛び出して行けたのに。いいえ今でも自己レッスンしてるから、もうちょっと勇気があればよね。ただそれも、一家で戸来町に隠れる様に流れて来ては、やっとの配送委託業で生活が一変しちゃったから、まあ何かとウサ晴らすためにレディースに入ったのも、己次第とは言え人生よね。美帆は、ヘキサグラムのワンポイントタトゥーも、見えなければ良いとは思ってる様だけど、そんなの海外志向のファッションでも何でも無いのにね。実淳ね、美帆もあなたには従順だから、ビシッとヘキサグラムを消しなさいと言いなさいよ。こんなんじゃ抱けないなんて、男の甲斐性見せなさいな、ほら、ね」


 俺の甲斐性も何も、同棲して何かのきっかけで婚約を言える彼女美登里が、家に帰れば朗らかに迎えてくれる。薫さんは逐一知ってて俺をけしかける。

 その美帆は愛想抜群のレジ係で、店外に出てもただ懐っこい。それが功を奏して恋人も間が空いたことが無い。俺は何処にも入る隙も無い。


 美帆の現在の恋人は伊集院泰人。付き合い始めたのは昨年晩秋かで、定型通りにコンビニマウトストア戸来町店の駐車場で、土曜日そして明朝迄オレンジのホンダN-ONEがストロークのリズムで激しく揺れていた。まあ互いにがっつり体力あるなで、ある意味スポーツ観戦かの後味だ。

 そして尻に引かれてだろうが、その車両オレンジのホンダN-ONEで朝の送迎をするが日課になっている。

 本来なら寛容に来店を迎えるべきだが、伊集院泰人は中古のホビーショップUSE STOCKの店員で、一言言えるなら目付きが悪く手癖も酷い。

 コンビニの勝手知ったる監視カメラで物陰に隠れては、不定期に戦利品を奪って行く行状はただ腹正しい。ただそれも見た目金髪ショートが男性アイドルグループそのもので、印象モテるが先行しては、手癖の悪さが消されるのはどうして止む得ない。


 そんな事を思い浮かべながら、レジの清算へとやって来た美帆が満面の笑みで、いつもの世界的有名コーヒー店のラテをことりと置く。確かにスーパーでは置いていない、コンビニオリジナルのラテではあるが、毎度心より、ありがとうございましただ。それより気になるのは、いつもの影がつきまとう。

 

 影は他でも無い霊体だ。師匠辻元學は宣う。霊体は存在で有り、思考能力も無く現世をうろつき回る。軽いのはうっすら見える屈折程度の存在で、重いのになると陰影にまみれて、影の輪郭が際立つ凶悪な存在だ。


 そう実は、これ迄不慮の事故を起こしたほぼな数は、影が漏れ無く付きまとっている。やがて霊障に触れたか、最悪の場合は棺に収まってしまうのが大筋らしい。

 それは経験上納得している。大きなところでは、昨年の赤いマツダのたけちゃんとあさみ、今年は白いメルセデスのありさんとはるこへといつの間にか引っ付いていた。

 これをそのまま言って、注意を促そうものなら大爆笑されては、おもしろ店員でSNSに呟かれるから言える筈も無い。


 ただそう、美帆はまだ死ぬには早いだろうの寂寥が帯びてくる。反射的ないらっしゃいませから、どうしようかの沈黙が心を支配する。

 そんな俺に、美帆はただ微笑みながら。


「あの、実淳さん清算を、ああそうじゃ無いですよね。いつもラテ一つしか買わないから、如何な方向ですよね、そうですよ、ここは奮発してオレンジチョコレートクロワッサンも買いますね」

「ああ、そうじゃなくて、N-ONEの彼氏さ、あいつ二十歳未満なのにコンドーム嬉しく買って行くなって、そういう煩悩でね。そんな事言って、俺は一店員として大丈夫なのかな、ああごめんね美帆ちゃん、立ち入っちゃって」

「それ、いつの、どのタイミングですか」

「ああ、それは、言っちゃっていいかな。ううん、ここだけの話だよ。マウトストアのシフト交代時に、献身看護大学のアルバイトの泉美さんの送り迎えのタイミングかな。ほら献身看護大学って、アルバイトしたがりで交際関係もおおらかじゃ無い、まあコンドーム付けてるならいいかなだけどね。美帆ちゃんは優しいから、こら、メッでしょう」

「実淳さん、泰人は童顔で小柄だけど、25歳です。分別ついていい大人ですよ。まあいいかじゃないです!」

「でも、送迎してくれる貴重な恋人でしょう、大切にした方が良いよ」

「実淳さん、マウトストアの一番重いハンマー貰えますか、」

「駄目だよ、防犯理由でうちではハンマー売ってないよ。買うなら隣りの町のの蜂ケ丘のサトリアーニで買いなよ。ホームセンターだから向っ腹が満足するの選べるからさ」

「今、欲しいんです!」


 美帆は、ラテの代金をバンとレジ台に置いては、俺はお釣りを恐る恐る差し出すと、美帆にぎゅっと両手で包まれて凄まれた。

 やる気かと過ぎったその時、他の一般人には見えないだろうが、影が墨沫を散らすかの様に豪快に爆散した。俺は震えた、これはまさか、祓えたのかと打ち震えた。俺、いや美帆、合わせ技、いやただ答えに貧する。

 俺は喉で幾つも言葉がつかえた。止めろ、いやもう霊体は霧散した、美帆ちゃんもっと生きられる、暴力は即傷害事件だ、いやぶん殴って良い下衆だ。


 俺はあわあわする中、美帆は背筋をピンと伸ばして凍てつくドアの外、そして鉄火場に向かった。

 外の駐車場には、禁止の筈のアイドリングのオレンジのホンダN-ONEがいる。美帆が店内にも聞こえる何かをがなりたてては、ドア窓越しに美帆の右ジャブが最低でも5発クリーンヒットして、プレイボーイ気取りの泰人が座席に深くしなだれた。

 そして怒り収まらぬ美帆が、ホンダN-ONEを、ガッチリしたロングブーツで容赦無く蹴り上げて、絶賛ベコベコにしている。まあ辛うじては廃車にはならないから、自業自得だ。


 俺は柄にも無くコンビニ店員の鉄則である沈黙を破った。

 でも彼女美帆の事を考えたら、また豪雪の中で死に行くでは余りにも不憫過ぎるので、今回だけド下手な引きで立ち入った。神仏もたまには多めに天の配剤をしてくれるらしい。沈黙はやたらより適度に慎ましい方が何よりと大いに悟った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

沈黙に積雪 判家悠久 @hanke-yuukyu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説